12:今、決起の時
「ごめん……ごめんっ、二人とも……! 巻き込んでごめんっ……!」
予想していなかった、とは言えない。しかしまさか、ここまでの事態になるなんて。
「話は後だ! フレー、エーネ、ついて来られてるか!」
誰もいない裏通りをザンが先導する。人生で有数の速度で、フレーとエーネもそれに続いた。
「も、もう少しで門ですっ! 今なら検問も敷かれてないはず、こ、このまま抜ければ……!」
「ダメ……っ! 今外に出て、広いところで囲まれたらおしまいだよっ!」
必死に考えを巡らせるが、一向に良い案が浮かばない。万事休すかと思った、その時。
「君たち、こっちだ」
フレーたちが走り抜けようとしていた路地の一角で、見覚えのある人物が手を振っていた。こんな事態だというのに昨夜と全く変わらない穏やかな表情を見て、一瞬状況を忘れそうになる。
「ぜ、ゼノイさんっ……!」
「猶予はない。周囲を確認して、こっちの路地に入りなさい」
ゼノイ・グラウズはかつての権力者だが、今はただの一市民だ。彼とてグレイザーの命令は無視できない……その可能性も頭をよぎったが、すぐに捨て置いた。今は藁にも縋りたい状況だ。
「行こうっ、二人とも!」
振り返り、追手がいないことを確認する。三人で息を殺して、滑るように路地裏に入った。
「無事で良かった。どれ、こっちへ来なさい。グレイザーにも把握されていない拠点がある」
「え……? も、もしかして……部屋があるんですか?」
「普段はアピールのため、敢えて外で暮らしているがね。大事な話はいつも中でするんだ」
ゆったりと歩きながら、ゼノイは豊富な髭に手を添える。
「これでも、私らも戦ってるんだ。ビートグラウズを在るべき姿に戻すためにね」
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案内されたのは、薄暗く殺風景な部屋だった。中央には大きな丸テーブルが置かれており、隅には台所など、必要最低限のものが備え付けられている。通路の方にも部屋があった。
「あ、えっと、すいません。私たちびしょ濡れで……」
玄関に敷かれた敷物に、髪や服から水滴が落ちる。先ほどの自分の所業も相まって、フレーは申し訳なさでいっぱいだった。
「おお、言われてみれば。あいにく個室は無くてね……君はこの場で着替えるかね」
「そうさせていただきます」
ザンが無造作に服を脱ぎ、上裸になる。久しぶりに見た鍛え上げられた身体は、思いの外眩しく、フレーは何となく目を背けた。エーネも同じ場所を向いている。
「では君たちはそっちで着替えなさい。少し狭いが、お手洗いがあるよ」
「わ、わかりました」
「ちなみに風呂は無い。ここで体を洗えるようになるのも我々の悲願だ」
男性二人から逃げるように、フレーとエーネはドアをくぐる。幸い荷物はほとんど無事だった。
着替えを終えて外に出ると、ザンは既に腰掛けており、テーブルには四人分の飲み物が置かれていた。
「とにかく飲んで体を温めなさい。今体調を崩したら、いよいよ大変だからね」
厚意に甘え、三人でお茶を啜る。ゼノイの優しさが身に沁みて、フレーは少し涙ぐんだ。
────総力をもって、奴らの首を取れッ!!
憎悪の塊と言って差し支えない、グレイザーから向けられたあの言葉。
初めは話のわかる人だと思った。昨日あの部屋を追い出された時も、ゼノイからその過去を聞いた時も……彼の真っ直ぐな思いに、フレーはどこか畏敬の念を抱いていた。
だからこそ悲しかった。自分の言葉でこんな事態を招いてしまったことが。
それでも、彼の道とフレーの夢は交わらないのだから……
「話は遠くから聞いていたよ。大変な事態になったね」
一泊おいたゼノイは、ふとその表情から笑みを消す。俯くフレーを、厳しい表情で見据えた。
「まず初めに聞かねばならない。ダイナ嬢……君は何ということをしたんだ」
「…………っ」
「あれは正義感からの発言かな? グレイザーはとても狡猾で、ある意味真っ直ぐで、何より凄まじい力を持っている。それを昨日の話で学んだのではなかったのかね? 民衆の前であのような啖呵を切り、奴の逆鱗に触れ……挙句お友達まで危険に晒すとは何事だね?」
口を開いても、乾いた息しか出てこない。左右の二人の顔を見ることができず、ただ黙り込む。
「君が……そちらのモイスティ嬢もかな? 魔法使いだという話も、私は初耳だ。無論聞き出したわけでもないが……魔法であんな騒ぎを起こせば、住民たちは不安で仕方がないだろう」
「……ごめん、なさい」
そういえば、昨日の話で魔法のことは伝えなかった。何も言えないフレーの代わりに、小さく詫びたのはエーネだ。
しかし、この事態の責任はフレーにある。やはり自分の口から言わねばならないだろう。
「それでも……どうしても、譲れなかったんです。私には、夢があるから」
フレーは軽く目元を拭い、力強い声で言った。
「王都に行かないと、それは成し遂げられないんです。何もできない村から飛び出して、王都に行って認められること。自分の力で何かを変えれるような『偉大な存在』になって、それで……! だから村に帰るつもりだったとしても、王都と繋がったランドマシーネに攻め込むなんて、絶対に……認められなくて」
あの時フレーは、グレイザーの行為はただの「侵略」であると言った。ランドマシーネにとってこの事態はとばっちりだ。自分の街の問題のため無関係な地に攻め込み、強引に何かを奪い取る……それが理不尽であるという気持ちも決して嘘ではない。
しかし、フレーの主張の柱であるもう一方……すなわち自分の夢を話す以外に、この人に認めてもらう手段は無いような気がしていた。
「そうか……君は私が想像していたよりも、色々な意味で、恐るべき子だったようだね」
髭を触り、真っ直ぐにこちらを向く。白みがかった眉は確実な彼の「衰え」を感じさせたが、フレーを映す瞳には、かつてのリーダーの気概が宿っていた。
「この際複雑な話は置いておこう。しかしダイナ嬢よ、これだけは聞かせてくれ」
ゼノイは深呼吸する。聞く方にも覚悟が要ると言わんばかりに。
「何が君をそこまで突き動かすのかね。何故そうまでして……戦うのだ」
フレーは久しぶりに口角を上げる。もう涙は無かった。
一切の迷いなく、燃え盛る想いを伝える。
「私たちの……それとアルガンド王国の、偉大なる未来のためです」
幼馴染たちが生唾を飲む中、最初に沈黙を破ったのはゼノイだった。
「……意地悪を言って済まなかったね。その壮大な目標はまだ先が長いだろうけれど、君の熱意は伝わったよ」
「は、はいっ……!」
「しかし、手段は選びなさい。それと改めて、お友達に言うことがあるのではないかね」
彼の言う通りだ。フレーは二人を交互に見やって、中央で頭を下げた。
「二人とも……ごめん。ほんとにごめんね。迷惑かけちゃった」
「……全くですよ」
「今回ばかりは死を覚悟したな」
どっと溜息をつく音が聞こえた。緊迫した空気に二人も呑まれてしまっていたようだ。フレーの心からの言葉を聞いて、気持ちが軽くなったのかもしれない。
「それにしても、君はあまり泣くのが上手くないね」
「……え?」
「涙を堪えるあまり、顔が鼻水でベトベトだよ」
「はっ!? えっ!?」
軽快に笑いながら告げられて、フレーは自分でも顔が真っ赤になるのがわかった。慌てて袖で鼻を拭うと、堪えきれなくなったザンが大袈裟に吹き出す。エーネも共感性羞恥で激しく赤面していて、その事実がまた恥ずかしかった。
(てか、気付いてたなら言ってよっ……!)
ザンを思い切り肘でどついてから、フレーは別の意味で泣きたくなった。今朝配慮しろと偉そうに言っておきながら、これでは説得力皆無だ。いくら真剣だったとはいえ……
「はは、すまないね。女の子にしては何とも豪快だったから、つい」
落ち着いた年長者である彼に対する信頼が、初めて揺らいだ瞬間だった。
「言うまでもないことですが、俺たちは誰も、ここで死ぬ気はありません」
フレーにとって居た堪れない時間が続いた後、たっぷり笑ったザンが、別人のように真顔になって言った。それもまた腹立たしかったが、蒸し返されたくなくてフレーも同調する。
「その……勝手な頼みだとは思うんですけど、助けが欲しいんです」
ゼノイは頷く。ザンはここぞとばかりに切り出した。
「でしたら四日間、ここに匿っていただくことは可能でしょうか? 開戦までの間です。大多数の部隊が街を去るその隙に、俺たちも村に逃げ帰る。いかがでしょう」
「め、名案……! 超名案です、ザン!」
「……確かにそれなら、君たち自身の強さも相まって、無事に戻れる可能性は高いだろう」
顔を綻ばせて賛美するエーネに対し、ゼノイの顔は未だ険しい。
「しかしあくまで一時凌ぎにしかならないよ。エルドはともかく、グレイザーは決して魔法使いを逃しはしないだろう。まして、近隣の村に住んでいるとわかっていれば」
三人全員が青ざめた。まさに青天の霹靂である。村を守りに来たはずが、史上最大の危機を招きかねない事態になるとは。
「こ、このまま帰ると、ホメルンにハンガーズの大軍が……!?」
「閉鎖的な村ゆえに情報が届いていなかったようだね。今までそうならなかったのが奇跡だ」
胸の奥が冷たくなって、フレーはか細い呼吸をする。事態の深刻さが体中にのしかかってきた。
「……さっき謝罪も理由も聞いたし、今更言いっこなしです、フレー」
真っ青な顔のまま、エーネはフレーに微笑んだ。その様子を見て、ゼノイは少し目を細める。
突然、彼の表情がグレイザーと重なって見えた。一瞬の間を置いてフレーは気がつく。
(そっか……これが、リーダーの顔なんだ)
「ダイナ嬢、君は良い仲間を持った」
ゼノイは立ち上がる。一つしかない窓の前に移動し、微かな日光を浴びながら言った。
「これでも私は前市長だ。そして今や、政権に真っ向から反逆するレジスタンスでもある。その立場からもう一つ提案がある。恐らく最も険しく困難な……しかし確実な方法だ」
三人の中でたった一人、フレーだけがピンと来た。ザンとエーネには到底思い付かないだろう。
何故なら、彼らは穏やかだから。争いごとを好まない。常に胸の内に炎を携える自分とは違う。
「グレイザーを……失脚させるんですね」
フレーはゼノイの後を継いだ。二人があんぐりと口を開けるのがわかる。
「ああ、恐らくそれしか方法は無いだろう。奴が政権を失い、命令が効力を失えば、軍を動かすのは不可能になる。次の長が立ち上がり、ビートグラウズは新たなる夜明けを迎える……」
どこか寂しげな顔になって、ゼノイは付け加えた。
「そしてそれは、私たちの悲願でもあるのだよ」
彼は言う。グレイザーは正しい。その有り余る正しさは、人を惹きつけてやまないのだと。
しかし今の強引なやり方では、いつか巨大な分裂を呼ぶ。そうなった時、全ての権力を彼一人に集中させた現体制では必ずや崩壊が起こると。
「失脚して五年。無血での解決を模索してきたが、それはあまりに困難だった。武力による解決……あの恐るべきわからず屋を、力をもって押さえつけること。もはやそれ以外には無い」
それは悲哀に満ちた瞳だった。五年……決して短くはないその間、彼は求め続けたのだろう。平和な道筋、笑顔での和解。愛する弟子との穏やかな話し合いを。
しかし全てが徒労に終わり、辿り着いたのは、彼と同じく武をもって道を開く最終手段だった。
「君たちは笑うかね。かつての地位にしがみつくこの私を。彼の手段を強引だと言いながら、自らもその沼に浸かろうとしている老いぼれを」
「…………」
「だが君たちがどう思おうと関係無い。ビートグラウズを取り戻すまで、私は退くわけにはいかん……そして君たちもまた、目的を遂げるまでは死ねないのだろう」
ホメルンは本当に狭い世界だったと、フレーは身をもって理解した。表面上は穏やかに生きる人々。少しその奥に踏み込めば、こうも切実で巨大な思念が渦巻いているのだ。
「改めて言おう。君たちと、契約を結びたい」
ゼノイは拳を胸にかざす。そこにはまるで、グレイザーの命運が握られているかのようだった。
「必ず君たちを匿い、最高の作戦を提案することを約束しよう。フレイング・ダイナ嬢、及びそのお仲間に依頼する。この場の全員の未来のため、現体制に携わる全ての人間を出し抜き……守護者グレイザーを、見事打ち倒してくれ」




