春の感謝祭(7)
息せき切った様子で現れたフェリオルドは、地面に座り込んでいるルルアンナを見てすぐさま駆け寄った。
「ルルアンナ、大丈夫か?怪我は?」
「フェリオルド様……」
フェリオルドの姿を見て安堵したように、その紫の瞳が潤んでいく。そんなルルアンナをフェリオルドはギュッと強く抱きしめた。
「すまなかった。私がそばを離れたばかりに…」
そのままフェリオルドの視線は傍らに呆然と立っていたエリザへと向く。いつになく厳しいその眼差しにエリザは身が竦む思いで口を開いた。
「ち、違う、違います!私は何も……!」
「ここへ来るまでに騒ぎの内容は大まかにだが把握している。君が無関係ということはないはずだが?」
「そ、れは……っ…」
顔色を悪くさせる彼女にかまうことなく、フェリオルドは腕の中にいるルルアンナに目を向ける。
「何があったか言えるかい?」
打って変わって気遣うような優しい声に、ルルアンナは潤んだ瞳のまま小さく頷いた。
「実は、先日エリザ様と感謝祭に着るドレスの件で色々あって…」
「ドレス?」
「ベル・ローズに試作段階のドレスを見に行った際にエリザ様と鉢合わせになり、二着あったうちの片方を譲ってほしいと言われたのです。一度は断ったのですが、譲らなければここを動かないとまで仰るので、お店の迷惑になってもいけないと思い……」
その言葉にフェリオルドはそれぞれのドレスに視線を走らせ、そして気づいた。以前城の裏の湖で感謝祭のドレスについて聞いた時、ルルアンナは二着のドレスで悩んでいると言っていた。クリームイエローとラベンダー。今まさに二人が来ているドレスの色と同じだ。
それが何を意味するのかなど、ルルアンナに聞くまでもなく分かることだった。
「お譲りしたときは喜んでいらっしゃったのに、なぜか今日お会いした時は怒っていらして…。私、何かしてしまったのでしょうか」
悲しそうに俯くルルアンナの背中をフェリオルドが優しく撫でていると、近くにいた女性がおずおずと口を開いた。
「あの、私ずっと見ていましたが、ルルアンナ様は何もしていません。そこのご令嬢が突然ルルアンナ様に怒鳴って掴みかかったんです」
「僕も見ました。すごい剣幕でルルアンナ様を一方的に責めていて、いったい何事かと」
次々と声を上げる周囲の人々に、エリザはさらに顔色を悪くさせた。
(何でわざわざそんなことを言うのよ!あんた達には何も関係ないんだから黙ってなさいよっ!)
黙って聞いていたフェリオルドがジロリとエリザを見やる。
「つまり、君はルルアンナのドレスを強引に奪ったあげく、理不尽に彼女に絡んで手を出したということか?伯爵令嬢の君が、侯爵令嬢であり次期皇太子妃でもある彼女に?」
「ち、違うんです!フェリオルド様は誤解されていらっしゃいます!」
「私が何を誤解していると?」
訝しげに尋ねるフェリオルドに、エリザはこうなった以上ルルアンナの本性を暴露するしかないと考えた。予定とはだいぶ違うが、ここで自分の潔白を証明しなければ危ういのは自分の方だ。
「その人はフェリオルド様が思っているような女性ではありません。世間の聖女のようだという評判も間違いです。本当は陰で人のことを陥れてあざ笑う悪魔のような人間なのです。こうして私が悪者にされて非難を浴びているのも、その人が私を卑怯な手で嵌めたからです!」
「……何?」
「皆様はいいように騙されているだけなのです。どうか目を覚ましてください!」
いつの間にか辺りは静まり返り、エリザの熱弁する声だけが響いていた。周囲の人々が自分の言葉に聞き入っているのだと確信したエリザは、とうとう悪女の正体を暴いてやったと得意げな笑みを浮かべながらルルアンナを見た。しかしその表情に目を見開く。
さぞ焦っているか、悔し気に顔を歪めているだろうと思っていたその顔は、おかしそうに笑っていたのだ。口元に手をやり、エリザ以外には見えないように絶妙な角度で隠されているその唇は、確かに楽しそうに弧を描いていた。
その理由を考えようとするエリザの思考を遮るように、底冷えするような低い声が割り込んできた。
「お前、今なんと言った」
「え……」
「答えよ。今なんと言ったのだ」
ルルアンナからフェリオルドに視線を戻したエリザは、まるで相手を射殺してしまいそうなほどに鋭いその眼光に息を呑んだ。冴え冴えとした青い瞳には明確な敵意と嫌悪が滲み出ており、その冷たさは今までの比ではなかった。彼は今はっきりとエリザに対して怒りを露わにしているのだ。
張り詰めた空気に気圧され、何も言えないでいるエリザをフェリオルドはさらに問い詰める。その口調は今までのような丁寧で穏やかな口調ではなかった。
「ルルアンナを、私の大切な婚約者を悪魔と言ったのか。彼女の思いやりや優しさを偽りだと、皆を騙す卑怯な人間だと」
「あ……っ…」
何か言わなければと思うのに、喉を絞められているかのようにエリザの口からは声が出てこない。
「己の身勝手で非常識な振る舞いを棚に上げ、お前の横暴な行いにすら慈悲を示したルルアンナに対するその態度。とても看過できるものではない。未来の皇太子妃に対し暴言を吐いて手まで上げておきながら、反省するどころか悪魔などと貶めようとするとは。どれだけの不敬を重ねれば気が済むのか」
それこそ誤解だと言いたいのに、周りを囲む人々はその言葉に同調するようにエリザを責めるような目で見ている。
「一度の過ちと思い前回は見逃したが、どうやら意味はなかったようだ。やり直す機会を与えたというのに、悔い改めることなく無駄にするとは。平然と他人を貶める卑怯な悪魔は、ルルアンナではなくお前だ」
なぜ。なぜこんなことになっているのか。こんなふうに悪者として晒され責められるのは、自分ではなくてあの性悪女のはずなのに。笑っている顔に、こちらを見下している目に、どうして誰も気付かないのか。
気付けばエリザの両脇にはいつのまにか城の兵士が立っており、何かを言う間もなく腕を拘束される。
「次期皇太子妃であり、伯爵家より上位である侯爵家令嬢への数々の侮辱は許されるものではない。処罰を言い渡されるまでの間、己の罪を振り返り反省するがいい。……連れていけ」
「お、お待ちください!私は間違ったことなど…っ…。ちょっと、放してよ!」
なんとか抵抗しようとするも、連行する兵士達の力は強く、エリザはずるずると引きずられていく。必死に後ろを振り返っても、目に映るのは罪人を見るような視線ばかり。フェリオルドに至ってはエリザを見てもいなかった。
その美しい青に労わるように見つめられているのは、エリザをこんな状況に追いやった悪魔のようなあの女。フェリオルドに優しく頬を撫でられ、安堵したような表情を浮かべてその手にすり寄るように身を寄せている。そうしてうっとりとフェリオルドを見ていた視線がゆっくりと動きやがてエリザを捉えると、その目元が弓なりに細まる。
彼の胸元にもたれるように顔の向きを変えて、可憐な唇が緩慢に開かれる。
ご く ろ う さ ま で し た
その表情と言葉で、エリザはようやく察した。最初から何もかも、全てはあの女の手のひらの上だったのだと。自分はただ、都合よく踊らされただけ。
そして用済みとなった今、惨めに捨てられただけだと。
「――――――――っ!!」
一人の愚かな少女の声にならない絶叫が、空へと吸い込まれるように消えていった。




