13:パンを持ってこよう
「お疲れ様です。何やら大変だったようですね」
「……ああ」
これほどまでに腹が立ったのはいつぶりだろうか。舌打ちをしながら椅子に腰掛けると、エルドが気を利かせて茶を置いてくれた。
「いつもすまねェな」
「いえ。これくらい、あなたの頑張りに比べれば」
「……今は二人きりだ。あの馬鹿どもが乱入してくる事も無いだろう……堅苦しいのは無しにするぞ」
エルドはほとんど表情を変えず、しばらくぼうっと立っていた。やがて笑顔になり、手に持っていた台を机に置く。
「君がそう言うのなら」
「おい、何だ今の間は」
「いや、仕事モードとプライベートを切り替えるのには、準備がいるからね」
爽やかな声で言って、エルドは対面に腰掛けた。ここ最近、心が休まったためしが無い。彼と話している時だけかろうじて政務のことを忘れられる。
しかし今日は、そうもいかないようだった。
「グレイザー、考え直す気は無いか?」
「何度も話し合ったはずだ。ランドマシーネへの侵攻……これしかねェ」
「僕は不安でならないんだ」
エルドは俯き、顎に手を当てる。考え込む時の、彼の昔からの癖だ。
「この地の誰も、あの場所のことを詳しく知らない。機人の技術を手に入れる……聞こえは良いが、そもそも勝算はあるのか? 表向きはもちろん交渉だが、突然軍を引き連れていけば、一方的に攻撃される可能性もあるだろう」
「ハッ……! そうなっても良いように、俺とお前で鍛えてきた部隊だろうが」
ハンガーズを結成してから約五年。訓練や士気上げを怠った事はない。二日後のパーティだってそうだ。エルドとてそれは理解しているはずだが……
「そうじゃないんだ、グレイザー」
彼はなだめるように言った。
「人が死ぬんだよ。君を慕い、ハンガーズに志願し、この街に尽くしてくれた人が、勝手のわからない、ほとんど異国のような場所で死ぬんだ。そうなる可能性が大いにあると言っているんだよ」
「……くどい。もはや決定は覆らん」
「人間は……機人には勝てない。もう一度考え直してくれ。君は冷静じゃないんだ」
何故だろう。いつもは極めて頼りになる彼の言葉が、今は無性に癪に触った。それもこれも全て、奴らのせいだ。
あの忌々しい、ダイナという魔法使いの娘。卓越した剣の腕を持つセイヴィアに、弱腰の癖に言いたい事はハッキリと言ってくる銀髪の女。
モイスティ……そういえば奴も魔法使いだったか。
「今日のことだってそうだ」
エルドの訴えるような物言いに、グレイザーの指先が自然と反応する。
今敢えて、その話をするか。愚か者が。
「今日の顛末は映像で見ていた。街中で銃器を乱射するなんて……誰にも当たらなくて、僕がどれだけホッとしたか。今日の君は異常だ。僕とて魔法使いの危険性は承知している……だが、昨日の彼女たちを見ただろう?」
「…………黙れ」
「人を見る目は確かなつもりだ。何を考えてるのかよくわからない子もいたが……少なくとも、この街に危害を加え────」
「黙れと言ってるんだ、エルドッ!」
力任せに机を叩きつける。美しかったガラスにはヒビが入り、手をつけていなかった茶の容器は反動で倒れてしまった。
「…………」
「お前、いつからそんなに偉くなったんだ?」
ゆっくりと、舐め回すような口調で言う。
「今日は随分と饒舌だなァ? そんなに喋りたきゃ、あの路地裏で公演でもするか?」
「……僕を、追い落とすつもりかい? ゼノイさんたちのように……」
「…………ハッ」
馬鹿馬鹿しい。冷や汗を浮かべつつも不敵な笑みを崩さない幼馴染を見て、グレイザーはため息をついた。
「お前無しでやっていけるとは思ってねェ。これ以上、余計なことを喋らないならな」
「わかっているようで良かった。さ、互いに冷静になろう。そっちを拭いてくれ」
「……それはお前の役目だろ」
「今はプライベートなんだろう? 僕はパンを持ってこよう。君が好きだったやつだ」
相変わらず食えないやつだ。汚れた机をその辺の布で乱暴に拭い、グレイザーは腰かけ直す。
見慣れた形状のパンを置き、再び座り直したエルドを見やってから、静かに口を開いた。
「わかっている。俺とてわかっているつもりだ。これがどれほど危険なことか」
「なら……!」
「だが仕方ねェだろう? 他にどんな手立てがある? 今日皆に言った通り……ただ目の前の事態を解決するだけでは、何も見出せない」
拳を握り締め、グレイザーは恨みのこもった声で話す。
「奴らの……現在のシュレッケンの脅威を、『未だに測りきれていない』この状況なら、尚更だ」
「グレイザー……」
エルドは固く口を結ぶ。お互いに思うところは同じだ。
わからないのだ。あまりにもわからない。シュレッケンとランドマシーネ。常識的に考えれば、力の差は一目瞭然の二つの都市。
その片方は今や混沌としており、もはやどちらが安全なのか、どちらが確実なのか、グレイザーの頭脳をもってしても見通せない。エルドはまだシュレッケンの方がマシだと考えているようだが、それは論拠に欠けるものだ。
ならば。国にも見捨てられたこの街が。ただ近くの都市に攻め込むよりも、遥か遠くの技術を持ち帰った方が利益を見込めるならば。どう転ぶかわからないこの状況で、選ぶ道は一つではないか。
そうすることで、この街が死なずに済むのなら。この胸にある確かな目標が、潰えずに済むのなら……
(これが正しい……そう、正しいはずだ……)
誰にも言えない胸の内。しきりに燃え続けている「野望」。この地位に着く以前から、夢見てきた世界。
────頑張ろ、グレイザー! いつか三人で、最強の街を作るんです! あなたと、エルドと、あたし! 楽しみね!
「エルド。頼む」
「……はい」
「付いてきてくれ。この俺に……俺とお前と、あいつが目指した理想の世界────」
見ていろ、リアン。
「何人たりとも、侵すことは許さねェ」
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「え、ドレス着れないの……!?」
雨の香りの漂う拠点にて。驚愕するフレーに向け、ゼノイは呆れたように肩をすくめた。
「君たちの任を考えなさい。そんな動きづらい格好では、肝心な時に後れを取ることとなろう」
「そ、それは……そうですけど」
「誰もが正装をしてくるわけではない。それに、綺麗な姿で行けばそれこそ目立つ」
正直言って、かなり残念である。「パーティに潜入する」などという心躍る響きだから、てっきりそれらしい恰好をしていくのだと思っていた。というかもはや、楽しみがそれくらいしか無い。エーネなどもう、不安で不安で仕方ないといった様子なのだ。
「君たちは指名手配されているし……ただでさえ、可愛らしい見た目だからね。ここは君たちの普段着の中で、最もパーティに合っていそうなものを着ていくのに留めてほしい」
「か、可愛い……って……!」
「あ、ありがとうございます……」
「チョロすぎだろお前ら」
そんなこんなで。三日間の潜伏期間を経て、今日はついに守護者打倒の作戦が決行される日だ。
ゼノイ曰く、彼は大きな行事の前後に必ずパーティを催すそうだ。今回の場合、開戦前夜となるのは明らかだった。主役はハンガーズなので、守護者の護衛は逆に手薄になるだろう。
どこで催されるかは考えるまでもない。あれほど大勢を収容できるのは、ノーブルタワー以外にありえないだろう。
作戦はシンプルかつ困難だった。フレーとザンはハンガーズの一員としてパーティに潜入し、隙を見てグレイザーに会心の一撃を与え拘束する。そしてエーネは……
「モイスティ嬢の役目は、その作戦の援助だ。二人が問題無く目的を遂げるため、ハンガーズ全員の足止めをしてもらう」
「ええええええっっ!?」
絶叫に近い悲鳴を上げ、エーネは慌てて自分の口を塞ぐ。一応ここは防音の設計らしい。風呂が無く体を拭くことしかできなかったのは辛かったが、しっかりとかけるべき所にお金を使っているようだ。
「む、無理無理! 無理です! 私って捨て駒!? そりゃあ最近は水魔法ばっかりですけど、私にも、治療師になるっていう夢が……!」
「落ち着きなさい、そうではないよ。君は意外と早く喋れるのだね」
エーネの水流で室内をかき回すことで、襲い来るハンガーズから時間を稼ぐのだという……たとえ彼女が、またも人を傷つけることを望んでいなかったとしても。もはやこれしか方法がないのだ。
成功するや否や、ゼノイが政権の崩壊を機器を使用して街中に伝えるのだそうだ。その後、シュレッケンの異変は、彼が単身で乗り込んで解決を図るらしい。危険すぎる決断をフレーたちは止めたが、政権を奪い取る以上、責任は取らねばならないと彼は告げた。
それ以前から、フレーとザンは口々に彼に詰め寄っていた。エーネの気持ちも考えてほしい。そもそもグレイザーに対する不意打ちなど、成功する確率だって著しく低い……けれどゼノイは聞かなかった。これが「最高」の作戦なのだと切ない表情で語る彼に、どれだけ手段が限られているかを思い知らされた。
「とはいえ、やはり何も変装をせずに行くわけにはいかないからね」
出立間近に彼が取り出したのは、色とりどりのウィッグだった。ああは言いつつ、予め用意していたらしい。ゼノイが退出し、ウィッグを渡された三人が室内に残される。
数分後、着替えも済ませて居間に集まったフレーたちは、お互いの姿を見て感嘆の声を上げた。ファッションなど限られていた村出身だけれど、各々ができる限りのコーデを決めてきている。
「何か慣れないな、これ……」
まず、ザンはやはりスタイリッシュだ。黒を基調とした装いは、さっぱりとした彼の雰囲気にとても良く合っている。頭に被せた茶髪のウィッグも、変わらず凛々しい印象ながら、しっかりイメチェンとしての効果を発揮してくれていた。
「どう、ですか? この髪とか……」
エーネはやや自信無さげだが、態度に反し、ふんわりとした統一感のある装いである。ザンが黒なのに対しこちらは全体的に白色だ。意外にもウィッグは短髪で、髪色はそのままで中性的な出で立ちになっている。これはこれでありだ。
「……ねえ、私やっぱ、村娘感抜けてないよね?」
暖色系の衣服に身を纏い、黒髪のウィッグを被ったフレーは、くるりとその場で身を翻す。安定の上着に、動きやすさ重視のスカート。センスがいまいちな自分なりに考えたコーデである。
とはいえやはり、ビートグラウズの住人と比べると田舎っぽいというか……
「そんなことない、ちゃんと可愛いです」
「えへへ……ありがとうね。エーネもだよ」
「それとフレー、その髪良いですね。何か黒もしっくりくる」
「……わかる。結構わかるぞ、エーネ」
「ざ、ザン、何急に。私は、ザンは元の髪の方が好きかな。でも服はマジでカッコいい!」
「何だろうな、褒められてるのかよくわからん」
いつもの何気ない会話。それに癒されている間も、時間は止まってはくれない。
会場は予想通りノーブルタワーだった。今宵の天気は雨。外から水音が聞こえてきている。
ゼノイとその仲間たちに見守られ、最終準備を終えたフレーたちは覚悟を決めて玄関に立った。
「ついにこの時が来たようだ」
感慨深そうに言ったゼノイは、三人を順々に眺め、祈るように言った。
「自分の身の安全を最優先にしなさい。武運を」
「はい……!」
外に出ると、そこは路地裏と言えど賑わうビートグラウズの一部。自分たちが命を狙われているということ以外、ついこの間と何も変わらない……活気と生命力に満ち溢れた場所だった。
群都市を彩る決戦に際し、フレーはとある青年の物語を思い出す。
────私が彼を拾い上げたのは、十年前のことだった……
あの晩、ゼノイの口から語られたグレイザーの過去。それはどこかありふれた……到底忘れることのできない、濃い半生の物語だった。




