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鏡に呪うよりも  作者: こす森キッド
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鏡に呪うよりも 序.

序.


 桜が舞い散り始めていた。


 運転中にパワーウィンドウを下げると、いつの間にか窓に貼り付いていた桜の花びらが、運転席に舞い込んできた。

 桜の花びらを手に取ってみるという経験は、一体いつ以来だろう。


 実際に触って観察したそれは、自分が抱いていたイメージ以上に、“生命”を感じられるものだった。

 まるで、人間の素肌、その薄皮と同じように。

 向こう側が透けて見えそうなくらいの薄さなのに、その中にも柔らかさと瑞々しさが感じ取れた。

 放射状についた皺や、折れ曲がり方の癖、紅色の先端から外側の白色へ水彩的に広がるグラデーション、これらは当然一枚一枚が違うものを持っている。


 こうして、桜の花びらを指先で弄んで、その手触りを感じ取っていると、何年以上も前にある女の子の“花弁”に触れた時の、その感覚が、不意に蘇ってきた。


 それは、高校二年生の年、夏の終わりの出来事。





 夜明け、街はずれの、森の中に佇む洋館。

 その一室、一株の植物が窓から差し込む日の光を、静かに待っていた。

 その単子葉植物の株は、その種類について判別することは難しいものの、とにかくその丈や茎の太さと形、全体の生ひ様が、小柄で肉付きの良い女体を彷彿させるものを持っていた。


 人体に喩えると、頭部に当たる箇所には人間の頭蓋よりも二回りほど大きい巨大な花の蕾がついており、その花びらの色は全体的に白っぽく、それぞれの花弁の先端に近づくにつれて徐々に紅紫色を呈し始めている。

少し傾きながらも上を向いた、その蕾の上部は所謂筒状花に近い形状で、夜の間は花弁を萎めて眠りについているようだ。


 一方で、上方向を向いて筒状花を形成するその花弁とはまた別に反対方向、女体の胸部や肩、背中に丁度かかるような形で、俗にペタルと呼ばれるようなものであろう巨大な花弁が、360度、放射状に生えて垂れ下がっている。

 首よりも下、胴体や腕、脚など肢体の部分に当たる茎は鮮やかな緑色をしており、表面には植物が持つ細胞層独特の質感と、人間の素肌の艶感や蛋白質的肉感、そのいずれもを持ち合わせていた。

 そのシルエットだけを見るとまるで半裸の女体を見ている気分にさせられる。


 その茎は、比較的豊満な胸部を思わせるそれを、まるで一部の野菜が見せるコブのような膨らみによって表しているが、その上からペタルが垂れ下がっていることで、最もクリティカルな部分については上から覆い隠されている。

 また両肩からは、光合成のためだろうか平行脈の巨大な緑色の葉が伸び、肩にかかるペタルの下から覗いている。


 胴体や腕、太ももに至るまでの茎からは所々小さな花弁や緑色の葉が、人間の産毛のような控えめな趣で生えていて、遠目から見るとそれは女性が纏うブラウスに付けられるような、フリルの装飾の如く見えるかもしれない。

 ただその中でも、股ぐら……秘所に当たる部分だけは、前述のペタルが比較的集中して生い茂り垂れ下がることで、まるで帷子のようにその箇所を要領良く隠している。

 よって、その身に纏っているペタルに注目して全体像を見渡すと、素裸の女性が非常に薄手の、最小限の面積のみを持つ布地のような何かで、最低限の箇所だけを隠しているような姿が現れる。


 そして肉感のある臀部、その下に伸びる両脚をペタン座りのような姿勢で畳んだ状態で、鉢に敷き詰められた水苔に根を張り巡らせ、そこに用意された水分と養分を吸い上げることで、その身体を養生させている様子だった。


 さて、その人間のような形をした物体は、確かに植物であるはずだが、その全身は眠っている時の人間のように、深い呼吸によって横隔膜をゆっくりと伸縮運動させているような、そういう動きを見せている。

 閉じた筒状花の中には、太く巨大な雌蕊を、花弁の隙間から覗かせている。

 その先端は、豆電球のごとく朧げな光を、呼吸のように明滅させていた。


 一言で表せば、身体がそっくりそのまま植物と化した女の子が座ったまま眠っているような、そういう光景だった。



 視点を動かし部屋を見渡してみると、その洋館の一室は、植物を育てる上で十分な日光を取り入れられるだけの大きな窓が備え付けられており、葉焼けさせぬようその日差しは遮光カーテンでもって調整されていた。

 部屋の中には、汲み置きされた水、植物を育てるための肥料や交換用の水苔とバークを収納する棚、大小様々な鉢や木枠、そして環境整備のための温度計や加湿器などが配備されている。

 それらの用具類の中に、水捌けの調整用だろうか、新聞紙が堆く積まれている。


 部屋の扉が開いた。

 アイロンがしっかりかかったワイシャツを着た、壮年の男が入ってくる。

「やぁ、おはよう英子ちゃん。

 お水を上げにきたよ」

 手にはジョウロと、その日の朝刊が握られている。

 男は、朝刊の中身に碌に目を通すこともなく、積み上げられた新聞紙の山の一番上に、無造作に重ね置いた.

 その紙面に書かれている記事は、こんな感じの内容だった。


『日日新聞 朝刊 二〇×四年八月二十五日(土曜日)

 昨日二十四日、午後三時頃。

 県立X高等学校において、複数の生徒が強い吐き気や頭痛などの症状を訴え、計十一名が病院に救急搬送された。

 このうち、同校二年の男子生徒一名が意識不明の重体に陥り、現在も治療が続けられている。

 検査の結果、被害を訴えた生徒らの吐瀉物などから、猛毒の□□トキシンが検出された。

 捜査関係者によると、校舎一階に備えつけられたウォータークーラーのうちの一台のタンク内部に、植物の球根が混入されているのが発見された。

 生徒らは、その球根から□□トキシンが溶け出した水を経口摂取したことで、症状に見舞われたものと見られる。

 捜査当局では、何者かが集団中毒事件を企図してタンクに球根を混入した可能性が高いと見て、捜査を進めている。

 当時、同校では九月開催予定の体育祭の練習が行われており……』


 丁度その時、部屋の窓から朝日が差し込み始めた。

 その光に感応し、人型の花の、大きな蕾が開いていく。

 花弁を閉じていた筒状花が、その内側を見せ始めた。

 花の内側、その底面を覗いてみると、そこから聳り立つ大きな雌蕊、その根本部分が見えてくる。

 そこには……。

 一人の女の子の顔が、その白いライフマスクが、その茎とは垂直方向、真上を向いて浮かび上がっている。

 その口を大きく開き、その中から真っ直ぐに、例の巨大な雌蕊が伸びていた。

 やがて、そのライフマスクのような顔が、眩しがるようにその両目をゆっくり開き始めたではないか。

 その表情は、自身の状況に対していまだ困惑を拭いきれない表情でいる、人間の女の子の顔そのものであった。


 なぜこんなことになっているのか?

 その発端はと言えば、先月、その年の七月初旬まで遡る…。

本作に関する注記・参考文献等につきましては、最終部分の後書きに付記しております。

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