放課後の教室で地味子は俺のメインヒロインになる
午後4時半。
帰りのホームルームはとっくに終わり、クラスメイトたちは今頃部活の練習や委員会の活動に励んでいる。
帰宅部の生徒は、早々に教室を退散した。勉強するにして手嶋桐於も、遊ぶにしても、放課後まで教室に残っている理由もないだろう。
昼間は騒々しいくらいの教室も、気付けば殺風景になっていて。
差し込む夕日。窓を開ければ、耳に入ってくる野球部の掛け声。
俺・は、そんな放課後の教室が大好きだった。
これだけ広い教室を、なにも独り占めしているわけじゃない。放課後の教室には、俺の他にもう一人女子生徒がいる。
彼女は俺の前の席に座るなり、机と机をくっつけた。
「それじゃあ、始めましょうか」
そう言いながら、彼女――御園生晴風は眼鏡を外し、髪留めを解く。
サラサラした黒髪は息を飲むくらい美しく、眼鏡という隔たりなしで直接向けられる視線は艶やかで。
これから一緒に勉強するだけだというのに、不思議と緊張してしまう。
「……どうしたの?」
ボーッとしている俺を不審に思ったのか、御園生は小首を傾げる。
その仕草だって、言うまでもなく可愛らしかった。
見惚れていたなんて言えるわけもなく、俺は「何でもない」と平静を装って誤魔化す。
御園生も「そう」と返すだけで、それ以上追及してこなかった。
御園生晴風という女子生徒は、昼と夕方とで違う姿を見せる。
昼間の御園生は眼鏡と前髪で瞳を隠し、髪型は今どき珍しいおさげ。
クラスのみんなはそんな彼女を「地味子」と揶揄するし、確かに日中の彼女はこの上なく地味だ。
だけど、放課後は違う。
眼鏡を外し、髪留めを解き、妖艶に微笑む彼女の姿は、到底地味などと言うことは出来ず。
放課後の、俺の前限定で、彼女はメインヒロインと化すのだ。
◇
御園生との放課後勉強会では、基本的にその日の授業の復習と明日の授業の予習が行われる。
しかしこの日はテスト2週間前ということで、御園生手作りの予想問題を解くことになった。
彼女お手製の予想問題を見ると、テストが近づいてきたんだなぁと実感する。あぁ、今日からまた、勉強漬けの2週間が始まるのか……。
「今回の試験は、理系教科が重いわよね。内容は難しいし、出題範囲も広いし」
「そうなんだよな。正直最近の授業は、先生が何言っているのかさっぱりわからないぜ」
「ほう。それは聞き捨てならないわね」
御園生の目がスーッと細くなる。さながら、獲物を見つけた肉食動物のように。
これは俺が理解するまで、御園生先生が徹底的に教えてくれるやつですな。
御園生は教え方が上手く、ぶっちゃけ先生の授業よりもわかりやすかったりする。ただし、その分スパルタではあるけど。
「教えるにしても、手嶋くんが何を理解していないのか把握しないといけないわね。取り敢えず、予想問題を解いてみてくれるかしら? その出来具合で、どの程度厳しめにいくか決めるから」
「……俺、褒められて伸びる方だと思うんだよね」
「褒められたいのなら、頭良くなりなさい」
御園生が、凄く難しい要求をしてくる。
頭良くないから、お前に教えを乞うているんだろうが。
しかし言われっぱなしも癪だったので、こちらからも反撃してみることにした。
「だったらさ、この予想問題で100点取れたら、ご褒美くれないか?」
「100点とは、大きく出たわね。……良いわよ。もし本当に100点取ることが出来たら、ご褒美に何でも言うことを聞いてあげる」
「なっ、何でも……だと」
驚いたフリをしてみるが、勿論わかっているさ。その「何でも」には、「エロいことは除く」という但し書きが添えられているんだろ?
だから期待なんてしていない。期待なんて、これっぽっちもしていないんだからねっ!
「あっ。念の為言っておくけど、私が「何でも」って言った以上本当に何でも言うことを聞いてあげるから。エッチな要求でも、構わないから」
「マジで!?」
俺は目を見開いて、御園生を見る。
彼女の言葉が、嘘偽りないものだとしたら――
乾燥という言葉とは無縁な、潤いに満ちた唇。実は凄えんだぜと密かに男子の中で話題になっている、胸部の膨らみ。そして僅かに上がったスカートの裾から垣間見える、色白の太もも。
それら全てを、俺の好きに出来るというわけか。
……ヤベェ。めちゃくちゃやる気が出てきた。
俺は自身の両頬をペシンと叩いて、気合を入れる。
シャーペンを手に持ち、今まさに予想問題を解こうとしたところで……御園生に話しかけた。
「……やっぱり、80点じゃダメ?」
「ダメ」
ですよねー。
ご褒美とは、頑張ったからこそ与えられるもので。世の中そんなに甘くないのだ。
予想問題の数は、全部で30問。問題数的には大したことないのだが、今回の科目は物理なので時折計算問題も出題されており、意外と時間がかかった。
約1時間後、問題を解き終え、見直しも済んだので、俺は解答用紙を御園生に提出する。
すぐさま採点を始める御園生。果たして結果は――58点だった。
……いやね、100点なんて本当に取れるとは思っていませんでしたよ。案の定、無理だったわけだし。
余談だが、俺は1問目から間違えており、採点をし始めた御園生の口から早々に呆れの溜め息が漏れていたりする。
「用語関係は完璧ね。逆に計算問題はほとんど間違えている。これからの2週間は、計算問題メインで勉強していきましょう。そうすれば、100点……は無理でも、90点くらいは取れるんじゃないかしら?」
「……もしテスト本番で100点取ったら、ご褒美くれる?」
「……仕方ないわね。本当に100点取れたら、言うことを聞いてあげるわよ」
「……エッチなご褒美も、可?」
「なわけないでしょ。バカじゃないの」
確かに、今回は「何でも」とは言ってなかったからな。
それじゃあ今から2週間一生懸命勉強して、100点を取って……休日にデートでもして貰うとしようかな。
俺と御園生は最終下校時刻になるまで、教室で勉強をし続けた。
その集中力は凄まじいもので、俺も御園生も参考書と互いのことしか視界に入っていなかった。
だから、俺たちは気付かなかったのだ。
二人きりの放課後、二人きりの教室。二人だけの内緒のこの時間を……誰かに目撃されていたなんて。
◇
翌朝。
登校すると、今まで挨拶すらしたことのなかった女子生徒が、俺に話しかけてきた。
「ねぇ、手嶋くん。手嶋くんってさ、勉強とか結構好きな方?」
「いいや、別に。好きじゃないけど、やらなきゃいけないからやっているだけ。……でもまぁ、最近は勉強するのも楽しいと思い始めてきたかな」
それはひとえに、御園生と一緒に勉強しているからだろう。彼女の存在が、俺のモチベーションを上げているのは間違いない。
「あっ、でも人様に教えられるようなレベルには達していないぞ。だから勉強を教わりたいなら、他の生徒にお願いします」
「違う違う。教えて貰いたいのは、勉強じゃないよ。……手嶋くん、昨日誰と勉強していたの? あんなに可愛い子、見たことがなかったからさ」
どうやら教えて貰いたいのは勉強じゃなくて、俺と勉強していた女子生徒のことらしい。
勿論それは御園生のことなのだが、あの時の彼女はみんなのよく知る「地味子」とは対称的な容姿をしているので、いかにクラスメイトといえど気付くことはないだろう。
しかし、そうか。御園生と勉強している光景を、見られてしまったのか。
別に内緒にしておきたいわけじゃない。誰にも知られたくないのなら、そもそも放課後の教室で勉強なんかするなという話だ。
だけど……矛盾しているかもしれないけれど、誰にも見られたくなかった。
メインヒロインと化した御園生のあの姿は、俺だけが知っているものだと思っている。
あの姿を、他の人に知られたくない。俺だけの特権であって欲しい。
詰まるところ、独占欲というやつだ。
「あの子は御園生だよ。眼鏡を外して髪留めを解くと、スゲェ可愛くなるんだよ」。そう言って謎の美少女の正体を明かすのは簡単だ。
しかし、そんなことは望まない。御園生以上に、俺自身が。
迷った末に俺は……御園生の秘密を教えないという結論に至った。
「あれは3年の高橋先輩だよ。俺と先輩は幼馴染で、よくあぁやって勉強を教えて貰っているんだ」
「へー、高橋先輩っていうんだ。あんなに綺麗な先輩がいるなんて、知らなかったよ」
うん、俺も知らない。
そんな先輩も俺の幼馴染も、実在しないし。
「もし高橋先輩に勉強を教えて貰いたいと考えているんなら、諦めた方が良いぞ。あの人極度の人見知りで、初対面の相手とは目を合わせようとすらしないから」
「大丈夫大丈夫。そういうつもりで、聞いたんじゃないから。私が興味あるのは二人の関係性というか……手嶋くんのことだからっ」
最後だけ異様に早口で言った後、半ば逃げるように女子生徒は去って行く。
俺に興味があるって……そんな勘違いしちゃいそうなこと言うんじゃねーよ。
◇
その日の放課後も、例のごとく二人きりの勉強会が催された。
昨日同様御園生手作りの予想問題を解くことから始まるわけだが……気のせいだろうか? 今日の予想問題、昨日より断然難しい気がする。
結果から言うと、それは気のせいではなかった。複数問ある予想問題は全て、難関大学の入試の問題だったのだ。
わからない箇所は丁寧に教え、練習問題も徐々に難易度を上げていく。そうやって内容を定着させるのが、御園生の教育方針である。
だからこうして一足飛びで難問を解かせるなんて、今まででは考えられないことだった。
御園生とはもう一年以上の付き合いだ。この違和感の原因にも、なんとなく想像がつく。
彼女は、怒っているのだ。
「あのー、御園生さん。もしかして、怒ってます?」
「どうしてそう思うの? 証拠でもあるのかしら?」
「……さっきから、指トントンさせすぎじゃありません?」
人差し指で机を小突くのは、苛立っている時に出る御園生の癖だ。
俺に指摘されて、彼女は机を小突くのをやめる。ここでやめたということは、暗に怒っているって認めるようなものじゃないか。
俺がジト目を向けていると、御園生は観念したかのように一つ息を吐いた。
「別に、怒っているわけじゃないのよ? ただ、今朝の手嶋くんは珍しく女の子と会話していたなーって思っただけで」
「ははーん。嫉妬か?」
「……別に」
プイッと、御園生はそっぽを向く。
……あれ? てっきりいつもみたいに「バカじゃないの」と辛辣な言葉を浴びせられると思っていたのに。予想外の反応だった。
もしかして……マジで嫉妬している?
放課後の勉強会を始めてからというもの、俺は誰も知らない御園生の顔を沢山見てきた。だけど……こんな表情をする彼女を見るのは、初めてだ。
俺はふと、御園生と初めて話した放課後のことを思い出す。
――いつも放課後、勉強しているわよね? そういう真面目なところ、良いと思うわよ。
あの時御園生は、「いつも」と言っていた。
つまり彼女は偶然勉強している俺を見かけたのではなく、その前からずっと見ていたというわけだ。
毎日放課後勉強する姿を眺めていて、見ているだけじゃ我慢出来なくなったから勇気を出して俺を誘って。そして勉強会を開く時だけ、誰もが知る「地味子」から俺だけが知っている「メインヒロイン」になる。
そんなことをする理由なんて……一つしかないじゃないか。
物理の勉強をしている時間だけど、一問だけ、国語の問題を解くとしよう。
『問い 御園生晴風が手嶋桐於に対して抱いている感情を、2文字で答えよ』
『答え 好意』
この回答が正解か不正解か、答え合わせをするとしよう。自信は……まぁ、それなりにある。
「なぁ、御園生」
「なっ、何かしら?」
「今回の物理のテストで100点を取ったら、ご褒美くれるんだよな?」
「えぇ。二言はないわ」
「だったらさ……本当に100点取れたら、俺と付き合ってくれないか?」
「……うん」
赤くなった顔を参考書で隠しながら、御園生は頷いた。
どうやら、俺の導き出した答えは合っていたみたいだ。
100点を取れば、御園生と付き合える。言質を取った俺のやる気は、鰻登りだ。
「何でも」というフレーズは付いていないけど、寧ろこっちの方が嬉しかったりする。
女心という史上最も難解な問いに正解したんだ。物理の計算問題くらい、なんてことはないだろう。
そう、なんてことは……
勉強を再開させる前に、俺は御園生に尋ねる。
「あっ。やっぱり、80点じゃダメ?」
「……良いよ」
いつもなら「ダメ」って一蹴するくせに、今回に限ってハードルを下げてくるとは。この子、思った以上に俺のこと好きみたいだな。
それから1ヶ月後。テストの結果が張り出される。
俺の順位は、まさかの学年8位。首席の御園生には及ばないが、奮闘したと言えるだろう。
肝心な物理の点数は……97点。うっかりミスで、一問だけ落としてしまった。
正直100点を逃して悔しい気持ちはある。だけどそれ以上に、80点を超えたことが嬉しくて、ニヤニヤが止まらない。
「おい、手嶋。取れた筈の100点を逃して、どうしてニヤついているんだ?」
不審に思った物理教師に尋ねられる。
ニヤついてる理由なんて、一つしかないだろう?
放課後、俺の前限定で、御園生は地味子からメインヒロインになる。そして――今日この日、彼女は俺の恋人になったのだった。




