最後に微笑む人(1)
帝都の象徴でもあるエーデルシュタイン城には、堅固な作りの地下牢が存在する。限られた人間しか知らないその場所には常に番人が立ち、出入りも厳しくチェックされる。罪人は何重にも鍵がかけられた個室へと振り分けられ、脱出はまず不可能といえた。現にこの地下牢が造られてから逃げ出せた者は一人もいない。
薄暗い空間は奥に行くにしたがって暗さが増していき、最奥ともなればほぼ暗闇に近い。遠くの僅かな明かりと見回りに来る番人が持つランタンだけが頼りだった。
比較的罪の軽い者が収容される入り口付近の牢の中で、エリザは膝を抱えて蹲っていた。手錠や縄こそかけられていないが、暗く冷たい部屋はいるだけで気が滅入ってくる。あれから何日経ったのか時間の感覚も曖昧だった。
(…なんで?なんで私がこんな所にいるの?)
自分はいつも周りから愛されて大切にされてきたはずだ。あの女の本性を暴いて、騙されている皆を助けて。そしてフェリオルドをあの女から解放してあげて、きっと感謝されるだろうと思っていたのに。現実はその真逆だ。
思えばこの帝都に来てからいまいちエリザの行動は上手くいっていなかった。周囲はエリザを褒めてくれないし、失敗をしてもすぐに助けたり慰めたりしてくれない。それどころか日を追うごとにどこか遠巻きにされたり、そっけない態度を取られたりもした。中には口煩く何か言ってくるような者もいたが、そんなふうに言うくらいならそっちが代わりにやってくれればいいのにと思ったものだ。
生まれてからずっと領地で甘やかされてきたエリザは、周囲のそういった反応こそが一般的だということを分かっていなかった。誰か一人でもきちんと叱る者がいれば、現状も少しは変わっていたかもしれない。
もやもやとした気持ちを持て余しているエリザの耳に、コツリコツリと軽い音を響かせる誰かの足音が聞こえてきた。どんどん近づいてくるその音にハッと顔を上げた彼女の目に映ったのは、この状況に追いやった張本人であるルルアンナの姿だった。それだけでカッと頭に血が上ってしまう。
「なっ……!なんであんたがこんな所に!」
「あら、思ったより元気そうですね」
小首をかしげて呟くルルアンナに羞恥と怒りでエリザは真っ赤になった。
「私のことを笑いに来たわけ!?本当にどこまでも悪趣味な女ね!あんたのせいで私はこんな思いをしてるのに!」
品の良い落ち着いた青のドレスを着てこちらを見下ろすルルアンナと、先の騒動でぐしゃぐしゃになったドレスのまま床に這いつくばる自分。彼女にとってこれほど屈辱的なことはなかった。この女はどこまでもエリザを煽りにきている。
当のルルアンナは心外だというように溜息を吐く。
「こんな思いと言われましても、こうなってしまったのはエリザ様ご自身の行動の結果でしょう?それに私もそこまで暇ではありません。あなたの今後が決まったので一足先にお伝えしに来て差し上げましたの」
「は……」
ニコリとほほ笑むルルアンナの言葉に、エリザは口をパクパクとさせることしかできなかった。
「あの後、あなたのご両親がそろって謝罪にいらっしゃいました。でも皆さまとてもお怒りで…。特にフェリオルド様はずっと厳しい態度でした。ですがそれも当然ですよね。国の大切な行事を騒ぎで台無しにする可能性があったのですから。フェリオルド様は感謝祭のほとんどを任されていましたから尚更ですわ。婚約者である私の身も心配してくださっていましたし」
ふふ、と嬉しそうに微笑むさまがエリザに見せつけているようで酷く癪に障る。ギリギリと歯を噛み締めて、しかしエリザは何も言わなかった。
「ハンネス伯爵家への処罰は、我がシャレット侯爵家への3千万リルの慰謝料、領地の一部没収。そして正式な理由がない場合の帝都への立ち入り禁止令です」
「!」
3千万リルはハンネス伯爵領の6年分の収入に値する額だ。今すぐ破産するほどではないが決して安くはない。エリザもそこまでの事情は分からなくとも、非常に高額で用意するのは簡単ではないということくらいは分かる。さらには元から広いほうでもない領地にもかかわらず、その一部を没収されるのだ。おまけに帝都へ立ち入り禁止ともなれば、今後社交をすることも儘ならない。伯爵家の今後が大変であることは目に見えていた。
「ですが、これでもだいぶ軽くして頂いたんですよ。フェリオルド様も陛下達も当初はもっと重い罰を下すことを考えていたんですから」
「なっ…!これ以上ですって!?十分重い罰じゃない!」
「まあ、まさかご自分が仕出かしたことの重大さが未だにお分かりになっていないのかしら?」
「はあ?」
困ったように頬に手を当てるルルアンナに、ここまで追いやっておいてさらに馬鹿にしてくるのかとエリザは苛立たし気に返す。
「伯爵家の令嬢が侯爵家の令嬢に対して好き勝手な言動をし、貴族としての立場を弁えない振る舞いをした。そしてこの国の皇太子の婚約者に対して敬意を示すどころか侮辱するような態度を取り、感情的になってついには手を出そうとした」
ひとつ、ふたつと指を折りながらルルアンナはエリザの罪を挙げていく。
「あなたのしたことは紛れもない不敬罪です。それも上位貴族で、いずれは皇族にも名を連ねるだろう私に対してですから、不敬罪の中でも特に重いと言えるでしょう。爵位自体の没収や、下手をすれば国外追放さえあり得たのです。それらに比べたらかなり温情を頂いたと思いませんか?」
「国外…追放………」
呆然と呟くエリザに、ルルアンナはニコリとほほ笑む。
「それはさすがにお気の毒ですから、私からお願いして差し上げたのです。今までより不便かもしれませんが、全てを失うよりはいいでしょう?ご自身の領地にさえいれば暮らしていけるのですから。これまでずっと療養でこもっていたわけですし、何も変わりませんよね」
「そんな、せっかく社交界デビューして、これからだと思ってたのに……」
俯くエリザの目の前にしゃがみこみ、ルルアンナは殊更に優しく声をかけた。
「私のフェリオルド様に手を出そうなどと、分不相応な望みを持たなければあなたの思い描く未来が待っていましたのにね。立ち止まる機会は何度もあったのに、それを無視して欲のままに走った結果が今ですわ」
「そ、れは……っ」
さっきまでエリザの胸の中を占めていた怒りはいつの間にか消え、今あるのは目の前にいる人間への本能的な恐怖だった。
「私への不敬だけならばここまではしませんでした。でも私からあの方を奪おうというのなら話は別です」
優しく微笑んでいたのが嘘のように、目の前のルルアンナは無表情だった。
「私とフェリオルド様の邪魔をする人間、そして彼の手を煩わせる人間は、どんな手を使っても徹底的に叩き潰して差し上げます」
エリザはもう声も出せず、ただただ震えながら目の前を凝視するしかなかった。とんだ化け物に自分は喧嘩を売ってしまったのだ。
息が詰まる静寂の中、遠くで扉が開くような音が響く。するとルルアンナは静かに立ち上がった。
「それではエリザ様、どうかお元気で。流行りのお洒落もスイーツも、歳の近い友人とのお茶会も楽しむことなく、狭い領地で一生をお過ごしくださいな。そしていつか私とフェリオルド様が幸せな結婚式を挙げるのを、遠くから見守っていてくださいね」
ひどく残酷で、この上なく屈辱的な言葉をエリザへと告げる。
絶句するエリザの耳に、駆けるような軽やかな足音が聞こえてきた。
「お姉様!」
姿を見せたのは、この国の皇女であるミュリエルだった。
「まあ、ミュリエル様。皇女様であるあなたがこんな場所へ来てはいけません」
「それはお姉様もですわ!罪人を気にかけてこのような場所にわざわざ足を運ぶなんて」
「ですが、このような事態になってしまったのは私にも原因がありますし…」
「何言ってるんですか!ルルお姉様に非など微塵もありません。相変わらずお優しすぎですわ」
目の前で繰り広げられる茶番を、エリザはただぼうっと見つめる。
「さ、早くこんな所から出ましょう。お兄様も心配してますわ」
「それはいけませんね。では……エリザ様、失礼します」
心配そうな顔でルルアンナは小さく会釈をし、ミュリエルと連れ立ってその場を後にした。
後には薄暗い静寂と、ぼんやりと俯くエリザだけが残されたのだった。
◇◇◇
後日、ハンネス伯爵家には正式に処罰が下った。たった数日でやつれた様な風貌になってしまった伯爵夫妻は粛々と処罰を受け入れた。何があったのかはほとんどの貴族が知っていたため、彼らに同情する者はあまりいなかった。
そしてそれらの噂はあっという間に帝都中に広まってしまい、居場所のなくなった彼らは屋敷や土地の売却など後始末を済ませると逃げるように街を出て行ったのだった。




