犯人捜し(2)
孤児院を訪れたその日の夜。明かりを消した薄暗い部屋で、月明かりが差し込む窓際にルルアンナは立っていた。その手には孤児院から持ち帰った二枚の契約書がある。
それぞれを並べるようにして、月の光に透かすように翳して見る。
「…思った通りね」
書き方も内容もほぼ一緒に見える二枚には、一か所だけ明確に違う所があった。それは、サイン部分に押されている印章である。
孤児院に保管してあった契約書の印章は月の光を受けて虹色にキラキラと輝いている。対して業者の人間が所持していた方は何の変化もない普通のインクである。
シャレット侯爵家の印章は特殊な加工が施されており、月の光に翳すと虹色に輝いて浮かび上がる。この秘密を知っているのはシャレット家の人間だけであり、使用人さえも知らない。この特殊加工のおかげで、押された印章が本物かそうでないか容易に判別できるのだ。
つまり、業者の人間が持っていた契約書は間違いなく偽物であり、シャレット家以外の第三者が用意したものだということだ。
ルルアンナは小さくため息を吐いて、持っていた書類を机の上にヒラリと放った。こんな愚かなことを仕出かす人間がいることも、そんな人間のためにこれから自分の時間を割かねばいけないことも、考えただけで頭が痛くなりそうだ。
(時間も労力も、私の全てはフェリオ様のためだけに使いたいのに)
せめて彼の手を煩わせることなくさっさとこの問題を片付けてしまいたい。幸い、自分には他の人間にはない特別な力がある。それを使えば、相手がどこの誰かくらいはそう時間をかけずに突き止められるだろう。そこからきっちりと逃れられない証拠を押さえていけばいい。
もう一度溜息を吐いてチラリと向けた視線の先、放った書類の横に白い封筒が置かれているのが見えた。手に取って顔に近づけると、ふわりと爽やかで優しい香りがする。金のラインで縁取られた高級感のあるこの封筒は、フェリオルドからルルアンナへと届いた手紙だった。視察で離れている間の自分の近況や、ルルアンナを気遣い心配する様子、早く仕事を終わらせて会いに行きたい旨などが綴られていた。書かれたそのひとつひとつの文字からもフェリオルドの想いが伝わってくるようで、ルルアンナは見るたびに喜びと切なさが胸にこみ上げてくる。
「……早くお会いしたいわ、フェリオ様」
愛しい人の残り香を纏うその封筒に、ルルアンナはそっと口づけを落とした。
◇◇◇
翌日、再び孤児院へとやってきたルルアンナは建物に入る前に、周囲を囲むように植えられている木々の元へと足を運んだ。葉が生い茂る枝の隙間に、小鳥たちの姿がちらほらと見え隠れしている。彼らはルルアンナの姿が見えると、まるで挨拶するかのように囀り始めた。
「おはよう、皆。少し聞きたいことがあるのだけどいいかしら?」
そう言って手を差し伸べたルルアンナの指先や肩に次々と小鳥たちが舞い降りていく。
「最近この辺に見慣れない人間が来たかしら?特に子供達に何度も接触しているような人がいたら教えてほしいの。できれば誰に接触したかも」
――――ピチチチッ
「そう、どんな外見だったかは覚えてる?髪とか目の色とか、あとは服装なんかも分かると助かるわ」
――――ピィッピィッ
――――ピルルル
まるで会話しているかのようなその姿は、何も知らない者が見れば奇異に映るだろう。しかしルルアンナは別に独り言を言っているわけでも無意味に話しかけているわけでもない。彼女はきちんと小鳥たちと意思疎通を図っているのだ。それは神の祝福を受ける王族と婚約したことでルルアンナが授かった唯一無二の特別な能力だった。動物と会話ができるというその特殊性ゆえに、能力の内容を知っているのはごく一部ではあるが。
動物達の協力を得られるというのはルルアンナの最大の強みであった。こうして誰にも知られることのない伝手で情報収集も可能である。
「…なるほどね。ありがとう。知りたいことは全部分かったわ。あなた達はとても優秀ね。これは教えてくれたお礼よ」
クッキーを荒く崩したものをそっと地面に重ならないように撒いていくと、小鳥たちは一斉に舞い降りて啄み始める。それを小さく笑って見届けてから、ルルアンナは素早く身を翻して建物へと入っていった。
「ルルアンナ様今日も来てくれたの?」
「やったぁ!遊ぼう!」
ルルアンナを見つけた子供達がさっそく周りへと集まってくる。
「ごめんね、大事な用事があるから少しだけ待っててくれる?」
「やだ!またすぐ帰っちゃうんでしょ?」
「一緒に遊ぶの!」
最近は頻繁に孤児院を訪れてはいたものの、用が済むとすぐに帰ってしまっていたため子供達は不満だったようだ。膨れてしがみつく彼らと視線を合わせるようにルルアンナは腰を屈める。
「寂しい思いをさせてしまっていたのね。大丈夫、今日は用が済んだら皆といっぱい遊ぶわ」
「ほんと?」
「約束だよ」
「ええ、だから少しだけ待っていてね」
素直に離れた子供達の頭を撫でて、ルルアンナは奥の部屋へと進んでいく。賑やかな声が聞こえる部屋の扉をそっと開くと、中では年長の子達がまだ幼い下の子達に絵本の読み聞かせをしていた。大人しく聞いている子、あれこれと質問をする子と実に様々だ。
ルルアンナはぐるりと室内を見回して、部屋の奥に目的の人物を見つける。
「ルディカ、少しいいかしら」
年下の三人に読み聞かせをしていたルディカは少し驚いた顔をしたが、すぐに何かを子供達に言い聞かせてからルルアンナの方へとやってきた。
「こんにちは、ルルアンナ様」
「こんにちは。ごめんなさい、読み聞かせの最中に」
「全然大丈夫ですよ」
いつものように穏やかに笑うルディカに少しホッとして、ルルアンナは今の時間あまり人がいない庭の端へと彼を連れだした。
「あなたに少し聞きたいことがあったの」
「聞きたいことですか?」
子供達がやったのか少々大雑把に花が植えられている花壇を見ながら、ルルアンナは話を切り出した。
「最近、知らない人がここを訪ねてきたんじゃない?」
「!」
驚いたように息を呑むルディカを見て、やはりそうかとルルアンナは確信を得た。
先ほど小鳥達から聞いたのは、ある男が何回か孤児院を訪ねてきており、そのどれも大人には会わずに年長の子供とやり取りをしていた、というものだった。相手の男と子供の特徴を聞いて、ルルアンナはある予想を立てていた。そのうちの一人がルディカだった。
「最近の孤児院の異変について何か知っているんじゃないかと思って。もしそうなら、私に教えてくれないかしら?」
「………」
「大丈夫。最後まできちんと話を聞くしあなたのことを責める気はないわ。もしも何かを抱えているなら、きっと苦しいでしょう?あなたのためにも、皆のためにも、私を信じて話してくれない?」
「………っ…」
顔を俯けて黙っていたルディカは、優しく語り掛けるルルアンナの姿にくしゃりと顔を歪ませた。そのままひとつふたつと涙の粒を零し始めるルディカをルルアンナはそっと抱き締める。
「……うぅ……っ……」
「大丈夫、ゆっくりでいいのよ」
声を押し殺して泣くルディカの頭を撫でながら、ルルアンナは彼の心が落ち着くようにと声をかける。そんなルルアンナの体をギュッと抱きしめ返して、ルディカはぽつりぽつりと小さく話し始めた。
「一か月くらい前に……知らない男の人に、急に声をかけられたんです。…ちょうど、僕と一番下の子のターニャしか、庭にいなくて…」
「うん」
ルディカの話によると、ルディカとターニャが庭で遊んでいたところ、突然見知らぬ男に話しかけられたらしい。最初は友好的に見えた男は、話をするうちにだんだんと態度を変えていったという。不審な男にルディカが動揺しているうちに、いつの間にかもう一人ターニャのそばに男がおり、怪我をさせたくなければ言うことを聞けと脅されたそうだ。不幸なことにこの時周囲には他に誰もおらず、ルディカは助けを求めることができなかった。
「そして、その男に…何でもいいからこの孤児院の契約書を持って来いと言われました…」
もちろんそんなことはできないとルディカは断ったが、ならばターニャを攫って売り飛ばすと彼女の腕を掴んで脅され、泣く泣く従ってしまったということだった。次の日またやってきた男に、保管してあった契約書の一枚を渡してしまったらしい。
「契約書はどうやって?」
「…院長室の棚に保管されていることを知っていました。たまに整理を手伝ったりしていたので。だから、院長先生の目を盗んで、適当に一枚取ったんです……っ」
「それが食料品に関する契約書だったのね…」
これでなぜそっくりの契約書が作られてしまったのかは分かった。
「そのあと、また男が渡した契約書を返しに来て……。このことを誰かに言ったら、目についた子供を片っ端から攫って売り払ってやるって言われて……。僕一人じゃ、あの子たちを守れないから、怖くて、言えなくて……っ」
声を詰まらせながら罪を告白するルディカの姿はあまりに痛々しかった。呼吸しづらそうに震えるその背中を何度も撫でる。
「ごめんなさい……ごめん、なさい……っ……僕の、せいで……!」
「ルディカ……」
悲痛な声で何度も謝罪を繰り返すまだ幼い少年に、ルルアンナは酷く胸を締め付けられた。思わず抱き締める力を強くする。
「あなたのせいじゃないわ。あなたは悪くない。孤児院の子供達を守ろうとしてくれたんだもの」
むしろ醜い大人達の悪意に巻き込まれた被害者といえるだろう。そのせいでこんなにも傷ついているのだ。
「私こそ、すぐに気づいてあげられなくて、助けてあげられなくてごめんなさい」
ルディカの様子がいつもと少し違うことには気づいていた。元気がないようだと感じていた。その時に手を差し伸べてあげなければいけなかったのだ。
あまりにも自分は色々なことを見落とし過ぎている、そう感じたルルアンナは酷い自己嫌悪を覚えていた。色んなことをできるようになった気でいたが、ただの驕りだったようだ。
「…ねえ、ルディカ。少しだけ聞きたいことがあるんだけど」
だが、落ち込んでグダグダとしている暇は自分にはないのだ。悔やむのなら、少しでも多くやれることをやるために立ち止まるべきではない。
「その男の見た目って、―――――じゃなかった?」
「は、はい……、ルルアンナ様の言う通りです」
戸惑いながらも応えたルディカの言葉に、ルルアンナの予想は確信に変わった。こちらに喧嘩を売って色々とやらかしてくれた相手をようやく掴めたのだ。
「ありがとう、あなたのおかげで今回の件は解決することができるわ」
「ほ、本当ですか…?」
「ええ、約束する。だからこれ以上ルディカが責任を感じる必要はないわ。……もう泣かないで」
安心したように再びポロポロと涙をこぼし始めたルディカの背中を、ルルアンナはぽんぽんと優しく叩いた。いつもルディカが下の子達を寝かしつけている時のように。
普段は大人びている子のいつもより幼げな姿を見ながら、どうやってこの借りを返してやろうかとルルアンナは考えを巡らせるのだった。




