動き出すもの
朝の冷たい空気に柔らかな日差しが差し込む朝。ルルアンナの部屋に小さなノックの音が響く。
「ルルアンナ様、本日の分が届いておりますのでお持ち致しました」
「ありがとう、ミレット」
既に見慣れつつある美しい封筒をルルアンナは静かに受け取る。
フェリオルドからの説明と謝罪の手紙を受け取って以来、ルルアンナは彼と会っていない。しかし、フェリオルドはルルアンナの願い通りにそれからも毎日手紙を送り続けてくれている。もちろん、例のバラも添えて。
それだけでルルアンナは嬉しかった。会えない寂しさややりきれない想いも、大切な人からの言葉が優しく和らげてくれる。
「……ふふ、最近はお元気そうで良かったわ」
綺麗に封を開けてさっそく手紙に目を通したルルアンナは、その内容に楽しそうに目を細める。
相変わらず分厚い便箋には、何気ない世間話から最近の自身の周囲や城内の様子、ルルアンナを気遣う言葉、いかに会えないことが辛いか、そして必ず愛の言葉で締めくくられていた。体調を崩した日からきちんと休みを取っていること、そしてルルアンナに会うという無理をしなくなったことで、フェリオルドの体調は思ったよりも早く回復したようだ。最後に見たやつれた顔を思い出し、ルルアンナはホッと胸を撫で下ろした。
そして自分も筆を執り、フェリオルドほどではないが余白を埋めるようにサラサラと字を書いていく。以前は受け取るほうが多かった手紙だが、最近はルルアンナもせっせと返事を出している。やはり会えない分、できるだけ彼と交流を持ちたいのだ。
二人のこの件については、兄のフィニアンが手を打ってくれたらしく、様々な準備や対応で忙し過ぎて時間が取れない二人が仲睦まじく文通をしているという噂をさりげなく流してくれた。おかげでここ最近会っている様子のない二人を訝しむ声も今のところはない。
自身の近況や城に行った日の事、孤児院の事、自分も会えなくて寂しいことなどを書き連ね、フェリオルドの体を気遣う言葉で文章を締めくくる。お気に入りの香水を少しだけ付けて綺麗に封をすると、ミレットがさっとそれを担当の使用人へと渡しに行った。相変わらずできたメイドである。
「少し寒いけれど、今日は穏やかでいい天気ね」
窓を少しだけ開ければ、チルルルという軽やかな声と共に瑠璃色の美しい小鳥がそばへと舞い降りてくる。差し出された手に飛び乗った小鳥は、ルルアンナに語り掛けるように再びチルチルと鳴く。ルルアンナは優しい表情でその声に聞き入った。
「……そうなの。教えてくれてありがとう。とても助かるわ。引き続きよろしくね」
砕いたクルミを手に乗せると、ふたつ、みっつほど啄んでから再び軽やかに飛んでいく。その姿は本当にただ餌をねだりに来た野生の小鳥にしか見えないが、もちろんそうではない。ルルアンナが加護を使って『お願い』をしている者達である。
艶やかな瑠璃色をした小鳥はコルリチョウという森や林に生息する鳥で、その可愛らしい見た目から人々にも親しまれている。別名カエシドリとも言い、人が鳴き真似をすると返事を返してくれることからそう呼ばれている。しかし実際にはそうではないことをルルアンナは知っている。
彼らは返事をしているのではなく、聞いた声や音を記憶しているのだ。人が鳴き声をまねるのでコルリチョウも鳴き返していると思われているが、実際は人の鳴き真似を記憶して発しているだけである。つまり彼らは見聞きしたことを覚えてそれを声として発することができるのだ。それをほとんどの人は知らない。これほど諜報に優れた存在がいるだろうか。そしてルルアンナは彼らと意思疎通ができるのだ。その有用性は計り知れない。
今回のフェリオルドの件に関して、ルルアンナは加護の力を遠慮なく使うつもりだ。おそらく皇家や兄達よりも早く的確に情報収集をすることができるだろう。
先程聞いたばかりの情報を頭の中で吟味していると、手紙を渡しに行ったミレットが戻ってきた。
「ルルアンナ様、この後はお城での打ち合わせがありますから、そろそろご支度を」
「そうね。時間に遅れてはいけないわ」
ルルアンナは窓を閉めて、ミレットが待機するドレッサーへと足を向けた。
◇◇◇
「それでは、内装と室内外の装飾についてはこれで決まりということでよろしいですね」
「ええ、あとは両陛下から確認を頂ければこの件は終わりね」
「では概要と品目を一覧にまとめて提出しておきます。お疲れ様でした」
「こちらこそ、あなた達のおかげでとても良い式にできそうだわ。ありがとう」
結婚式に関するその日の打ち合わせを終えたルルアンナは、共に色々と案を考えてくれた上級使用人達や皇室御用達の職人たちに礼を言って部屋を出た。
「ふう……」
「長時間お疲れ様でした」
「ええ、でもこれで主要な部分はだいたいまとまったわ。あとは細々とした調整などがほとんどだから、少し気が楽になったかも」
ミレットに言葉を返し、ルルアンナは扉の横に目を向けた。
「マルクリウス卿も長く待たせてしまったわね」
「いえ、これが自分の務めですので。それにこの程度は苦になりません」
兄との約束通り護衛として側に付けているベルガードは、もちろん今日の登城にもついてきており、打ち合わせ中は部屋の外で見張りも兼ねて待機していた。相変わらず真面目で不愛想ではあるが、意外と気遣いができて他人の機微にも敏い男であるのをルルアンナは知っている。
「では、帰りましょうか。お母様が人気店の焼き菓子を取り寄せたと言っていたから、早くお茶にしたいわ」
二人を連れて颯爽と、しかし気品を忘れぬようにしてルルアンナは歩き出す。いつ誰に見られるとも分からぬ場所では、一瞬たりとも気を抜くことは許されない。時折すれ違う貴族に挨拶を返しながら城の入り口の大きな扉をくぐり抜けた瞬間、声が聞こえてきた。
「あ、あの!」
小さく叫ぶという器用なことをやってのける相手にルルアンナ含め皆が視線を向けると、そこにはこの城のメイドらしき格好をした少女が立っていた。
まだ年若そうなメイドがルルアンナに声をかけたことにミレットは眉を寄せるが、ルルアンナはそれを制して少女へと向き直った。
「私へ何か用事かしら?」
「えっと、ルルアンナ様……ですよね?」
「ええ、そうよ」
ルルアンナが優しく言葉を返してくれたのを見て、その少女は意を決したような表情でルルアンナを見上げた。
「あの、ルルアンナ様が皇太子殿下の婚約者だと聞いて、私、その、どうしても言わなければと思って」
どもりながらも何かを伝えたいようだが、いまいち要領を得ない。それでもルルアンナは急かさなかった。
「まあ、何かしら」
「あの、あの、実は……見てしまったんです、私」
「ええ」
「そ、その……。こ、皇太子殿下の執務室に、ネイジア様が入っていくのを!」
その言葉にルルアンナは一瞬目を見開くが、すぐに驚いた表情をしてみせた。
「まあ、ネイジア様が?」
「は、はい!それも頻繁に通っていらっしゃるみたいで。よ、余計な事かとは思ったのですが、どうしてもこのことをルルアンナ様に黙っているのは心苦しくて……」
そう言って少女は落ち着きなくあちこちに視線をやって、もじもじと下を向いた。
「そうだったの。私のことを心配してわざわざ教えてくれたのね」
「は、はい。先輩達には黙っていろと言われたのですが……。出過ぎた真似をしてしまって申し訳ありません」
不安そうに頭を下げる少女をルルアンナはジッと見つめた。
「いいえ、私のためを思って勇気を出して言ってくれたのでしょう?むしろ感謝しているわ。ありがとう」
「ルルアンナ様……」
「あなた、見ない顔だけど最近新しく入ったメイドかしら?」
「あ、は、はい!つい最近入ったばかりです」
ルルアンナの唐突な質問に、一瞬きょとんとしてから少女は慌てて答えた。確かに仕草は初々しい。
「そう、だからあまりルールやマナーにも慣れていないのね」
「え?」
「本来、使用人は呼ばれない限り自分から貴族へと話しかけてはいけないの。相手が上位貴族であれば尚更ね。あなたがさっき私に声をかけたのもルール違反なのよ」
「そ、そんな…。私、大変失礼なことを……!」
狼狽える少女を落ち着かせるようにルルアンナは穏やかな口調で続ける。
「相手に危険がせまっていてそれを知らせる時や、何か緊急事態が起きた時。あるいは遣いとして派遣されてきた時。そういった場合はもちろん大丈夫だけれど、それ以外は基本的に声をかけられるまで控えているのがルールよ。次からは気を付けて」
「は、はい!ありがとうございます!」
ペコペコと頭を下げる少女に苦笑し、ルルアンナはポンと優しく背中に手を添える。
「貴族や皇族を相手にするなら、知らなかったは通用しないわ。ここで働く以上はきちんとルールを学ばなくては駄目よ。頑張ってね」
「はい!」
尚も頭を下げる少女に手を振って、ようやくルルアンナは止めていた歩みを再開させる。前を向いたその顔に、すでに先程までの笑みはなかった。
「ミレット、お願いしたいことがあるの」
「なんなりと」
小さく耳打ちされたミレットはスッとルルアンナ達から離れて別方面へと消えていく。ルルアンナはそれに視線を向けることなく、ベルガードを連れて侯爵家の馬車へと乗り込んだ。
投げ込まれた小石が起こした小さな波紋は、少しずつ、しかし確実に周囲へと広がっていく。
様々な思惑を絡みつかせながら。




