遠くて近い二人
フェリオルドとのお茶会があった翌日、ルルアンナは邸のテラスでぼうっと庭の景色を眺めていた。
あの後、どうやって侯爵家まで帰ってきたのかあまりよく覚えていない。恐らく迎えに来た城の騎士に案内されて馬車に乗り、邸まで戻ってきたのだと思うのだが、気づいたら到着していたのでその辺りは曖昧だ。常と何処か様子の違うルルアンナに母のサラディアもミレットも心配そうにしていたが、疲れたせいだとだけ言ってルルアンナは部屋へとこもった。
一晩眠ればこの沈んだ気持ちも切り替えられるかと思ったが、人間の感情はそうそう単純にできていないらしい。
「物分かりのいい振りをしていても、私も所詮はただの人間だものね……」
沈んだ表情のままルルアンナは小さくため息を吐いた。
フェリオルドに伸ばした手が届かなかったことはもちろんショックだったが、それ以上にルルアンナを動揺させたのは彼の酷く疲れ切った姿だった。なんとか笑みの下に隠そうとしてはいたが、ずっと彼だけを見つめてきたルルアンナに分からないはずがない。フェリオルドの美しい顔はやつれ、表情には影が差していた。それにルルアンナの前でふらつく姿など一度も見たことがない。いつもは完璧な皇太子である彼が、それらを隠し切れないほどに憔悴しているということだ。
そこまで彼が疲弊していたことに気づかなかったこと、何の助けにもなれていないこと、それこそにルルアンナはショックを受けていた。
誰よりも彼の助けとなり、支えること。それこそがルルアンナの願いであり、生きる意味だというのに。
ルルアンナが二度目の溜息を吐いた時、静かだったテラスに足音が近づいてきた。
「我が家の太陽も今回ばかりは陰ってしまっているようだね」
「お兄様……?」
「やあ、僕のお姫様。お届け物をしに来たよ」
入り口から姿を見せたのは兄のフィニアンだった。
「最近ずっとお忙しそうでしたのに。いつ帰ってきたのですか?」
「たった今さ。まあすぐに戻らなければならないんだが」
そう言ってルルアンナの隣の席に腰を下ろしたフィニアンは、一枚の封筒を取り出した。純白の上質な紙に金色の縁取りのそれは、見慣れた皇族の証だ。
「お兄様、もしかしてそのお手紙は……」
「ああ、殿下からのものだ」
おずおずと手を伸ばして封筒を受け取るも、なかなか封を開けられず見つめるだけのルルアンナに、フィニアンは困ったように微笑んだ。
「本当は直接ここにきて殿下自ら説明するつもりだったんだ。しかしあれから体調がなかなか戻らなくてね。そんな状態で会って余計にルルアンナに心労をかける気かと側近総出で止めてきたところだ。本人は這ってでも来ようとしていたけどね」
「まあ、フェリオルド様はそんなにも体調が悪いのですか?」
「ここ最近の無理が少々きいているみたいだが、きちんと休めば大丈夫だよ。良い機会だからしばらく大人しくしていてくれるといいんだけどね。いつも働き過ぎなんだ」
やれやれとフィニアンは溜息を吐き、心配そうに眉を下げている妹の頭を撫でた。
「そっちは我々がしっかり見ておくから、ルルアンナは早くそれを読んであげてくれ。殿下がさんざん悩みながら一生懸命書いていたよ」
「……はい」
促されるままルルアンナは丁寧に封を開け、びっしりと文字の綴られた手紙へと視線を落とした。
『 愛するルルアンナへ
あれから健やかに過ごせているだろうか。
本来ならば直接出向いてきちんと自分の口から説明をするべきなのだが、不覚にも体調管理を怠ってしまったせいで叶わなくなってしまった。手紙での説明になってしまうことを許してほしい。
そして、お茶会での失態を深く詫びたい。僕のしでかしたことで深く君の心を傷つけてしまっただろう。謝ったところで僕のしたことが消えるわけではないが、決して僕の本意ではなかったのだということだけは分かってほしい。
ある時期から、君の姿を近くで視認すると体調が崩れるようになった。原因もきっかけも今のところ分かってはいないが、懸命に調査を進めているところだ。君と会う頻度が以前より減ってしまったのも、茶会の時間が短くなってしまったことも、全てはそのせいなんだ。君と会おうとすると何故か体が拒絶する。しかし絶対に誤解しないでほしい。僕自身は今もルルアンナのことを深く愛している。この気持ちが変わることなど天地が逆になろうともあり得ない。どうかそれだけは信じてほしい。僕の気持ちをどうか疑わないでほしい。
こんなことを君に打ち明ければ傷つけてしまうと思って伏せていたが、結局はそのせいで君をより傷付けてしまった。聡明な君には早くに説明しておくべきだったととても後悔をしたよ。
会いたい気持ちとは裏腹に、ルルアンナと直接向き合うことは心身に思った以上の負担をかけていたようだ。だが、僕の今の状態は決してルルアンナのせいではない。僕の勝手なエゴのせいだ。
できることならば君に気づかれることなく解決してしまいたかった。しかし調査は思った以上に難航している。それがこの結果なのだから、自分が不甲斐ないばかりだ。
君に直接謝罪と説明ができない不誠実さを悔やむと同時に、情けなくも僕は少しホッとしているんだ。面と向かって君の姿を見ると具合が悪くなるなどと、とてもじゃないが言える気がしなかった。理由があるとは言っても、大切に思う相手に向かってそんなことをどうして言えるだろうか。
ルルアンナ、君の心だけが心配だ。僕の愚かな行動で泣いてはいないだろうか。苦しんでいないだろうか。
僕の心にはいつも君しかいない。君だけをいつも想い続けている。
早く以前のように心のままに君とたくさんの時間を過ごしたい。そのためにできることは何でもするつもりだ。だからどうか、あまり心配せずに心穏やかに過ごして待っていてほしい。
いつも君を愛している。
フェリオルド 』
手紙を読み終えたルルアンナは涙の滲んだ目元をスッと指で拭った。
いつも理路整然とした美しい文章を書くフェリオルドにしては、どこかまとまりのない文章だ。心のままに想っていることをそのまま書き連ねたかのような。そして、何度も繰り返される愛しているという言葉に、彼の切実さが滲んでいるような気がした。
心配そうに見守っている兄にルルアンナは小さな笑みを浮かべた。
「お兄様、お手紙を届けて下さってありがとうございます。フェリオルド様の御心、しっかりと受け取りましたわ」
それを聞いてフィニアンはホッとしたように息を吐いた。
「そうか。殿下は本当に心を痛めていた。ルルアンナを悲しませたことは問題だが、彼の苦悩も察してやってくれ」
「ええ、もちろんです。フェリオルド様は想いの全てを手紙に込めてくださいました。それで充分です」
「くっ……、私の妹はなんて健気で心優しいんだ……!」
ギュッとルルアンナを抱き締めるフィニアンに、少し傷心気味のルルアンナは素直に体を預けた。ふわりとミントと柑橘が混じったような、彼の愛用する香水の香りが微かに香ってくる。
「……お兄様、お兄様が忙しくしていたのも殿下の件があったからなのですよね?」
「ああ、我々側近も、秘密裏にだが両陛下もこの件については調査を進めているところだ。色々と重なり過ぎてやることが多いのが困りものだけどな」
兄の言葉からは、信頼できる人間のみで動いているのだろうと予想できる。しかし少ない人数で、他にもやることが山積みでは、割ける時間もかなり限られてくるだろう。
ルルアンナはスッと体を離すと、真っすぐにフィニアンを見上げた。
「お兄様、事態が落ち着くまではフェリオルド様に会うのは控えようと思います」
フィニアンは一瞬だけ目を瞠り、すぐに眉を下げて笑った。
「聡明な我が妹は相変わらず状況判断も決断も早いな。ルルアンナならそう言うだろうと分かっていたことも、殿下が知らせるのを躊躇った理由の一つだろうな。だが、本当にいいのかい?」
「はい。フェリオルド様に会えないと思うともちろんとても寂しいですが、私に会うことで彼に大きな負担がかかると知ってなお、会いたいだなんてわがままは言えません。自分が大切な人の障害になるだなんて、それこそ耐えられません。」
「ルルアンナ……」
「その代わり、調査の様子を私にも教えられる範囲で良いので教えて頂けませんか。そして私も調査に協力したいのです。危険なことはしないとお約束しますから」
ルルアンナの言葉にフィニアンは困ったように唸る。彼女にもある意味被害が及んでいる以上、部外者と言ってしまうのはあんまりだろう。しかし危険度も分からない今の状況で巻き込んでしまっていいものか。
そんな兄をルルアンナは目を逸らすことなく見つめ続ける。強い意志の込められたその視線に、フィニアンは早々に白旗を上げた。シスコンの彼に勝算など初めからないのだ。
「分かった。現在の調査状況と、これから得る情報は言える範囲で教えよう。ただし、絶対に一人で何かやろうとしないこと。それは約束してくれ。それと護衛騎士のベルガードを必ずそばに置くこと。守れるかい?」
「ええ、もちろんです。ありがとうございます、お兄様」
「あー、殿下になんて言えばいいんだ。いや、いっそ黙っとくか……」
ぶつぶつと他の心配を始めたフィニアンにクスリと笑って、ルルアンナはもう一つお願いをした。
「それと、フェリオルド様にお伝えいただけますか?会えない代わりに、またお手紙をくださいと。できれば毎日」
笑顔のルルアンナの言葉に、ひとつ瞬きをしてからフィニアンも笑った。
「ああ、必ず伝えよう。殿下もきっと喜んで手紙を書くだろう」
兄の言葉を聞いてルルアンナの肩からフッと力が抜ける。このくらいの我儘なら、お願いしたっていいだろう。フェリオルドとの繋がりが何もなくなってしまうのは、ルルアンナも辛いのだ。
(それにしても、まさかそんなことがフェリオルド様の身に起きていたなんて……)
最近ずっと感じていた違和感はそれだったのだ。ルルアンナを避けるような彼の行動に明確な理由があったことにはホッとしたが、だから良かったという話ではない。
大切な彼の手を煩わせ、心身を損ない、ルルアンナが彼と過ごす時間までも奪った。到底許せることではない。
自然現象でこんなことが起こるはずもないのだから、当然この件を企てた人間がいるはずだ。
(私とフェリオルド様の仲を引き裂いて邪魔をしようだなんて、絶対に許さないわ)
ルルアンナには最強の切り札がある。自然や動物達と心通わせ、その力を借りることができる加護が。相手が謎の不可思議な方法で手を出してくるというのなら、それ以上の力で握り潰すまでだ。喧嘩を売る相手を間違えたことを、心の底から後悔させてやらなければ気が済まない。
強い怒りがチラつく瞳を隠すように目を伏せて、ルルアンナは口元だけで微笑んだ。




