ある少女の思惑(4)
「ちょっとパパ!」
邸に帰ったルーナは父がすでに帰宅していることを知ると、そのまま真っすぐ書斎へと直行した。そしてノックもなしに勢いよく部屋へと踏み入る。
「……ルーナ、前回もだがちゃんとノックをしてこちらの返事を確認してからにしろ。一応仕事中なんだぞ」
「そんなことより、どういうこと!?皇太子さまに婚約者がいるなんて聞いてないんだけど!」
娘の剣幕に何事かと驚いていたトライオン男爵は、その言葉にひとつ瞬きをした。
「ああ、そういえばそんな話も聞いたな」
何でもない事のように言う父親に、ルーナの苛立ちはさらに募る。
「そういえばじゃないでしょ!なんで教えてくれないの!?」
「関係ないと思ったからな」
「はぁ!?」
相当頭にきているのか怒りを隠さない娘に、トライオン男爵は溜息を吐いて手に持っていた書類を置いた。
「いいか、ルーナ。貴族や王族の婚姻などほとんどが政略結婚だ。大国であるこの国の皇族ともなれば尚更だろう」
「それが何なの?」
「聞けば皇太子殿下の婚約も、殿下が幼い時期に家同士の都合で決まったと聞いている」
「……つまり皇太子さまの意思ではないってこと?」
「そういうことだ。だいたいにして政略結婚に愛だの恋だのといった感情は不要だからな。貴族の結婚など家門繁栄のための手段のようなものだ」
父親の言葉にルーナは色々な意味で衝撃を受けていた。平民は恋愛結婚が普通だったため、貴族との価値観の違いに驚いたのだ。
もっとも、最近では貴族でも恋愛結婚をする者はいるし、政略結婚だからといって愛のない冷めきった関係ばかりというわけでもない。トライオン男爵の貴族に対する結婚観は少々偏ったものだった。
「じゃあ、皇太子さまは好きでもない相手と結婚するってこと?小さい時に親が勝手に決めたってだけで?」
「そうだ」
「そんな……いくらこの国を治める皇族だからって、そんなのあんまりだわ!皇太子さまが可哀そう!」
憤慨するルーナにトライオン男爵は言い聞かせるように続ける。
「その通りだ。いくら皇族の義務とは言っても、殿下も人間だ。お前のように殿下を利害関係などではなく、心から大切に思ってくれる存在が必要だとは思わんか?」
「そうよね、私だったら損得なんて関係なしに皇太子さまのために尽くしてみせるわ!」
「帝国では妾や愛人は良い顔をされないが、だからといってそういった存在がないわけではない。不倫など唾棄すべき行為だと言いつつも、裏では秘密の関係を持っていたりするものだ。だからお前も上手くやれば殿下の秘密の恋人くらいはなれるだろう」
「ふぅん、そういうものなのね。でも愛人なんかで終わる気はないわ。皇太子さまの心を奪って私が正式な恋人になるんだから!」
「ふむ……まあ、そこまでいけるかは分からんが、寵愛を奪うことは可能だろう。次期皇帝でもある皇太子がそういった存在を持ったとなれば、この国の一夫一妻というつまらない常識もなくなるかもしれんな」
「え~、それは嫌よ。誰かと恋人や夫を共有するなんて冗談じゃないもの。やっぱり自分の好きな人の相手は自分だけじゃないとね」
そう言いつつ、ルーナの機嫌は先ほどよりも良くなっていた。皇太子を諦める必要がないと分かったからだ。
「それじゃ、私は部屋に戻るわ。これからのことを考えなくちゃ」
「ああ、分かっているとは思うが軽率な真似はしないように」
「はぁい」
そうしてうきうきと部屋に戻ったルーナは、鼻歌を歌いながらソファに座りクッションを抱き締める。
(なんだ、やっぱり私と皇太子さまは結ばれる運命なのよ。その婚約者とかいう女は二人にとってのただの邪魔者ってことでしょ?物語で言うお邪魔虫とか悪役みたいな)
話を聞いた時はショックを受けていたルルアンナの存在も、今のルーナにとっては皇太子との恋を盛り上げるスパイス程度にしか感じられなかった。
まだ小さいうちから勝手に将来の相手を決められていた気の毒な皇太子。自分の意思に関係なく大人になればその相手と結婚しなければならないなんて、とてもつまらない人生だっただろう。そんな存在がいては皇太子という身分上、下手に恋愛も楽しめなかったはずだ。
(でもそれももう終わり。私が皇太子さまの心を癒して、愛し愛される関係になって、本当の恋がどんなに素敵なものか教えてあげるんだから)
傲慢な貴族の女に縛られている彼を自分が解放してあげるのだ。不遇の皇子を自分が幸せにする。まさにそれは物語のヒロインの役目である。
浮かれるルーナの目に、放置したままになっていたお茶会の招待状がチラリと映る。
「そうだわ、こうなったら味方も増やさなくちゃ」
自分はまだ新参者で、貴族の人間達には少々疎まれている。まずはこの現状をどうにかしなくてはならない。
幸いにも手元には、父が繋ぎを作ってきた貴族達からの招待状がある。どれも同じ男爵か子爵などの下位貴族ばかりではあるが、まず受け入れてもらうには同じくらいの爵位の貴族から味方にしていった方がいいだろう。そこから少しずつ幅を広げていけばいいのだ。そうしてたくさんの味方を作り、逆に相手の女の悪評などを流して評判を落としてやればいい。皇太子の婚約者が悪女となれば、きっと皆ふさわしくないと認めはしないだろう。
「うふふ、待っててね。皇太子さま。私があなたを悪女から救い出して幸せにしてあげる」
うっとりと笑みを浮かべると、ルーナはお茶会の招待状をいくつか手に取って吟味し始めるのだった。




