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春風はそれぞれの思惑を乗せて(2)


ヴァイスナー帝国が誇る唯一の城、エーデルシュタイン城。国の要でもあるこの城は防衛に重きを置いた堅牢な造りで、最後の砦となるにふさわしい重厚な佇まいを見せている。

そんな皇族が住まう城の一角、皇太子であるフェリオルドの執務室では連日のように慌ただしく人々が行き交っていた。


「殿下、こちらの書類の確認をお願いします」


「ああ、そこに置いておいてくれ」


「殿下、当日の警備について騎士団長が確認しておきたいことがあるそうですが」


「後で時間を見て行くと伝えておいてくれるか」


入れ替わり立ち代わり準備に携わる人間がやってきて、次々とフェリオルドに声をかけていく。そのひとつひとつに返事を返しながらも彼が手を止めることはない。

いつもはどちらかというと静かで落ち着いた雰囲気の城がこれほど騒がしく、皇族たちも忙しくしているのは近々行われる春の感謝祭の準備に追われているからである。特にフェリオルドは皇太子としてこの行事の主体となって動かなければならないため、他の皇族よりも激務となっていた。年に二回行われる祝典、『春の感謝祭』と『秋の収穫祭』は皇太子が取り仕切るのが慣例となっているのだ。もちろん重要なものや諸々の最終決定は父である皇帝陛下のチェックが必要だが、あくまでそれは不足や不備がないかの確認のようなものだ。国にとって重要なこれらの行事を無事にやり遂げることで、皇太子として一人前と認められ、皇帝、皇后の両陛下が担っている政務の一部を任せられるようになる。そしてその責任に伴い、様々な権限を得るのだ。

今回の仕事を完璧に遂行し一人前と認めてもらえたら、フェリオルドはルルアンナに改めてプロポーズをして、彼女の成人と同時に結婚式を挙げるつもりでいる。すでに将来を誓った仲ではあるが、この婚約自体は家同士による政略的な意味合いが強い。そうではなく、フェリオルド自身のルルアンナに対する想いをはっきりとした形で伝えたいのだ。結婚の時期もあまり遅いのは支障が出るが、成人後から二、三年の範囲で本人たちの意思に任せられている。フェリオルドはルルアンナが成人したらすぐにでも彼女と式を挙げたかった。しかし半端な自分のままでルルアンナを伴侶とするのはフェリオルド自身が許せない。そのため今回の感謝祭は何としても成功させなければならないのだ。

正直連日の仕事の多さで疲労困憊状態であり、さすがのフェリオルドも中々にきついものがあった。しかし望むもののために妥協はできない。


「殿下、城と広場を飾る花の予算許可は下りたので予定通りに手配しておきますね」


「ああ、ありがとうフィニアン。相変わらず仕事が早くて助かる」


「まあ、それが取り得ですからね」


分厚い書類の束を手に入ってきたのは、ルルアンナの兄でありフェリオルドの右腕とも噂されているフィニアン・シャレットだった。剣の腕はまあまあだが武闘派というよりは頭脳派であり、記憶力も良く頭の回転も速いためフェリオルドには頼りにされている。自他共に認める重度のシスコンのためルルアンナが関わると頭のネジがいくつか外れてしまうのが玉に瑕だが、普段は非常に有能な男である。


「この後ですが―――」


「殿下!お忙しいところすみません。祝典の準備とは関係がないのですが、北の領地にあるいくつかの街から陳情書が次々と届いているようで…」


フィニアンの言葉を遮るようにして、一人の若い文官が急ぎ足でやってくる。その腕には分厚い紙の束が抱えられていた。


「おい、殿下は祝典関連の業務で休む暇もないほどお忙しいんだぞ。ただでさえ人手も足りなくてギリギリだというのに」


「そ、それは承知しているのですが…」


近くにいた別の文官が咎めるように言うと、報告に来た文官は困ったように言葉を途切れさせて、手元の書類に視線を落とした。

そんな彼らをフェリオルドは軽く右手を挙げて止める。


「いや、いいんだ。その陳情書をこちらに置いてくれ」


「し、しかし、これ以上業務が増えては殿下のお体に障りが…」


「心配してくれてありがとう。しかし陳情書とは民達の声だ。何か困ったことがあり、助けを必要としているならば後回しにはできない。祝典の準備で忙しいだなどと、毎日を懸命に生きている彼らには関係がないのだからな」


穏やかに諭すような彼の言葉に、文官達はハッとして恥じ入るように頭を下げた。


「殿下の仰る通りです。忙しさのあまり道理を見失うところでした。差し出がましいことを致しまして申し訳ありません」


「私も報告の際にもう少し周りに配慮するべきでした」


「謝ることはない。私を気遣ってのことだと分かっている。こちらこそ大量の仕事を連日押し付けてしまってすまないな。なんとか回っているのも君達のおかげだ。あと少し、よろしく頼む」


「「はい!」」


フェリオルドの言葉に背筋を伸ばし、文官達はやる気に満ちた顔でそれぞれ戻っていった。


「さすがですねぇ。誠実で聡明な未来の賢帝と名高いだけはある」


一部始終を眺めていたフィニアンが呆れ半分、関心半分といった様子でフェリオルドを見やる。


「部下を労うのもいいですが、ご自分も少し休憩してはどうですか?騎士団長の所に行くとか言ってましたけど、わざわざ殿下が出向かずともこちらに呼べばいいじゃないですか」


「いや、少し体を動かしたほうが気分転換にもなるからな」


フィニアンにジトっとした目で手元を睨まれたため、仕方なくペンを置く。手を止めてみると思っていた以上に指に痺れるような疲労感があり、プラプラとほぐすように手を振った。ついでにグッと伸びをしてから息を吐いて背もたれに体を預けると、机の右上に畳んで置いてあった青い布が目に入る。先日ルルアンナから貰ったポケットチーフだ。

なんとはなしにそれを手に取って眺めると、ふわりといつもルルアンナからする優しい花の香りを微かに感じる。無意識に口元が緩んでいたのか、フィニアンには不思議そうに首を傾げられた。


「その布がどうかしたんですか?なんだか嬉しそうですが」


「ああ、これは先日ルルアンナから貰ったんだ。私のために刺繍をしてくれたと」


「なにっ!?ルルアンナから!?」


途端にすっ飛んできて顔を近づけまじまじと凝視するフィニアンにフェリオルドは思わずのけ反る。妹が絡むとすぐこれであるから困ったものだ。

そんなことを思うフェリオルドもあまり人のことを言えなかったりするのだが、本人に自覚はない。


「忙しくて会えない分、これを自分だと思ってくれとね。本当に健気で可愛らしいよ」


「くっ……!ルルアンナが健気で慈愛に満ちて誰よりも可愛いことなんて知っています!僕のほうがずっとそばであの子を見守ってきたんですから!」


憚ることなく婚約者に張り合う兄を見て、皆関わるまいと足早にそばを通り過ぎていき、気づけばあんなに忙しなかった執務室はフェリオルドとフィニアンだけになっていた。ようやく休憩を取ろうとしている皇太子に気を使った結果であり、決して面倒な奴に絡まれる前に避難しようなどと思ったわけではない。

幸せそうにポケットチーフを眺めるフェリオルドを見て、「僕だって頼めば喜んで作ってくれるはずだ」とフィニアンは恨めし気にブツブツと呟く。


「それに移り香なのかこのチーフからはルルアンナの香りがするんだ。そのおかげで苛々している時や疲れている時でもすぐに落ち着くことができる」


「…その発言は喜ぶべきか警戒するべきか微妙なところですね」


フェリオルドの発言に何とも言えない顔をするフィニアンに、自身の言葉が少々まずかったかとフェリオルドも苦笑する。変質者の気があると思われては堪らない。


「警戒されるのは困るな。私がルルアンナを悲しませるようなことをするわけがないと分かっているだろう?」


「まあ、大事にして頂いていることには感謝していますよ。じゃなきゃ何が何でも婚約なんて阻止しましたからね」


無駄に頭が回るこの男なら本当にやりかねないのが怖いところである。無論フェリオルドはそのような隙を見せたりはしないが。


「この前のお茶会の話も聞きました。ルルアンナを助けてくださってありがとうございます」


「いや、むしろ助けに入るのが遅れてすまないと思っている。まさか母上も妹も席を外していたとは思わなかった」


フィニアンの言葉にフェリオルドは苦々しく首を振る。これは本心だった。たまたま時間ができて寄ってみたからいいものの、もしそうしていなければルルアンナがどんなに傷ついてしまっていたか分からない。


「件の令嬢は厳重注意でその場は許したそうですね」


「ああ…許したというか、もう一度だけ機会を与えたというところか。君にとっては不服かもしれないが、領地から出てきた右も左も分からないご令嬢を一度の過ちで厳しく処罰するというのも、逆に体裁が悪い。実際に危害を加えたというわけでもないから、あのくらいが精々だ。私自身も不服ではあるが」


皇族というものは己の感情だけで動くことはできないし、臣下や帝国民の忠誠や支持を失わないために悪いイメージを持たれることもできる限り避けなければならない。権力があるが故にままならないことも多いものだとフェリオルドはため息を吐いた。


「まぁ不服であることは否定はしませんが。大切なルルアンナを身勝手に傷つけておいて何の咎めもないのですから。しかし殿下の立場も理解できますからね。もう過ぎたことですし、ルルアンナへのフォローもしてくださったようですから僕からは何も言いませんよ」


仕方なさそうな顔をしつつも理解を示すフィニアンにフェリオルドも眉を下げて笑う。


「しかし、話に聞いたその令嬢とやらはずいぶんと我儘でものを知らないそうですが…。甘やかされて育ったなら尚のこと、機会を与えられたという意味を理解できるとは思えないんですがね。処罰もなしではたいして反省もしないのでは?」


暗に温情をかけても無駄ではないかと問うフィニアンの言葉に、フェリオルドは机に両肘をついて口元で手を組み、その表情を隠した。


「さぁ、そこまではこちらとしてもどうしようもないな。彼女の今後の行動次第だ。反省して態度を改めるならよし。そうでないなら…」


そのあとの言葉は明言しなかったが、どうなるかなど火を見るよりも明らかである。やはり今回のことをフェリオルドも内心ではかなり怒っているのかもしれないが、隠された口元が笑っているのか、それとも無表情なのか、フィニアンからは読み取ることができなかった。


「ふん、まあもしそうなったとして、自業自得ですから誰も同情などしないでしょうね」


「ああ、私もはっきりと次はないと言いおいてあるからな。ご家族がきちんと手綱を握り躾け直してくれることを祈るばかりだよ」


ニコリと笑うその表情と発言が嚙み合っておらず、本当にそう思っているのかとフィニアンは胡乱げにフェリオルドを見やった。穏やかで優しいと評判のこの皇太子が時には食えない人間となることをフィニアンは知っているのだ。それが皇太子として生きるうえで必要であることも。


「ハンネス家がどうなろうと知ったことではないですが、大事な感謝祭を台無しにされてはたまりませんからね。確実に成功させるために備えはきっちりしておかなくては」


持っていた書類を仕分けしてからフェリオルドの机にきちっと並べ、確認の済んだサイン済みの書類を揃えて回収していく。

フィニアンが入室して、気付けば二十分が経過していた。休憩としては十分だろう。


「そのためにもあと少し、キリキリ動いてもらいますよ」


「全く、休ませたいのか働かせたいのかよく分からないな」


フッと笑ってフェリオルドも追加された書類を手に取る。踏ん張らなければならないのもあと少しだ。

今年の祝いの季節は、春の嵐と共に大きな変化を運んでくる、そんな予感がしていた。


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