鏡に呪うよりも 1.
1.
高校二年生、乙倉龍平が通っている、とある地方の田舎にある県立X高校は、所謂“自称進学校”だった。
より進学実績に優れた同学区内の高偏差値校や高等専門学校、それらを諦めた中学生が“消去法で”X高校を選ぶという傾向があった。
学校側は国公立大学への進学率を上昇させるべく数々の施策を打ち出していたが、それらが上手くいっているとは言い難い状況が続いている。
X高校に限らず、この地域の高校生は地元志向がかなり強い。
入学後の早い段階で、遠方で一人暮らしをしなければならない国公立大学は諦めて、実家から通えて且つ難易度も手頃な、近隣の私立のマンモス大学に照準を絞ってしまう生徒が多く存在する。
乙倉が思うに、X高校の特色としては、『課外授業の多さ』と『特クラの存在感の強さ』が挙げられる。
まず、課外授業の多さ。
例えば、夏休み中もお盆期間を除いて、平日は毎日課外授業が行われる。
その課外授業の内容は、実質的には通常授業と変わりないので、生徒はいつも通り、その課外授業のための予習を毎日していかなければならない。
そのあまりに長すぎる拘束時間に不満を持つ生徒は多い。
他校の生徒と話しているときに、「自分らは“社畜”だから 苦笑」と自虐するX高生もいるくらいだった。
学校に通わせてもらっている学生の身分で社畜を自称するというのはなんともおかしな話であるが、その言わんとしているところは乙倉にも分かる気がした。
もう一つ、特クラの存在感の強さ。
本来、X高校は全生徒が普通科という同一区分に所属する、単科高校だ。
しかし実質的には、毎年度の進級時に、各学年の成績優秀者のみを集めた事実上の特別進学クラス、通称“特クラ”が文系理系それぞれ一クラスずつ設定されるということが、生徒間では暗黙の了解となっていた。
乙倉が思うに、特クラを設定して生徒間の競争心を刺激するというテコ入れ策は同県内のあらゆる公立高校で見られるものだし、それ自体がおかしいことだとは思わない。
ただ、そういった“カースト的制度”は、X高校に通う生徒層とはどうも食い合わせが悪いように感じられた。
多くの生徒が現実的な目標として見定める私立のマンモス大学は、非常に幅広い学部数と、入試方式を打ち出している。
よほど高校時代に勉学をサボりすぎなければ、その巨大な入学ルートの網から零れ落ちる可能性は低い。
そのため、生徒の間では、大学受験の本番そのものよりも、直近の進級時に自分が特クラに所属できるかどうかを重要視する価値観すら広まりつつあった。
特クラに所属できさえすれば、『自分は優れた生徒なのだ』という分かりやすいアピールになるからだ。
目標を達成した三年生の特クラ生の中には、受験生とは思えないようなだらけ方をしている者すら見受けられる。
不思議なことに、特クラ所属に執着する生徒の中には『自分がたいして勉強もしていないのに何故か特クラに所属できている』ことを殊更にアピールしたがる連中が現れる。
そこまで来ると、乙倉の理解できる範疇は超えていた。
やたら、休み時間中に大きな声でお喋りしていたり、ふざけ合っていたり。
特に、受験が間近に迫っているのにそんな状況が続いていると、周りの士気にも悪影響を及ぼさない訳はない。
特クラよりもそれ以外のクラスの方が国公立大学の合格率が高い年すらあるようだ。
勿論、全ての生徒がこのような歪んだ価値観に取り憑かれる訳ではない.
むしろ、全体から見ればごく一部の者に限られるだろう.
しかし、学校という小さなコミュニティの中では、そうした波紋は巡り巡って大部分の人間に影響を及ぼすのが常であった。
学校や教師陣に対する各生徒のフラストレーション、それに加えて生徒同士の利害の不一致、それら個人個人のディスコミュニケーション、それらが交わり合った結果、今の校内には奇妙な窮屈さが生じているように思えてならなかった。
まるで、この学校に通う以上は逃れられない“重力”のようだ、と乙倉は思った。
そんな、歪な状況に若干の居心地の悪さを感じつつも、乙倉は自分なりに精一杯、毎日の学校生活を送っていたのだった。