見えない努力
さて、楽しみな夕食へ行く前に、校舎裏手の薬草園にも行かなくては。
レナートの姿で行くのはどうかと思うけれど、ダンじいちゃんが心配。
ダンじいちゃんは、学園の薬草園の管理を任されている薬草師だ。とても腕の良い薬草師。ただ、かなりの高齢である。
学園の大きな薬草園は、生徒が交代で手伝う決まりになっている。しかし奥にある稀少種の薬草園の方は、じいちゃんが一人で丁寧に見ている。生徒が手伝うと水遣りが雑だったり、虫が付いててもそのままだったりするので、とても任せられないらしい。だけど去年、腰痛でとても大変そうだったので……それ以来、わたしがこっそり手伝いをしているのだ。というか、元々わたしは薬草師になりたいという夢を持っている。なので、じいちゃんに頼み込んで手伝いをさせてもらっている状況だ。手伝いをして、ついでにその知識も吸収できるなんて、最高じゃない?
わたしが薬草園に現れると、ダンじいちゃんは小さな目をぱちぱちさせた。
「おや。坊ちゃま、何かご用ですかな」
「体調を崩している級友の女子に頼まれて。手伝いに来ました」
そう言ったら、じいちゃんは「えっ」と顔をこわばらせた。
「マルティナが?だ、大丈夫ですか」
「大丈夫ですよ。今はよく眠ってます」
たぶん、大丈夫。
だって中身はこうやって元気なんだから、本体もきっと問題ないはず。
「そうですか。こっちのことなど、気にせんでええのに……」
何を言うの、じいちゃん。わたしは心配で心配で……宿題がちっとも進まなかったよ。
ということで、夕食までの間、わたしはせっせと薬草に水を遣り、小さな虫を取って回った。
「手慣れておりますのう。まるでマルティナそっくりじゃ」
「そ、そうですか?マルティナから手順を聞いてきたので……」
「虫は苦手という子が多いんですがな。坊ちゃまはそうではなさそうで」
はっ。
そういえば、レナートも虫嫌いだった気がする。一度、教室に羽虫が飛んできて、レナートが真っ先に教室を飛び出して行って、ビックリしたんだった。あのときは他の子も大騒ぎしてたから、誰も気付いていないだろうけど……すごい青い顔になっていたんだよねえ。刺すような虫じゃないのに、あんな怖がらなくてもって思ったんだっけ。
まあ、ダンじいちゃんはレナートのことを知らないだろうから、大丈夫かな。
「それにしても、マルティナに友達がいたようで安心しました」
「え?」
「いい子でございましょう。あまり良い境遇でもないのに、明るくて優しい。坊ちゃま、どうか仲良くしてやってください」
「は、はい……」
ビ、ビックリした。
まさか自分が褒められるなんて。
でも、じいちゃん。わたし、全然いい子じゃないよ。自分のことしか考えてない最低な子だよ……。
今日は食べられる量を注文して、じっくりフルコースを最後まで味わった。
はあ、美味しいフルコース料理を全部食べたのなんて、人生で初めて。美味しいものが食べられたら、悩みごとなんてどうでも良くなるよねー。
は!もしかしてレナートって、ちゃんとご飯を食べてなかったのかしら。こんな美味しいものを食べてたら、自殺しようなんて思わないもん。なんて、もったいない。
美味しいもので満腹になって、幸せな気分で部屋に戻る。
湯浴みをし、翌日の準備をして―――ふと、棚の一角のノートに気付いた。全部で三十冊ほど。ずいぶん、擦り切れている。
日記かな?でも、三十冊って多いな。
勝手に見たら……悪いかしらん。
ううーん、だけど、もし日記だったら。レナートとして送る日常の助けになるかもしんない。よし、見ておこう。
ちょっとワクワクしながらノートを開けると……なんと!中身は勉強ノートだった。予想外だ。びっしり、様々なことが書き込まれている。
えええっ、何これ。
めちゃめちゃ細かいんですけど。
うわぁ、よく見たら授業より分かりやすい!やだ、今日、がんばって図書室で宿題したけど、こっち見た方が良かったんじゃない?
レナート、天才!すごい~!!
……いや、違う。レナート、影でこんなに努力してたんだ。
いろいろなところに“?”があって、それに対する解答が書かれている。それぞれの科目ごとに分かりやすくまとめ、分からない部分は丁寧に調べて、それを書きこんで。それが三十冊。なんて……なんて地道な努力をしているんだろう。
いつも澄ました顔で、必死に勉強している感じはちっともなかったけれど、常に成績上位者でいるためにこんな努力をしていたのね。
わたし、自分のことを“あんまり頭が良くないしなぁ”って思ってたけど、そうじゃないや。レナートに比べたら、全然、努力が足りてないってだけじゃない。いやだ、恥ずかしい……。
とあるノートの最後のページには、小さく、本当に小さく……“疲れた”って書いてあった。
なんだか、泣きたくなってしまった。
今まで、レナートはわたしとは違う高い場所にいる人間だとずっと思いこんでいた。でも、それは間違いだったんだ。ああ、なんだろう、わたしは今、すっごくレナートと話をしたい。
ねえ、レナート。
どうして死のうとしたの?誰にも、なんにも、弱いところを見せられなかったの?もったいないよ。こんなに、たくさんがんばっているのに。美味しいものを食べていないより……もったいない。
翌日、午後の授業に剣術があった。
ど、どうしよう。この教科は男子のみだから、わたし、剣の振り方とか全然分からない。
とりあえず、周りを見ながら持ち方を真似し、へっぴり腰で素振りする。う、お、重い。大丈夫かなぁ。
「では、いつもの相手と組んで打ち合わせ開始!」
えっ。
先生からの指示に、わたしは仰天した。剣術って、誰かと組んでやるんですか。誰?!いつもの相手??
おろおろしてたら、レアンドロが「では、今日もよろしくお願いします」とやって来た。
ほっ。レアンドロが相手なのね。
わたしは黙って頷き、レアンドロ相手に何度かガツンガツンと打ち合う。うう、そのたびに手がしびれて痛い。
女子の裁縫の授業も嫌いだけど、男子の剣術の授業も大変だったのねぇ。剣術の試合、カッコいい!と思って見てたけど、これは……痛いし、怖いし、裁縫より難しい!
だけど、レアンドロは手加減をして相手をしてくれているようだ。わたしが衝撃で動けなくなっていたら待ってくれるし、打ち込む際は受けやすいような角度。反対にわたしがめちゃくちゃに振り回したら、上手に受けて軌道を直してくれる。
レアンドロって、確か騎士を志望しているんじゃなかったかな。
こんな下手なわたしの相手をしなきゃいけないなんて、申し訳ないなぁ。もっと上手な人と組みたいだろうに。
しばらく打ち合ってから、わたしはレアンドロに「ちょっと待って」と声をかけた。
そして先生の元へ行き、「先生!レアンドロの組む相手を変えてください」とお願いする。
「え?レアンドロが何か粗相でも?」
「いいえ?僕が相手では、レアンドロの練習にならないでしょう。僕、基礎練習組に入ります」
「えええっ、いや、しかしダンジェロ様が下手くそ組は……」
なるほど、練習場の隅でひたすら一人で剣を振るったり、腕立て伏せや腹筋をしている子は“下手くそ組”って言われているんだ。
「でも、僕、実際に下手ですし。……じゃ、お願いします」
わたしは先生にニッコリ笑って頭を下げ、隅っこで腹筋をしているジョナの横へ行く。先生はオロオロしているけれど、別にいいよね。
ジョナも驚いたように目を丸くさせていたものの、わたしが満面の笑顔で「よろしく!」と言えば、顔を赤くさせて何度も頷いてくれた。
うんうん、いいよね~、レナートのこの可愛い顔。笑顔を必殺技にすれば、なんでも解決できるじゃん!