秋の収穫祭(4)
「随分とパーティを満喫しているんですね」
腰に手を当ててルルアンナを睨むように見るルーナの態度は、以前に城のお茶会で会った時とは別人のようだ。今は周囲に誰もいないため、演技する必要はないと判断したのだろう。
その無礼な態度に対して特に指摘することもなく、ルルアンナはニコリと笑みを浮かべた。
「ええ、年に一度のせっかくの催しですから。ルーナ様も楽しんでいらっしゃいますか?」
「はっ!」
ルルアンナの言葉にルーナは鼻で笑ってみせた。
「楽しんでるかですって?よくもまあそんな言葉を私に言えるわね」
止めていた足を動かし、ルーナはゆっくりとルルアンナに近づいた。そして彼女から少し離れた位置で止まり、テーブルの上に並ぶ料理や飲み物に視線を落とす。
「あんたのせいで最近なんにも楽しくないわ。せっかく憧れの貴族になって、しかも素敵な出会いまでして、これから夢のような生活が待ってると思ったのに。私が主人公の物語なのに、邪魔者のはずのあんたがずっと出しゃばるせいで全てが台無しよ。ひとつも私の思い通りにならない。こんなの間違ってるわ。数々の試練を共に乗り越えて、皇太子さまと強い絆で結ばれる運命のお姫様は私なのに!あんたの今いる位置が私のはずなのに!」
段々と感情が高ぶってきたのか、最初は静かだった口調は途中から荒々しいものへと変わっていく。十人中十人が何を言ってるんだと思うような内容だが、本人はそれを心から信じ切っているのだ。内心ではそんなルーナを冷めた目で見ながらも、ルルアンナは表面上は驚き戸惑ったように彼女を見つめた。
そこで一度口を閉じたルーナは、荒くなった呼吸を落ち着かせるとドリンクを手に取り一口飲んだ。ルルアンナと同じ葡萄サワーだった。
「いつもいつも私ばっかり理不尽な目にあって恥かいて、なのにあんたは皆からチヤホヤされて。さぞかし良い気分だったでしょうね。私がいるべき場所をいつまでも譲らずに我が物顔で居座って。何でなのよって毎日毎日怒りでどうにかなりそうだったわ。……でも、ふと気づいたのよ」
クルリと向きを変えてルルアンナと正面から向かい合って、ルーナはニッコリと笑った。
「邪魔者が自分から退場してくれないなら、私が退場させてあげればいいって。だって邪魔者ってことはいらない人間ってことなんだから、そうしたところで誰も困らないでしょ?むしろやっと正しいストーリーに軌道修正できて良いことよね?わざわざ自分でやらないとっていうのはちょっと不満だけど、私も早く幸せになりたいし。仕方ないから動いてあげるわ。あんたも散々良い思いしたんだしもう十分でしょ?私の代わりに夢を見れて良かったわね。でもそろそろ返してちょうだい?」
言うが早いか、ルーナは手に持っていたグラスの中身をルルアンナのドレスに向かってぶちまけた。腹部から裾にかけて、煌めきを纏った深い青が赤みを帯びたどす黒い色へと変色していく。
突然の暴挙に、さすがのルルアンナも驚いて一瞬動きを止めた。フェリオルドの瞳と同じ色の美しいドレスを汚されたことへの衝撃もいくらかあったかもしれない。
続けてルーナはグラスの残りを自分に向かってかけると、空になったそれを床へと放った。大理石でできた広間の床と違い、こちらの部屋には毛足の短いカーペットが敷かれていたため、グラスは割れることなくゴトリと重い音を響かせて落ちた。そのままルーナはその場に倒れるようにへたり込む。
「きゃあああ!!」
ルーナの大きな悲鳴に、扉から近い場所にいた広間の者達が何事かと駆けつけてくる。
「どうしたんだ!」
「何がありましたの?」
しかし中の惨状を見ると、状況が良く分からないせいか皆が戸惑ったように入り口で足を止め、それ以上は入ってこなかった。ザワザワと人垣ができていく中、それをかき分けるようにして躊躇なく部屋に飛び込んでくる者がいた。皇太子であるフェリオルドだ。
「これは……」
中の様子に少しだけ驚いたような顔をすると、フェリオルドは足早に彼女達へと近づいてくる。
「あ、皇太子さまぁ…!私……私……っ」
フェリオルドを見るなり座り込んだままの姿勢でルーナは泣きそうな顔で目を潤ませる。が、フェリオルドはルーナのことを一切無視して一直線にルルアンナの元へと向かった。
「ルルアンナ、大丈夫か?」
「フェリオルド様……」
呆然とした様子だったルルアンナはフェリオルドに声をかけられたことで我に返り、持ったグラスごと胸元で手をギュッと握った。そして深呼吸をして何とか心を落ち着かせようとする。
「いったい何があったんだい?」
そんなルルアンナの様子にフェリオルドが心配そうに問いかけると、それに答えたのはルルアンナではなくルーナだった。
「わ、私……誤ってルルアンナ様に飲み物をかけてしまったんです。絨毯に躓いてしまって、わざとじゃなくて……でも、必死に謝ったけど許してもらえなくて…。同じように飲み物をかけられて、突き飛ばされたんです……!」
俯き声を震わせて、涙ながらにルーナはそう訴えた。被害者は飲み物をかけられたルルアンナのはずなのに、まるで自分こそが被害者であるかのように。飲み物をかけたことを許さないルルアンナがさも悪いかのように。
「まあ……確かにあれでは美しいドレスが台無しね」
「私でも謝罪程度では許せないわ」
「でも、やり返して突き飛ばすというのはやりすぎでは?」
「というか、本当にあのルルアンナ様がそんなことを……?」
ルーナの言葉を聞いて、集まっていた人々がひそひそと言葉を交わす。その様子は半信半疑といったものがほとんどだった。ルーナが度々騒ぎを起こしている男爵令嬢だということも知られているせいか、思ったほどの反応を得られない。
焦ったルーナはさらに言い募った。
「た、確かにお高そうなドレスを不注意でダメにしてしまった私がいけないんです。でも、あんなに何度も必死に謝っても全く聞き入れてくれないなんて……。突き飛ばして罵声をあびせるなんて酷いです……!私が元平民だから、なおさらこんな仕打ちをするんでしょう?グラスまで投げつけられて、危うく頭にぶつかるところでした。私の命なんかより、ルルアンナ様にとってはドレスの方がずっと大事だから……」
必死な表情で事実無根の内容を捲し立てる彼女に、いっそ感心すればいいのだろうか。よくもまあ次から次へと話を捏造できるものである。
ルーナの言葉を不快そうに聞いていたフェリオルドは、黙ったままのルルアンナを見た。
「ルルアンナ、実際のところはどうだ?君の言葉を聞かせてくれ」
「なっ……、私は嘘なんて――」
「今はルルアンナに聞いている。君は黙っていてくれ」
ルーナの言葉を信じていない様子のフェリオルドの言葉に、ルーナが声を上げようとするも鋭く睨まれて言葉に詰まる。そして再び視線で彼に促され、ルルアンナは瞳を伏せるようにして話し始めた。
「飲み物を選んで広間に戻ろうとしたところでルーナ様が来たんです。私に対して何か怒っていらっしゃるようで、すごい剣幕でよく分からないことを捲し立てられました。そしてそのままの勢いで飲み物をドレスにかけられたのです。その後なぜかご自分にも飲み物をかけ、グラスを捨てて座り込み突然悲鳴を上げられました。私、何が何だか分からなくて……」
細い肩を震わせながら話すその姿は、儚くも健気で誰もがその様子を痛ましげに見守っている。そして先程のルーナの説明とは正反対の内容に、人々は疑問の視線をルーナへと向けた。
当然これに内心慌てたのはルーナだ。
「なっ、嘘を言わないでください!またそうやって私を悪者にしようとして、悪事がバレそうだからってそんな誤魔化し…」
「噓つきは君だろう、ルーナ嬢」
ルーナの言葉を遮ってフェリオルドは厳しい視線を向ける。その冷たい視線にルーナの肩が震えた。
「ど、どうしてそんなことを言うんですか?もしかして、ルルアンナ様が婚約者だから庇うのですか?」
「君は私が私情に流され真偽を都合よく捻じ曲げるとでも?」
ルーナのある意味皇族批判とも取れる言葉に、周囲からも厳しい視線が突き刺さる。ルーナは自分が焦るあまり言葉を間違えたことに気づき、顔色を悪くした。
「そ、そんなことは……」
そのまま何も言えなくなるルーナに、フェリオルドは溜息を吐いて話を続ける。
「君はルルアンナが飲み物をかけられて、それに腹を立てやり返したと言うが、ルルアンナの持つグラスの中身はほとんど減っていない」
「それは、私が持っていたグラスをルルアンナ様が奪って残っていた中身を浴びせたからです!」
「そうか、それは少しおかしいな」
「え?」
戸惑うルーナに構わず、フェリオルドはルルアンナの肩をそっと抱き、その手元へと視線を向ける。
「ルルアンナが誤って飲み物をかけた君からグラスを奪ってかけ返したと言うが、彼女の白い手袋は染みひとつなく綺麗なままだ。それに比べて君の方はどうだ?」
そう言われて自分の手を見たルーナはハッと息を呑んだ。飲み物をかけた際に零れたのか、白い手袋が所々紫色に汚れていた。思わず隠すように握り込む。
「君の手袋が汚れているということは、グラスの外側にまで零れた液体が付いていたことになるが、それを奪ってあまつさえ中身をぶちまけたというのに、ルルアンナの手袋が真っ白なままというのはあり得ないことだ。しかももう片方の手にはほとんど中身の減っていないグラスを持ったままで、君を転ばせるほど強く突き飛ばしたなら、こちらも少しくらいは零れてしまうものではないかな」
「……っ」
フェリオルドの言葉に周囲が一気にざわついていく。ルーナは何か言おうとして、しかし何も言い返せなかった。本当にその通りであったからだ。冷静にきちんと見れば誰でもすぐ気づけそうな、あまりにもお粗末な偽装だったが、ルルアンナを悪者にしてやろうと必死だったルーナはそこまで気づけなかった。
「それに君はルルアンナが投げたグラスが頭に当たりそうだったと言ったが、そのグラスが落ちている位置を見ると、どう考えても君に当たりそうだったようには思えないな」
ルルアンナとルーナの間のちょうど真ん中あたりに落ちている紫の雫に濡れたグラスを見て、フェリオルドがとどめのようにそう言うと、ルーナはもう黙って俯くことしかできなかった。
「君がルルアンナにされたと言ったことは、全て君自身がやったことだろう?自作自演でルルアンナに濡れ衣を着せようとは……」
呆れと怒り交じりにフェリオルドが低い声で吐き捨てると、周囲は一層騒がしくなった。
「それじゃあ、さっきの言葉は全て嘘だったということ?」
「我々を欺いてルルアンナ様に罪をかぶせようとするなど…」
「なんという恥知らずなのかしら」
「おかしいと思ったのよ。あのお優しいルルアンナ様がそんなことをなさるなんて」
「男爵家が侯爵家に楯突くなどとんでもないことだ」
次々と聞こえてくる非難の声に、ルーナは拳を震わせた。
(また……またなの?またあの女が庇われて、私が責められるの?)
俯けた顔を怒りに歪ませるルーナに静かな声がかかる。
「ルーナ・トライオン」
一切の感情を感じさせない淡々としたその声にルーナが恐る恐る顔を上げると、声と同様に感情のない顔でフェリオルドが見下ろしていた。
「君は今までにも上位貴族であり次期皇太子妃でもあるルルアンナに対して不敬な態度を取り、さらには事実と異なる悪評まで流していた。そのうえ今回のルルアンナに冤罪をかけようとした悪質な行為は到底看過できない。これ以上私の婚約者を貶めるというのなら黙っているわけにはいかない」
「ま、待ってください。そんなつもりでは…」
「言い訳は聞かない。これ以上問題を起こされては困るからな。追って正式に沙汰を下すが、君にはこの城への立ち入りの禁止と半年間の謹慎を命じる。速やかに退室せよ。……私に対する君の不敬を見逃して処罰を与えなかったことを、今心から後悔している」
「そんな…!お許しください!誤解なんです!私はそんなこと…」
フェリオルドにとり縋ろうとするルーナを控えていた騎士達が素早く抑え、そのまま出口へと連れ出していく。
「皇太子さま!待って!お願い、話を聞いて…!」
引きずられるようにして遠ざかり、やがて姿が見えなくなったルーナを様々な視線が見送った。何とも言えない沈黙がおり、フェリオルドは空気を換えるように小さく息を吐いた。
「ルルアンナ、もっと早くに駆け付けられなくてすまなかった。辛かっただろう」
「フェリオルド様…。いいえ、十分に早く来てくださいました。私のことを真っすぐに信じて下さって、とても嬉しかったです」
ふわりと笑顔でお礼を言うルルアンナに、フェリオルドもようやく口元を少し緩める。そして顔を上げて周囲を見回した。
「皆も、せっかくの収穫祭だというのに騒ぎにしてしまってすまなかった」
「とんでもございません。そもそも殿下には何の責もありませんわ」
「その通りです。冷静に真実を見極め、問題を解決するそのお姿、感服いたしました」
「皇太子殿下は誠に聡明でいらっしゃる。ルルアンナ様への愛情深さも素晴らしい」
騒動を詫びるフェリオルドに対し、貴族達は次々と毅然とした対応への賞賛を贈った。重苦しい雰囲気はすでに消え、フェリオルドは安心したように笑みを浮かべる。
「ありがとう。だいぶ時間が経ってしまったが、残りの時間も存分にパーティを楽しんでくれ」
その言葉を合図に、集まっていた人々はパラパラと散っていき、また思い思いに収穫祭の夜を楽しみ始めた。
「……やれやれ、最後の最後にこんなことになるとは」
それらを見送って、フェリオルドは疲れたように溜息を吐いた。そして肩を抱いたままのルルアンナを見る。
「君に怪我がなくて本当に良かった。…衣装は駄目になってしまったが」
その言葉にルルアンナは自分のドレスを見下ろす。その瞳には確かな悲しみがあった。
「……フェリオ様の瞳とお揃いのとても美しいドレスだったので、本当に残念です」
しょんぼりと肩を落とすルルアンナに、フェリオルドは少し困ったように笑ってその細い体を抱き締めた。
「フェリオ様、お召し物が汚れてしまいますわ」
「別に構わない。それよりも、そんなに落ち込まないでくれ。確かに僕の瞳と同じドレスというのは嬉しかったが、それが無くなってしまっても本物がすぐそばにいるだろう?」
その言葉に思わず顔を上げる彼女に優しく微笑んで、フェリオルドはその額に軽くキスを落とす。
「フェ、フェリオ様……」
「挨拶も一段落したことだし、僕達も残りのパーティを楽しもうか。……夜のデートに付き合ってくれるかい?」
冗談めかしながらも甘く囁いてくるフェリオルドに、悲しみに落ち込んでいたルルアンナの胸は簡単にときめいてしまった。いつだって彼だけが、自分の世界を支配する存在なのだ。
「はい、喜んでお供いたします」
幸せそうに笑うルルアンナを愛おし気に見つめ、その手をそっと取ってフェリオルドは眺めの美しいバルコニーへと彼女をエスコートしていく。
ガラスの扉を抜ける際に、チラリと彼が広間の片隅を振り返り何かの合図を送ったことには、城下の夜景の素晴らしさに目を奪われていたルルアンナは気づくことはなかった。




