12:路地裏で団らん
ゼノイ・グラウズに連れられるまま、閑散とした裏通りへと赴く。
そこにいる大人たちは、やはり皆どこかみすぼらしい雰囲気で……しかしその瞳には、ただの浮浪者とは思えぬような決意のようなものが宿っていた。
「この方たちは……」
「そう、皆あの男……グレイザーの政敵だった者たち。そして、儚くも表舞台から淘汰された者たちだ」
この私を含めてね。そう話す彼は、シートを敷いた地面に厳かに座り込む。
表からは狭く感じられた路地裏は、入ってみれば案外広かった。各々が手元の明かりを頼りに、鍋を沸かし、何やら難しい顔で語らっている。生活様式こそ物乞いのそれだが、何か目的があってそうしているのだということが窺えた。
「鍋でもつつくかね。今日は八百屋から譲ってもらった美味しい白菜があるよ」
「あ、ありがとうございます」
「緊張することはない。今のこの場所は、以前ほどの殺気に満ちた場所ではないよ。ただ虎視眈々と……再起の時を図っているのは、変わらないがね」
鍋を囲み、フレーたちはゼノイの話に聞き入る。警戒心の強いザンはしきりに周囲を見渡し、人見知りのエーネは、できるだけ目立たないよう縮こまっていた。
(二人とも、もっと気楽にすれば良いのになぁ……)
ゼノイ・グラウズ……ビートグラウズの前市長。前と言っても、その任期は凄まじく長く、フレーの知るわずかな情報の中では、この街は彼の下で発展していったというイメージだ。
「残念ながらね、詳しい原因は公にされていないんだ」
ビートグラウズを取り巻く異変について、ゼノイはそう語る。
「だが、そうか……飛び交っている噂に、グレイザーは『真実』という言葉を使ったか」
「部外者の俺たちはその話について知りません。良ければ教えていただけませんか?」
「そうしたいのは山々なんだがね。奴が真実と言ったのは、あくまで何が起こっているかについて。肝心の原因は、一切漏れとらんのだよ」
始まりは一ヶ月ほど前。ビートグラウズに、シュレッケンからの逃亡者たちが雪崩れ込んだ。彼らは自分でも信じられないという顔で、口々にこう話したという。
隣人が、友達が、家族が。皆おかしくなってしまった、と。
「おかしく……?」
「表現は、それこそまちまちでね。突然意思疎通ができなくなったと言う者もいれば、少し揺さぶっただけでいきなり襲い掛かられた、と語る者もいる」
「な、何それ……!?」
「こちらでも調べたんだがね。結局わかったのは、事態を引き起こした人物が、現在シュレッケンを牛耳っているということだけだ。今は既に公の事実だがね」
身の毛のよだつような話だ。フレーはごくりと唾を飲んだ。
「当然、そんな街にはいられんだろう。周辺の村も次々と侵されていき、正気の人間は皆ここに流れた。現在、シュレッケンや犠牲となった村は、残った者たち……つまり『おかしくなった者たち』により、完全に封鎖されていると聞く」
封鎖。それは本来なら、しっかりと意思がある者によって行われる行為だ。だが……
「ここから先は、私にもわからん。自らの意思による行動なのか、あるいは……この街で事実を知るのは、それこそグレイザーだけだろう」
「少し良いですか」
と、そこでザンが小さく手を上げる。
「ずっと気になっていたことがあります。根本の原因とは関わりないことだとは思いますが……」
「ほう?」
「何故、この街なのでしょうか」
ザンの疑問にしばし首を傾げるが、やがて納得する。エーネも、「言われてみれば」という顔をしていた。
「なるほどな。中々良い目の付け所だ」
ゼノイは穏やかな微笑みを見せ、白菜を口に入れた。
「だがそれについては、考えるまでもない」
「というと……?」
「何故、全ての人がビートグラウズに流れ、他のどこにも行かないのか。理由の一つは、この街ならば、未だ無事な村々よりも安定した保護が期待できるからだ。そしてもう一つ……この街の逆方面、つまり王都の方に向かわないのは……」
ゼノイは具材を飲み込むと、確信を持った表情で言った。
「そちら側……『ソールフィネッジ』の周辺が、あまりにも危険すぎるからだ」
「…………!!」
隣で野菜を頬張っていたエーネの背筋が、ピシリと固まったような気がした。村の外に詳しい彼女のことだ。聞き覚えがあるのかもしれない。
「そ、それって……」
「知っておるのかね、お嬢さん。そう……ここ最近、あの一帯では、未曾有の神隠し事件が連発しておるのだよ」
神隠し。それを聞いた時、フレーの視界の裏にとてつもなく熱い何かが浮かんだ。
あれは、炎。全てを燃やす炎。
そう、自分自身の……
「それって、つまり、誘か────」
「フレー」
身を乗り出そうとしたフレーを、ザンが手で制した。
「ゼノイさんは神隠しと言った。話は最後まで聞こう」
「…………」
フレーはおずおずと座り込む。エーネの方も何故か固い表情をしており、場に重苦しい空気が流れた。
「そう心配しなくても良い。君たちには関係のないことだ。しかし、そうだな。もし気になると言うのであれば、私が知っている限りのことを────」
「あ、あのっ!」
どこか安心させるように言うゼノイに対し、今度はエーネが身を乗り出した。拍子に彼女がシートに置いていた器が倒れそうになる。
「私も、他に聞きたいことがあるんです! えっと、あの人の……グレイザーのことについて」
語尾が少し尻すぼみになったが、エーネはしっかりと彼の目を見て告げた。ゼノイは目を丸くしたが、フレーとしては、よくぞ切り出してくれたと言う気持ちだった。
「グレイザーは、どんな人だったんですか? 昔のこととか……」
「君たちは、彼にあまり良い印象を抱いていなかったと思うが……」
「だからこそ、です」
ザンが後に続く。
「仰る通り訳ありの身で……早いうちに、俺たちはどうするか決断しなきゃならない。彼のことを知った上で、しっかり考えたいんです」
そのまま帰るか。それとも、あれを受けてもめげずに頼み込むか。はたまた別の道か……
「まさか、今日会ったばかりの子たちに聞かれるとはね」
「教えてくれませんか? ゼノイさんが知ってる、あの人の話……」
フレーの言葉を聞き、彼はまた微笑む。変わった子たちだ、などと言って、懐かしむような顔になった。
「私が奴を拾い上げたのは、十年前のことだ……」
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フレーたちはそれから、夜が更けるまで話し込んだ。こちらから尋ねるだけではなく、自分たち三人の関係や鉄の饗炎のこと、すなわちこれからどこへ行こうとしているのかも話した。
ゼノイの周りには多くの人が集まっていた。失脚してもなお衰えない人望には感心するばかりだ。
話に聞いたグレイザーの過去は、決して軽いものではなかったけれど……もしも彼が政界に復帰するようなことがあれば、また手を取り合う道があるのかもしれない。
ただ一つ残念なことがあるとすれば、今のフレーたちに、それに関わる術はないということだ。
「結構良い宿だね」
路地裏から離れ、静まった宿にたどり着く。ゼノイの知り合いが不定期で利用していたらしく、料金を対価に今夜分の二部屋を譲ってくれたのだ。
「聞きたい話は聞けたか?」
「うん……」
ザンの問いに、エーネはしみじみと頷いた。
「悔しいけど……グレイザーの言葉が、また少し深みを増した気がします」
部屋に向かう道中……いや、ゼノイと別れ、ここに来るまでの間ずっと、フレーは二人からの視線を感じていた。
一日が終わる。もう決断の時なのだ。
「ね、二人とも」
ドアの前で足を止めたフレーは、仲間たちに声をかけた。
「ホメルンを離れてさ、どうだった?」
「…………」
「ちょっとはさ、旅のワクワク感とか……楽しいことあった、かな?」
「ああ……全部が新鮮だったよ」
「そっか」
フレーは振り返る。二人とも少し寂しそうな顔で、それでも微笑んでいた。ザンは相変わらずだし、エーネもこういう時は、立派な年上だ。
「まあ、ね……悔しいけどさ。村の人たちになんて言われるかも気になるし、お義母さんたちにも……」
「きっと優しく抱きしめてくれます。あの人なら泣いちゃうかも」
「えー、そうかなぁ」
そうかもしれない。それに、自分たちは必要とされているのだ。
特殊な力を持った人間二人に、ホメルン随一の若手剣士……これでも村最強を自負している。
役割がある。決して虚しいことではない。だから、これで良いんだ。
最後に確かめたくなって、フレーは小さな声で尋ねた。
「あのさ、またこういう機会があったら……今度も、一緒に来てくれる? あるかどうかもわからないけど……」
「なんだ、そんなこと」
二人は同時に言った。
「無論だ」
「もちろんですっ!」
「えへへっ……それが聞ければ十分!」
フレーは腰の後ろで手を組み、精一杯の笑顔を作る。楽しい旅行を終えたような気分になり切って、明るい声で言った。
「ありがとうね。じゃあ明日、帰ろっか。私たちの村に」