1:宙を走れ炎
「ついに……ついに、この時が来た……!」
傷んだ木製掲示板に張り付き、フレイング・ダイナは感動に震えた。王都からはるか遠くの辺境の村に、よもやこんな素晴らしい話が舞い込んでくるとは。
「テンメイ王による催し。全国民に通知されたし。これより、国内で『鉄の饗炎』を執り行う……」
「フレーちゃん、どうしたんだい?」
「この催しでは、極めて武術に秀でた────ごめん! ちょっと今は待って!」
普段お目にかかれない高貴な字体を読み上げながら、フレイングことフレーは外野を手で制した。
「────秀でた若者たちが、各々死力を尽くして競い合うこととなる。かくしてその頂点に立った者には、王より『比類なき力』が与えられる」
「なんだ、物騒だな……」
「しっ! 聞こえない!」
「競争の果てにあるのは、他者を打ち倒すこと。特別な規則は無く、出立地点も各自で異なる。幾人で固まっても構わない────」
大勢が息を呑む中、フレーは巨大な貼り紙の最下部に目を通す。
「ただひたすらに出会った敵を退け、王都を目指せ。辿り着くのみでは勝者とはなれぬが、認められるには強さを示す他ない。炎の宴に身を投じ、勝利を掴み取ってみせよ」
文はそこで終わっていた。読み終えるや否や、フレーは肩まで垂れた髪を翻し、掲示板を背に走り出した。
「え? ちょっと、どこいくのさ! フレーちゃんまさか……!」
「うん、ザンとエーネにも知らせるよ! これは千載一遇のチャンスだもん!」
「チャンスって、何の────」
フレーは走りざまに、一度だけ振り返る。それから老人たちを主とした群衆に、幼馴染たちにしか告げたことのない台詞を叫んだ。
「私がこの国で誰よりも……偉大な存在になるための、だよっ!!」
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「鉄の饗炎……?」
「うん。これってダジャレだよね……? 安直だけど」
「そんなことはどうでもいいんだがな」
質素な村に佇む平凡な一軒家。居間にてフレーと向かい合う少年、ザン・セイヴィアは、額に手を添えながらため息をついた。
彼がこんな雰囲気を醸し出すのは初めてではない。さっぱりと切り揃えた暗い金髪を携えた彼は、浅く焼けた肌と鋭い黒目が相まって、その佇まいは常にどこか威厳を帯びていた。ザンが剣の鍛錬をしている時は特に、独特なオーラに圧倒されるものだ。
「フレー、正気か? 今言った内容が本当だとして、そんな危険な事をして何になる?」
「何って、だから『比類なき力』を貰えるの。どんなものか気になりすぎるでしょ」
「いや、曖昧すぎてむしろ不気味だろ」
ザンは息をついて、それが意味することをしばらく考えた。
王より賜る「力」といえば、普通なら権力者としての地位とか、何かしらの名誉だろう。
しかしここで重要なのは、相手が「テンメイ王」という人物であるということだ。
お世辞にも豊かとは言えないこの『アルガンド王国』を、彼が治め始めてから早10年。その在り方は、それまでのどの王とも異なっていた。
民の前に出て彼らと接し、共に世を創ろうとするものではなく。
また、積極的に彼らを弾圧し、己の理想の独裁国家を生み出そうとするものでもない。
「そうかな、ミステリアスでカッコ良くない? それに何より、王に会えるんだよ! 噂程度だけど……王は奥に籠りっきりで、親しい人しか顔を知らないって聞くでしょ? だから、会うこと自体に意味があるの! こんな機会、多分二度と無い!」
考え込むザンに対し、興奮のあまり聞く耳を持たないフレーは即座に話を進めた。
テンメイ王の政治は不可解の一言に尽きる。彼が王になってから公共事業は止まり、王都に遠い場所ほど荒れ果てるようになった。
しかし未だに国は成り立っているのだ。まるでそれさえ保てれば良いと言わんばかりに。
「こんだけ大掛かりなイベントだから、きっとすごい何かが用意されてるんだと思う。でもたとえ、ご褒美が期待外れのものでも、私の行く先は一つしかないよ」
「先、と言うと?」
フレーは顎を引く。ザンの瞳には、彼と同じくらいに真っ直ぐな目をした少女が映っていた。
「王に会えるってことは、唯一顔を見る事ができる……それこそ家族みたいな、特別な存在になれるかもしれない! そうなったら、私は政治に関われる。それでその暁にはねっ、私はこの国を────」
「ま、待ってください!!」
ドン、と机に手を叩きつける音がした。ザンが流し目で音源を見やったのに対し、自分でも気付かない内に緊張していたフレーは、反射的に背筋を伸ばす。
「フレー、その話絶対おかしい! 自分でもわかってるよね……!?」
これまで懸命に口出しの機会を窺っていた少女にとっては、ようやく自分の意見を言う番となった。
「……エーネ」
「ザンより先に言わせてもらうけど……私はこの話には、絶対、断固反対です……!」
エディネア・モイスティ、通称エーネが立ち上がると、彼女の銀色の髪がゆらゆらと揺れた。年上ながら普段はイマイチ迫力に欠ける彼女でも、声を荒げると存在感がある。
「危険しかないし、ご褒美がリスクに見合ってるかもわからない……そもそも、フレーはまだ十六歳でしょ? お、大人たちだって参加するだろうし……」
「年齢なんて関係無いよ! エーネこそわかってるでしょ? 私はこの村の誰よりも……!」
前のめりで訴えかけるが、彼女は珍しく頑なだった。
エーネは敬語とそれ以外を織り交ぜて喋る。特徴的な話し方だが、人見知りの彼女が会話に一生懸命なことを思うと、何だか愛らしく感じられる。
しかしそれが、今は何だか癇に障った。
「そうかもだけど……で、でもやっぱり、どんな敵がいるかわからないのに、辺境から王都まで行くなんて危なすぎです! こんなの王がやっていいことじゃないのに……本当に何考えてるんだろ……!」
「危ない危ないってそればっかり……な、なら、エーネはっ!」
フレーは彼女の水色がかった瞳を見据え、唾を飛ばす程の勢いで叫んだ。
「ずっとこのままでいいって言うの!? 世の中には苦しんでる人も、環境が変わるのを待ってる人もいっぱいいるのに! 私たちはこんな辺境の村で、仲良く一生を終えるだけで良いって言うの!?」
親友の溢れんばかりの想いに、エーネは押し黙る。
彼女にも、そしてザンにも、フレーが今の何気無い日常を大切にしていることはわかっていた。だから、その上での発言だと捉えている。
「……別に、怖くないなんて言ってないよ。危ないのはわかってる。でも、私はやらなきゃいけないの……! もう今しかないっ!」
「お前の、目標のために……」
「……そう。うん、そうだよ……! ザンはわかってくれる?」
普段はどちらかと言えば能天気なフレーだったが、今は自分でもわかるくらいに、すがるような面持ちでザンを見ていた。
「……フレー、俺は」
しかし、彼の答えは決まっているようだった。
「エーネに賛成だ。お前は行くべきじゃない」
信頼を置く幼馴染からの、紛うことなき拒絶の意思。
フレーはまるで、大切な何かを壊されたかのような気持ちになった。心を心臓ごと抉られたような、痛くて、悲しい感情……
「信じていないからじゃない。俺は、これがお前の役割であるように思えないんだ」
息を詰まらせながら、フレーは無意識に拳を握る。頭の中が整理できず、思い付いた言葉がそのまま飛び出た。
「……ザンなら、理解してくれると思ってたんだけどね。二人が心配してくれてるのはわかってる。でもその上で、私を尊重してくれると思ってた……」
「ふ、フレー……尊重するのと、何でも言うことを聞くのは違います……」
「うるさいっ……!」
噛みつくようにそう言った後、フレーは何だか自分が酷く浮いた存在に思えた。
いつだって諭すような口調で話すザンに、普段は狼狽することが多いのに、今は努めて冷静でいようとするエーネ。
そんな二人を睨みつけることしかできない自分が、普段よりいっそう子供のようで……
「っ、もう、いい」
ザンだって、退屈な村だって言ってたくせに。エーネだって、ちゃんと夢があるのに。
言いたいことはたくさんあったけれど、言葉が出てこなかった。恥ずかしさと、少し涙を帯びた目元を隠すため、フレーは二人から顔を背ける。一刻も早くここから去りたくて、早足で出口の方に歩き出した。
「フレー、お前の家はここだ。どこへ行く」
「……関係無いでしょ」
自分でも聞き慣れないぶっきらぼうな言い方で、フレーは吐き捨てた。
「あったかい家で平和な暮らしを守る二人と、外に向かいたい私……そもそも、同じ場所にいるのが間違いなんだよ」
エーネが何かを言いかけたが、話が始まる前に、フレーは玄関を出ていた。
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フレイング・ダイナが辺境の村ホメルンにやってきたのは、今から十五年前のことだった。
後に育ての親となるザンの母曰く、フレーは星の瞬くある晩、道の一角に捨てられていたのだという。名前は首にかかったネームプレートに書かれていたそうだ。
セイヴィア家の一員でありながら、フレーは幼い頃から養女であることを明かされていた。よって現在共に暮らす一歳年上のザンが、兄であるという感覚は薄い。
本来の両親の素性も既に判明している。生活の困窮からフレーを置き去りにした彼らは、隣国でひっそりと暮らし、数年前に病没したそうだ。特段誉れある血筋などということもない。フレーはほとんどの特徴が、ごく一般的な子供に合致していると言える。
そう。フレイング・ダイナは、「ある二点」を除けば、どこまでも普通の少女だった。
「お姉ちゃん、今日もアレ見せてー!」
「ごめんね、お姉ちゃん今日はちょっと……その、あんまり元気が無くて」
目を輝かせる幼い少女を前に、フレーは罪悪感を覚えつつ断った。実際、本当に元気が無いのである。数刻前の出来事は、自分でも思っていた以上に堪えることだった。
「えー!?」
「ごめんね、また今度……ね」
やるせない気持ちを押し殺して笑顔を作る。少女は渋々といった様子で再び口を開いた。
「じゃあ、お姉ちゃんの髪の毛の色も、真似していい?」
「え?」
「だって、村の中でお姉ちゃんの色がいっちばんカッコいいもん! お日様みたい!」
フレーは返答に迷った。この綺麗な髪は自慢だが、意図して作れる色ではないからだ。
フレーの特異な点としてはまず、その髪色が挙げられた。太陽を思わせる橙色だ。天然でこの色なのはこの国では異端なことだった。瞳は黒色であるので、ややミスマッチな感じもする。
「それもダーメ」
「えーっ!? 今日のお姉ちゃんダメばっか!」
「だって色まで真似しちゃったら、その髪の良さが消えちゃうでしょ?」
がっかりする少女の前にしゃがみ込み、目線の高さを合わせる。
「その髪色は珍しくはないけど、すっごい綺麗。なのに、私の色にしちゃったら台無しだよ」
「でも……私もお姉ちゃんみたいに……!」
「えへへ、そう言ってくれて嬉しい……でも、目に見えるものを真似ばっかりしようとしちゃいけないよ? 自分で考えることも大事なの。それがきっと、強さになるから」
────フレー、君ならやれるさ。自分で考え、動いて。類まれなる強さを……
「……お姉ちゃん?」
「あ、ごめんね。それで、お姉ちゃんの言うことわかってくれた?」
「うん……パパもママも、いっつもあたしの髪の毛綺麗って言ってくれるし……このままの色で、もっと綺麗になる! 髪の毛いっぱいあるから、ママに言って上で結んでもらおっかな!」
満面の笑みを浮かべる少女を見て、フレーも顔が綻んだ。王都のことは頭から離れなかったが、こんな笑顔がまた見られるなら、ここに留まる選択肢も悪くないかもしれない。
(何となく二人には子供扱いされてるし、こういうのいいなぁ……)
そんなことを考えていた時だった。
突如として、豪快な破裂音が鳴る。村の中央にある広場。そこより少し離れた場所からだ。
そしてフレーは見た。立ち昇る黒煙を……平穏が崩れ去る瞬間を。
「お、お姉ちゃん……!?」
「やばいっ……い、今すぐ家に帰って! 絶対外に出ちゃダメだからね!」
「お姉ちゃんはっ、お姉ちゃんはどうするの!?」
「私は音がした方に向かう……自警団の人たちはもう行ってるはずだし、急がないと……!」
フレーは少女を置いて駆け出す。奥の方から、村人たちが這々の体で逃げてくるのが見えた。
(まさかとは思うけど、やっぱり……!)
あの事件から、八年。何一つ無かったこの村にも、ついに危機が訪れようとしていた。
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「通して、すいません、通してっ!」
逃げ惑う人の流れに逆行して進むのは大変な作業だった。ようやく人混みを抜けたフレーは、全身汗だくという酷い有様だ。
しかし眼前の事態を認識すれば、誰でも自分の容姿のことなど忘れてしまうだろう。
「な、何……これ……」
複数の家屋が崩れていた。人的被害は無さそうだが、何らかの爆発物が使われたのは明確だ。そして、その犯人が誰であるかも。
「何度言えばわかる! 若い奴ら全員縛り上げて、今すぐここに連れてこいっつってんだ!」
二十代とおぼしき武装した男二人が、村を守る自警団の面々と相対していた。周囲にいた住民たちは、フレーの存在に気付かぬまま既に逃げ果せている。
「お、おい、本当にこれでいいのか? あの情報だけじゃ、戦うといってもどうすればいいのかさっぱりだ」
「けどよ、これしか方法は無いだろ。この腐った国で、俺たちが成り上がる唯一のチャンスだ……」
男の一人がそう言って、自警団員にボウガンを向けた。先端には見慣れぬ球体が取り付けられていて、それが爆発の原因となっているらしい。
(悪い夢でも見てるみたい……)
話の流れで、フレーはこの出来事の全容を理解した。あの貼り紙の情報が限られているという点に置いてのみ、同意が可能だということも。
それ以外の彼らの言動に、納得できる部分は何も無かった。私利私欲のために無関係の人を巻き込んだという事実は……理不尽極まり無い。
「随分とお楽しみじゃん」
フレーが一歩前に踏み出して声を張ったのは、当然の帰結だった。
「その武器、強そうだね。ここでは……この限られた時間と場所の中では、最強ってこと?」
「……へぇ、活きの良いのがいるじゃねえか」
二人のボウガンが真っ直ぐフレーに向けられる。距離は家二つ分の直径に満たない。
「フレーちゃん、何をしてるんだ!? 早くここから離れて!」
自警団の一人が叫ぶ。しかしフレーは悠々と歩きながら、少しずつ二人に距離を詰めていった。
「少し考えたらわからないかな? こんなことしても良いこと無いって」
「あぁ? 黙って手を上げな! 腕が立ちそうには見えねえが、何かしたらすぐさま撃つぞ!」
「そっちこそ、気をつけたほうがいいよ」
厳かに告げ、足を止める。その瞬間、フレーの橙色の髪がやや逆だった。威嚇していてそれに気付かない男に対し、彼の相方らしき人物は、何かを察知したように後ずさる。
「私はこの村で一番強い人間。だから、好きにはさせない。絶対に奪わせない……」
少女フレーはかつて学んだ。戦うこと。守ること。
そして、負けてはならないということを。
「仮にこの身を貫かれても、私は決して倒れない」
「ちっ……たかが村娘がっ!」
「よせっ!」
もう一人の制止を振り切り、男が引き金を引く……その一瞬前。
フレーは腕を前方にかざし、全神経を研ぎ澄ませた。体の芯から熱を感じつつ、高らかに叫ぶ。
「ラン・フレイムッ!!」
周囲の空気を焼き尽くす音と共に、フレーの手のひらから金色の波が放たれた。それが炎であると男が気付いた時には、彼の右肩は既に撃ち抜かれていた。
「ぐっ……うっ……!?」
その名の通り宙を走る炎は、彼の神経までをも焦がし、瞬く間に再起不能に追いやる。地面に伏した男を見つめながら、フレーは敵を仕留めたことを実感し、肩で息をしていた。
フレイング・ダイナの特異な点の二つ目は、その類まれなる炎の力だった。本格的に扱うようになったのは大体八年前ほど前からだ。
この国で「魔法使い」は珍しく、そうなれるかどうかは体内の魔力の有無で決まる。村で他に異能を操る者は、エディネア・モイスティただ一人だった。彼女は「水」と「治癒」の二つの魔法を扱う。
普段は余興のための道具だが……この力は紛れもなく、フレーの唯一にして最大の武器だった。
「わかったでしょ? その程度じゃ、私には勝てないよ」
ショックで武器を取り落としたもう一人の男を見据えながら、フレーは低い声で言った。
激しい動悸がする。が、怖気付いてはいけない。この行為は、きっと自分の糧となるのだから。
「さよならだね。今すぐその体を焼き切っ────」
「フレーちゃん、後ろっ!」
「動くな、小娘」
自警団の怒号が飛ぶ。無防備となった背中に並々ならぬ気配を感じたのは、それと同時だった。
お読みいただきありがとうございます。今江彰人です。
根気良く更新し続けていこうと思います。是非最後までお付き合いください。
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