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包囲網は緩やかに


「ねえ、お兄様」


ある日の夕食後、久々に邸へと戻っていたフィニアンとルルアンナは仲良くソファへと並んでくつろいでいた。以前、フェリオルドの異変に関する情報を共有すると約束したため、フィニアンは忙しい合間を縫ってたまにシャレット邸へと戻ってくるのだ。


「何だい?」


「フェリオルド様の件に関することは近しいごく一部の者しか知らないのですよね?」


ルルアンナの問いに、当然だとばかりにフィニアンは頷いた。


「もちろんだ。こんなことが周囲に知られては一大事だからね。弱みにもなりかねない。極秘の件として両陛下と我々側近、ルルアンナしか知らないよ」


「では、お会いする相手は?特に変わりなく今まで通りですか?」


その問いにフィニアンは悩まし気に眉根を寄せる。


「そこがまた難しいところなんだ。やはりあからさまに会う相手を制限したりすると、疑問を覚えられたり怪しまれたりしてしまう。それは避けたいが、だからといって誰でも会える状態のままというのは都合が良くない。いつ何によって殿下があの状態になったかまだはっきりしていないからな」


ため息を吐くフィニアンに、それはそうだろうなとルルアンナも内心で頷く。大国の皇太子という立場は飾りではない。やるべきことは多岐にわたり、そのために会う必要のある人間などたくさんいるだろう。それなのに今回の件で、本来なら必要ないはずの余計な手間に煩わされてこちらが考える以上に困っているはずだ。


「しかし殿下の安全には代えられない。だからどうしても必要な最低限の人間に絞り、その他については色々ともっともらしい理由を付けて直接の面会は避けている。幸い、婚礼の準備や辺境伯家の訪問などで多忙なのも事実だから、早々変に思われることもないしな」


「そうだったのですね」


微かに目元に見え隠れする隈を見て、ルルアンナは労わるように兄の手を取ってキュッキュッと軽くマッサージをした。そしてその流れで大きな彼の手にある物をするりと握らせる。気持ちよさそうに目を閉じていたフィニアンは、手元の違和感に気づいてぼんやり視線を向けた。


「ん?これは……僕がこの前ルルアンナにあげた物かい?」


「ええ、実はなかなか興味深いものが録れましたの。お兄様にもぜひ聞いて頂きたくて」


それは前回の登城の際にルルアンナがネイジアに言われた言葉を録音したものだ。聡い兄ならすぐに色々と気付いてくれるだろう。

不思議そうに道具を起動したフィニアンは、再生され始めたその内容に目を見開くと、どんどんその表情を険しくさせた。


「……なるほど。確かにこれはおもしろい内容だ」


全てを聞き終えたフィニアンは、ニヤリと口元を吊り上げて笑った。ただしその目は全く笑っていない。


「どうでしょう。お兄様達のお役に立ちまして?」


小首を傾げてみせるルルアンナの頭をフィニアンは優しく撫でた。


「ああ、非常に有用な素晴らしい情報だ。助かるよ、さすがはルルアンナだ」


「ふふ、なら良かったです」


嬉しそうな妹の様子に口元を緩めるも、思案するように道具を手のひらで転がしながらフィニアンは小さくため息を吐いた。


「本当なら今すぐとっ捕まえて色々と吐かせたいところだが、それができないのがもどかしいな。発言だけでは確たる証拠とするには弱いし、相手は一応辺境伯家の令嬢だ。辺境伯自身が関わっているのか、令嬢の独断なのかもこの時点では分からない。こちらの動きに気づいて証拠や殿下の状態を改善できる手段を消されても困る。……だが、原因元を突き止められたのは大きい。今までより調査速度は格段に上がるだろう」


手探りだった現状が少し進展したとあって、フィニアンは少しだけホッとした顔をした。ルルアンナにとっても嬉しいことだ。


「それにしても、このネイジアという令嬢はなんなんだ?辺境伯家とはいえ、帝都に初めて出てきた新参者に変わりはない。まだ社交界での立場など何もないというのに、次期皇太子妃であるルルアンナに対してこんな態度を取るとは……。それに殿下絡みで平然と嘘を吐くのも不敬であり得ないことだ。もちろん信じてはいないだろうけど、殿下のために言っておくとこの令嬢とお茶した事なんて一度もないからな」


「まあ、やはりそうでしたのね」


「当然さ。皇太子はそこまで暇じゃない。重要な貴賓をお迎えしたというならまだしも、突然訪問してきた面識もない辺境伯令嬢を執務室になど迎え入れるわけがない。この状況で我々以外の人間を殿下に近づけるというのもあり得ないことだ。まあ、最初の頃に何度か訪ねてきたことは事実だよ。全て取り次ぐことなく追い返したが。その件を自分に都合よく捻じ曲げてルルアンナに伝えたというわけだな。以前も殿下と共に訓練をして親しくしているなどと噓を吐いたらしいし、これだけであの令嬢がどんな人間か分かるというものだ」


忌々しそうに吐き捨てるフィニアンに、ルルアンナは心の中で同意した。それと同時に小さくホッと息を吐く。

フェリオルドのことはもちろん信じていた。しかしこうして身近にいる人間のはっきりとした発言があるのとではまた違う。加護を使ってフェリオルドの近況を調べることもできたが、ルルアンナはそれをしなかった。そこまでする必要がないと思ったのもあるが、一番は怖かったからだ。

フェリオルドはルルアンナの加護の詳細を知っている唯一の人間である。ルルアンナが力を使ってフェリオルドの様子を探れば、もしかしたら彼はそれに気づいてしまうかもしれない。ルルアンナが本人に秘密で様子を探っていると知ったら、彼はどう思うだろうか。疎ましく思わないだろうか。もしくは気分を害さないだろうか。ルルアンナはそれが怖かった。

だから信じてはいても、その確証を得るために加護を使うようなことはしなかったのだ。それをチクチクとつつかれてどこかモヤモヤとした思いを抱えていたのも確かなので、こうしてフィニアンの口から聞けたことはルルアンナにとっても幸いだった。


「この件は殿下にもすぐ伝えたいのだが構わないかい?」


「もちろんです。手紙に書いてお伝えすることも考えましたが、途中で何か不測の事態があっても困りますから控えたのです。お兄様から直接お伝えして頂けるなら安全で確実ですから、その方が私も安心ですわ」


「ありがとう。では戻ったらすぐに伝えるとしよう。……まあ、荒れるだろうけどな」


「え?」


「いや、こっちの話だ。それより、こんな相手に絡まれてしまってルルアンナも疲れているんじゃないか?無理は禁物だよ。ベルガードが付いているとはいえ、色々な意味でルルアンナに目を付けようとする輩はどこにでもいるからね。煩わせるような奴がいたらすぐに言いなさい」


「ふふ、お兄様は相変わらず心配性ですね。でもありがとうございます」


実際ここしばらくは不快に感じる事柄が多かったため、少し疲れているのも事実だ。誰より大切な人にずっと会えていないせいもある。


「……お兄様、フェリオルド様はお元気ですか?」


「そうだな、強引に休ませたのもあって最近は体調も回復してきたようだ。ただ、ルルアンナに会えないせいで精神的には少し落ち込み気味かな。我々も見ていて少し気の毒になるよ。もちろん、ルルアンナにも我慢を強いてしまって申し訳ないと思っている」


「私は自分で言い出したことですからいいのです。ですが、フェリオルド様のことが気がかりで……」


「相変わらずルルアンナは優し過ぎる。たまには自分の気持ちを優先してもいいんだよ」


「いいえ、優しくなんてありません。だって、私と会えないことでフェリオルド様が落ち込んでいると聞いて、どこかで嬉しいと思ってしまうのです。会えなくとも元気で何も気にしていないなんて言われたら、きっと内心では寂しいと感じてしまうと思います。彼を支える立場としてこの感情はふさわしくないと分かっているのに……」


どこか恥じるようにそう呟くルルアンナをフィニアンは思わずギュッと抱きしめた。


「そうやって気にしてしまう所が優しいんだ。心で何を思おうがそんなものは個人の自由で、誰にも咎める権利なんてないというのに。本当に僕の妹は健気過ぎて困るよ。心配でどこにもやりたくなくなってしまう」


「……ふふ、それは父親が言う台詞ですわ」


「僕は兄だが保護者という立場から言えば父のような者と言っても間違いではないからいいんだ。僕を通さずにルルアンナをどうこうしようなんて許さないしな」


またルルアンナ限定の過保護が発動してしまったようだが、ルルアンナはそれをくすぐったそうに受け止める。自分の周りには、自分を愛し、大切にしてくれる人達がたくさんいる。なにも不安に思うことなどないのだ。


「フェリオルド様に今度何か刺繍した物を差し上げようかしら。私の代わりに肌身離さず持って頂けるように。お兄様、届けてくださる?」


「くっ……ルルアンナの頼みなら仕方がない!だが僕も欲しい!ルルアンナ、時間がある時でいいから僕にも作ってくれないかな?」


「もちろんですわ。お兄様にも心を込めて刺繡いたしますね」


「ありがとう!やはり僕の妹は聖女のようだというのは大げさでも何でもない、ただの真実だったんだな。これからは毎日やる気がみなぎりそうだ!」


手作りの約束ひとつで大層喜ぶ可愛らしい兄に、ルルアンナは自然と優しい笑みを浮かべていた。

自分の大切なものを何ひとつ奪われるつもりも、取りこぼすつもりもない。そのためならルルアンナはどこまででも相手に非情になれるのだ。こちらを甘く見て手を出してきた相手になど容赦をするつもりは微塵もなかった。


(さあ、狩りがスタートするわ。いつまで逃げることができるかしら)


美しく煌めくヴァイオレットの瞳の奥で、冷たく鋭い光が一層の輝きを放っていた。




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