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恩人


「ルルアンナ!」


普段の優雅さや余裕を吹き飛ばした、常にはない珍しい様子でフェリオルドが部屋の扉を勢いよく開く。走ってきたのかいつも整えられている髪は乱れ、息もだいぶ弾んでいた。

城に常駐している医者の手当てを受け、着替えも済ませてようやく一息ついていたルルアンナは、フェリオルドのあまりの勢いに驚いたように目を丸くしていた。ルルアンナに紅茶を入れていたミレットも同様だ。

そんな周囲の様子に構うことなく、フェリオルドはソファに座るルルアンナの前まで足早に歩み寄るとそのまま跪いた。そしてルルアンナの手を取り、彼女の姿を上から下まで見つめる。


「ああ、こんなに傷だらけになって……。粗野で乱暴な破落戸に襲われるなど、怖かっただろう」


まるで自分が怪我を負ったかのように辛そうな顔をして、フェリオルドはルルアンナの体をそっと抱き締めた。その優しい体温に、ルルアンナのずっと強張っていた体からスッと力が抜けていく。

あの後ベルガードの付き添いの元、無事に城へと着いたルルアンナは彼女の姿を見て騒然とする城の使用人達に軽く事情を説明し、すぐに部屋へと通された。そこで慌ててやってきた皇族お抱えの医者に丁寧に診察と治療を受け、ボロボロの服はすぐにメイド達によって着替えさせられた。到着した時の見た目よりはマシになったものの、体のあちこちを包帯やガーゼで覆われた姿はかえって痛々しかった。

当然この件はすぐにフェリオルドにも伝えられ、執務中だった彼は一切を放り出してルルアンナの元へと駆けつけたのだ。


「フェリオルド様、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。見た目こそ少し大げさですが、大きい怪我もないので私は大丈夫です」


「大丈夫なものか。怪我の大小など関係ない。周囲に助けもない中、突然大の男達に襲われて傷つかないわけないだろう?体も、心もだ」


「あ……」


「君がいつも淑女の鏡として、私に相応しくあろうと努めていることは知っている。立派な志だ。だが、もう無理をしなくていい。平気な振りをしなくていいんだ。ここにはそれを咎める者などいない。私の前では何も取り繕わないでくれ」


そのまま優しく頭を撫でられて、ルルアンナの視界がじわじわと歪んでいく。それでもただ感情のままに泣くことはできなくて、フェリオルドの肩に顔を伏せるようにして、ルルアンナは静かに涙を流した。



しばらくして落ち着いたルルアンナと並んでソファに腰掛けると、それまでずっと静かに壁際に控えていた人物へとフェリオルドは声をかけた。


「すっかり待たせてしまってすまないね。君も向かいの席に掛けてくれ」


「いえ、しかし自分は同席できるような身では……」


「君はルルアンナの恩人だ。本当は頭を下げて感謝したいくらいなんだ。礼くらいはさせてくれ」


フェリオルドの言葉にベルガードは驚いたような顔をし、少しの逡巡の後に静かに彼らの向かいへと腰を下ろした。


「改めて、私はヴァイスナー帝国の皇太子であるフェリオルド・アイン・ヴァイスナーだ。この度は我が婚約者であるルルアンナを暴漢から救ってくれたこと、心より感謝する。貴殿のおかげで、私は愛する者を失わずに済んだ」


「私からも深く感謝を申し上げます。あなたがいなければ、私はこうしてここにはいませんでした」


「身に余るお言葉、恐縮です。俺、いえ……私はベルガード・マルクリウスです。隣国からこの国へと旅をしている途中でした。騎士をしていたので剣の腕には多少覚えがあり、運よくお助けすることができました」


「旅のお方だったのですね。しかも騎士をしていた方に助けて頂けるなんて、私は本当に幸運でした」


「この後は何か予定が?もしなければ、礼も兼ねて是非我が城へと滞在してほしい」


フェリオルドの言葉に、今度こそベルガードははっきりと驚きの表情を浮かべた。


「私は騎士として当然のことをしただけですし、そこまでして頂くのは……。直々にお言葉を頂けただけで十分です」


「謙虚だな。しかし、私にとってはそこまでのことだったのだ。迷惑ならば無理にとは言わないが、そうでなければもてなしをさせてほしいと思っている」


圧を感じさせないようフェリオルドが穏やかな顔でそう言うと、少しの間の後にベルガードは頭を下げた。


「……では、お言葉に甘えて。少しの間世話になります」


「ああ、ようこそエーデルシュタイン城へ。君を心より歓迎する」


笑顔で差し出されたフェリオルドの手を、ベルガードは力強く握り返した。




◇◇◇




「殿下、今よろしいでしょうか」


夜、昼間に放りだした仕事の残りを片付けていたフェリオルドに姿なき声がかかる。


「ああ」


「例の客人が拘束して転がしておいたという襲撃犯達は全て騎士が回収し、牢へと収容しました。これから尋問して色々吐かせる予定です」


「そうか。どんなやり方でも構わない。絶対に今回のことを企てた黒幕を突き止めろ。だいたいの予想はつくが証拠が必要だ。それまでは殺すなよ」


「もちろんです。明日には仕事を終えてみせますよ」


簡潔に報告を終えて、影は少しの間沈黙した。


「この度は婚約者様をお守りできず申し訳ありませんでした」


「お前のせいではない。たまたま別件を頼んでいて護衛から外れていたのだから。不運にもそのタイミングで事が起きてしまっただけだ」


「……そうですね。あれもこれも己がやれるなどと思うのは自惚れでした。しかし多くの時間を見守らせて頂いていたので、肝心な時に役に立てなかった己が悔しくもあります」


「それは俺も同じだ。この時期だからこそ、お前を外すべきではなかったな」


後悔の滲む声でフェリオルドは呟き、小さくため息を吐いた。


「それで、客人の方はどうしている?」


「使用人達が心を込めてもてなしているので、快適に過ごして頂けているかと。まあ、本人は己には過ぎたものだと少々戸惑っているようですが」


その時の様子でも思い出したのか、珍しく影がクスリと笑う。


「過分なものか。彼が居合わせてくれなければ、俺はルルアンナを永遠に失っていたかもしれないんだからな。本当に……感謝している」


「……そうですね」


未だ沈んだ様子の主に軽く息を吐いて、影はもう一つの件も報告した。


「婚約者様ですが、邸に戻ってからはゆっくりと体を休めているようです。事件を聞いたご家族も皆駆けつけて、今は彼らに囲まれて安心しているかと」


「ああ、そういえばフィニアンが鬼のような形相でだいぶ早く帰宅していったな。きちんと仕事を終わらせているところはさすがだが」


「シスコンですからね」


影の言葉にフッと笑みを浮かべて、フェリオルドは残り少ない書類を手に取った。


「俺も負けてられないな。心置きなくルルアンナを見舞うためにも、さっさとこのくだらない茶番に決着を付けよう」


「御意」


そのまま手元へ視線を向けるフェリオルドの瞳には、表情とは裏腹に静かな怒りの炎が宿っていた。



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