チェックメイト(2)
アイヴァンの背中を踏み付けるように足蹴にし、冷たく見下ろす様は『聡明で穏やかな皇太子』と噂される面影など微塵もなかった。
「フェリオルド様!」
「…ぐ、……なぜ、皇太子がここに……っ…?」
ルルアンナとアイヴァンが正反対の反応を見せる中、フェリオルドは淡々と言葉を紡ぐ。
「私がここにいることがそんなに不思議か?昨日の夜に視察から戻ってきたのだ。…私が留守にしていた間のお前の振る舞いも耳に入っている」
フェリオルドの言葉に、ギクリとアイヴァンの体が強張る。何とか顔を上げようと必死に首をひねりながらアイヴァンは引き攣るように笑みを浮かべた。
「は、はは……。嫌だなぁ、ちょっとした冗談ですよ。普段は顔を拝見することも稀な方が一人でいるものですから、少しくらいお話したいと思うじゃないですか。それに、そんなのはきっと僕だけじゃな―――」
「お前は冗談で私の婚約者に手を出そうとしたのか?」
踏み付けている足にグッと力が入り、アイヴァンは苦しそうに呻いた。
「ぅぐっ……、こ、こんなマネをしていいんですか?評判の皇太子サマが人を平然と踏み付けているなど、誰かに見られでもしたら…」
「心配は無用だ。今ここは私に近しい直属の騎士しかいない。それに、万が一見られたとしても事情を説明すればたいして問題にはならないだろう。私がどれほどルルアンナを大切にしているか、この帝都で知らない人間などそういないだろうからな」
「フェリオルド様…」
人間ひとり踏み付けにしている婚約者の暴挙は完全にスルーして、ルルアンナはフェリオルドの言葉に頬を染めていた。後ろに控えるミレットも頷くだけで、突っ込める人間は残念ながらいなかった。
「本来ならばさっさと連行したいところだが、ルルアンナが君にまだ用事があるようなのでね」
「…うっ、用事……?」
その言葉にルルアンナがフェリオルドの隣に並ぶようにして進み出る。
「ええ、アイヴァン様には侯爵家を騙って我がシャレット家が支援している孤児院の契約を歪めたことをきちんと認めて頂かないと。印章や契約書を偽造するのももちろん大変な罪ですから」
「……っ」
途端にアイヴァンはグッと口を引き結ぶが、フェリオルドはそれを目を細めて見やる。
「先ほどのお前とルルアンナのやり取りは私もはっきりと聞いていた。よもや皇族たる私に虚偽の内容を述べようなどとは考えていまいな?さらに重い罪が増えるだけだ」
フェリオルドの足元のアイヴァンの体が大きく震えた。ギュッと拳を握り締め、そのままスッと全身から力を抜いていく。
「我々もそう暇ではないのだ。言うならさっさと言うがいい」
「…………は、い。……孤児院の件は、僕がやりました。ちょっとした、嫌がらせのつもりだったんです…」
蚊の鳴くような声でそう告白するアイヴァンに、フェリオルドは重い溜息を吐いた。
「…愚かな。一時の感情で取り返しのつかない罪を犯すとは。お前の一存でしたことは、もはやお前だけの問題ではない。家門同士の問題に発展しているのだ」
「りょ、両親は何も知りません。関わってもいません。僕が勝手に……!」
「そのようなことは関係ない。自分の息子のやらかしに気づかず、普段からも諫めもせず放置していた時点で同罪だろう。責任は取ってもらう」
そんな、と絶望したように項垂れるアイヴァンをルルアンナは何とも言えない目で見つめていた。
彼の家は伯爵家としてそこそこではあったが、家庭内は冷え切っていたといっていい。政略結婚だった夫妻は跡継ぎを残す義務を果たすと互いに愛人を持ち、それぞれ好きに遊び歩いていたようだ。そんな環境で育った彼のことを考えると、何とも苦い思いがこみ上げるが、同情はしない。そのような貴族は残念ながら一定数いるし、彼が家庭環境に恵まれなかったことと、シャレット侯爵家に手を出すことは別問題だ。しかもただの腹いせで可愛い子供達を悲しませたのだから、自業自得でしかない。
「この件に関しては後日正式に侯爵家から書類を送らせて頂きますので、そのつもりでお願いしますね」
ルルアンナの言葉でこの場はとりあえずの幕引きとなった。フェリオルドの足から解放されたアイヴァンは、扉の影から恐々と様子をうかがっていたらしい執事に支えられて、フラフラと家の中へと連れられて行った。
万が一逃亡したりしないよう監視の騎士を残し、ルルアンナ達も停めていた馬車へと引き上げる。ルルアンナはこのままフェリオルドと共に城へ向かうために皇族用の彼の馬車に同乗させてもらい、ミレットには侯爵家の馬車で一足先に報告に戻ってもらうことにした。
「フェリオ様、今回は色々と助けて頂いてありがとうございました」
「父上に話を通しておくことと、あの男との話し合いに立ち会うくらいしかしていないけどね」
「ですが、視察から戻ってきたばかりでお疲れでしょうし、色々とお忙しかったでしょう?」
「ルルの顔を見れただけで疲れなんてどこかに言ってしまうよ。それに君はいつもしっかりしているから、こうしてたまにでも頼られると嬉しいんだ」
「あ…、もしかして、普段の私は可愛げのないつまらない女でしょうか?」
すぐ隣で微笑むフェリオルドに見惚れつつも、彼の言葉に引っかかるものがあっておずおずと聞き返すと、フェリオルドは一瞬目を見開いてからフッと笑った。
「まさか、そんなことはない。聡明で凛々しい君も魅力的だし、誇らしく思う。ただ、僕も男だからね、たまに好きな相手に頼ってほしいなんて思うことがあるんだ。ただのつまらないわがままさ」
少し照れたように視線を逸らすフェリオルドの肩に、ルルアンナはそっともたれかかるように身を寄せた。
「まあ、ご存じなかったのですか?私はいつでもフェリオ様を心の拠り所にしているからこそ、何事にも頑張って取り組んでいけるのです。時間をご一緒する時は私のことを存分に甘やかしてくださるではないですか。だから次からまた頑張ろうと思えるのです」
チラリと見上げると、同じようにこちらを見下ろす青の瞳と視線が重なる。
「それに、あなたの隣に並んでも恥じない存在でいたいのです。あなたのためなら、どんなことでもして差し上げたいと、いつも思っていますから」
ふわりと笑うルルアンナに、長い溜息を吐いてからフェリオルドは彼女をギュッと抱きしめた。
「本当に、君には敵わないよ。あっという間に僕を幸せな気持ちにしてしまうんだから」
「ふふ、とても光栄ですわ」
嬉しそうに笑うルルアンナを愛おしそうに見つめて、フェリオルドはその頬にそっとキスを落とした。




