期待に応えられなかった令嬢は、留学して毎日幸せです
――期待に応えられない人生だった
お母様が期待するお勉強の成果を上げられたことはなく、どれだけ勉強しても点数が悪く怒られてばかり。点数を見せるのが恥ずかしくなって自分から言うことはなくなった。それでも、家庭教師から伝わってしまうから結局怒られてしまうのだけれど。
お父様が期待する成績を出すことはできたことがなく、乗馬でも剣術でも何をやってもダメだった。お父様も最初は期待して教えてくれるけれど、私がやっていて成績を上げられないと分かると教えることはなくなったし、調子はどうかなども聞かれなくなった。
婚約者候補はいるけれど、彼は私に何も望んでいなかった。それにホッとしていたけれど、このまま婚約してその先の結婚をして幸せなのだろうかとも思った。私は幸せを望んでいるけれど、それを望むには私は彼に何もしてあげられなかった。彼は私に何も望まないから、私は彼に何をしてあげればいいのか分からなかった。でも、ある日何もしないことを望まれているのだと気付いた。
そんな日に、屋敷に義理の妹がやってきた。お母様の友達の子供らしい。なんでも両親が事故で亡くなってしまい、引き取ったのだと。可愛いらしい子で、私が出来なかったことを全て出来て、両親は妹を褒めた。私は一度も褒められなかったのに。それがすごく悲しかったけれど、ホッとした。ようやく両親が望むことを出来る人が現れたのだと。婚約者候補の彼も妹にはよく笑顔を見せた。そして、妹が作ったお菓子が食べたいと言っているのを聞いて、なんだ望みがあったんだと涙が出た。そのあと私もお菓子作りをしてみたけれど、全く駄目で妹がいてよかったと思った。きっと婚約は妹とするだろう。
ある日、家族で劇を観に行った。その劇は原作があるもので、原作は外国の本。三時間半で私はその話の虜になった。恋愛もので二人が困難を乗り越えながら結ばれる話。劇に出てきた小物や空気感がこの国にはなく、いつか行ってみたいと思った。次の日に本屋で原作を買った。外国の言葉だったけれど、辞書を引きながら翻訳をして読んだ。ますます原作が生まれた国に行きたくなった。
――そうだ、行っちゃえばいいんだ。
もうすぐ私は学園に入る。けれど、それがこの国の学園でなければいけないなんて言われていない。外国の学園に入ればいいんだ。だってこの国の学園に行ったとしても試験を受けるのだから、外国の学園でも試験を受けるのだから変わらないじゃないか。それ以来、私は言語を勉強しながら試験勉強に没頭した。絶対に行きたい。行かなければいけない。そんな使命感に駆られて。
結果、合格した。自分で初めて何かを手に入れた瞬間だった。嬉しくて合格通知書を何日も寝る前に眺めた。
両親には心配された。今まで何をやってもうまくいかなかった娘だから心配なのだろうけれど、私は行かないという選択肢はなかった。荷物をまとめている時に妹には泣かれた。初めて泣かれたため慌てたけれど、お手紙を毎月書くと約束することで泣き止んだ。婚約者候補の彼は旅立つ数日前に久々に会った。本当に行くのかと聞かれ、次はいつ帰ってくるのかと聞かれた。妹が来てから彼はよく話すようになった。私じゃ駄目だったんだなと実感させられた。
念願の学園に入学し、異国の言語に異国の文化、新しい学園生活。多忙な毎日で目が回りそうだったけれど、それでも楽しくて毎日が幸せだった。友達も出来て、授業後にはちょっと出かけたりもして。勉強は分からない所は友達に聞いて、初めての試験では中の上の順位を取ることができた。今まで下から数えた方が早かったのに。
「イルム」
上機嫌で鼻歌でも歌い出しそうな気持ちで食堂へ向かっていたら、呼び止められる。振り向けばこの国出身で学園に入ってから仲良くなったエミリオが立っていた。この国の人の特徴である褐色肌に黒髪。話しやすい空気を持っていて、初めて話したのも彼だった。入学した日に前の席に座っていて、誰か一人には絶対に声をかけると決めていたから決意を元に話しかけたら拙い私の外国語にも耳を貸してくれて仲良くなった。
「目標達成おめでとう、今日の夜は来る?」
「ありがとう。もちろん! 皆で行くの楽しみにしてたから」
「僕としては二人のつもりだったんだけどなぁ?」
試験前にこの順位を取りたいと話していた。それにおめでとうと言われた後、残念そうに微笑まれる。最初こそこの言葉にドキッとしていたけれど、彼はこう言うことを自然と言えてしまう軟派な人だとルームメイトに教えてもらってからまともに受け止めるのはやめた。そして今では受け流せれるぐらいには成長した。
夜には全生徒が集まる学園主催のパーティがある。学園に入ってからの初めてのパーティでずっと楽しみにしていた。寮の子皆で行く約束をしていて、パーティ会場ではクラスメイトと合流する。エミリオも寮に入っているため一緒に行く。
「もうすぐ夏季休みに入るけど実家に帰る?」
「寮が閉まっている期間は帰らざるをえないよね。閉まってなければずっとこっちにいるつもりだったけど」
帰りたいとも思わないからずっとこっちにいたいけど、寮がないならいる場所もない。ホテルに泊まってもいいかもだけど、ルームメイトも実家に帰ると言っていたし遊んでくれる人も見つけられていない。ホテルに篭るのも違うし、やっぱり帰るしかない。
「なら僕の屋敷においで。客人が泊まる部屋あるから」
「うーん。それはどうなのかな?」
恋人でもなければ婚約者でもないのに、泊まりに行くのは世間体的にそう言う相手だと思われる。友達の屋敷に泊まりに行ったと言ってそれを誰が信じるのか。エミリオのイメージを悪くしてしまうなら行かない方がいい。友達の屋敷に遊びに行きたい気持ちはあるけれど。
「ちょっと考えてみて。返事は休みに入る前までにもらえればいいから」
それに承諾して食堂へと向かい、食事をして授業を受ける。そして授業が終わり、寮に帰ってルームメイトと会話をしながらパーティへの支度をする。久しぶりにドレスを着た。寮を出るとエミリオたちが待っていて、皆でパーティへ向かった。こんなに毎日が楽しいなんて思ってもみなかった。やっぱり来てよかったと思いながら、パーティ会場へ着いた。
パーティ会場では友達と話したり、食事をしたりして楽しんだ。でもちょっとだけ疲れて、バルコニーに出る。バルコニーから見下ろせる中庭ではパーティ会場から抜け出した男女がちらほら見かけられ、私も恋がしたいなとぼんやり思った。
「イルム」
声をかけられ、振り向けばエミリオがいた。隣にやってきて私が見ていたものを見る。
「今日は楽しかった?」
「もちろん。この学園に入って良かったって毎日思ってる」
「それはよかった。イルムが来てくれなきゃ僕たち出逢えてないから、イルムの行動力に感謝だな」
楽しそうに笑うエミリオを見て、胸がとくとくする。表面上受け流せるようにはなっただけで、内面ではずっと言葉が積もっている。このままずっと一緒にいたらどうしようもなくなりそう。でも離れがたい。罪な男ってこう言うのを言うんだろう。
「イルムは国に帰ったら結婚するの?」
「しないよ。婚約者もいないのに」
「本当? ラリアがイルムには婚約者いるって言ってた」
ラリアはルームメイト。どこで勘違いしたんだろうと思ったけれど、多分妹との手紙を読んだのかな。読まれて困る内容でもないし、ラリアが手紙書いてる時も私が読んじゃう時もある。
「婚約者候補の人がいるってだけ。でも、妹と婚約するんじゃないかな」
「イルムはそれでいいの?」
「いいも何も私じゃ駄目だった、それだけだよ」
好きだったのかもう分からない。選ばれたかったけれど、望まれなかった。彼の選択肢にすら入っていなかった。選択肢に入ろうとしても入れなかった。やれることはやった。それでも、妹には及ばなかった。ただそれだけ。
「イルム、昼にした話だけど」
エミリオの屋敷に泊まらないかって話か。返事の期限は長めにもらってたけど、やっぱりなしになったのかな。なんて思っていたら、手を握られ驚いてエミリオの顔を見れば切実な顔をしていて、胸がどくりとする。
「やっぱり来てよ」
手が熱い。それは私の体温なのか、それともエミリオの体温なのか分からなかった。
「で、でも」
「初めて話しかけてくれた時から、イルムのこと大好きなんだ」
きゅっと手を握られる。顔が熱い。でも、エミリオの顔も赤い。
誰の期待にも応えられてこなかった。エミリオの期待にも応えられないんじゃないかと思う。どんくさいし、頭も良くないし、不器用だし。でも、いっときの夢でもいいから応えたいと思った。だって、エミリオのこと私も大好きだから。
「私ね、誰かの特別になりたかったの」
期待に応えたかった。両親の特別になりたかった。でも駄目だった。それは妹が叶えた。私は誰の特別にもなれないと思ってた。でも、そうじゃなかった。私でも誰かの特別になれるんだ。
「エミリオの特別にしてくれる?」
「もちろん! 最初からずっと僕の特別だよ」
抱きしめられ、ずっとこれが欲しかったと涙が流れる。両親が妹を抱きしめるのを見る度に、私も抱きしめてほしいと思った。でも抱きしめてもらえる理由がなかったから諦めていた。
「私もエミリオのこと大好き!」
ぎゅっと抱きしめ返せば、エミリオは唸っていたけれど耳が真っ赤だったから嫌じゃないと判断した。
その後、夏季休みに入りエミリオはどこかの貴族の子だとは思っていたけれど、まさか大公の息子だとは知らなかった。隠してたのかと聞けば、イルムが聞かなかっただけだよと言われる。この国出身じゃなかったのもあるけれど、エミリオはあまり社交界に顔を出さないらしくそれもあって気づけなかった。社交界に顔を出さない理由は、以前顔を出した時に女性関連の事件が起きたから大事なことがない限り出ないらしい。
エミリオは私が伯爵家の娘だと知っていたらしい。違う国だから言わない方が気楽でいいと言わなかった。どうして知っているのか聞けば、一度私の出身国に来たことがあるらしくその時に見かけたらしい。父は皇宮に勤めているから、その時に遊びに来ていた私を見たらしい。
「あの時からずっと心に残ってて、初めて話しかけてくれた日は運命だと思ったよ」
そう言って笑うエミリオに、私はたまらなくなって抱き締めれば嬉しそうにエミリオは笑っていた。
□■□■
――お姉様は行ってしまった、異国の地に。
私が3歳の頃、この伯爵家にやってきた。実の両親は事故で亡くなったらしい。正直、顔もよく覚えていないけれど写真を見せてもらったことがある。私に似ているかもしれないけれど、よく分からなかった。今のこの屋敷が私の住む場所で、私の家族はここにいるのだから。
実の両親の話を聞いたのは家族からではなく、たまたま屋敷の使用人が話しているのを聞いてしまった。それを聞いた時、足元が崩れ落ちるような、この世に一人ぼっちのような、なんとも言えない喪失感に襲われた。そのせいで体調を崩してしまって何日も寝込んだ。今の両親が心配しに来てくれたけれど、何も聞けなかった。私はお母様とお父様の娘じゃないのかって。
お姉様はつきっきりで看病してくれた。どうして血の繋がっていない家族なのにそこまでしてくれるのか分からなくて、怒っているのか情けないのか悲しいのか分からない涙が出た。その涙をお姉様は拭ってくれて、その心配そうな顔に思わず聞いてしまった。どうしてこんなに優しくしてくれるのか、と。お姉様は仕方ないように笑って、ルナールが大好きだから心配なのよと。私にはそれで充分だった。お姉様は私のこと大好きだから心配してくれるし優しくしてくれる。今の両親もきっとそう。もう悩むのはやめた、私もこの家族が大好きだから。
お姉様には婚約者候補がいるらしい。婚約関係は結んでおらず、お互いの家で相性が良かったらどうですか状態らしい。詳しい話はしてくれなかったけれど、相性も悪くないらしくこのままいけば婚約すると今の両親が言っていた。お姉様の相手はどんな人なのかと気になって、屋敷に来ている時に見に行ったことがある。お互い必要最低限しか話さず、お茶を飲んでいて本当に相性が良いのかと疑った。
このままお姉様はあの人と婚約していいのかと気になったから、ある日、屋敷にやってきた婚約者候補の人に話しかけた。お姉様は外出中だったから、暇潰し相手と思ってくださいと伝えて。話してみたら、お姉様といると緊張してしまって全然話せないらしい。お姉様も自分から積極的に行く人じゃないからいつもお互いが話せない状況になっているのだと気づいた。私が紐解きの要だと思ったけれど、それはできなかった。だって、私はお姉様の婚約者候補を好きになってしまったから。
お姉様のこと大好きなのに、お姉様の婚約者候補を好きになってしまって罪悪感で息をするのが苦しかった。でも、二人はうまく行っていない。このまま私と仲良くなったら私と婚約なんて夢を見てしまった。いけないことだと分かっていても止められなかった。婚約者候補のあの人も、お姉様も、今の両親も止めなかった。だから、私だけが悪いんじゃないと言い聞かせて会ってしまった。でも、毎晩後悔する。このままでいいのかって。
家族で出かけた日、観劇をした。その日以降、お姉様は自室で小説を読んでいた。あの劇がそんなに気に入ったのかぐらいにしか思っていなかったけれど、勉強にも意欲を見せていた。お姉様は勉強が苦手だと思っていたから意外だった。お姉様は勉強も運動も苦手だけど、礼儀作法などが得意な人だと感じていた。周りをよく見ている人だと。
お姉様はもうすぐ学園に入る。この国の学園に入るのかと思っていたけれど、外国の学園を受験した。そこは前に観劇した原作の生まれの地で、そこまで惹かれるものがあったのだと驚いた。そして、お姉様は思いの外行動力があるのだとも知った。
だから、少し怖くなった。私が婚約者候補のあの人のことを好きだと知ったらお姉様は私に何もしないと今までは思っていたけれど、何かされるのじゃないかと。でも、あの人と会って話をして、笑顔を見るたびにそれでもいいかと思えた。
お姉様は試験に合格し、留学する。留学の準備をしているのを見て、寂しくなる。十年もいなくなってしまうわけじゃないけれど、この屋敷にお姉様がいない時なんてなかったから。だから、悲しくなってお姉様に行かないでなんて言えなかったけれど泣きついてしまった。お姉様はルナールが泣くなんて初めてねなんて言うから、看病してくれた時に泣いたことは覚えていないらしい。恥ずかしい記憶だったから、覚えていなくてよかった。お手紙を毎月書いてくれると言ったから、それで少し気が落ち着いた。
お姉様が行ってしまう日、婚約者候補の彼もやってきた。お姉様に熱心に話しかけていて、ああ緊張よりも何よりもお姉様が行ってしまうことの方が気になるのだと思った。お姉様といると緊張するのは、好きな子だからと照れたように笑って言われた。その時から私は失恋したけれど、気持ちは捨てきれず今もいる。お姉様に結局、あの人のこと好きだと言えなかった。
お姉様と文通をして、口では言えなかったけれど文字では言えるんじゃないかと思い立って何枚も書き直して婚約者候補の彼のことが好きだと伝えた。送った後、返事が来るまで怖かった。怒りや責め立てる言葉が書かれてくるんじゃないかと。でも、後悔はなかった。手紙は、二週間後帰ってきた。開けるのに緊張して、半日後ようやく開けた。そこには、素直に教えてくれてありがとう。と私を責め立てる言葉はなく、優しく語りかけてくれる文面があった。お姉様は婚約者候補のあの人が自分に気持ちがないから気にしなくていいと勘違いしていたけれど、それは黙っておくことにした。浅ましい気持ちを捨てきれず、苦しかったけれど私に勝ち目はないのだからいいじゃないかと自分に言い聞かせた。
夏になり、お姉様から来た手紙には恋人が出来たと書かれていた。その文面に驚いたけれど、おめでとうより先に婚約者候補のあの人が頭に浮かんだ。これでお姉様と彼が婚約することは今のところない。お互いに同意があれば婚約を結ぶと聞いていたから、お姉様は同意しない。良かったと、私にまだ道はあるのだと思ってしまった。彼はきっと悲しむだろうけれど、私はその悲しみが有難いとも思った。寄り添えば、私に気持ちを向けてくれるんじゃないかと思ってしまったから。
彼もお姉様に恋人ができたと知って、落ち込んでいた。もっと話をするべきだった。緊張なんて言ってる場合じゃなかったと。それを聞いて、苦しかったけれどそれを隠して彼の隣にいた。私に向かなくてもいいから、そばにいることだけは許して欲しかった。そして、その姿を今の両親は見て私とはどうかと彼の両親に話をしてくれた。彼と私で話をすることになり、彼はキミに不誠実だからと言ったけれど本当のところお姉様に会うのが辛かっただけだろう。でも、私は彼に気持ちを伝えた。
夏の真ん中でお姉様は帰ってきた。屋敷にいた頃より晴れやかな顔をしていた。
「お姉様! お帰りなさい」
お姉様に抱きつけば、お姉様は抱きしめ返してくれる。最近の手紙に休みに入ってからのことを何も書かれていなかったから、夏に帰ってくるつもりはないかと思っていたけれど、一週間前の手紙で帰ってくることを告げられた。
「ルナール、彼のことだけど本当?」
心配そうな顔で問われ、そのために帰ってきたのだと知った。こくんと頷けば、どうしてと表情に書かれている。お姉様の中では私と婚約者候補のあの人はうまくいっているように見えたのだろうけれど、実のところ私の片思いだったし、私には緊張しなかったからいろんな表情を見せてくれただけ。だから、彼がこの屋敷にやってくることは、もうなかった。
ぎゅっと力を込めれば、お姉様は頬にキスをしてくれる。お姉様がちょっと憎い。彼の気持ちも知らないで、留学して恋人を作って。でも、それはお姉様だけが悪いわけじゃない。彼の気持ちを知っていて、何も言わずに私にもチャンスがあるんじゃないかって思っていた私がいたから。
胸の痛みを誤魔化すようにお姉様の服に顔を埋めれば不思議な匂いがした。嗅いだことのないような匂い。
「お姉様、今幸せ?」
「もちろん」
そうか、この匂いがお姉様の幸せの象徴なのだ。この屋敷にはない、この匂いが。