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準備は万事抜かりなく


「あの女はいったい何なんだ?」


「殿下、皇太子としての顔が崩壊してますよ」


影からの報告を聞いたフェリオルドの第一声に、ある意味崩壊した原因を作った影が突っ込みを入れる。しかしそんな言葉など聞こえていないかのように、フェリオルドは組んだ手の甲に額を乗せて深い溜息を吐いた。

特別な用事がない限りはルルアンナの周囲を見張らせ定期的に報告を入れるよう指示している影から、少々動きがあったと告げられたのがついさっき。いったい何があったのかと執務をこなしがてら聞いてみれば、もう聞くことはないだろうと思っていた人間の話だった。

それだけでもうんざりだというのに、フェリオルドの大切なルルアンナに初対面のお茶会で無礼を働き、後日鉢合わせした街中でも喧嘩を売っていたと聞けばもう言葉にもならなかった。


「私に対しての行動だけならば、思慮深く温厚な皇太子として厳重注意にとどめ、重い処罰を下すのは見逃してやろうというのに……。まさか反省するどころかルルアンナに敵意を向けるとはな。本当にあの時の私は判断を誤ったようだ」


苛立たし気に吐き捨てるフェリオルドに、影はやれやれといように首を振った。


「まあ、散々周囲から苦言を呈されてましたもんね」


「気が滅入るから思い出させるな」


鋭く睨みつけられ、ようやく影はおちょくるような空気を仕舞う。


「まあ、皇太子としてのイメージが大事なのも、世間に浸透しているイメージを壊さないよう行動するのが大変なのも分かりますが」


「……そうだな。貴族や皇族は時にこういうしがらみがもどかしくなるものだ」


再び大きく深呼吸をして、フェリオルドは自身を落ち着かせた。


「それで、ルルアンナの良くない噂も流していると?」


「ええ、自分を被害者にルルアンナ様のイメージを落とそうとしているようです。まあ、効果のほどは微妙ですが、多少なりとも信じている人間はいるようですね」


「ふん、どうせ皇族や上位貴族と関わりのない下位貴族の中でも下の者達だろう。何の権力も能力もない流されるだけの奴らだ」


「まあ、そうなんですが……。権力はなくとも下位貴族は数が多いので、このまま放置しておくと少々面倒なことになるかもしれませんね」


「もうすぐ収穫祭だろう。夜には貴族達のパーティがある。そこで改めて釘を刺しておくさ。例の女も含めてな」


もはや令嬢とも呼ばないフェリオルドに、よほど腹に据えかねているのだなと影は不憫に思った。それらの面倒ごとのせいで色々な手間が増え、婚約者との時間も削られたのだからその怒りも最もだろう。


「それに、娘だけでなく父親のトライオン男爵も最近は随分と乱暴な商売をしているようだな」


「ああ、金に物を言わせた強引な取引が多いみたいですね。他にも金銭に余裕のない貴族に援助したことを盾に言うことを聞かせているとか。まあそんなことをしているせいで未だに下位貴族としか繋がりは持てないようですが」


「娘が娘なら親も親だな。元平民だったのになぜそこまで傲慢な思考になるのか理解できないが」


「急に貴族という権力を手にして調子に乗っちゃったんじゃないですか?彼らには分不相応なものだったんでしょう」


「違いない。やりすぎるようなら男爵にも忠告が必要だな」


彼らのことを思うと頭が痛いが、フェリオルドのやることは多い。そのことにばかりかまけてはいられないのだ。それにそんな人間達に時間を使うくらいならルルアンナに会いに行く方がずっと有意義である。ここしばらく手紙のやりとりだけで顔を合わせていないため、ストレスが溜まって何かと苛々しがちだった。

そんなフェリオルドを気遣ってか、側近達がスケジュールを調整してくれたおかげで明日はシャレット侯爵家へと訪問する予定になっている。少しの時間だけではあるが愛しい婚約者とようやく会えるのだ。ほぼ収穫祭の打ち合わせで終わってしまうであろう時間は、それでも今の彼にとっては何より待ち望むものであった。




◇◇◇




「皇太子殿下、ようこそいらっしゃいました」


「色々と忙しい時期に急に来てすまないな」


「とんでもございませんわ。娘も楽しみにしていましたもの」


次の日、昼過ぎにシャレット侯爵家を訪れたフェリオルドは出迎えた侯爵夫人であるサラディアと親しげな挨拶を交わしていた。そこへ奥からタタタッと軽い足音が近づいてくる。


「フェリオルド様、遅くなって申し訳ありません」


珍しく急いだ様子のルルアンナが足早に玄関ホールへとやってくる。いつも笑顔でフェリオルドを出迎えてくれる彼女だが、今日は久々に会えるということで丁寧に身支度をしていたところ時間が押してしまったらしい。可愛らしい遅刻理由にもちろんフェリオルドが機嫌を悪くするはずもなく。


「やあ、ルルアンナ。久々に見る君は女神のごとく美しいね。その仕草と表情は天使のような愛らしさだけれど」


「フェ、フェリオルド様……」


顔を合わせるなり満面の笑みでルルアンナの手を取り口づけるフェリオルドに、その言葉にも行動にも照れるやら恥ずかしいやらでルルアンナは頬を赤く染めた。


「あらあら、殿下は相変わらずうちの娘を大切にしてくださっているようで、安心致しましたわ。ルルアンナ、殿下を応接室にご案内して差し上げて」


「はい、どうぞこちらへ」


その様子をニコニコと眺めるサラディアにますます顔を赤らめつつも、ルルアンナはフェリオルドを連れて応接室へと向かった。

いつもより少し華やかに整えられた室内に入ると、ルルアンナ達は二人掛けのソファに並んで腰を掛ける。そのままテーブルに用意されていたお茶を入れ始めたルルアンナの姿を、フェリオルドは嬉しそうに見つめていた。


「フェリオ様、紅茶をどうぞ。私のお気に入りのものです」


「ありがとう、頂くよ」


紅茶を一口飲んでゆっくりと息を吐くと、フェリオルドは改めてルルアンナの顔を見つめた。


「美味しいお茶とルルの笑顔のおかげでようやく一息つけそうだ」


微笑むフェリオルドの顔には僅かに疲れが見えて、ルルアンナは心配そうに眉を下げる。


「フェリオ様、とても疲れていらっしゃるのですね。それほど公務が大変なのですか?」


「まもなく収穫祭だからね。まあ春の準備よりはマシだけれど、他にも色々と問題は尽きないからね。やることは多いんだ」


問題、と聞いてルルアンナの脳裏に浮かんだのは度々騒動を起こしているあの男爵令嬢だった。思わず眉を顰めそうになるが、せっかくのフェリオルドとの貴重な時間をあんな娘のせいで無駄にしたくない。何より彼との話題にその令嬢を出したくなかった。

ルルアンナはお茶菓子のフィナンシェを一つ取ると、そっとフェリオルドの口元へと持っていく。


「甘いものは疲れた時に良いんですよ」


笑顔で差し出された焼き菓子を見て、フッと笑うとフェリオルドはそのままぱくりと一口で食べた。そして紅茶を飲み干すと、ルルアンナの肩に手を回して胸の中へと抱き締める。


「フェリオ様?」


「……ルルといると、本当に心が軽くなるよ。常に頭を悩ませている面倒なことがどうでもよくなる」


囁くような言葉に耳を傾けながら、ルルアンナは広い背中にそっと手を添えた。


「皇族として常に立派であろうと心掛けているつもりだが、こうした瞬間に自分がいかに君に支えられているかを実感するんだ。僕はもうルルの存在なしにはやっていけないな」


弱音と言うほどのものではないが、それでも珍しいフェリオルドの様子に、ルルアンナはフフッと笑ってキュッと抱きしめ返す。


「たとえ微々たるものだとしても、フェリオ様の助けになれているのならとても嬉しいです。あなたの支えとなって共に歩むことが私の誇りであり、特権ですから。こうした姿を見れるのも、私だけでしょう?」


「そうだね。君以外の前でこんなことはできないな。本当は君の前でもいつだって完璧な自分でいたいけど」


「私はこうして色々な姿を見せて下さるほうが嬉しいです」


本当に嬉しそうなルルアンナの様子に少しだけ困ったように笑いながら、フェリオルドは彼女の髪に頬を寄せる。


「収穫祭の準備は順調かい?」


「はい、もうほとんど終わっています」


「そうか。互いの色味を取り入れた衣装、楽しみだね」


「は、はい。でも、少しあからさま過ぎたでしょうか?」


照れつつも少し心配そうなルルアンナにフェリオルドはクスリと笑う。


「はは、あからさまだっていいじゃないか。僕と君が婚約関係なのは周知の事実なんだ。それにこれくらいの方が牽制にもなっていい」


「牽制?」


「僕と君の間には誰も入れないってことさ」


首を傾げるルルアンナの鼻先を軽くツンとつつく。


「それに一部の貴族の間で風紀が乱れているようだからね。秩序を守るためにも正さねばならないと思っていたところだ。収穫祭のパーティは丁度いい機会になる」


そう言って笑うフェリオルドの表情は、ルルアンナに向けるものとは違いどこか鋭さが滲むものであったが、彼女にとってはそれさえもフェリオルドの持つ魅力にしか映らなかった。


「はい、有意義で素敵なパーティにしましょうね」


頭の片隅にチラつく目障りな少女を思い浮かべ、ルルアンナもまたうっそりと微笑んだ。


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