表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/12

3.兆蛇村

 僕は、兆蛇(ときだ)村について調べることにした。

 雛果に夢の話はできなかった。ただの夢だと片付けてしまえばそれまでだし、あの質問を覚えてない彼女に話しても、どうにもならないと思ったからだ。


 兆蛇(ときだ)村。林業で栄えたものの、数年前に廃村になり、地図から消えた。

 離れた地域だからか、図書館の郷土史には載ってなかった。ウェブにも目新しい情報はない。見つかるのは「村人が突如消えた村」「謎のパワースポット」なんて面白おかしく書かれた都市伝説と、廃墟探訪のブログ記事くらいだ。

 兆蛇(ときだ)村は、想像以上に閉鎖的なところだったらしい。あまりに情報が無くて、近所でできる事はあっという間にやり尽くしてしまった。


「あとできることといえば……」


 現地調査。それくらいしかなかった。



 □ ■ □



 朝。テレビでは、明るい声のアナウンサーが最近話題のスイーツやアイテムの特集をしている。


「ねえ、雛果。試験終わったら休みあったよね」

「うん。あるよ」

「その日に、行きたいところがあるんだけど」

「どこどこ? 私、海見に行きたいな!」

「海はまだ寒いんじゃないかな? そうじゃなくて。兆蛇(ときだ)村に行こうと思って」

「え」


 兆蛇(ときだ)の名前に、トーストを噛んだ雛果の手が止まった。さくり。と軽い音が吸い込まれて消える。

 無言で飲み込み、カフェオレを一口。


「道案内で一緒に行ってくれたらって、思ったんだけど。どうだろう」

「あー……そうだねえ」


 この反応は予想済みだった。故郷とはいえ廃村。まだ建物とかは残ってるけど、高校生を連れて旅行に行くような場所じゃない。気は進まないだろうと思ってたんだけど。


「いいよ。一緒に行こう」


 彼女は普通に頷いた。思った以上に快諾だったので、こっちが戸惑ってしまう。


「大丈夫? 無理そうだったら言ってね」

「いやいや、ちょっと前まで住んでた村だよ? たまには里帰りしないと。それに」

「それに?」

「どっちかって言うと、数学のテストの方がやばい。あとりくん、今度教えて?」

「文系に聞くのはやめてほしいな」


 だよねえ、と雛果はひとしきり笑って、こっちに身を乗り出してきた。


「ところで、どうして急に村に行こうと思ったの?」


 村にまったく関係なかった人間が、急に自分の故郷に行きたいと言いだしたんだ。当然の疑問だろう。

 けど、「僕があの村を知ってるのか確かめに」とは言えなかった。


「大学の課題で。山奥の村に残るものについて調べてて」

「村に残ってるもの?」

「うん。風習とか、言い伝えとか」


 ああなるほど、と頷かれた。


「それで兆蛇(ときだ)村も題材に」

「そう。石碑とかも資料になるし、ちょっと行ってみようと思って」

「そういうの残ってたかなあ……」


 むむむ、と考えながら食べ終えた皿を片付け始める。


「見つからないというのも大事な資料だって言うから、無ければそれでいいんだよ」

「そうなんだ」


 そうなんだよと頷いて、僕も食べ終えた皿にカップを乗せる。

 はい、と雛果が手を伸ばしてきた。ありがとう、と皿を渡す。


「雛果は何か覚えてるものあったりする?」

「うーん。そういうのはお父さんが詳しかったんだよね。……ああ。名前を知られると神様に見つかっちゃう、とかはあったなあ」

「へえ。実名敬避俗(じつめいけいひぞく)みたいなものかな」

「実名、けい……?」

「親とか主人以外から名前を呼ばれることを避けるとか、上の人を名前で呼ばないよう、役職名で呼んだり、みたいな」

「ああ、そんな感じかも? 別に目上とかじゃないんだけど。兆蛇(ときだ)ではね、子供は10歳になるまで違う名前で呼ばれるんだ」

「雛果もそうだったの?」


 うん、と彼女は頷いた。


「でも、10歳になるとその名前は神様にあげるの。名贄(めいし)の儀、って言って。生まれた時に用意しておいた人形(ひとがた)にその名前をつけてお焚き上げする。神様にあげた名前だから、二度と使えない」

「興味深い話だね。どんな神様なの?」

「うちのご祭神は大屋毘古神(おおやびこのかみ)だよ」

「大屋毘古神……林業だと、五十猛神(いそたけるのかみ)の方かな?」


 その名前だと同名の別神が居るはずだけど、兆蛇(ときだ)は林業で発展した村だ。信仰する神様もその関係なのだろう。


「かな。村の人達とか結構熱心に信仰してたし、儀式もよくやってたから、しっかり残ってた方なのかも。私も時々手伝いはしてたけど――って、こんな時間だ」


 テレビから視聴者を送り出すコメントが聞こえた。続けて始まった軽快なオープニングに、二人揃って視線を向ける。


「そろそろ行こうか」

「うん」


 テレビを消して玄関へ向かい、いつものチェックをする。 

 僕も雛果も変わりない。今日も大丈夫。


「あ、そうだ」

「うん?」

「綾ちゃんならもうちょっと何か知ってたりするかも。聞いてみるね」

「ああ。うん。よろしく」


 返事としては「小さい頃引っ越した人に聞くより、雛果ちゃんの方が詳しいでしょう」だった。



 □ ■ □



 休日。

 電車とレンタカーで辿り着いた村には、廃墟と人工的な道だけが残っていた。車を降りると、きんと冷え切った空気が頬に痛い。天気の良い空に、鳥の声と木々のざわめきがよく響く。


「迷わないで良かったね」

「そうだね」


 頷いて、山で切り取られた空を見上げる。


 前もって地図で確認してきたし、ここまではほぼ一本道だった。

 それを抜きにしても、初めてとは思えない道のりだった。

 やっぱり僕は、この村に来たことがあるかもしれない。そんな気持ちが強くなる。


「あとりくん、顔色悪くない?」

「そう? 運転で疲れてるのかも」


 この村に入ってから、時々呼吸が空回りしてる気がする。運転して疲れてるんだ。そう言い聞かせる。

 休憩がてら昼食を取って、村を見て回った。

 誰かが住んでいた家、公民館、学校。古くなったアスファルトを辿る。

 人が住まなくなって数年で、窓は割れ、黒く煤け、草は好き勝手に生い茂っていた。


「何もないね」

「そう、だね」


 歩き回っただけなのに、なんだかやけに喉が乾く。覚えてるはずがないのに、既視感が頭を掠めて頭が痛い。

 天気が良くて、穏やかだ。なのに、僕はこの村にいい印象を抱けないでいる。何かは分からないけど、澱むものを感じる。全てが薄暗く見えるような、そんな感覚がある。

 何の根拠もない。頭を軽く振ってその感覚を追い出す。


「久しぶりに来てみてどう、懐かしい?」


 足を止めて、遠くを眺めている雛果に問いかける。学校などは懐かしさがあったんじゃないかと思うけど、彼女の答えにはしばらく間があった。


「私さ」

「うん」

「――お父さんとお母さんがどうして居なくなったのか、覚えてない」


 ふわっと思い出した、みたいな口調で彼女は言った。


「えっ」

「だって。私が村を出る前までは、居たの。なのに、居ない」

「……」

「どこ行ったんだろう……なんで、私。ひとり……なんだろう……」


 涙が零れたのが見えた。頬を転がった涙がマフラーを濡らす。


「大事なことが、あった気がするのに。今まで忘れてたことにも。気付かない、なんて」

「雛果……」


 大声を上げるでもなく、座り込むこともなく。雛果は静かに泣き続ける。こういう時、普通はどうするんだっけ。どう声をかけて良いか分からない。寄り添うしかできない。

 近くに座らせて背中をさする。しばらくすると、すん、と鼻をすすって顔を上げた。


「落ち着いた?」


 袖で目を擦りながら頷く。


「だいじょうぶ……」

「あんまり辛いなら無理しないで、今日は帰ろうか」

「そうだね」


 頷いて立ち上がった雛果の視線が、少し遠くへ向いた。


「そうだ。最後にもう一カ所、行ってもいいかな」

「うん」


 いいよと頷くと、彼女は静かに「こっち」と案内をしてくれた。


 彼女について行くと、村の奥まった所に石段があった。形がわずかに崩れ、隙間から草が伸びている。登る分には問題なさそうだけど、人が入らないようにするためか、両脇の木にロープが幾重にも渡してある。

 石段の先は開けているらしい。鬱蒼と繁る木々の影の先に、ぽっかりと明るさが残っている。

 なんだろう。あの向こうは明るいのに、近づきたくない。そんな気持ちが沸く。


「こっちだよ」


 雛果はロープを越え、石段の上を見据えて登っていく。気持ち悪い。なんか行きたくない。けど、雛果は行ってしまう。手首を無意識にさすって付いていく。


 石段はそんなに長くない。30段も登ればそこには――なにもなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ