始まりのお茶会(1)
ヴァイスナー帝国。いくつもの王国や公国からなるこの大陸唯一にして最大の帝国である。
自然豊かで広大な大地と、海に面した広い海岸が広がる楽園の地と名高いこの国とは、支配下にない近隣の国々もそのほとんどが何かしらの条約や同盟を結んでおり、その強大さに畏敬の念さえ抱かれている。
これだけを聞くとまるで好戦的な侵略国家のようだが決してそうではない。
帝国は元は皇国であり、神々より直接領地を賜った最初の国であった。ここから徐々に外へと人々が流れ、それぞれの国を興したと言われている。
その頃はまだ皇国も他の国々も規模にそう大差はなかった。しかし、始まりの地として文明が栄え、人も国土も豊かな皇国を取り込まんと後からできた国々が戦争を仕掛けていった。経済的にも人材的にも他国より勝る皇国は攻めてきた国を次々と下し属国にしていった。
そうして今の強大な帝国ができたのである。その際に国名も皇国から帝国となった。
今となってはこの国に剣の先を向けるような国はおらず、大陸の秩序を守る守護者的存在となっている。
そして、この国には領地を賜ったときより神から授けられた加護があった。特に人間を愛したという神の一人から贈られたその加護は、代々皇族へと受け継がれており、それによって帝国は現在に至るまで盤石な国家を築き続けているという。
「まあ、ルルアンナ様がいらっしゃったわ」
「相変わらずなんてお美しいのかしら」
開始時間よりほんの少し遅れて、ルルアンナは皇室主催のお茶会が開かれている庭園へと足を踏み入れた。途端にそれまでの騒めきが異なるものへと変化する。フェリオルドとのひと時が心地良すぎてうっかり遅刻したなどとは悟らせることなく、ルルアンナはふわりと優雅な笑みを浮かべた。
「皆様、御機嫌よう」
彼女が皇太子の婚約者であるということは国内では当然ながら有名な話である。緩やかに波打つ透けるようなプラチナブロンドの長い髪に、神秘的なヴァイオレットの瞳は色白の肌と相まって神聖さと儚さを感じさせ、その美しさから帝国の女神とも囁かれている。眉目秀麗な皇太子と並んだ様は人々が憧れるまさに理想のカップルだった。
もちろんそれらの印象は幼少期からルルアンナが努力して作り続けたものであるが、そんなことは誰も知らない。
「ルルアンナ様、本日もお会いできて嬉しいですわ」
「お元気でいらっしゃいましたか?」
数人の令嬢がルルアンナのそばへ来て挨拶をする。彼女達はルルアンナが婚約者となって間もない頃からずっとシャレット家を支持してくれていた家門であり、他の貴族よりも特に親しくしていた。
今ではほとんどの貴族が好意的だが、ルルアンナが幼い頃は彼女の立場にとって代わろうとする者達も多かったのだ。今でも一部の貴族達はルルアンナを内心良く思ってはいない。それはルルアンナがどれほど模範的で非の打ち所がない令嬢であっても変わらないことであり、皇太子妃候補の宿命であった。
そんな隙あらば狙ってくる者たちに奪われないよう、ルルアンナはフェリオルドの隣をずっと守り続けてきたのである。
「あなた達もお元気そうね。今日は会えて嬉しいわ」
近くのテーブルに自然と皆で移動しながらお互いの近況について語り合う。ちなみにこのお茶会は、庭園の花々をより近くで楽しんでほしいという趣旨から立食形式となっており、間隔をあけてあちこちにお茶やスイーツの乗ったテーブルが置かれている。
「殿下との仲睦まじいご様子はこちらにまでお話が届いておりますわ」
「先日は森の視察に同行して湖デートをしたのだとか」
「まあ……そんな話まで?」
つい先日のちょっとした出来事まで把握されていることにルルアンナは恥ずかしそうに口元を押さえた。いくらなんでも情報が早すぎやしないだろうか。しかも帝国の重大ニュースならともかく、ただの己の交際事情である。
「私達にとってはとても大切なことですわ」
「おふたりの仲を常に応援して見守るのが使命ですから」
力説する彼女達の情報収集能力は確かに秀でており、ルルアンナ自身助けられたことも何度かある。たまに使いどころに疑問を覚えることはあれど、それでも彼女達の熱意のこもった言葉は嬉しいものだった。
「ふふ、ありがとう。皆様のご厚意に報いるためにも、これからも精進してまいりますわね」
「常に努力を忘れないその姿勢、本当にご立派ですわ」
「ですがこれ以上素敵になられてしまっては、誰の手も届かなくなってしまいそうです」
しかしあまりにも褒められると喜びを通り越して恥ずかしさのほうが勝ってくる。
ルルアンナは話題を変えようと軽く咳払いをした。
「そういえば、皆様は今日は刺繍の品はお持ちなのかしら?」
我ながらだいぶ強引な話題転換だと思ったが、彼女たちはパッと表情を変えて話に乗ってきた。
「もちろんです。この前ようやく完成しましたの」
「私は少々手先が不器用で…。でもあと少しでなんとかなりそうです」
「ルルアンナ様はお裁縫もお上手でいらっしゃるんでしょう?」
それぞれ小ぶりなバッグから刺繍を施した品々を取り出す。
すると、それを見て周りで様子をうかがっていた令嬢達もそばへと集まってきた。
「ルルアンナ様の作品、ぜひ見たいですわ」
「よろしければ参考にさせて頂けませんか?」
あっという間に人の輪ができてしまい、口々に声をかけられてルルアンナは少し困ったように苦笑してみせた。
というのも、最近貴族の令嬢達の間で家族や婚約者など大切な人に刺繍した物を贈るというのが流行っており、お茶会の際にはこうして互いの物を見せ合うのが恒例になっているのだ。苦手な者が得意な者にアドバイスを求めたり、アイディアを出し合ったりと社交のきっかけにもなっている。
ルルアンナは淑女の嗜みとして刺繍の腕は徹底的に磨いた。始めた頃は指が傷だらけになったものだが今ではそれもいい思い出だ。
「私も昨日ようやく完成しましたの。皆様のお手本となるほどの出来ではなくて申し訳ないのですが…」
ルルアンナも持参したものを取り出し、刺繍部分が見えるように広げてみせる。
「これは、スズランでしょうか?」
「細部までとても丁寧に刺繍されていて素晴らしいですわ」
「この品はポケットチーフですよね。もしかして殿下に?」
手元を覗き込んだ令嬢たちが次々に感想を口にする。贈る相手に気付いた一人に尋ねられ、ルルアンナは照れたように少し視線を伏せた。
「ええ、私のお手製の物が欲しいと仰ってくださったので、どうせなら常に身に着けられるものをと思いまして…」
恥ずかしそうに、しかしどこか嬉しそうに笑うその姿に、周りの視線が微笑ましいものになる。
辺りに和やかな空気が漂い始め、令嬢たちが各々の作品を手に互いに交流を図り始めた時だった。
「あなたがフェリオルド様の婚約者の人ですか?」
突然聞こえてきた場の雰囲気にそぐわないほど軽やかな声。
ルルアンナが振り返った先には、見慣れない令嬢が笑みを浮かべて立っていた。