そして賽は投げられた
その後もルルアンナは何事もなかったように度々城へと赴いた。婚礼に関する準備の件であったり、皇后であるナルシッサや皇女のミュリエルとのお茶会であったりと、その用件は色々である。フェリオルドとのお茶会が無くなってしまっても、ルルアンナが城へとやってくる予定はたくさんあるのだ。
そして、ルルアンナに密告をしてきた例のメイドは、毎回ではないが時折ひっそりと現れては自分が目撃したというそれ以降の様子を一生懸命報告してきた。どうやら妙な使命感を持ってしまったようだ。
「わ、私、昨日もネイジア様があの方の執務室へと入っていくのを見てしまって」
アニと名乗ったメイドは今日も帰り際のルルアンナを捕まえて、己の持つ情報を話し始める。
「し、しかも、その……」
しかし今日はいつもと少し様子が違うようだった。ルルアンナが続きを促すように小首をかしげてみせると、アニは意を決したように続きを口にした。
「ネイジア様が入室してから、一時間以上も部屋から出てこなかったのです!今までこんなに長時間過ごすことはなかったのに」
「まぁ……」
ルルアンナとしては他に返事のしようがなかった。そもそもこんなことを毎回報告されてもどんな顔をしろというのかと聞きたいところだ。そして後ろからはかなりの圧と怒気が漂ってきているのだが、話すのに一生懸命なアニは気づいていない。
これ以上留まってもいいことはなさそうだと、ルルアンナはさっさと立ち去ることを決める。
「言い難いことを教えて下さってありがとう。そろそろ失礼させていただくわ」
憂いを帯びた表情で切なそうに微笑んで見せれば、アニはハッとしたように頭を下げた。
「す、すみませんでした。ルルアンナ様にとっては辛いことなのに……」
「いえ、いいのよ。ただ今日は少し疲れてしまって。ごめんなさいね」
小さく縮こまるアニに手を振って、ルルアンナ達は少し足早にその場を後にした。
そのまま停めてあった侯爵家の馬車まで一気に歩き、乗り込んだところでルルアンナは小さく息を吐いた。しかし続いて入ってきたミレットとベルガードの表情に気づいて苦笑する。
「二人とも、顔がすごいことになってるわ」
お供二人は、明らかに不機嫌ですという顔を隠しもしていなかった。理由は考えるまでもないだろう。しかし、実は彼らの不機嫌の理由は微妙に異なっていたりする。
ミレットは単純にあのメイドのなっていないマナーやルルアンナに対する態度が気に入らないだけだが、ベルガードはそれに加えて彼女の毎度の発言内容に不快感を覚えていた。
「……あのメイドの報告ですが、私にはとても信じられません」
ベルガードが低い声で呟く。その声音には憤りが感じられた。
「まだそれほど長い付き合いではありませんが、それでもフェリオルド殿下のお人柄は理解しているつもりです。あの方がそのような軽率で不誠実な真似をするとは思えません」
彼の怒りがフェリオルドではなく報告してくるメイドに向いているということに、ルルアンナは自分達への信頼を感じて口元が綻んだ。彼は王族や貴族達の醜い部分を散々に見せつけられ、その被害までも被った人間だ。そんなベルガードが揺るがず信じてくれているということが、ルルアンナには嬉しかったのだ。
「そうね。私もそう思うわ」
ルルアンナの言葉にベルガードは少し驚いたように彼女を見た。
「フェリオルド様のことは幼い時からずっとそばで見てきたもの。どんな方かなんて誰より知っていると自負しているわ。彼より他の人を信じるなんて、私の選択肢にはないのよ」
そう語るルルアンナの穏やかな表情に、ベルガードは硬かった表情をフッと緩ませた。
「……そうでしたか。どうやら余計な心配だったようです」
「ふふ、私を気遣ってくれたのでしょう?ありがとう」
ふわりと笑うルルアンナに、今まで無言だったミレットが良くやったというようにベルガードへと頷いてみせる。ベルガードは何とも形容しがたい表情になった。
「そういえば、あなたはフェリオルド殿下の行動に関してはあまり気にしていませんでしたね」
ルルアンナ至上主義の人間が、と言外に語る彼に、ミレットはすました顔で答える。
「お二人のことは幼少期から見てきました。ルルアンナ様が信じているのなら、私から言うことはありません。……もし殿下が万が一にもルルアンナ様を悲しませるようなことがあれば、その時は私のブラックリストの一番上に載るだけです」
ブラックリストとは何か、と聞くことはなぜかベルガードには出来なかった。なんとなく触れてはいけないものだということは理解できたが。
そんな二人の様子をルルアンナは楽しそうに眺めていた。
そのフェリオルドはといえば、あれから変わらず毎日手紙が届いている。もちろんアニが報告してくるような内容は一切ない。当然といえば当然だが、ネイジアの名前すら出ることはなかった。相も変わらず重たい愛の言葉を延々と綴っては、会いたいという嘆きが増している。他人が見たら引くレベルの中身だが、ルルアンナは嬉々としてそれを読んでいる。ちょっとした日常の出来事なども挟み、便箋の枚数はなかなかの数だ。
そしてルルアンナも、アニから聞かされる報告など無いかのようにその件には触れず、日々の出来事やフェリオルドへの労りなどを綴っていた。怖くて聞けないなどという理由ではない。楽しみとなっている手紙でわざわざ無粋な話題をあげたくはないし、彼がルルアンナを傷つけることをするはずがないと信じているからだ。万が一そのようなことがあるとしたら、それは何か必ず理由があるはずだ。
そのフェリオルドが何も言わないのだから、ルルアンナも何も言うことはないのである。
◇◇◇
そんなことがあった三日後のことだった。
「あら、お久しぶりですね。ルルアンナ様」
ミレットと共に城内を歩いていたルルアンナの前に、色々な意味で今一番見たくない顔が現れた。
「ええ、そうですね。お元気そうで何よりです。ネイジア様」
もちろんそんなことはおくびにも出さず、ルルアンナはふわりと微笑む。その後ろではミレットがネイジアの態度に密かに目を吊り上げていた。
侯爵家と辺境伯家にはそこまで大きな爵位の差はないものの、ルルアンナは次期皇太子妃である。おまけにネイジアと特に親しいわけでもない。馴れ馴れしく話しかけてくるのは褒められた行為ではなかった。
しかしネイジアはそんなことは知らないのか。気にしていないのか、そのまま話を続ける。
「最近はずいぶんとお忙しくしていて、大変なようですね。あまりフェリオルド殿下ともお会いできていないとか」
会って早々、普通なら話題にしないようなことを振ってくるネイジアに、ルルアンナは笑みを保ったまま頷いた。
「ええ、そうなのです。まだまだ若輩者で、皇后陛下や周囲の方々に助けて頂きながらやっておりますわ。フェリオルド様もお忙しい方ですから、なかなかお会いできないのは仕方ありませんわ。でもあまり寂しくはないのです。毎日手紙と花を贈ってくださいますから」
「手紙、ですか?」
「ええ、皇族しか入れない庭園に咲くバラを添えて、毎日欠かさず手紙を書いて下さるのです。ですから会えない日が続いても、そこまで辛くはありません」
ほんのりと頬を染めて嬉しそうに笑うルルアンナに、ネイジアはぎこちなく笑みを浮かべた。
「そ、そうですか。それは良かったです。ですが、フェリオルド殿下の方はもしかしたら違うのかもしれませんね」
「まあ、どういうことでしょうか?」
不思議そうに首を傾げるルルアンナに、ネイジアはようやくというように得意げな笑みを浮かべる。
「実は私、少し前から度々フェリオルド殿下の執務室にお邪魔させて頂いているんです」
「まあ、執務室に?」
心底驚いたような顔をするルルアンナに気を良くしたのか、ネイジアはおかしそうにクスリと笑う。
「ええ、もともと訓練への参加でよく顔を合わせますし。ルルアンナ様とお会いにならないせいか、最近では毎日のように通わせて頂いています」
「フェリオルド様の執務室を訪ねて、ネイジア様は何をなさっているのですか?」
「え?」
「ですから、そのように頻繁にフェリオルド様の執務室を訪ねていったい何をなさっているのでしょうか?」
ルルアンナが思っていたような反応をしなかったためか、ただ真っすぐに尋ねられてネイジアは僅かにたじろいだ。
「何って、それはもちろん、一緒に楽しくお茶をしたりとかですが……」
しどろもどろになりつつそう言ったネイジアに、ルルアンナは驚愕したというように目を見開いてみせた。
「まあ、何てこと。お忙しいフェリオルド様のお邪魔をしているだなんて……」
「なっ!邪魔なんかしていません!ただお茶をしているだけです!」
ルルアンナの言葉にネイジアは心外だというように反論するが、ルルアンナは小さくため息を吐いた。
「ネイジア様。執務室は休憩室やサロンではありません。お仕事をするための場所であってお茶する場所ではないのです。ましてや皇太子の執務室ともなれば重要な書類や関係者以外の閲覧が禁止される資料などもあるはずです。そのような場に毎日のように押し掛けるなど、たくさんの案件を抱えお忙しくしているフェリオルド様のお邪魔じゃなくてなんだというのでしょう」
まるで諭すかのように淡々と説明され、ネイジアは羞恥と憤りでカッと顔が赤くなった。いつも澄まして笑っているルルアンナの悔しがる顔やショックを受けた顔を見られると思ったのに、現実は自分の方が恥をかかされている。
思わず熱くなったネイジアは相手の立場も忘れて勢いよく言い返していた。
「あなたが忙しさにかまけてフェリオルド殿下を放っておくから、寂しくしているだろうと思って私が代わりにお慰めしようと思っただけです!それの何がいけないんですか?そうやって理屈ばかり並べて澄ましているあなたのほうが婚約者として正しいなんて私には思えません!殿下のことを本当に想っているならそんな冷たい態度なんて取れないはずです!まあ今は傍にいたくても無理なんでしょうけど!」
息を切らしてルルアンナを睨みつけるネイジアに、ずっと後ろに控えていたミレットが前に出ようとする。完全に頭に来ているらしいその顔に内心苦笑して、ルルアンナはそっとミレットの服の袖を引いて押し留めた。
頭に血が上っているらしいネイジアは気づいていないようだが、今の彼女の発言はかなり問題があるものだ。前半など、忙しくしている隙にお前の婚約者を奪ってやると言っているようなものである。そしてルルアンナを婚約者として相応しくないとはっきり批判したこともたかが辺境伯令嬢としてあり得ない事だった。
ルルアンナは呆れたようにふぅと小さく息を吐いた。
「この場に私たち以外の者がいなくて良かったですね。第三者に聞かれれば、あなたは不敬なうえに問題発言をしたとして拘束されてもおかしくありませんでした」
「は?」
「分かりませんか?今あなたは、私から婚約者であるフェリオルド様を略奪しようと目論んでいると言ったも同然です。しかも結婚も決まっている私を皇太子の婚約者としてふさわしくないとはっきり批判し、まるで自分の方がふさわしいとでもいうかのような言動。どれを取っても問題のある発言です」
「そ、そうやってまた理屈ばっかり並べて!あなたには自分の意志や感情はないんですか?もう少しフェリオルド殿下のことも考えたらどうなんです!?公の場では仲の良い振りをしてるみたいですが、いくら政略結婚だからって冷たすぎます!殿下がお気の毒だわ!」
思ったことをそのまま喚いているネイジアに、ルルアンナは心の中で冷めた視線を送った。とても日頃から心身を鍛えている人間とは思えない忍耐の無さである。まあ、ここまで言葉も感情も好き勝手に出せる彼女はある意味少し羨ましいかもしれない。そうなりたいとは全く思わないが。
「皇太子の婚約者という立場は、あなたが思っているほど簡単なものではありません。常に人々から見られ、淑女として模範であれと乞われ、大衆のイメージを壊すような振る舞いは禁じられる。どんな時も自覚をもって行動をしなければならない。その時その時の発言、行動に常に責任を持たなければならない。そして人前での失敗は許されない。皇太子殿下を公私ともに支えつつ、己の責務も完璧にこなす。次期皇太子妃とはそういうものです。あなたにその覚悟がありますか?」
「………っ」
さっきまで騒いでいたのが嘘のように、ネイジアは気圧されたように絶句していた。いつもの凛とした雰囲気は見る影もない。
「感情のままに発言することも、何かを決めることも論外です。どんな時も自分の感情をコントロールし、冷静に対処しなければなりません。ですがそれは必要であるから、そうしているだけ。感情を乱さないよう努めることと、感情がないことは別です。私のことを無感情な冷血女と思っているみたいですが、あなたのように感情的になって冷静さを欠かないよう心掛けているだけのことです。私にだってちゃんと感情はありますから。もちろんフェリオルド様を愛しいと思う心も」
ふ、と最後だけ小さく笑みを浮かべたルルアンナに、ネイジアは赤い顔のまま表情を歪める。
「嘘よ、そんなの。だって、本当に愛してるなら平気なはずがないもの……」
「それは、どういう意味ですか?」
ぶつぶつと小さく呟いているネイジアにルルアンナが問いかけると、ハッとしたように彼女は一度口を噤んだ。
「そうやって余裕でいられるのも今のうちです。地位にあぐらをかいてお高くとまっていると、そのうち後悔することになりますから!」
「あなた、いい加減になさい。そろそろ騎士を呼びますよ」
あまりに弁えない無礼な発言に、とうとう我慢の限界だったミレットが口を挟んだ。向けられるその強い怒気に一瞬ビクリとしたものの、自領の兵士達と鍛錬をするだけはあるのかすぐにネイジアは睨み返した。
「嘘だと思っているならそれでもいいわ。私の言葉が本当だったってすぐに証明してみせるから。そういうところにフェリオルド殿下もきっと辟易しているでしょうね」
捨て台詞のようにそれだけ言って、ネイジアは踵を返すと足早に去っていった。
「何という無礼千万な態度……!どこが騎士のような女性ですか!ただの頭のおかしい自意識過剰女です!」
憤然やるかたないといった様子でミレットが唸るように声を上げる。相当頭に来ているようだ。ルルアンナとてあそこまで言われてさすがに平気ということはない。しかし。
「……ふふ」
「ルルアンナ様?」
「語るに落ちるとは、まさにこのことね」
ルルアンナは絶対に人前では見せない、ニヤリとした笑みを浮かべた。そしてドレスの袖で隠れていた手首を露わにする。そこには細いベルトが巻き付き、一見すると腕時計のようなものがはめられていた。
「それは、この前フィニアン様にお願いしていたものですか?」
「ええ、一定時間音声を記録してくれる道具よ」
ミレットは一瞬きょとんとしてから、すぐに気づいて楽しそうに笑った。
「それはそれは、なかなかのタイミングでしたね」
「そうでしょう?正直、もはやただの自白かと思ったわ」
ベルトをスルリと撫でて、ルルアンナはニコリと邪気のない笑みを浮かべる。
「さて、まずは誰に話したものかしら」
溜まり続けていたフラストレーションが、ようやく行き場を見つけたのだ。
ここからはもう、傍観するのも我慢するのもお終い。楽しくてくだらない、彼らが描いた三文小説の始まりだ。




