突然の襲撃(1)
※暴力的な描写があります。
その日、ルルアンナはいつものように支援している孤児院を訪問していた。
恒例の手作りお菓子を手土産に、子供達と遊んだり院長やシスター達と話をしたりと、半日ほどをそこで過ごした。
「ルルアンナさま~!またね~!」
「次遊ぶの約束だからね!」
子供達が名残惜しそうに手を振り、ルルアンナも笑顔でそれに応える。
「ルルアンナ様、今日もありがとうございました。子供達も本当に喜んでいました」
「私も楽しい時間を過ごしました。もし何かあれば遠慮せず侯爵家までご連絡くださいね」
「お心遣いに感謝致します。どうぞお気をつけて」
院長達にも見送られ、ルルアンナはミレットと共に馬車へと乗り込む。装飾のない簡素な馬車はゆっくりと動き出し、徐々に孤児院から遠ざかっていく。
孤児院に行く時、ルルアンナはシャレット侯爵家の馬車ではなく、一般の馬車を利用している。侯爵家の華やかな馬車が孤児院の側に停まっていると目立ってしまう上に、大きいので場所も取る。見せつけるための訪問でもないので目立たない一般の馬車で済ませているのだ。
「皆元気そうで良かったわ」
「そうですね。ルルアンナ様のご訪問をいつも楽しみにされているそうですから」
「嬉しいことね。おかげで今日はいつもより少し遅くなってしまったわ」
ルルアンナがミレットと孤児院での出来事を話していると、ガタンと馬車が揺れる。その後、御者が誰かと話している声が微かに聞こえてきて、再び馬車が動き始めた。
「どうしたのかしら?」
「分かりません。少々確認致します」
ミレットが御者とやり取りするための小窓をノックしてから小さく開ける。
「何かあったのですか?」
「あ、はい。なんでもいつも通っている道の一部が破損して修理中で、一時的に通行止めだと言われまして。仕方ないので少し回り道になりますが別の道から邸に向かいます」
「修理中?そんな話は聞きませんでしたが…」
「急な事だったそうですよ」
「そうですか。分かりました」
御者とのやり取りを終えてミレットはルルアンナに向き直る。
「どうやら道の一部が壊れて急遽工事を行っているようで、いつもと別の道から戻るとのことです」
「まあ、本当に急ね。だから見慣れない道を走っているのね」
少し首を傾げながらもルルアンナは頷いた。なにしろ行きは普通に通ってきた道である。道が壊れるなどそうそうあるのだろうかと思いながらも、そこまで深くは考えず軽く流した。
しかしやはりおかしいのではと強い違和感を感じ始めたのはそれから十分ほど経った頃だった。
「ねえ、ミレット。ずいぶんと人通りがない道ね。もう森の方に来ているんじゃないかしら」
「……そうですね。回り道にしては少々中心街から外れ過ぎてきているかと」
「ちょっと気が緩み過ぎていたかしら」
ルルアンナは様子を伺うようにそっと窓の外を覗く。
この馬車は侯爵家の馬車ではない。万が一への備えや頑丈さは言うに及ばず、御者の質さえ違う。安い一般の馬車にそこまで期待するのは無理があるが、だからこそ今の状況はあまり良いとは言えなかった。
孤児院までは馬車で三十分ほどの距離で、いつも広く人通りの多い大通りを通っている。都であるため巡回する騎士も多く、治安はかなり良い方だ。そのため頻繁に孤児院へ通っているルルアンナは侯爵家の馬車は使わず、護衛も特に連れてはいなかった。他の用事で出かける場合はもちろん連れていくが、何度も行っている馴染みの場所であることと、護身術を身に付けているミレットがそばにいるためいちいち護衛騎士を連れていくのは不要と判断したのだ。そうした油断が今回は災いした。
「見たことのない道ですが本当にこちらで合っているのですか?少々遠回りし過ぎなのでは?」
「は、はい。実は自分もこちらの方はあまり慣れていないのですが、先程の人にこっちに行けと言われまして……。分かれ道は何故か全て塞がっていて行けなかったので行ける道を走っているのですが……」
ミレットが再び御者へと問いかけると、どこかオロオロとした様子の御者が申し訳なさそうに話す。どうやら彼もグルということはなく、この事態に戸惑っているようだった。チッと小さく舌打ちをして、ミレットはルルアンナを見る。
「ルルアンナ様、このまま状況も分からず進み続けるのは危険かと。今すぐ――っ」
何かを言おうとしたミレットの言葉を遮るように、突然馬車を大きな衝撃が襲う。激しい揺れと御者の悲鳴が聞こえる中、ミレットは咄嗟にルルアンナに覆い被さり床へと伏せた。馬の嘶く声と激しい揺れが二度三度と続き、やがて静かになる。
「いったい何が……」
ミレットに庇われたルルアンナが少しだけ体を起こして外を伺おうとする。しかしすぐに馬車の扉を外から激しく叩く音が響いてきて、ルルアンナは動きを止めた。
「……ルルアンナ様、どうやらこの馬車は何者かに襲われているようです。危険ですので窓から見えないよう奥に身をかがめていてください」
「でも、このままでは扉が壊されてしまうわ」
「私が参ります」
いつの間にかミレットの手には、刃の長い折り畳みナイフが二本握られていた。彼女は護衛も兼ねているため隠し武器をあちこちに仕込んでいる。
「ミレット、あなたが強いことは知っているわ。けどいくらなんでもたった一人でなんて危険よ」
外からは変わらず扉を壊そうと何かで叩く音と、野太い声が聞こえてきている。野盗か破落戸か、複数の男達がいることは間違いない。そんな中に彼女一人行かせればどうなるか、分からないはずがなかった。護衛も兼ねるとはいえ、彼女は騎士ではないのだ。
「このままこうしていても、やがて馬車が壊され二人とも襲われるだけです。それにルルアンナ様をお守りするのが私の使命。私が奴らの不意をつき、注意を引き付けている間に、ルルアンナ様は機を見て脱出してください。そのまま街の方まで逃げるのです」
「あなたを囮にして逃げるなんてできないわ。そんなの駄目よミレット」
「ルルアンナ様……」
ルルアンナとて分かっていた。今この状況で何が最善なのか。二人で共倒れになるわけにはいかないし、何よりルルアンナは次期皇太子妃でもある身だ。どちらが優先されるべきかなど分かり切っている。ミレットの言っていることが正しいのだ。
それでも頷けなかった。いつものように物分かり良く、利を取って効率の良い方法など選べなかった。
ミレットはルルアンナが幼い頃からずっとそばにいた。ルルアンナの表の顔も裏の顔も知り、そのうえで誰より彼女を理解し支えてくれる存在だった。主と従者の関係ではあるが、ルルアンナはずっと心の中でミレットを姉のように思っていた。大切な、本当に大切な人なのだ。
「お願いミレット。一緒に逃げる方法を探しましょう。それか私も戦うわ」
めちゃくちゃなことを言っている自覚はあった。いつもの冷静で思慮深い侯爵令嬢ルルアンナ・シャレットはいない。ここにいるのは大切な半身の手を離すまいと駄々をこねるただのルルアンナだ。
「ルルアンナ様」
そんなルルアンナにミレットは優しく声をかける。その瞳に浮かぶのは慈愛か友愛か。
「あなたをこの身の全てでお守りすることが私の望みです。この危機を逃れた先で平穏に過ごして下さるのなら、そしていつか幸せになって下さるなら、それ以上に嬉しいことはありません」
「ミレット」
「ですから、どうか私のためにお逃げください」
「……そんな言い方、ずるいわ」
涙を滲ませるルルアンナを一度だけ優しく抱きしめて、ミレットは今にも壊れそうな扉に向き合った。更にどこからか長い針を数本取り出して構える。
「ルルアンナ様、なるべく派手に動きますので私に注意が向いている時に馬車から脱出してください。チャンスが来たら躊躇ってはなりません」
「……あなたの忠義、決して無駄にしないわ。だけど、あなたも諦めることなく最後まであがきなさい」
可能性は限りなく低い。しかし、もしも逃げられたら、助けを呼べたら、間に合うかもしれない。
そんなルルアンナの想いを知ってか知らずか、ミレットは最後にもう一度微笑んで頭を下げると、思いっきり扉を中から蹴破った。
突然の攻撃に、扉の目の前にいた男二人が巻き込まれて扉と共に吹っ飛んでいく。そのまま流れるようにミレットは近くの男の顔めがけて針を複数放った。
「ぐわぁっ」
「なんだこの女は!?」
目を潰された一人が悲鳴を上げ、他の男たちは警戒したように距離を取る。ミレットが瞬殺した三人を除くと、いま彼女を取り囲んでいるのは男四人。身なりはあまり良いとは言えず、粗野でいかにも荒事に慣れたふうだった。剣で切りかかってきた一人をミレットがナイフで往なし、もう一本のナイフを腕に突き立てる。再び上がる悲鳴に男達の注意は完全にミレットに向いているようだった。
ぐっと唇を噛み締めて、ルルアンナは身をかがめたまま扉のない馬車からそっと抜け出す。ここで躊躇していてはいけない。身を挺してくれているミレットのためにもルルアンナは逃げなければならないのだ。
足音を殺しながら一歩二歩と離れていき、徐々に足を速めて走り出す。走りながらルルアンナは太もものホルスターの存在を確かめた。そこにある短刀は護身用でもあり、貴族令嬢としての矜持を守るための手段でもある。
「いたぞ!」
「っ!」
声に振り向けば、最初に馬車の扉と共に吹っ飛ばされていたはずの男達二人が、多少の怪我を負いながらもルルアンナを追いかけてきていた。
ここで捕まるわけにはいかないとルルアンナは必死で走るが、男女の差がある上に、貴族令嬢である彼女が鍛えられた身体能力を持つはずもなく。相手との距離はどんどんと縮まっていった。
「はあ……はあ……っ…」
「チッ、しぶとい女だな…!」
それでも諦めず走る彼女にあと一歩の距離が届かず、男達は苛立たし気に声を上げる。そしてしびれを切らした一人が飛び付くようにしてルルアンナもろとも地面へと倒れ込んだ。
「いっ……!」
勢いよく地面に倒れた衝撃で靴が脱げ、打ち付けた体の痛みにルルアンナは小さく声を上げた。足元に覆い被さるようにしていた男がニヤリと笑って起き上がりルルアンナを見下ろす。
「ずいぶん長い追いかけっこだったなぁ?見た目のわりにじゃじゃ馬か?」
「ヒャハハ!いいね~、そういうのを躾けるのも悪くねえ」
品性の欠片もない男達の言動にルルアンナは嫌悪感で顔を顰めた。どんな目で見ているのか、何をするつもりか問うまでもない。
「ま、個人的に恨みは別にねえがな。自分の不運さを恨みな」
薄ら笑いを浮かべながら手を伸ばしてくる男。この世の何より穢れて見えるその手に触れられるなど我慢ならなかった。
ルルアンナは脱げて転がっていた靴を掴むと、男の顔めがけて尖ったヒールを叩き付けた。
「ぎゃああっ!?」
顔を抑えてのた打ち回る男から這うように離れ、ルルアンナは裸足のままなんとか再び走りだすが、すぐにもう一人の男が後を追ってくる。その形相は怒りに歪んでいた。
「舐めやがってこのアマがっ!」
長い髪を掴まれ、そのまま引き倒される。逃げようとするルルアンナを押さえつけるように男がその細い体に乗り上がってきた。
「大人しくしてりゃ可愛がってやろうと思ってたが、ここまで暴れられちゃあなぁ。良い子になるよう厳しく躾けてやるよ。良い顔で泣いて楽しませろよ?」
残忍な笑みを浮かべ、男はルルアンナの服へと手をかける。上から体重をかけられ、とてもではないが抜けられそうにはなかった。思いっきり振り上げた腕も簡単に捕まれ、そのまま地面に押し付けられてしまう。
「ふん、好きなだけ抵抗していいんだぜ?全部無駄だけどな!」
人を傷つけることを楽しむその醜い顔を見上げながら、ルルアンナは一度だけグッと歯を噛み締めた。そして心を落ち着けようと深呼吸をする。
ルルアンナは皇太子の婚約者、未来の皇太子妃だ。その身はもはや自分だけのものではない。全ての貴族令嬢に言えることではあるが、結婚前のその体は穢れなき純潔でなければならない。政略結婚が多い貴族において、女性はその家の跡継ぎを生むという大きな役目がある。夫以外の異性との間違いなど万に一つもあってはならないのだ。何処の誰かも分からぬ相手の子を身ごもるなど、とんでもない醜聞となる。
皇太子の妃となるはずのルルアンナがその身を穢されてしまえば、この婚約は破棄されてしまうだろう。ルルアンナは婚約者ではなくなり、別の令嬢が選ばれフェリオルドに宛がわれることになる。シャレット侯爵家は皇族との婚約を破棄された家として嘲笑の的となってしまう。そのような惨めな人生も、最愛の家族に迷惑をかけることもルルアンナは望まない。
そんな貴族令嬢達が尊厳を、己の矜持を守り通すための方法。それは、その身を穢される前に自害することだ。死してなお体を弄ぶような外道も中にはいるが、少なくとも貴族としての矜持を守り抜こうとしたとして、その令嬢の誇りと名誉は守られる。
皇太子妃として、フェリオルドの婚約者として、恥じるようなことはしたくなかった。
(ごめんなさい、ミレット)
その身を挺してルルアンナを逃がしてくれた大切な存在を思う。せめて潔く最期を迎えたい。
捕まれていないもう片方の手で太ももの短剣を確かめる。相手はルルアンナのドレスを引き裂くのに夢中だ。剣の柄をグッと握りしめた瞬間に浮かんだのは、世界で一番愛しい人の優しい笑顔だった。
「……フェリオ様、いつまでもお慕いしております」
その瞬間、ルルアンナは思いっきり短剣を引き抜き、そのまま己の胸へと振り下ろした。




