最後に微笑む人(2)
「――――――報告は以上です」
「ああ、ご苦労だった」
城の一角にある皇太子の執務室。フェリオルドは一人書類に囲まれて淡々と仕事を片付けていた。
部屋には彼の姿しかないにもかかわらず、もう一人別の人間の声がする。しかしフェリオルドはそれに驚く様子もなく普通に受け答えをする。
「感謝祭についてはこれでようやく一段落ついたな。君は今まで通りの業務に戻ってくれ」
「やれやれ、皇室の影を堂々と私情に使うのはあなたくらいですよ」
「私情じゃない。次期後継者の精神的安寧を保つ大事な任務だ」
フェリオルドと会話をする姿なき人物は皇室付きの影と呼ばれる存在だ。基本的には皇族、主に皇帝陛下に付いてその手足となり、暗殺、諜報、偽装工作など命じられれば何でもこなすプロ集団である。彼らの主は皇帝だが、皇太子であるフェリオルドは五人いるうちの一人を使うことを許可されている。
軽快なやりとりからも分かるように主従というには気安いが、腕は確かなためフェリオルドもそこはあまり気にしない。
「大層な言い方してますけど、別に用事がある時以外は毎日婚約者の様子を観察させて報告って、やってることはストーカーと一緒ですからね」
「全然違うだろう。色々な方面から狙われているルルアンナを守るために、ずっとそばにいられない僕の代わりに頼んでいるんだ」
「その割に聞いてくることは婚約者様が何をしていたか、どんなことを言っていたかの二つですけどね。しかも細かく」
「会いたくても会えない分をそれで補っているんだから許せ」
「本音出た」
会話している間もフェリオルドの書類を捌く手は止まらない。声さえ聞こえなければ、彼が一人黙々と仕事をしているようにしか見えないだろう。
「まあ、今回のトラブルも大事にならなくて良かったですね」
「ああ、あの令嬢の言動を君が見張っていてくれたおかげで事前に準備しておくことができた」
「余計な手間が増えましたけどね。後処理も面倒でしたし」
「そこはまあ…仕方ない。ハンネス伯爵家が素直に応じただけ良しとしよう」
「ごねられたらもっと面倒でしたもんね。正直伯爵夫妻に関しては気の毒だと思いますけど」
「確かに彼ら自身は何もしていないが、一人娘を甘やかしてきちんと教育しなかったこと、その後の暴走を防げなかったことは彼らの責任だ」
フェリオルドの言葉は最もである。保護者としての責任を怠ったことが彼らの一番の不幸だったのかもしれない。
「贅沢さえしなければ伯爵領の中でも十分やっていけるはずですし、あとは様子見でしょう」
何のダメージもなくては罰にならないが、だからといって彼らが貧窮するほどまで追いつめたつもりはない。今後どうなっていくかは彼ら次第なのだ。
「それにしても……」
「なんだ?」
「殿下主催の行事を危うく台無しにされるところだったっていうのに、あまり不機嫌じゃないですね。むしろ良さそうというか」
「ああ……」
不思議そうな声にフェリオルドは小さく笑みを浮かべる。
「そのおかげとまでは言わないが、僕とルルアンナの睦まじさを多くの人に示すことができたからな。ルルアンナとの仲もさらに深まったし」
「あ~、そういやハンカチ見てはニヤニヤしてましたもんね」
呆れたような様子の声にもフェリオルドはどこ吹く風だ。
「スズランが好きとか言ってたらしいですが、本当なんですか?婚約者様のようだとも」
「嘘をついても仕方ないだろう」
「いや~殿下の趣味ってそんなだったかなぁと。婚約者様も普通はバラとかカサブランカとかもっと華やかなものに例えません?もちろんスズランでも似合いますけど」
「なんだ、分かっていないな」
影の言葉にフェリオルドはニヤリと笑う。
「スズランは一見すると小さく可憐で可愛らしいが、その花や根には少量でも死に至るほどの毒がある」
「はあ…」
「儚げで美しい聖女のようでありながら、その実、計算高く目的のためには手段を選ばない。まさにルルアンナにピッタリだと思わないか」
「普通は婚約者がそんな性格だと知ったら引くと思うんですがね」
「何を言う。その行動全てが僕のためだなんてとても健気じゃないか。それを僕に知られたくないと隠しているつもりなのも可愛い。だから彼女が望むのなら、僕は知らないふりをするだけだ」
楽しそうに笑うフェリオルドに、影はドン引きしたように一瞬無言になる。
「それに僕の前では本当に慈悲深く可愛らしいのだから、ただ素直にそれを愛でているだけさ」
「まさか婚約者様もこの国一番の腹黒に本性が知られているとは夢にも思わないでしょうねぇ…」
「失礼だな。いいから君も早く仕事に戻れ」
「はいはい、大人しく様子見に行ってきますよっと」
言葉の後、ふ、と僅かにしていた気配が消える。フェリオルドは軽く息を吐いて背もたれに寄り掛かった。
顔を上げれば、綺麗に畳まれてペン立ての横に置かれたハンカチが目に入る。
「…ルルアンナの本当の姿なんて、僕だけが知っていればいいことだ。どんな彼女でも、逃がすつもりなどないのだから」
フェリオルドはルルアンナからの贈り物であるそのハンカチを手に取ると、美しく刺繍された自身のイニシャル部分にそっと口づけた。
これで春の章は終了となります。ここまで作品を読んでくださりありがとうございました!
夏、秋、冬と季節が一巡りして、ルルアンナとフェリオルドが無事に結婚式を挙げるまでを描いていく予定です。
完結までどうかお付き合い頂けると幸いです。




