始まりのお茶会(3)
ルルアンナの名前を呼んだフェリオルドは、振り返った彼女の顔を見てさらに目を見開いた。連れていた側近をその場に置き去りにして足早に近づいていく。
突然の皇太子の登場に、その場にいた者達は思わず背筋を伸ばした。そして次々に頭を下げて皇族に対する礼の姿勢をとる。それらに視線だけで応えながらルルアンナの前まで歩いていくと、優しく肩に手を添えた。
「ルルアンナ、どうして泣いているんだ?悲しいことがあったのかい?」
「フェリオルド様……」
目尻に溜まった涙をそっと拭われ、ルルアンナは思わず縋るようにフェリオルドの胸元に顔を埋める。
このような場で人目も憚らずに触れてきたことに内心驚きながら、フェリオルドはそのまま軽く彼女の肩を抱き、近くにいた者に視線を向けた。
「何があった?」
その言葉に周囲にいた令嬢たちが恐る恐るといった風に口を開く。
「こ、こちらのご令嬢がルルアンナ様を侮辱したのですわ」
「何……?」
険しくなったフェリオルドの視線がエリザとその隣に立つハンネス伯爵夫人に向く。
「ハンネス伯爵家の者か」
顔を見てすぐに気づいたらしいフェリオルドの言葉に、ハンネス伯爵夫人は慌てて膝をついた。
「わ、我が娘が大変な無礼を働き申し訳ございません!しかし、エリザはずっと領地暮らしで世間知らずなところがあり、悪気があったわけでは…」
「まあ、とても酷い言葉を投げかけていたように思いますけれど、あれで悪気がないと仰いますの?」
真っ青な顔で言い訳をするハンネス伯爵夫人に、ルルアンナと親しい令嬢が反論する。
「ルルアンナ、どんなことを言われたんだい?」
フェリオルドに優しく問いかけられたルルアンナは、涙でぬれた瞳のままそっと顔を上げる。
「私と……」
「ああ」
「私とフェリオルド様は、政略結婚だから……。見せかけだけの、愛のない冷たい関係なのだろう、と……っ…」
「……」
「そんな私とでは、フェリオルド様がかわいそうだと言われて…。私はこんなにもフェリオルド様をお慕いしているのに、そのように思われていたことが悲しくて…悔しいのです」
潤んでキラキラと輝く美しいヴァイオレット・サファイアの瞳を見つめ返し、フェリオルドは穏やかに微笑んだ。
「そうか、だが心配することはないよ。ルルアンナの気持ちはきちんと伝わっているから」
「本当に?」
「もちろん。それに私の君への想いもちゃんと分かってくれているだろう?」
「…はい」
照れたように頷くルルアンナに向けるその眼差しは、誰がどう見ても愛情に満ち溢れたものだった。
「さて、それで君はなぜルルアンナにそのような言葉を?」
温かな空気から一転、エリザへと向けられたフェリオルドの視線は冷たく鋭い。頬を染めてフェリオルドの顔を見ていたエリザは途端に顔を強張らせ、ギュッと手を握り締めた。
「あ、あの……申し訳ありませんでした。政略結婚は、その、互いの意志に関係なくするものだって聞いたので、気持ちはないものだと……。わ、私の勝手な思い込みでした。ルルアンナ様を侮辱するつもりはありませんでした。どうかお許しください…!」
声を震わせながら頭を下げる彼女をしばらく見つめていたフェリオルドは、一つ息を吐いて顔を上げるように促した。
「皇太子の婚約者を侮辱するなど、本来ならばしかるべき処分を下すところだが、君はずっと領地にいてあまりものを知らないようだ。夫人に免じて今回だけは大目に見よう。だが、二度目はない」
「は、はいっ!」
「ハンネス伯爵夫人、娘を社交界へ連れ出すのならきちんと教育するように」
「はい、皇太子殿下の寛大な御心に深く感謝いたします」
再び揃って頭を下げた二人は、これ以上留まることもできず足早に庭園を抜けてその場を後にした。
何とも言えない雰囲気が漂う中、フェリオルドは一度大きく咳ばらいをしてから周囲を見回した。
「せっかくの楽しい席に水を差してすまなかったね。だがあなた達のおかげで我が婚約者は必要以上に傷つかずに済んだ。ありがとう。これからもルルアンナと仲良くしてあげてほしい」
「はい!」
「もちろんでございます」
皇太子直々の言葉に皆勢い込んで頷く。それにほっと息を吐いたところで、置き去りにされていた側近が静かに近づいてきた。
「殿下、そろそろ…」
「もうそんな時間か」
フェリオルドは名残惜しげにルルアンナを見る。
「そばにいてあげられなくてすまない。本当はもっと色々話したかったのだが、余計なことに時間を取られてしまった」
「私の方こそ、フェリオルド様のお手を煩わせてしまって…。でも、言ってくださったお言葉、とても嬉しかったです」
「そうか、ならば良かった。次はきちんと時間を取って会いに行こう」
「はい、お待ちしています」
最後にするりとルルアンナの手を取りキスを落とすと、フェリオルドは側近を伴って城の中へと消えていった。
見えなくなった後姿をぼうっと見つめたままのルルアンナの耳に、楽しそうに弾んだ声が飛び込んでくる。
「ご覧になりました?ルルアンナ様を見つめる殿下の表情!愛情が前面に出ておりましたわ!」
「本当に!思わずこちらまで照れてしまいそうでしたわ」
「いつ見ても相思相愛の理想のお二人ですわね。素敵……」
当事者そっちのけではしゃいでいる姿にルルアンナは少し恥ずかしく思いつつもクスリと笑う。
するとそれに気付いた令嬢達が囲むように集まってきた。
「ルルアンナ様、元気になって良かったですわ」
「あのような馬鹿げた言葉、気にしてはいけませんわ」
「…ええ、皆様のおかげでもう大丈夫です」
笑顔を見せるルルアンナに、ひとりが楽しそうに笑う。
「ふふ、でも一番はやはり殿下のおかげですよね。あの甘い笑みと言葉……愛ですわねぇ」
うっとりしながらしみじみと言われて、さすがにそろそろ恥ずかしくなってくる。
「えっと、そういえば今日は皇后陛下も皇女殿下もいらっしゃらないのかしら?挨拶をと思って先ほどから探しているのですがお姿が見当たらなくて」
ルルアンナの突然の話題転換にキョトンとするも、またも令嬢達は特に気にせず乗ってくれた。
「皇后陛下は外せないご予定が入ったとかで今日は皇女殿下がいらっしゃっていたのですが、その皇女殿下も途中で呼ばれて退席してしまいましたの」
「まあ、では皇族の方は誰もいらっしゃらないのね」
「ええ、代わりに皇后陛下付きの侍女数人があれこれと取り計らってくれていますわ」
フェリオルドの母君でもある皇后陛下には、ルルアンナも娘のように可愛がられ良くしてもらっている。妹の第一皇女は活発な少女だがルルアンナに懐いており、お姉様と呼んで慕ってくれている。久々に会えると思っていたのでとても残念だった。
「そういえば先ほどのポケットチーフ、殿下にお渡しにならなくて良かったのですか?せっかくお会いしましたのに」
ふと思い出したように聞かれ、ルルアンナは笑って頷いた。
「ええ、こういった場では少々落ち着きませんし、二人の時に改めてきちんとお渡ししたいの」
「それもそうですわね。あのような出来事もあったばかりですし」
それがいいと皆が頷く。すると一人がウズウズと何か聞きたそうに身を乗り出してきた。
「あの、ルルアンナ様。皇太子殿下に渡すそのチーフのデザイン、何か意味があるのですか?とても素晴らしい刺繍ですが、殿方が使うには確かに少々珍しいデザインだなと思っていましたの」
その言葉にパチリと一度瞬きをしたルルアンナはフフッと小さく笑う。
「あれは特別な意味というか、フェリオルド様がお好きな花を刺繍させていただいているのです」
「まあ、殿下はスズランがお好きなのですか?」
「ええ、清楚で可憐な様がまるで私のようだと仰ってくださって…」
そう言いつつ気恥ずかしそうに俯くルルアンナに、令嬢達は目を輝かせる。
「まあまあ!なんて素敵なお話かしら」
「こんなにお互い想い合っていて、本当に羨ましいですわ」
「私なんだか胸がいっぱいになってきました」
あまりに盛り上がる周囲にルルアンナは内心羞恥でいっぱいであったが、もちろん顔には出さなかった。これは必要なことなのだと自分に言い聞かせる。
「そういうことでしたら、是非ともお二人だけの時にお渡ししなくてはなりませんわね」
「ええ、他人がいる場所でなんて無粋でしたわ」
「殿下もきっとお喜びになりますわ。今日のことなど忘れて素敵な時間をお過ごしくださいね」
全力で自分たちの仲を応援してくれていると分かる彼女たちの様子に、ルルアンナは花が綻ぶような笑みを浮かべた。
「皆様、いつも本当にありがとうございます。私は幸せ者ですわ」
少々予定外の事はあったが、結果的にはルルアンナにとって良い方向へと作用した。彼女とフェリオルドの仲の良さを噂だけでなく実際に見せたことで、より多くの人間が二人の関係に確信を持ったことだろう。今日のお茶会は色々な意味で実に有意義なものだった。
溢れそうな会心の笑みを清楚な笑顔に隠して、ルルアンナはお茶会終了までの時間を楽しんだ。