邂逅(1)
「どうしよう、迷子になっちゃったかも。お城広すぎるよぉ…」
ぼんやりと薄暗い石造りの廊下に、少女の小さな呟きが落ちる。人気のない周辺はひっそりと静まり返っていた。
少女、ルーナ・トライオンにとって今夜は初めての登城であり、初めての社交パーティであった。行く前はあんなにワクワクと楽しみにしていたのに、今ではその気持ちはどこかへと消えてしまっていた。
ルーナの実家はトライオン商会を営む平凡な商家であった。しかし、ここ数年で父親の事業が成功したことで急成長し、トライオン商会は大商会へと成り上がった。それにより彼女の家は一気に財を成すこととなったのだ。
ルーナの父は商談相手をさらに貴族層にも広げるため、手にした大金で爵位を買った。トライオン家は男爵家となり、一商家の娘だったルーナは男爵令嬢となった。目まぐるしく変わる周囲の環境に驚きつつも、ルーナはこの状況を喜んだ。ただの平民の娘だった自分が、貴族令嬢の仲間入りをしたのだ。昔読んだ物語のお姫様のような世界に自分も行けるのだと。
普段仕事が忙しくてルーナとの時間をあまり取れない父は、その代わりのように娘を甘やかし、大抵の我儘は叶えてくれる。今回の社交デビューともいえるパーティでは目一杯お洒落をしていきたいと言うルーナの要望にも応え、金額を惜しむことなく豪華なドレスや装飾品を買い与えてくれた。それらで着飾った自分は普段の何倍も可愛くて、まさにおとぎ話のお姫様そのものだった。
そうしてご機嫌で出かけた夜会のパーティは、しかしながらルーナが想像していた世界とは違っていた。
さすが皇家主催というべきか、豪華絢爛な会場と集まった貴族達の規模は確かに想像通りであった。上品でありつつも一目で高価と分かる会場の装飾に、色とりどりの花のように煌びやかな衣装を身に纏う大勢の貴族。そして見たこともない美しい料理の数々。想像以上の別世界に、ルーナは圧倒された。
しかし、自分を取り巻く周囲の反応は全く想像通りではなかった。
ルーナは自分が会場へと入ったら、たくさんの人々から声をかけてもらえると思っていた。新しく貴族の仲間入りをした自分を、皆が温かく歓迎してくれるだろうと。
ところが、実際にはルーナに声をかけてくれる者はいなかった。一瞬だけチラリと見て、すぐにルーナを視界から外してしまったり、またはこちらを訝しそうに見ながらひそひそと話している貴族ばかり。どう見ても歓迎されていないことはルーナにも分かった。
(なんで誰も近づいて来ないの?こっちを見てひそひそ話するくらいなら声をかけてくれればいいのに)
物語の世界では、お姫様の周りは好意的な人ばかりで、お姫様は優しい人達に囲まれてとても幸せそうだったのに。自分もその一歩を踏み出したのだと思っていたのに。
ルーナが憧れ、夢見ていた世界は一瞬で崩れてしまった。
実際、彼女がここまで居心地の悪い思いをした理由は、参加していた貴族の大半が上位貴族であったせいだった。皇家主催となれば上位の貴族達は余程の理由がない限り欠席することはなく、皇族に縁遠い下位の貴族達は何か特別な強みを持っているか、上位貴族との伝手でもない限り出席することは難しい。誰もが参加できる国としての行事でもない限り、皇家主催のパーティの紹介状を手に入れることは簡単ではないのだ。
今回ルーナ達が参加できたのは、新たに誕生した貴族の一員としてトライオン家のことを報告する必要があったからだ。ほんの少しの時間ではあったがルーナも彼女の父も皇帝陛下に挨拶を済ませた。あまりの威圧に彼女はほとんど顔を上げられなかったので、どんな相手だったかほぼ覚えていないが。
仮にもっと爵位の近い貴族達が周囲にいたならば、感じる雰囲気も少しは変わっていたかもしれない。しかしほとんどは伝統と高い矜持を持つまさに貴族らしい貴族だったため、平民出身であるルーナ達はあまり良い目で見られなかったのだ。
(パパはパパでさっさと知らない人と話し始めちゃうし)
肝心の父親はというと、商談の繋ぎを作るためにさっそく知らない相手との会話に勤しんでいた。商魂たくましいというか、仕事熱心といえば聞こえはいいが、父は金にがめつく強欲な人間だ。しかし口が上手く相手をその気にさせるのも上手い。ある意味商人は天職なのかもしれない。
それにしても娘が慣れないパーティで肩身の狭い思いをしているというのに、気にもかけないとは薄情な親である。ルーナはしばらく父の方をムッスリと睨んでいたが、自分のことなどすっかり忘れているらしい様子に諦めて時間を潰すことにした。
知り合いも話し相手もいないので壁の花状態になりつつも、初めて見る料理や飲み物を少しずつつまんで何とか時間を潰した。しかし当然味など緊張で分からず、それも中盤になってくるとさすがに辛いものがあった。やることがなくて暇すぎるし、何より周りが交流を楽しんでいる中ずっとひとりぼっちで立っているなんて惨めすぎる。相変わらず父は戻ってこないし、これ以上息の詰まる場所にいたくないルーナは会場をそっと抜け出すことにした。
出入り口には警備らしき人間が立っていたが、特に何も言われなかったためルーナはそのまま廊下を出て適当に進んでいく。眩いほどの光に満ちていた会場内とは違い、人気のない廊下は最低限の明かりだけで少し薄暗かった。しかし今のルーナにはその方が落ち着く気がしてありがたかった。
しばらく気の向くままに進んだ先で、小さめのバルコニーがあることに気づく。ガラスの扉をそっと押すとそのまま開いたため、ルーナは静かに外に出た。
「はぁ……。なんかもう疲れちゃった」
手すりに両腕を乗せるようにして外を眺めながら、ルーナは大きくため息を吐いた。眼下に広がるライトアップされた庭園はとても美しいのに、それを楽しむ気にはなれない。
会場も煌びやかで美しかった。そこにいた人々も着飾って輝いていた。だけど、自分だけがどこか浮いている気がした。同じようにお洒落をしてきたはずなのに、何かが違うのだ。
「やっぱり、平民が貴族の中に入っていくなんて無理なのかな」
父が爵位を買うと聞いた時は驚いたが同時に喜んだ。住まいを帝都に移すと聞いた時も同じだった。何もないあの平凡な村から、ようやく出ていける。あんな退屈な場所なんかじゃなく、夢に見た都会での生活が始まるのだ。野暮ったい村人なんかじゃなく、流行りの物で着飾ったお洒落な人々と友人にだってなれる。
膨らんだ理想の分だけ、現実とのギャップに落胆を覚えた。
そのまましばらくぼうっと外を眺めていたが、いつまでもここにいるわけにもいかない。戻りたくない気持ちをどうにか抑え、そのまま中へと戻った。そこまでは良かったのだが。
「……あれ、どこから来たんだっけ?」
広いうえに同じような内装が続いている廊下をしばらく歩いてみて、ルーナは首を傾げた。何となく来た道だと思う方を辿っていたのだが、曲がり角や分かれ道が想像以上に多く、だんだんと混乱してきてしまった。来るときに周囲をよく確かめず適当に歩いてきたのが仇となった。
(こんなところ一人で歩いてるの見つかって、捕まったりとかしないよね…?)
色んな意味で不安がこみ上げてくるが、立ち止まって待っていても人の気配がしないので意味が無さそうだ。
壁に片手をつきながら恐々と歩き進めていくが、やはり誰もいないし会場らしき部屋も見当たらない。警備でもなんでもいいから誰かいないのかと必死に目を凝らすが、自分の足音以外は何も感じられなかった。心細くなってきたルーナは自然と早足になっていく。
そして場面は冒頭へと戻り、動かし続けた足を一度止めて小さくため息を吐いた時――
「こんな所で何を?」
「ひぃっ!?」
突然かけられた声にルーナは驚いて飛び上がった。まさか本当に捕まるのではと慌てて振り返った彼女は、そのまま大きく目を見開く。
いつの間にそこにいたのか、薄暗いこの場所でも分かるほど上等で煌びやかな衣装を纏い、それに負けないほどに美しい青年が静かに立っていた。




