1話 古い記憶
濾過装置から流れ落ちる水、砂に埋められたパイプから無限に吐き出される泡。作り物の岩、書き割りの水草の森。
水槽で私は生まれた。
何個かあったらしい、卵の内で私は最後に生まれたらしい。
その頃はそこが何処で、自分がどういう存在なのかも知らなかった。毎日ご飯を貰って、身体の大きさを測られる。私の鱗は緑色で普通の配色だと言われた。
「人魚姫だ」
それでもそう言って、よく会いに来てくれた、小さな男の子がいたんだ。
ずっと、昔のことだけれど……。
「よっこら……しょ……」
「ご主人、私の血とか鱗とか食べてみたら?」
杖を突いて、如何にも節々が痛そうに座椅子に腰を下ろす。お爺ちゃんご主人に私はそう言った。
伝説のように不老不死にする事は出来ないけれど、関節の痛みを取ることぐらいは出来るはずだ。
血は針で抜けば良いし、鱗はちょっと痛いけどまた生えてくる。
肉は、デブって脂肪吸引とか?
今の人間の技術なら、私を殺す必要とかない。しかもお爺ちゃんご主人大金持ちだし。
「私ご主人のこと結構好きだし、少しは効果あると思うよ?」
伝説になぞらえて、人魚が食肉として販売されないのは、効果が私たちの思いに依存するかららしい。だからあくまでも観賞用。
無理に殺して肉を食べても、なんにもならないからね。
ただ、夢は有るんでしょう。好かれて不老不死になることに。
伝説の尼僧は、全部なげうっても良いと人魚に思わせるほど好かれてたんだろうな。
「そうかい、そうかい。お前はいい子だね真珠、今日もまた歌っておくれ」
普通に好きでも、それ程の効果はない。
それにこのご主人は、これ以上長生きする気も無いみたいだ。孫や曾孫は生きているらしいけど、奥さんも子供もみんな先に、逝ってしまったらしい。
残されるのは辛い、たまにそう言っている。
私は残していくくせに……。
「しょうがないな、じゃあ昔の歌ね……ラララ~」
何時になるんだろう。何時までいられるんだろう。
そんな風に、不安に思っていたけれど、それは呆気なく訪れた。
お爺ちゃんご主人の具合が悪くなったと言われ、入院したと言われて、それから一週間もしないうちにそのまま亡くなったと、知らされた。
それから、たまに来ていた孫と、ハウスキーパーとか偉そうなスーツの人とか、色んな人が出入りしてこの場所を片付けていく。
お爺ちゃんご主人がここで暮らしていた痕跡を。
最後に、水槽のメンテナンスの業者と、幻獣のペット屋が来て私を売り払う手続きが済んだようだ。
移動用の小さな水槽に抱きかかえられて入れられる私を、孫の一人の女性が見ていた。
「こんなの、お爺さんのくせに何に使ってたのかしらね」
「ご主人は……」
「あんた、喋れるの!?」
「お爺ちゃんご主人は、お喋りしたり一緒にご飯食べたり、歌を歌ったりしてたよ」
「……」
「基本的に人魚は観賞用なんですよ」
ペット屋が愛想笑いでそう言った。
「気が変りました、彼女、引き取りますか?」
え、流石に勘弁なんだけど、そう思っていたら。
「そ、そう……いえ、家では無理だわ」
向こうもそう思っていたみたい。
こうして私はペット屋に引き取られ、また売りに出されることになった。