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17.十月の青空


 十月になって、岸田がプレゼントに指輪をくれた。


 岸田は昨日の夜から怪しい動きをしていたので、これのことかと腑に落ちた。今朝は休日だというのに早くから起こされて、わたしはソファで目を擦りながらコーヒーを飲んでいたところ渡された。


「わーありがとう! 綺麗!」


 岸田がくれた指輪は、綺麗な石がついているけれど、あまりゴテっとしていないシンプルなデザインで、わたしは一目で気に入ってしまった。リングの内側に小さな青い石が埋め込んであるのも可愛い。


「内側の石は瑠璃。名前にちなんだ」


「あ、わたし誕生石なんだよ」


「うん、そう」


 知っててそこもちなんだらしい。てことは誕生日プレゼントなんだろうか。しかしわたしの誕生日は十二月。つまり、誕生日はまだ二ヶ月先だった。


 そうすると、以前ペアリングを買うとか買わないとか、指輪を贈るとか、そんな話をしたからくれたんだろうか。

 でも、なんか気軽なプレゼントにしては高そう。ちょっと気になっていたんだけど、これダイヤモンドに見える。いや、わたしダイヤとかそんなに見たことないから、違うかも。


「あの……これ、なんのプレゼント?」


「プレゼントじゃなくて、プロポーズだよ」


 岸田が無表情でしれっと言うので、思わず顔をまじまじ見た。


「留里、結婚して欲し……」


「したい! する!」


 わたしはテンションが上がって部屋中を駆けまわり、クッションに抱きつき、そのまま岸田に投げつけた後に岸田に抱きつき、大喜びした。本当に嬉しいんだから仕方ない。

 一方の岸田はほっとした顔をしていた。


「似合う?」


 ファッションリングでもないし、私服で似合うとか似合わないとか、そういうものでもなさそうだけれど、指輪をつけて聞いてみる。


「似合う……可愛い」


 岸田は伏目がちにボソリと言った。猫のわたしにはモテるイケメンみたいな顔で愛をささやいていたくせに、人間のわたしに対してはだいぶ恥ずかしがりというか、モジモジしていることが多い。どちらも岸田で、どちらも好きだ。


 わたしと岸田の初めてのペアリングの方は、結婚指輪になりそうだ。そう考えてにやついた。


「親、挨拶しないとな」


「あ、そうだね」と答えてから少し考えて、また口を開く。


「今日……先にお母さんのとこ行ってもいい? ここから近いから」


「え? 今日? 向こうの都合は? あれ、お父さんは今長野って言ってなかったか……別々に住んでるとか?」


「お母さんは、多磨霊園にいる」


「それは、多磨霊園駅に住んでるってこと? それとも……」


「中にいる方」


 岸田は少し黙ってわたしの顔を見る。それから「わかった」とだけ言った。





 お墓参りの時のことは、よく覚えていない。お花を買う時に少し会話した気もするけど、岸田ともほとんどしゃべらなかった。


 ドラマみたいに、お墓に話しかけて結婚報告とかもしなかった。なぜだか胸がいっぱいで、頭の中もいっぱいで、一言もしゃべれなかったのだ。

 岸田の顔も見れなかった。だからそれは、思っていたよりも、自分にとってものすごいことだったのかもしれない。


 道中、晴れた午後に手を繋いでゆっくり歩いていた時のことばかり覚えている。


 帰り道の途中で、わたしはほんの少し泣いてしまった。理由は自分にもわからない。岸田も、その理由を聞いたりしない。泣くなとも言わない。


「あのさ……わたしのこと、いなくなった猫の代わりにしていいから…………」


「……」


「岸田のこと……お母さんの代わりにしてもいい?」


 馬鹿なことを言ってると思っていた。


 誰かの代わりなんて、いないし、それとこれは別の話だ。

 それでも、なんとなくそれを口にしてしまったのは、なんでだろう。なんとなく、寂しくなって、その言葉に頷いて欲しかっただけかもしれない。意味のない肯定を慰めとして求めていた。


 こちらを向いた岸田が「それは無理だ」と短く言ったので、びっくりした。


 そうだ。こいつはそういう奴だった。

 その場しのぎの肯定はしない。思ってもない慰めもしない。でも、さっきからずっとわたしの手を固く握っていてくれる。岸田はそういう奴だ。


 口に出した時は肯定して欲しかったのに、岸田が頷かなくてよかったと思った。


 そんなのは、どちらも、無理だ。

 わたしにとって、岸田の代わりがどこにもいないように、猫やお母さんの代わりだって、きっといない。チキンカツはわたしだけれど、同じものには、やっぱりなれない。


 だからわたしも「そうだね」と頷いて、その一連の思考を空に飛ばした。


「弁天様に寄って、挨拶していこう」


「いいよ」


 弁天様は、縁結びの神様でもあるから。

 いろんなことが思う通りにはいかないだろうけれど、これからなんとか頑張っていきますって、言っておこう。


 それから、特別な孤独もない、だけど人より少し足りない、どこにでもいるわたしたちを引き合わせてくれたことにも、お礼を言っておこうと思っている。


 弁天様には大きな白い猫がいて、ベンチのひとつをどっかり占領して、のんきに昼寝なんてしていた。それを横目で見ながら、お参りをする。


 公園を通っていく帰り道。十月の空は青かった。


 天気が良くてよかったな、と思う。

 今日でよかった。


「岸田、どうして誕生日にプロポーズしなかったの?」


「え、やっぱり誕生日がよかったか?」


「ううん、早い方が嬉しい」


 一分でも、一秒でも早い方が嬉しいに決まっている。


「ならいいだろ」


「いや、なんで今日だったのか、気になるじゃない」


「あぁ……単に、指輪の準備ができて……それで……」


 岸田はしばらくためらっていたけれど、前を向いたままボソボソと答える。


「……待ちきれなかったんだよ」


「……」


「悪いかよ」


 そう言って笑う岸田の顔は、今まで見たことのないもので、わたしはまだ彼の知らない顔がたくさん残っているのを知る。


 でも、それを知るのも楽しみだ。


 わたしは岸田の新しい顔を、いくつでもみつけたい。



 そうしてわたしは大きく息を吐いて、また大きな青空を見上げた。




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