表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/12

12.パンドラ・コンプレックス

 薄暗くなりつつある空を背景に、黒い影がふたつあった。


「あとりくん!」

「やっと目を覚ました」


 雛果と綾日だ。

 身体を起こすと、雛果が飛びついてくる。


「よかった……!」

「ん。ごめんね」


 背中を軽く叩きながら、綾日に視線を向ける。

 彼の姿は私と鏡写しのようだったけど、白い袖から覗く左手は黒く艶やかに変質していて、目は月のような色をしている。もう、彼が人として存在できないと一目で分かる。いや、そもそも今の彼は私の力で形を残してあるだけだ。解放すれば、きっと彼は消えてなくなってしまう。

「ごめん。身体、返せなかった」


 彼の身体を乗っ取ったこと。故郷を消しさったこと。マガツヒを押し付けて全部忘れていたこと……謝ることはたくさんあったけど。真っ先に出てきたのはそこだった。


「ばーか」


 それに対して、綾日の言葉は簡潔だった。


「そんな顔で謝られたら、僕は自分を殺したやつを許さなきゃいけなくなるじゃないか」

「……うん」


 そうだねと頷くと、彼は「冗談だよ」と笑った。


「僕が恨むべきは君じゃない。君が消し去ってくれたこの村の人々だ。むしろお礼を言わなきゃ」


 ありがとう、と言う彼の表情はさっぱりしている。


「いや。……私に感謝なんて」

「そのくらいさせてよ。僕はこの土地から解放されたし、これから君の神使として好き放題やるつもりなんだから」

「えっ」

「冗談だよ」


 絶句する私をからかうように振った左手が、ぼろっと崩れ落ちた。


「あ。もう限界かあ」


 綾日は落ちた手を拾い上げもせずに言う。


「綾日。君の言う通り、このまま私の神使になることもできると思うんだけど」


 それに対する綾日の回答は、首を横に振る動き。

 否。だ。


「僕さ。君のことは嫌いじゃないけど、最期の感情と記憶を抱いたままで居たくない。あの穢れに塗れるのも、ごめんだ」


 だから、と彼は無事な方の手で僕に触れる。


「この最悪な状況から、解放してくれ」

「……分かった」


 彼の前に立って、呼吸をひとつ。

 まだ本調子じゃない意識を整える。

 綾日の黒い腕に触れ、彼の目を見る。

 真っ直ぐで柔らかい眼差しだ。ああ、本当に彼がこのまま生きていてくれたらよかったのに。


「ありがとう、綾日。私は――」

「あ。それ」

「え?」

「私じゃなくて、僕」

「……あ」


 指摘されて気付いた。


「俺でもいいけど」


 いたずらっぽく笑う綾日に、釣られて笑った。


「僕は、君と会えて良かったよ」

「ん」

「綾日。短い間だったけど、僕達の側に居てくれてありがとう」

「ありがとう、綾ちゃん」


 綾日の腕が。身体が。剥がれ落ちては光の粒になって消えていく。


「君はもう自由だ」


 最後に残った目が、伏せられ。


「うん。ありがとう。あとり。雛果ちゃん」


 くすくすと笑うような声を残し、風が一陣吹きすぎていった。



 □ ■ □



 日常が戻ってきた。


 春休みに挟み込まれた、不可思議な一日。

 次の日になれば元通りだったような。

 数日を費やしたような。

 そんなよく分からない日を幾日か繰り返し。

 僕達は普通の日々に戻ってきた。


 変化がなかったわけじゃない。

 雛果の髪は切り落とした部分が白く変色していたし、僕の左目は不思議な色になっていた。

 僕の力は以前より強くなったし、雛果もその影響を受けているようだった。

 二人の間でなんとか完結しているからいいようなものだが、新学期が始まったらどうなるだろう、と言うのは二人のちょっとした課題だ。


 そんなある夜。

 僕の夢に綾日がやってきた。


「ひさしぶり」


 友人の家を訪れたような気軽さで僕の部屋へ入ってきた彼は、ベッドに遠慮なく腰掛けた。


「言うほど久しくはないと思うけど……というか、どうしてここに」


 先日解放したばかりの彼だ。もうここには存在しないはずだ。

 存在できたとするなら、彼は僕の一部としてどこかに残っているとかだろうか。

 彼自身がその理由を知っているかどうかは分からない。だって僕も分からないんだから。


「まあまあ、夢なんだから気にしたら負けだと思うよ」


 曖昧に片付けられた。

 たしかに夢だ。そう思ってしまえば、何ら不思議はないように思えた。


「そう……」


 夢ならば仕方ない。うん。多分きっとそうだ。神は夢を見るのか。以前はどうだっただろうか。思考はまとまらず、何も分からない。でも、あとりの身体は人間だ。きっと夢を見てもおかしくはないだろう。

 そうやって現状を飲み込んでいる僕を尻目に、綾日は「それにしても」とベッドの上を埃でも払うように撫でている。


「この部屋ちょっと穢れが多いな」

「僕の部屋だからね。仕方ないよ」

「それもそうか。ところで調子はどう? 頭痛とか、変化が起きたりとか」

「左目がちょっと霞むかな。雛果も髪の色が変わった。でも、力としては安定してるよ」


 そう、と彼は頷く。


「それなら良いんだけど。はいこれ」


 そう言って彼が差し出したのは、写真の束だった。


「これは?」

「君が一度返してしまったやつ。少し回収できたから」

「ああ」


 穢れを支配下に置いた時に消えた写真だ。あの時は全て手放すつもりだったから、写真達も穢れを払って返したんだ。

 パラパラと見てみる。古い風景が多い。綾日が村にいた頃の記憶らしい。時折、村から出た後の物もある。

 この記憶があれば、以前のように「あとり」として封印の強化も望める。しかし。


「でも、これは……もらっても思い出せないかも」


 以前の僕は、中学以降の記憶がうっすらあるレベルだった。それも継ぎ接ぎだったから、実際は儀式の夜以降の記憶しかなかったのかもしれない。あとりの記憶があってそれだ。今の僕はあの頃と封印の仕方も違うし、記憶が増えてもこれをどう扱えば良いのか分からない。


「いいんだよ、思い出せなくても」


 綾日は写真を一枚抜き取り、少し眺めた後にペラペラと振る。


「ただ、君が「あとり」で在りたいと思う限り、これらはどこかで必要になる」

「そうなのかな」


 たぶんね、と彼は頷いて写真を返してきた。

 とん、と綾日の指が束を軽く叩く。


「僕は、その人の仕草や考え方ってのは、記憶や経験から導き出されることが多いと思うんだ。だから、別に思い出せなくてもそれはきっと君の糧になる」

「なるほど。――わかった。ありがとう」


 頷くと、彼はこれでやることが終わったと言わんばかりにベッドに倒れ込んだ。


「はー……大学生の部屋だねえ」

「そう?」


 実家から色々持ってきているけど、そこから増えた物は少ない。

 

「僕の物が多いけど、やっぱり高校生の僕とは違うよ」

「……」


 さらっと言われた一言に、どう返していいか分からなかった。

 綾日が身体を起こし、にやりと笑って僕を小突く。


「そこで暗くなるなって。君、本当に厄災の神様なの?」

「……人間らしくなった、って言って欲しいな」

「言うじゃん。うん。それでいい」」


 嬉しそうに頷きながら、綾日はさっぱりと笑う。


「まあ。やり残したことは結構あったけどさ。こうやって解放してくれただけ、良い結末だったんじゃないかな」

「そうだといいな」


 うん。と綾日は頷く。


「こういうのは自分の手でやりたかったけど、まあ、やっても虚しいだけだよね」

「まあね。実際やってみても、何か思うようなことはないよ」

「そっか」

「それより、君の感情に応えて力を貸すのが僕の仕事なのに、身体まで奪って……本当に辛い目に遭わせた」

「いやでもあれは不可抗力でしょ」


 あの村の風習。綾日の境遇。名前。状況。全てが偶然揃ってしまった故の。

 それはそうだ。僕、いや。私が、うまく立ち回れなかったのもその絡まった偶然があったからだ。


「でもさ。僕は君を信じてたから、あの時まで待てたんだ」

「――え」


 どうして、と声が零れた。

 どうしてって、と彼は苦笑した。


「僕は君を信じてるからさ」


 彼はあっさりとそう言った。

 信じてる。その声にも表情にも悪意なんてないのが分かる。

 だからこそ、よく分からない。

 そんな反応も彼には筒抜けなのだろう。綾日はくすくすと笑って僕を指差した。


「分かんないって顔してる」

「え……うん」


 その通りだと頷くと、彼は「分かりやすいな」とまた笑った。


「君は、村で信仰されてた神じゃないかもしれない。間違って呼ばれたのかもしれない。でも、僕が知ってる神様は君だけなんだよ」

「……それだけで?」

「それだけだよ」


 綾日の声は冬の空気に溶ける吐息のように響く。


「何があっても、その底には希望があるって信じる。僕にとって、その希望が君だった。それだけさ」

「パンドラ……」

「そう。僕は、あの日まで神様なんて漠然としか信じてなかった。けど、君が僕に神様の存在を教えてくれた。僕に唯一寄り添い、声を聞き、力を貸してくれた。だから、君は僕が唯一信じる神様で、希望だった」

「……厄災なのに」

「厄災だから、だよ」


 どうして、と聞く前に彼は口の端をつり上げた。

「厄災の神だって、厄除けとして信仰されてたりするんだぜ? 僕は君を信仰して……っと」

 綾日の言葉が途切れた。

 どうした、と聞くまでもない。彼の手足が薄くなっていた。


「残念。時間切れ」


 彼は透ける手で僕の肩を叩いた。


「あとり」


 その声で顔を上げる。僕を見下ろす目は、穏やかだった。


「君が厄災でもいいんだ。酷い過去、感情、罪悪感。全てが入ってた君の底には、ちゃんと希望がある。あとりと雛果ちゃん、二人ならその希望……普通を、大事にして過ごしていける」

「うん」


 ただ頷く。綾日は満足そうに窓を開けて腰掛けた。


「これからもずっと信じててよ。また何かあっても、その先には希望とか未来とかがあるって」

「分かってる」


 見守ってて、なんてことは言わない。

 言っても突っぱねられるだろうし、見守るべきは本来僕だ。

 綾日の姿がどんどん薄くなっていく。彼を透かして見えるのは、綺麗な青空だ。


「ありがとう、綾日」

「ん」


 彼は満足そうに頷き。


「あ、そうだ」


 もうほとんど消えかけてるのに、何かを思い出したように声を上げた。


「雛果ちゃんの携帯」

「携帯?」

「もう、連絡を取ることできないからさ。代わりに言っといて」

「分かった。伝えておくよ」

「――」


 ありがとう、と彼は言ったのだろうか。

 窓から吹き込む爽やかな風の音に混じって、よく聞こえなかった。



 □ ■ □



 目覚ましが鳴る2分前。

 目を覚ました僕は、携帯の時間表示をぼんやりと見ていた。


 綾日が夢に出てきた。

 本当に話したのかもしれないし、僕にとって都合のいい夢だったのかもしれない。

 でも、彼との会話で少し救われたような気がした。

 厄災の神である僕が救われたと思うのもちょっと変な気がする、なんて思っていたら手の中の携帯が震えた。

 朝だ。


 厄災の神だから、厄災を操れる者だから。

 普通を守ることができる。

 だから。

 僕は今日も、いつも通りに過ごすのだ。



 □ ■ □



「おはよう、あとりくん」

「おはよう、雛果」


 すっかり暖かくなり、4月。僕達は無事、進級した。

 新しい制服とかはないけど、雛果は髪型を変えた。一部白くなってしまった髪はどうしようもなかったけど、彼女は「これはこれでかわいいと思うよ」と笑っていた。

 2人で朝食を食べて、予定の共有をして。

 学校へ行く準備をしたら、靴を履いて向き合う。


 普通じゃないものが詰まってる僕と。

 普通とは違う力が宿っている彼女。


「あとり君、普通に見える?」

「もちろん。僕は普通に話せてる?」

「あー、ちょっと表情が死んでるかな。笑って」

「……こう?」

「うん。おっけー」


 詰まってる物が厄災でも。

 触れられる物が違っても。

 その先には「普通の未来」があると信じている。

 パンドラの箱の底には、希望があるように。

 僕達もそうであると信じて。

 揃いのブレスレットをした手で、「普通」を拾い上げながら生きていく。


 玄関を出て一歩。二人とも足を止めて室内へ振り返った。


「「それじゃあ、いってきます」」

 

 誰もいない、うららかな日差しだけが入り込んだ静かな部屋は、暖かな春に満ちている。

パンドラ・コンプレックス

絶望的な状況や現実に直面しても、その先には希望があると信じようとする心理。

いいことがありますように。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

楽しんでもらえたらポイントなど付けていただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ