18.引越し前夜
書籍化記念番外編です。
全三話。よろしくお願いします!
プロポーズされてから、岸田の部屋にはわたしの荷物や服がたくさんあったし、なんとなく半同棲的な感じにはなっていたけれど、それでもわたしは自分の部屋をまだ保持していた。
岸田が家主である彼の叔父さんの了承を得て、そろそろきちんと引越しをしようという話になった時、岸田は初めてわたしの部屋に来ることになった。
家の前までは送ってもらったこともあるけれど、わたし達は基本吉祥寺で会うことが多かったので、部屋に呼ばなかったのは本当になんとなくタイミングがなかっただけだ。
ただ、ほんの少し、自分の部屋を彼に見られたくないという気持ちがなかったかというと、嘘になる。
わたしの部屋にはお洒落な雑貨や家具がたくさんある。どれも、個体でみたらとても可愛く、もしくは格好良かったりすると自負している。そもそも魅力的に感じなければ購入はしないので当たり前だ。
しかし、わたしは自分の買ったインテリアのお洒落さには自信があったけれど、組み合わせや配置のセンスは絶望的になかった。
和風、アメリカン、オリエンタル、北欧、さまざまなデザインはそれぞれ可愛かったけれど、素敵と思うと買ってしまうため、揃うと統一感がまるでなかった。
混ざり合っても素敵に配置できる人はいるだろうけれど、稀だろう。さほどセンスのない人間は統一しておくのが無難なのだ。結局わたしの部屋自体は全くお洒落にはなれなかった。
岸田の住む家はその点でいえばひとつひとつはシンプルで、なんてことがないが、色や配置や組み合わせの統一感があってお洒落だし、彼の身に纏う衣服にもそんな感覚はある。
だからわたしは自分の家具を彼の家の家具とあまり混ぜたくなかったし、彼に見せるのが少しだけ恥ずかしかったのだ。
わたしは引越しにあたり机やベッドなどの大きなものは少しずつ処分していた。
長く住んでいたから残りの雑貨や家具もたくさんあったけれど、見られたくない気持ちから岸田が来る前に廃棄をまとめた段ボールへの移動ははかどった。
今日はさらに残ったものであちらになくてこちらにあるようなものを選別できればという目的で来てもらうことにしたのだ。掃除機とか、わたしのやつのほうがたぶん新しいし。
そのほかのものも全部持っていく必要はないけど、全部捨てるのはしのびない。
チャイムが鳴った。
最初で最後の、岸田の訪問だ。
「いらっしゃい」と言って招き入れる。
狭い部屋なので見まわすこともなく全貌が目に入る。岸田はそれでもあたりをじっと見た。
「あれ、もう結構片付いてる?」
「うん、結構進んだよ」と言うとなぜか少し残念そうな顔をされた。
「え、なにその顔」
「ちょっと、見たかった」
「え、ごめんよ」
「でも、十分わかった」
「何が?」と言うと岸田はキッチンのマグカップのあたりを見て目を細めた。
「……本当に、ここで生きてたんだなと思って」
「なんだそれ」
「いや、留里は急に現れたから……ちょっと、なんていうか」
「……高校から知ってたじゃない」
岸田は「それもそうなんだけどな……」と言ってまたキッチンをぼんやり見る。
「ずっと仲良くしていた野良猫の、どこにあるのか知らなかった住処を見つけたような気分だ」
「そっか……」
部屋をそんな風に見たがるとは思わなかった。
こんなことなら、くだらない見栄を張らずに一度くらい呼べばよかった。
不格好であまりお洒落ではないけれど、それでもわたしが何年も暮らした愛しい場所ではあったのだから。
「ねえ、わたしの家具、見てくれない?」
そう言って封をしてない段ボールを開けて中身を取り出した。
さっきまでは岸田に見せる前に捨ててしまおうと思っていた家具達だ。
それでも、彼の家の家具と混ぜるのもいいかもしれないと思ったのだ。
わたしの生活と、岸田の生活、ふたりの人生が混じり合うならば、少しくらい不格好でもいいんじゃないかと思えてきた。
段ボールの前で顔を突き合わせて「これ、いいな」だとか「これは使おう」だとか「これは一体何だ?」とか「こんなものをなんのために買ったんだよ……」などの貴重な意見の元、笑いながら選別を行った。
「頼朝の叔父さんの家なのに、本当にわたし、住んでいいの?」
「身内だから格安だけど、一応家賃払ってるし……そういうことなら物もある程度捨てていいって」
「そっか」
賃貸と思うとだいぶ感覚が気楽になる。
気がつくと日が落ちていた。
今日は土曜日。岸田が帰宅したあとわたしはここで引越し作業を続けて、明日引越し屋さんが来るのを待つ予定だったけれど、思いのほか早く終わってしまった。前から少しずつ進めていたし、意外と持っていく物も少なかった。
「ねえ、お腹減ったし、夕飯にしない? 近所のスーパーで何か買おう」
大きく伸びをして言うと、岸田も「うん、おつかれ」と言って立ち上がった。
一緒に部屋を出て、近所のスーパーへと向かう。
「そうだ、お蕎麦買おう」
「あぁ、引越し蕎麦か……あれって新居の方で食うんもんじゃないのか」
「細かいことはいいよ。引越しから連想してお蕎麦食べたくなっただけだし。……お惣菜の天ぷらも買ってのせて食べよう」
「海老天あるかな……」
いつも行っていた地元のスーパーに岸田とふたりで入るのは、それだけで少し不思議な気持ちだった。
岸田の言う、言葉の感覚がわかった。
やっぱり、もっと早くこっちでも過ごせばよかった。
通いじゃなくて、自分のテリトリーである住処に案内するのはわたしにとっても、こんなにも楽しくて嬉しいことだった。自分の人生に、岸田がきちんと参入してきた感がある。
家に帰ってスーパーのお蕎麦、海老天、ちくわ天、ゆでたまご天とお菓子を床に並べていく。テーブルは少し前に捨てていたので仕方ない。
カーテンを取ってしまった部屋は、電気をつけると外から丸見えなので暗いまま。だけど外から入る街灯の光でご飯を食べれるくらいの明るさはある。
「あ、そうだ。日本酒飲む?」
「日本酒?」
「いや、なんていうか、飲み逃したことがあって……悔しくて買ったんだけどなかなか開ける機会がなくて。でも飲んじゃわないと荷物になるし、いっそ今開けちゃおう」
「あー、蕎麦とも合うし、開けるか」
向かい合って夕食を食べていると、今度はふいに高校時代の岸田を思い出して、それが今ここにいるのがまた不思議になる。
今、目の前でお蕎麦を食べてる。
海老天が好きらしく多めに買って、食べている。こんな奴だったんだ。
「わたし、もし高校の同窓会とかあっても、なんとなく行かないかなーと思ってたんだけど……」
「……」
岸田は特に何も言わなかったけれど、聞かずとも彼に参加の意思がないだろうというのは予想がつく。
お酒をひとくち飲み込んだ。
「でも、頼朝と行きたいかも」
岸田もつられたようにお酒を飲んでわたしの顔を見た。
「それで、みんなに結婚するって言いたい。すっごい驚くと思うよ!」
「……驚くだろうな」
あの岸田と、わたし。珍妙な組み合わせだし、一体何があったのかと問いただしたくなるだろう。
「……でも、俺が一番驚いてる」
「え、そうなの?」
「あの、舞原と……結婚」
岸田は呟いてから少し可笑しくなったらしく小さく笑った。
猫になったあの日々がなければ、お互い、ほかの相手と結婚をしていただろうか。あるいは、ひとりだったかもしれない。そして、もし再会の機会があったとしても、ここへはたどり着けなかっただろうと思う。
にゃんてん様は、わたしにとっては本当にありがたい縁結びの猫神様だ。
いつの間にかお蕎麦と天ぷらはなくなって、お酒を飲みながらお菓子をつまんでだらだらと話をしていた。昔食べた美味しいお店の話とか、雨の日の洗濯の失敗の話とか、本当にどうでもいい、明日には忘れてしまうような話。
「留里」
「なに?」
突然思い詰めたような声で名前を呼ばれて、口の中のお菓子を飲み込んで顔を見る。
「留里……」
「うん」
「留里」
「…………もしかして、酔っ払った?」
「留里」
「酔ったんだね……」
そこまで飲んでないのに……と思って酒瓶を見ると結構飲んでいた。少なくともわたしよりは飲んでいる。
「……ちょっとこれ見て」
岸田が酔っ払ってるのが面白くて、段ボールから高校のアルバムを出して、隣に座って広げる。
自分のクラスのページを開けて「ねー、熊谷ってどんな奴だっけ?」と指差して聞いてみる。
「……真面目な優しい奴だった」
「えっとじゃあ、鈴木は?」
「やたら細かいところに気のつく奴だったな」
「塩沢は?」
「……人柄はよく覚えてないけど字が上手かった」
前とおんなじこと言ってる。
吹き出しそうになるところをこらえて、自分の写真に向かって指を差す。
「この人は?」
「これは、舞原留里」
岸田がアルバムを見ながらぼんやりつぶやく。
「どんな奴?」
「……猫みたいな奴」
「なにそれ?」
「可愛くて……一緒にいると人生が楽しくなる……ずっとそばにいて欲しい奴だよ」
前と言ってること変わってるけど……。
ちょっと恥ずかしくなって顔を見ると岸田が無言で自分の写真を指差してきた。
「え、わたしが答えるの?」
「ん」
「これは、岸田頼朝……」
「どんな奴?」
そう聞かれてほんの少し考えた。
どんな人……。
「……わたしが結婚する人」
岸田は自分の写真をじっと見ていたが、目をゴシゴシこすった。
「留里」
「うん」
「留里、結婚……」
「うん」
「して欲しい」
「いや、するでしょ……だから引越すんだし」
「本当に?」
「嘘なら怒るよ……」
「真実?」
「あ、あぁ、うん、しんじつ」
「真理」
「何言ってるの?」
「留里……ありがとう」
「……何言ってるの?」
「結婚、嬉しい」
「なんでカタコトなの?」
「すげえ嬉しい……」
そんなに嬉しいのか。
「うん。結婚、しよーね」
「する」
ふたり、段ボールだらけのカーテンのない部屋の床にごろんと横になった。
片手を伸ばして、指先をつなぎ合って天井を見る。やっぱり不思議な風景。
わたしと彼の日常はどんどん混ざり合い、やがていつか同化して、きっと新しい色をつくっていくだろう。




