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8.出ていけ


 ある日曜の朝。わたしは暖かい部屋で、柔らかなお布団にくるまり、惰眠を貪っていた。

 隣で寝ている家主の岸田も同じく、一度目を開けてもぞりとスマホで時間を確認したが、また、まぶたを閉じて動かなくなった。


 そんな休日の平和な朝をぶち壊すようにチャイムが激しく連打された。


 ぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぴんぴん


 顔を上げて半目でその音を聞いていたが、一向に止む気配はない。岸田の頬に肉球をぺちりと押し当てると、目が開いた。そしてむくりと起き上がり、玄関の方を見た。


 ぴんぴんぴんぴんぴんぴんぴんぴん


 突き指せんばかりの勢いに、岸田が重い腰を上げた。わたしも後ろに続いて見にいく。

 扉の外には岸田と同じ年頃にみえる男性とその後ろに女性がひとり。


 男は玄関に身をねじ込むなり、岸田の胸ぐらを掴み上げた。


「お前がさやかの前のオトコか!」


 男は激しい口調で募ってギリギリと岸田を睨みつける。


「スグル! やめてよ!」


「黙ってろ! お前は全然こいつを忘れてねえじゃねえか!」


 痴話喧嘩、修羅場、その類い。

 流れで解釈すると、この後ろの、大人しそうで綺麗な女性は岸田の元カノらしい。

 最初、岸田にそんなのがいたのかと、ちょっとびっくりした。しかし冷静に考えれば高校時代から偏屈でもそれなりにモテていた。卒業から九年余り。いない方がおかしいかもしれない。


「俺はお前に一度言ってやりたかったんだ! さやかが、どれだけ寂しい思いをしていたか!」


「スグル! やめてったら!」


「お前はさやかの愛情にあぐらをかいてるだけだった! こいつが喜ぶことなんて、何一つしてやらねえで! 一度でも言葉にして不安を取り除いてやったことがあったか?!」


 あの岸田が女性とお付き合いをするくらい成長していたのか、と感心していたけれど、案の定さほど上手くはやれていなかったようだ。


 事情はわかるようなわからないようなだが、高校時代の岸田なら、この押しかけは問答無用で追い出すところだろう。短気ではなかったが、相手の出方を見たりはしない男だった。どうするんだろうと見ていたら、岸田は妙に穏やかな顔で頭を下げた。


「どうも。初めてお目にかかります。岸田と申します」


「山本です!」


 岸田が、高校の頃とは違う社会人のペルソナで場違いな挨拶をしたため、つられて普段の社会生活を思い出したのか、山本が元気よくさわやかに挨拶を返した。

 一瞬胸元に手をやって、笑顔で名刺を出そうとするような仕草をして、ムッとしたような顔でひっこめるのを見た。普段は営業なのかな。山本。社畜の匂いを感じる。


「話がある。入らせてもらうぞ」


「少しならどうぞ」


 血気あふれる山本と、その後ろに気まずげな彼女が続き、リビングのソファで岸田と向かい合って座った。


「俺は一度あんたに会ってみたかったんだ……。俺は、半年前からさやかとつきあっている」


「はぁ……半年前から……」


 岸田が無表情で聞き、彼女の方を見て、彼女が目を逸らした。男の方は感情に入り込んでいるのか、蕩々と続ける。


「でも、こいつはあんたを忘れてないんだよ……俺といても……いつも、遠くを見ている」


 山本が非常にせつなげな口調でポエムをこぼす。

 さやかは、その熱い空気に目を潤ませて口元をひき結んだ。冷静なわたしとの温度差がすさまじい。気付くと半目で舌の先っぽを出していたのでひっこめた。


 岸田は膝の間に座ったわたしの背中に溜息を吐いて頭を撫でた。


「俺はさやかのためならなんでもできる! 毎日だって愛してると言ってやれる! お前が何をやってやった?! ろくに好きとも言わず、デートもろくにしない! 誕生日を祝おうともしない! ろくでもねえ男じゃねえか!」


 そこまで言って山本はこぶしをぎゅっと握った。


「でも、俺じゃダメなんだよ! クソッ! さやかは……お前を忘れてねえ! ……俺じゃ!」


「ご用件は?」


 山本は拳をぎゅっと握って歯をギリギリしていたが、やがて、くっと息を吐いた。


「……どうか、お前にさやかを幸せにしてやって欲しいんだよ……」


「……」


「俺にできることならなんでもする! 火の中にだって飛び込める! でも……こいつは俺じゃ駄目なんだよ!」


 山本はそこまで言って突然床に土下座の体勢をとる。これには彼女もぎょっとした顔をしていた。


「頼む! さやかを、幸せにできるのは……!」


「スグル、もうやめて……!」


「さやか!」


「どうしてわかんないの!!」


 さやかが突然、山本スグルの頬をぱしんと叩いた。山本が驚いた顔でさやかの顔を見る。


「……」


「あたしの……気持ちは……もうとっくに……スグルだけだよ!」


「……で、でも」


「最初のころ、元彼の話しちゃったのは、その頃はまだ忘れられなくて……ごめん……でも、もうとっくに……」


「さやか……俺、ごめん……てっきり……」


「ばかぁ……」


 感極まった感じに泣き出した彼女をスグルがひしと抱き寄せた。本人たちは真剣だが、冷静に見てると茶番に巻き込まれた感覚しかない。


 もっとも、岸田がどこまで冷静に見れているのかはわからない。だって一応半年前まで付き合っていた子なわけだし。目の前でこんなことされたら、やっぱり少しは傷付くかもしれない。


 岸田はしばらく黙っていたが、やがてふうと息を吐き出して言った。


「お前ら……出ていけ」


「あ、ハイ、なんかすんません」


 すっかりご機嫌になった山本が立ち上がる。


 玄関まで行った時には「いやあ、お休みのところ申し訳ないです」などと、普通の社会人みたいにのたまって、頭を下げた挨拶までしていた。


「山本さん、最後にひとつだけ」


「はい?」


「俺がそいつと別れたのは四ヶ月前だ」


「え?」


「おめでとう。あんたは最初から同時進行で比較、検討の上で選ばれている」


 それだけ言うと、岸田はふたりを扉の外に追い出して、鍵をかけた。


 山本の言葉を思い出す。


「俺は、半年前からさやかと付き合っている」


 なるほど二ヶ月間同時使用してどちらにするか決めたのか。気の毒になって、にゃあと鳴いて足に額をこすってやった。


 岸田はふらふらと部屋に戻ると、ベッドに沈んだ。去った嵐の後、天井を見てぼうっと考え込んでいる。


 しばらくして眉根を寄せて小さく唸った。目の上を掌で覆うと頭をぐしゃぐしゃと掻きまわす。


「言葉……言葉なぁ……ううん」


 ブツブツ言いながら唸っている。

 どうやら山本に言葉の足らないろくでもない男と評されたことを彼なりに気にしているらしい。


 追いかけてベッドの上に乗った。岸田はさっきのカップルがいた時にはかけらも見せなかった困り顔をして相変わらず「ううん」と唸っている。


 それから突然わたしをひょいと持ち上げて頬に軽いキスをした。


「俺、お前を愛してるよ」


 わたしも、割と愛してる。

 そう思って「にゃあ」と返す。


 岸田はしばらく真面目くさった顔でわたしを見つめていたが、ぷっと吹き出した。


「お前が人間だったらなあ」


 冗談まじりにそんなことを言うけれど。


 人間じゃ駄目なんだよ。

 人じゃないから。こうして、好き同士でいられるんだ。


 人に優しくできない岸田と、猫になったわたし。こんな形限定ではあるけれど、きっと今だけは岸田はわたしが好きで、わたしも岸田が好きだ。


 大事な誰かと、人間同士でこういう穏やかな関係が築けていたら、わたしの生活も少し違っていたのかもしれない。


 どうしてそれができなかったのだろうか。


 かすかに支えにしていた彼にも去られ、ひとりぼっちになったわたしは、余計にやり場のない自己嫌悪とストレスを抱え込むようになった。


 周囲もみんな、それぞれ会社や新しい家庭を持ったりして忙しくしていたから、予定が合わない。友達は多いと思っていたけれど、広く浅い付き合いばかりで、時が経つほどに、疎遠になっていった。


 わたしは特別排他的だったわけではないけれど、いろんな巡り合わせで、気が付くと少しだけ孤独となっていた。そんな人は結構いるだろう。


 猫ならば甘えられる岸田にだって、人になればきっと、ぶつかり合い、支え合うことだってできなくなるだろう。


 人間じゃ駄目なんだよ。


 人じゃないから、好き同士でいられるんだ。




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