お茶会のその後(1)
エリザ・ハンネスは荒れに荒れていた。
少女らしく可愛らしいデザインで整えられていた部屋は物が散乱し見る影もない。
「なによ!なんなのよあの女っ!」
リボンの付いたクッションを思いっきり床に投げつけてエリザは喚き散らした。ベッドや机の上にあった物は彼女の八つ当たりでほとんどが床に落ちている。
あの屈辱のお茶会から戻った後、エリザは母から散々にお叱りを受けた。今まで領地で身内だけに囲まれて過ごし、蝶よ花よと甘やかされて育ってきたエリザにとって、それは酷くショックなことだった。今までは何をしたって許されたし、そもそもエリザに怒る人間などいなかった。彼女の望みはいつも尊重され、叶えられてきたのだ。
今回だって自分が思ったままに行動しただけだ。それなのに、なぜあんなに責められなければならないのか。
エリザはお茶会で自分に向けられた周囲の冷たい視線を思い出して唇を噛んだ。母はそんなエリザを庇うどころかエリザの頭を下げさせ平謝りするばかりだった。いけないことならばなぜ今までそうと教えてくれなかったのか。今更になってエリザの行動を否定して咎めるなんて。
何より許せないのは皇太子の婚約者だとかいう女だ。あの女のせいでエリザは初めての皇室のお茶会で恥をかく羽目になった。憧れのフェリオルドにもきっと良くない印象を持たれてしまったかもしれない。
「私だけ悪者にして、許せない……」
政略結婚と知って自分と同じように思った人間はいっぱいいるはずなのに、なぜ正直者の自分だけが悪く言われるのか。そう、周りの人間が嘘つきなのだ。自分は間違ってなどいない。
それにエリザは見てしまったのだ。母に連れられてお茶会から帰る時、庭園を出るその瞬間に、ルルアンナが口元にうっすらと笑みを浮かべていたのを。自分にしか見えない絶妙な角度で、あの女はエリザを嘲笑っていた。周囲が聖女のようだと褒めそやす女は、性悪のろくでもない人間なのだ。優しいフェリオルドもきっと騙されているに違いない。もしくは周囲が持つイメージのせいで、あの女の本性を知っていてもどうにもできないのかもしれない。皇太子という立場のせいで、どんなに嫌な相手でも婚約者である以上は仲の良い姿を見せなければならないのだろう。だから本当はあんな女と結婚するのは本心からではないはずだ。
その証拠に、その婚約者相手に大変な無礼を働いたらしいエルザを彼は罰しなかった。ただ注意するだけで許したのだ。真に大切に思っている相手ならそれだけで済ませられるだろうか?それこそ婚約者を愛していない証拠ではないか。
(そうよ。きっとあの女ではなく他の人と結婚したくて私のような者を見逃しているんだわ)
ならばやはり自分と婚約したほうがフェリオルドも幸せなはずだ。許してくれたのだから彼もエリザをそう悪く思ってはいないだろう。自分の考えは間違っていなかったのだ。
「ふふっ……」
さっきまでの嵐のような様子とは一変し、エリザは上機嫌でクッションを拾い上げベッドの上へ寝転がった。
エリザがフェリオルドを初めて見たのは母に連れられて出席した夜会だった。まだ帝都に来たばかりのエリザは片手で数えるほどしかそういった催しには出ておらず、母の陰に隠れるようにして時間を過ごしていた。そんな時にフェリオルドが現れたのだ。主催者に挨拶に来ただけのようで、少し言葉を交わした程度で会場を出て行ってしまったが、その姿はエリザの目に強く焼き付いた。彼を見た瞬間、エリザの世界は鮮やかに色付き始めたのだ。
光を受けて輝く美しい金色の髪に目の覚めるような青い瞳。スラリと高い背に端正で穏やかな顔立ち。品と威厳を兼ね備えたその立ち居振る舞い。まさに彼は完ぺきだった。
領地にいる時、家族も使用人も言っていたではないか。エリザはお姫様なのだと。いつかエリザにピッタリの人が現れるよと。それはきっとフェリオルドのことだったのだ。だってエリザは彼に会ってから、もう他の男の人など視界に入らないのだから。だからエリザが一生懸命アピールすれば彼もエリザを意識してくれるはずだ。そうなれば時間が二人を繋げてくれるだろう。
そこまで考えてエリザは緩む口元を止められなかった。もし想像通りになったら、あの女はどんな顔をするだろうか。今度は自分があの女の悔しそうな顔を見て笑ってやるのだ。
(だいたい、フェリオルド様って呼んだからなんだっていうのよ。呼び捨てにしたわけでもあるまいし。そんなことでいちいち目くじら立てるなんて、心が狭すぎるんじゃないの?)
そんな女より絶対にエリザのほうが皇太子妃としてふさわしいはずだ。爵位は皇太子相手には少し低いかもしれないが、そんなもの愛があればどうとでもなるだろう。
そうと決まれば、何とかしてこれからフェリオルドと出会う機会を増やさなければならない。幸いもうすぐ帝都で毎年行われている大きな催し物があると聞いている。次に彼に会うチャンスがあるとすればその時だろう。それまでに色々と準備をしておく必要がある。
「当日私が一番可愛ければ、フェリオルド様も意識を向けてくれるはずよ」
こんな完璧な計画をあっという間に立てられるなんて、自分は天才かもしれない。エリザは自画自賛して満足げに笑った。
あと少しすれば父も帰ってくるだろう。いつもエリザに甘い父だが、今日のことを聞いて母のように彼女を叱るかもしれない。そのことを考えると面白くないが仕方がない。みんな騙されているのだから。いつかエリザがあの女の本当の姿を暴いて見せれば、目を覚まして自分が悪かったと謝ってくれるだろう。それどころか感謝して尊敬の目で見てくれるかもしれない。
この時、エリザの酷い思い込みを正してくれる者がいなかったことが彼女にとって最大の不幸だったのかもしれない。強引にでも止めてくれる存在がいれば、何の問題もなく今後も平和に過ごしていけただろう。
そんなことはつゆ知らず、自分の考えた計画にひと通り満足すると、エリザは足取り軽く部屋を出て行ったのだった。