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Cross×World  作者: シクル
2/9

早坂和葉と日知梨衣

 わんこそばおかわり回数無制限!

 在庫切れまで食べ放題!

 院須磨町いんすまちょうには少しだけ有名な蕎麦屋がある。その名も高畑亭たかはたていだ。

 高畑亭は知る人ぞ知るおいしい蕎麦屋で、ネットの口コミで一年前に有名になった店である。

 蕎麦に限らず、ありとあらゆる食べ物が大好きな女、早坂和葉はやさかかずはも当然高畑亭は行きつけの店の一つである。

 そして高畑亭には、年に数回だけわんこそばおかわり回数無制限のスペシャルデーがある。それが今日なのだ。

 仕事を早めにすませた和葉は、パンツスーツから着替えもせずに商店街を駆け抜ける。

 ライトブラウンのウェーブロングヘアが乱れるのも気に留めず、和葉は必死で商店街を走り続ける。もう蕎麦のことしか考えていない。

 そんな彼女の様子を、商店街の人達は穏やかでありながらも少し遠い目で眺めていた。

 誰もが思う。

 ああ、今日の高畑亭のわんこそばはもう終わりだ、と。

 時刻は午後一時。和葉の胃袋なら一時間足らずで食べ終わるだろう。

 早坂和葉は院須磨町ではちょっとした有名人なのである。その華奢な身体や、柔和な顔つきからは想像も出来ないような大食いっぷりは院須磨町で瞬く間に知名度を上げた。

 和葉が所長を務める事務所から高畑亭までの距離は、大体徒歩で一時間程かかる。

 その距離を三十分足らずで駆け抜け、高畑亭にたどり着いた和葉だったが、その額に滲む汗はごくわずかだ。

 くりっとしたタレ目をキラキラさせて、和葉は高畑亭の扉を開ける。

 勢いよく扉を開けて中に入ると、従業員達の視線が一気に和葉へ集まった。

「こんにちは! おそば食べに来ました!」

 元気よく挨拶する和葉だったが、従業員達は気まずそうに和葉から視線をそらす。

 不思議に思って和葉が首をかしげていると、奥から店主が出てきていきなり頭を下げた。

「すまねえ!」

「え!? どうしたんですか!?」

「今日のわんこそば……もう終わっちまったァ!」

 店主がそう言った瞬間、和葉の頭は真っ白になった。

 そばのことしか考えていなかった女の頭だ。

 そばがなくなれば当然一度虚無になる。

「い、一体……何が……?」

 今にも折れそうになる膝をなんとかこらえ、和葉は問う。

「お、お客さん、多かったんですか……? こう、家族連れで朝からめちゃくちゃ来てたとか……」

「それが……違うんだよ」

「じゃあ、一体何が……」

「その女は、突然現れたんだ。痩せたキレイな女だったよ。ちょうど和葉ちゃんみたいな茶髪の女だったよ……長い前髪で片目が隠れてて、どこかミステリアスな感じだった……」

「もしかして、その人がわんこそばを……?」

 そんなことが……と驚く和葉は、自分のことは棚どころか遥か天空まで上げている。俯瞰という言葉を今の和葉は知らないのかも知れない。

「その姉ちゃん、すごい勢いでわんこそばをおかわりしていってな……。うちだってこれでも、毎回来てくれる和葉ちゃんのためにそばの量を増やしてるんだぜ? 今回は今までで一番仕入れていた……それでもその女は、全部たいらげちまったんだ……」

 和葉は院須磨町で生まれ、院須磨町で育っている。外食を頻繁にするようになったのはここ数年の話だが、店でよく会う客は大抵が顔見知りだ。

 しかし、そんな女は見たことも聞いたこともない。

 であれば恐らく、高畑亭の評判を聞きつけた者だろう。

「うぅ……そうだったんですか……。じゃあ、普通にお蕎麦食べて帰ります……」

 和葉は五人前分たいらげた。



***



 かつて院須磨町が未曾有の心霊災害に見舞われてから既に三年経つ。

 封印されていた強大な悪霊が現代に蘇って暗躍し、町中を恐怖のどん底に突き落としたのだ。

 町のそこかしこに凶悪な悪霊が蔓延り、何人もの死傷者が出た。当時は町全体に暗雲が立ち込めているかのように暗い時期もあり、賑わっていた商店街はシャッター街へと姿を変えていた。

 しかしそれらの事件は、霊能者達によって全て解決された。早坂和葉もまた、その功労者の一人である。

 平和になったこの町にも、悪霊の影はある。人がそこに生き、死んでいく以上、そこに未練は残る。淀んだ霊魂が悪霊となるのは、半ば世の理なのだ。

 雨宮霊能事務所を継承したゴーストハンター早坂和葉は、今もまだこの町で戦い続けていた。

「すいません! ハンバーグセット二人前とデザートにブルーソースアルティメットハワイアンパフェを三つお願いします!」

 戦い続けていた。

「……相変わらずよく食べるね、和葉は」

 院須磨駅付近にある喫茶店で、和葉は数年ぶりに会う友人と向かい合って座っていた。

梨衣りえはカフェラテだけでいいの? パフェ一個いる?」

「いや、今はいらないかな……ありがとう」

 梨衣、と呼ばれた女性はそう言って苦笑する。

 日知梨衣ひじりりえは肩までのセミロングヘアが似合うスレンダーな女性だった。おっとりした印象の和葉とは対照的に、やや釣り気味の目つきが鋭い印象を与える。

 右側に寄せた前髪が揺れると、額にわずかな傷があるのが見える。それを見つけると、途端に和葉は申し訳なさそうに目を伏せる。

「……傷、やっぱり残っちゃったんだ……ごめんね」

 一瞬何を言われたのかわからなかったのか、梨衣は一度キョトンとしていた。しかしすぐに和葉の意図に気づいてかぶりを振る。

「いいっていいって。和葉のせいじゃないし、そんなに目立たないから、あんまり隠してないでしょ?」

 そう言って梨衣は前髪をかきあげて傷跡を見せる。本当にごくわずかな、小さな傷だ。場所をわかった上で注視するか、よほど近くで見ない限りは気づけないだろう。

 その傷はかつて、心霊現象によってついた傷だ。

 和葉が中学生の頃、その高すぎる霊能力が故に霊を引き寄せてしまい、偶然起きたポルターガイスト現象によって窓ガラスが砕け散り、その破片が深く突き刺さった結果である。

 その後、梨衣は他県へ転校してしまっており、今日に至るまで再会は叶わなかった。

「どう? あれから。しばらく連絡取ってなかったけど、高校出てからいい仕事見つかった?」

「……うん」

 梨衣の言葉に、和葉は深くうなずく。

「私のするべきこと、やりたいこと、見つかったよ。今は、霊能力ともうまく付き合えてる」

 和葉は数年前まで、自分の霊能力をうまく扱うことが出来なかった。

 見え過ぎる、感じ過ぎる力は日常生活では害となる。悪霊の負の感情を必要以上に受け取っていた和葉は、その精神ストレスに苛まれていた。

 なるべく霊に会わないように、なるべく関わらないですむように。外に出るのもなるべく避けていた和葉の人生に転機が訪れたのは三年前だ。

「私、今は霊能事務所の所長をやってるよ。私の大切な人がのこしてくれた大切な場所を守ってる」

 和葉の目の中には光があった。

 まっすぐに前を見つめる光が。

 過去を希望に、前へゆっくり進んでいく和葉の姿が梨衣の脳裏をよぎる。

「…………」

 梨衣はそのまま一度、押し黙ってしまった。

 その理由がわからず、和葉は慌てて取り繕う。

「あ、ごめんね! 私の話ばっかり! 梨衣は、どう?」

「……私は、和葉みたいにうまくいってないかな……」

 和葉から少しだけ目線をそらし、梨衣は小さく溜め息をつく。

「……私ね、まだ就活してる。中々採用もらえなくってさ」

 梨衣はそのまま、ぽつぽつと今日に至るまでのことを話していく。

「うち、母子家庭だったでしょ? 少しでも楽させてあげたくて、就職しようと思ったんだけど……」

 和葉は一度だけ梨衣の家に遊びにいったことがある。院須磨町の片隅にあるアパートの一部屋で、やつれた母親が精一杯もてなしてくれたのをはっきりと覚えている。当時は深く考えなかったものの、今にして思えば日知家の生活が苦しいのは一目瞭然だった。

「……そうだったんだ……」

「お母さん、昔から身体弱かったから……負担かけちゃってたんだろうね。先月容態が悪化しちゃって……」

 その言葉の続きを、梨衣は口にしなかった。

 沈黙が意味することを察して、和葉はどうすればいいのかわからなくなってしまう。

 ようやく届いた料理にも、すぐには手をつける気になれなかった。

「ごめん、こんな話して。今はちゃんと落ち着いてるよ。ただ、誰かに聞いてほしくて……」

 コップから離れた手が、行き場を失ったように見えた。

 思わず和葉は、その手を強く握りしめた。

「ううん、私で良ければいつだって、なんだって聞くよ! 話したいことがあったらなんでも言っていいから! 力になれることがあるなら、協力するよ!」

 一瞬、梨衣は目を丸くして和葉を見つめていたが、やがて穏やかに微笑んだ。

「和葉……変わったね。昔も話は聞いてくれたし、一緒に悲しんだりはしてくれてたけど、こんな風に言ってくれたこと、なかったから」

 梨衣の言う通り、以前の和葉ならこんな風には言わなかっただろう。

 自分のことで手一杯で、同情はしても慰める余裕さえなかったこともある。

 梨衣も和葉も、当時学校での交友関係は決して良いものではなかった。だからこそ、あぶれ者同士で身を寄せ合うようにして過ごしてきた。

 だが今の和葉は違う。

 薄暗い場所にいる梨衣に、明るい場所から手を伸ばそうとしている。

 慈愛に満ちた優しい瞳だ。

 春の木漏れ日のようなぬくもりだ。

 まるで天使か何かのような和葉の振る舞いに


 日知梨衣は腸が煮えくり返るような思いだった。


「そうかな……? そうかも。私、浸さんと会えて、変われた気がするから」

 どこを見ているんだこの女は。

 梨衣の神経がじくじくと苛立つ。

 大方、その浸さんとかいう人物に救われたのだろう。

 今の顔を見ればわかる。

 どれだけ救われたのか。

 どれだけ愛されたのか。

 今、どれだけ満たされているのか。

「ありがとう和葉。でも私はもう大丈夫。大丈夫……大丈夫」

「……梨衣?」

 不自然に繰り返される大丈夫は、少しずつトーンが落ちていく。

「もう、よくわかったから」

「え……?」

 和葉が戸惑いの声を上げた次の瞬間、突如店内に悲鳴が響き渡る。

 驚いて和葉が振り向くと、そこには信じられない光景が広がっていた。

「なに……これ……」

 そこにいたのは、何体もの人型の化け物が店内の客に襲いかかる姿だった。

 細長い体躯には無数の蔦が絡まり合い、人間に比べると肥大化して見える頭部はまるで蕾のようだった。閉じた花弁には、赤黒い顔が無表情に並んでおり、その視線は目の前の客を見据えていた。

 一瞬悪霊かと思ったが、霊力は一切感じられなかった。

 信じられないことだったが、霊力の高い和葉だからこそ断言出来てしまう。

 彼らは霊ではない。

 物質的に存在する、怪物だ。

「……! 梨衣、逃げて!」

 慌てて振り返る和葉だったが、梨衣は落ち着いた様子で座ったままこちらを見ている。そのまま見たこともないほど穏やかに微笑んで、梨衣は口を開いた。

「和葉は私とは違うみたいだから。勧誘は諦めるね」

「梨衣!? 何言って……」

「察しが悪いのは変わらないね。わかるのは霊のことだけ?」

 冷たく、刺すような言葉と視線。

 思わずたじろぐ和葉を、梨衣は楽しそうに眺めていた。

「終わりにしようか。何もかも全て」

 瞬間、梨衣が前髪を書き上げる。すると、そこにあった小さな傷痕が勢いよく開いた。

「っ……!?」

 そこにあったのは、ギョロリとうごめく黄色い目だった。

 ソレは和葉に焦点を合わせると、ぐにゃりと歪んで笑みを作る。

 何も、何も感じなかった。

 何一つ。

 その事実に和葉は愕然とする。

 早坂和葉には何もわからない。

 今この場で起きている何もかもが。

「これ……は…………?」

 察しが悪いのは変わらない。

 わかるのは霊のことだけ。

「霊でも何でもない、生きたまま心の死んだ人間のことなんて、わからないでしょうね」

「梨衣……なんで……」

「ねえ死んでよ。あなたの心も。昔みたいに」

 底へと引きずり込むかのような言葉に、和葉は崩れ落ちそうになる。

 事実、その膝は曲がりつつあった。

 しかし引きずり込まれそうなその心に、誰かの悲鳴が突き刺さる。

「っ……!」

 そこで一気に心臓が脈打って、和葉はバッグの中から白い布に包まれた全長70cm程の長さのものを取り出す。

 取り払われた布から現れたのは刀だった。片刃で、湾曲した刀身を持つその刀の名は青竜刀。ゴーストハンター早坂和葉が、現在最も扱い慣れている武器である。

 梨衣のことは気にかかるが、今は怪物に襲われている人達を救うことが先決だ。そう判断した和葉が背を向けると、梨衣はその背中を睨めつける。

「友達に会うのに武器なんて持ってきてたんだ。とんだ友情だね、和葉」

 次の瞬間、梨衣から伸びた細い触手が和葉に巻き付いた。

「っ!?」

 両手両足を的確に絡め取られ、和葉はその場に顔から倒れ込む。すぐに顔を上げたが、そこに広がるのは阿鼻叫喚の地獄絵図だ。

「そんなっ……!」

 既に被害が出ている。

 怪物に襲われて怪我をした者が数人、倒れてうずくまっている。

 店内にあった穏やかな食事の風景は、全て引き裂かれるようにして破壊されていた。

 そして今まさに犠牲になろうとしている誰かを、今の和葉は救うことが出来ない。

 床に尻もちをついて、怪物から後ずさっている少年がいた。

 泣き叫ぶ彼を、誰も助けられない。

「やめて……」

 どれだけ力を入れても、和葉の身体は動かない。

 強くなれたと思っていた。

 誰かを救えると思っていた。

 あの人の背中に、少しは近づけていると。

 遠い背中が、また離れていく。

 助けられたハズの命が散ろうとしている。

「やめてえええええっ!」

「うん、その方が”和葉らしい”ね」

 クスリと梨衣が笑みをこぼした――――その時だった。

「うん……?」

 戸惑う梨衣の足元に、ふっとばされた怪物が倒れ込む。

「よう坊主、無事か? さっさと逃げな」

 聞こえてきたのは、若い男の声だ。

 ブラウンのスーツに身を包んだ細身のその男は、スーツと同色のソフト帽をかぶり直して不敵に笑う。

「悲鳴ってのは依頼と同じだ。悪いが勝手に受けさせてもらうぜ、アンタの依頼。無償でな」

「……誰?」

 梨衣が問う。

 男は答えた。

 己が掲げる看板を。

 己が誇るその名前を。

「俺か? 俺は罷波市ひなみしの頼れる探偵――――七重家綱だ。どうぞ、よろしく」

 七重探偵事務所の名探偵、七重家綱。

 和葉の依頼(悲鳴)に応え、今ここに参上。

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