1:千載一遇のチャンス
「ありがとうね、みんな」
王によって示された、全てを覆す「比類なき力」。
その嵐のような暴虐の元で、少女は。
「ここまで来れたのは、みんなのおかげだよ」
少しだけ顔を俯かせ、静かな声でそう言った────
…………
……
…
「ついに……ついに、この時が来た……!」
傷みかけの木製掲示板に張り付き、フレイング・ダイナは感動に震えた。王都からはるか遠いこの辺境の村に、よもやこんな素晴らしい話が舞い込んでくるなんて、夢にも思わなかったのだ。
「フレーちゃん、どうしたの? そんなに嬉しそうな顔して……」
普段はにこやかに応対する顔見知りの言葉にも、今ばかりは耳を貸せない。
「テンメイ王による催し。全国民に通知されたし。これより、国内で『鉄の饗炎』を執り行う……」
「フレーちゃん、聞いてるのかい?」
「この催しでは、極めて武術に秀でた────ごめん! ちょっと今は待って!」
村の老人たちには書けない、活気の溢れる字を読み上げながら、フレイングことフレーは彼を手で制した。その凄まじい剣幕は周囲の人にも伝わったようで、掲示板の前にいる者たちは、皆フレーの声に耳を傾けていた。
「────秀でた若者たちが、各々死力を尽くして競い合うこととなる。かくしてその頂点に立った者には、王より『比類なき力』が与えられる」
「なんだ、物騒だな……」
「しっ! 聞こえない!」
「競争の果てにあるのは、他者を打ち倒すこと。特別な規則は無く、出立地点も各自で異なる。幾人で固まっても構わない────」
大勢が息を呑む中、フレーは巨大な貼り紙の最下部に目を通す。
「ただひたすらに出会った敵を退け、王都を目指せ。辿り着くのみでは勝者とはなれぬが、認められるには、強さを示す他ない。炎の宴に身を投じ、勝利を掴み取ってみせよ」
文はそこで終わっていた。読み終えるや否や、フレーは肩まで切り揃えた髪を翻し、掲示板を背に走り出した。
「え? ちょっと、どこいくのさ! フレーちゃんまさか……!」
「うん、ザンとエーネにも知らせるよ! これは千載一遇のチャンスだもん!」
「チャンスって、何の────」
その一言に、フレーは走りざまに一度だけ体を掲示板の方に向ける。それから老人たちを主とした群衆に、幼馴染たちにしか告げたことのない台詞を叫んだ。
「私がこの国で誰よりも……偉大な存在になるための、だよっ!」
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「鉄の饗炎……?」
「うん。これってダジャレだよね……? 安直だけど」
「そんなことはどうでもいいんだがな」
質素な村に佇む平凡な一軒家。居間にてフレーと向かい合う少年、ザン・セイヴィアは、額に手を添えながらため息をついた。
彼がこんな雰囲気を醸し出すのは初めてではない。さっぱりと切り揃えた暗い金髪を携えた彼は、浅く焼けた肌と鋭い黒目が相まって、その佇まいは常にどこか威厳を帯びていた。ザンが剣の鍛錬をしている時は特に、独特なオーラに圧倒されるものだ。
今の彼も、鍛錬中に負けず劣らずの真剣な顔付きだった。
「フレー、正気か? 今言った内容が本当だとして、そんな危険な事をして何になる?」
「何って、だから『比類なき力』を貰えるの。どんなものか気になりすぎるでしょ」
「いや、曖昧すぎてむしろ不気味だろ」
ザンは息をついて、それが意味することをしばらく考えた。
王より賜る「力」といえば、普通に考えれば権力者としての地位とか、何かしらの名誉だろう。気になる言い回しではあるが、王国の長がすることと考えれば想像がつく。
しかしここで重要なのは、相手が「テンメイ王」という人物であるということだ。
お世辞にも豊かとは言えないこの『アルガンド王国』を、彼が治め始めてから早10年。その在り方は、それまでのどの王とも異なっていた。
民の前に出て彼らと接し、共に世を創ろうとするものではなく。
また、積極的に彼らを弾圧し、己の理想の独裁国家を生み出そうとするものでもない。
「そうかな、ミステリアスでカッコ良くない? それに何より、王に会えるんだよ! この村全然情報入ってこないから、噂程度だけど……奥に籠りっきりで、親しい人しか顔を知らないって聞くでしょ? だから、会うこと自体にこそ意味があるの! こんな機会、多分二度と無い!」
考え込むザンに対し、興奮のあまり聞く耳を持たないフレーは、即座に話を進めた。
テンメイ王の政治は不可解の一言に尽きる。彼が王になってから、公共事業は止まって、王都に遠い場所ほど荒れ果てるようになった。
しかし未だに国は成り立っているのだ。まるでそれさえ保てれば良いと言わんばかりに。
「こんだけ大掛かりなイベントだから、きっとすごい何かが用意されてるんだと思う。でもたとえ、ご褒美が期待外れのものでも、私の行く先は一つしかないよ」
「先、と言うと?」
フレーは顎を引く。ザンの瞳には、彼と同じくらいに真っ直ぐな目をした少女が映っていた。
「王に会えるってことは、唯一顔を見る事ができる……それこそ家族みたいな、特別な存在になれるかもしれない! そうなったら、私は政治に関われる。それでその暁にはねっ、私はこの国を────」
「ま、待ってください!!」
ドン、と机に手を叩きつける音がした。ザンが流し目で音源を見やったのに対し、自分でも気付かない内に緊張していたフレーは、反射的に背筋を伸ばす。
「フレー、その話絶対おかしい! 自分でもわかってるよね……!?」
これまで懸命に口出しの機会を窺っていた少女にとっては、ようやく自分の意見を言う番となった。
「……エーネ」
「ザンより先に言わせてもらうけど……私はこの話には、絶対、断固反対です……!」
エディネア・モイスティ、通称エーネが立ち上がると、彼女の銀色の髪がゆらゆらと揺れた。年上ながら普段はイマイチ迫力に欠ける彼女でも、声を荒げると存在感がある。
「危険しかないし、ご褒美がリスクに見合ってるかもわからない……そもそも、フレーはまだ十六歳でしょ? お、大人たちだって参加するだろうし……」
「年齢なんて関係無いよ! エーネこそわかってるでしょ? 私はこの村の誰よりも……!」
前のめりで訴えかけるが、彼女は珍しく頑なだった。
エーネは敬語とそれ以外を織り交ぜて喋る。特徴的な話し方だが、人見知りの彼女が会話に一生懸命なことを思うと、何だか愛らしく感じられる。しかしそれが、今は何だか癇に障った。
「そうかもだけど……で、でもやっぱり、どんな敵がいるかわからないのに、辺境から王都まで行くなんて危なすぎです! こんなの王がやっていいことじゃないのに……本当に何考えてるんだろ……!」
「危ない危ないってそればっかり……な、なら、エーネはっ!」
フレーは彼女の黄色い瞳を見据え、唾を飛ばす程の勢いで叫んだ。
「ずっとこのままでいいって言うの!? 世の中には苦しんでる人も、環境が変わるのを待ってる人もいっぱいいるのに! 私たちはこんな辺境の村で、仲良く一生を終えるだけで良いって言うの!?」
親友の溢れんばかりの想いに、エーネは押し黙る。
彼女にも、そしてザンにも、フレーが今の何気無い日常を大切にしていることはわかっていた。だから、その上での発言だと捉えている。
「……別に、怖くないなんて言ってないよ。危ないのはわかってる。でも、私はやらなきゃいけないの……!」
「お前の、目標のために……」
「……そう。うん、そうだよ。ザンはわかってくれる?」
普段はどちらかと言えば能天気なフレーだったが、今は自分でもわかるくらいに、すがるような面持ちでザンを見ていた。
「……フレー、俺は」
彼の答えは決まっていた。エーネもそれを感じ取ったのか、気まずそうに顔を伏せた。
「エーネに賛成だ。お前は行くべきじゃない」
信頼を置く幼馴染からの、紛うことなき拒絶の意思。
フレーはまるで、大切な何かを壊されたかのような気持ちになった。心を心臓ごと抉られたような、痛くて、悲しい感情……
「信じていないからじゃない。俺は、これがお前の役割であるように思えないんだ」
息を詰まらせながら、フレーは無意識に拳を握る。頭の中が整理できず、思い付いた言葉がそのまま飛び出た。
「……ザンなら、理解してくれると思ってたんだけどね。二人が心配してくれてるのはわかってる。でもその上で、私を尊重してくれると思ってた……」
「ふ、フレー……尊重するのと、何でも言うことを聞くのは違います……」
「うるさいっ……!」
噛みつくようにそう言った後、フレーは何だか自分が酷く浮いた存在に思えた。
いつだって諭すような口調で話すザンに、普段は狼狽することが多いのに、今は努めて冷静でいようとするエーネ。
そんな二人を睨みつけることしかできない自分が、普段よりいっそう子供のようで……
「っ、もう、いい」
ザンだって、退屈な村だって言ってたくせに。エーネだって、ちゃんと夢があるのに。
言いたいことはたくさんあったけれど、言葉が出てこなかった。恥ずかしさと、少し涙を帯びた目元を隠すため、フレーは二人から顔を背ける。一刻も早くここから去りたくて、早足で出口の方に歩き出した。
「フレー、お前の家はここだ。どこへ行く」
「……関係無いでしょ」
自分でも聞き慣れないぶっきらぼうな言い方で、フレーは吐き捨てた。
「あったかい家で平和な暮らしを守る二人と、外に向かいたい私……そもそも、同じ場所にいるのが間違いなんだよ」
エーネが何かを言いかけたが、話が始まる前に、フレーは玄関を出ていた。
お読みいただきありがとうございます。今江彰人です。
根気良く更新し続けていこうと思います。是非最後までお付き合いください。
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