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14.初恋


 岸田に振られた。

 わたしがそこで食い下がらなかったのは、単に呆れたからで、諦めたわけではなかった。諦める気なんて、カケラもなかった。

 わたしは普段はせっかちな方だったけれど、岸田に関してだけは、かなり長期的に考えていた。


 わたしは彼に会ったことで、失っていた覇気を取り戻した。人間として生きたいと、生き直したいと、命をもらったようなものだ。岸田がすべてを変えてくれた。

 だから、今度はわたしが岸田を救ってあげたい。それが自己満足でしかなくても。はっきりした拒絶をされるまでは頑張ろうと思っていた。


 ただ、このまま付き合ってても岸田の様子がおかしいのは直らなそうだし、親しくなればなるほどに戸惑いが増していくのを感じていた。

 押して駄目なら引く。それに、なんだか混乱しているみたいだし、少し考える時間が必要かもしれないから放っておこうと思ったのだ。

 岸田の拗らせ方は年季が入っている。すぐになんとかなるものでもなさそうだしと、悠長に構えていた。


 しかし、そこから日を置かず、岸田から連絡があった。仕事終わりにスマホの着信に気が付いて、かけなおす。ワンコールで出た。


「……舞原」


「うん、どうしたの」


「…………悪い。なんでもない」


 そう言って、電話は切れた。


 なんだよ……。


 好きな人じゃなければ、控えめに言っても不審者。


 その二日後。金曜日。深夜。

 わたしは寝ていた。岸田じゃなければその電話には出なかった。そんな時間。


「舞原」


 冥府からの電話かと言うくらいどんよりした声だった。岸田だとわかってなければ金切り声で叫んで切っていただろう。


「なんだよ……眠いんだけど」


「俺達、友達になれるだろうか……」


「えぇ? そりゃ無理だよ」


「なんでだよ!」


「岸田、明日会える?」


「会える」


 無理とかなんとか言って振っておきながら、夜中に電話をかけてきて、会えるかの言葉に即答する男、岸田。うん、いつも通り。


「じゃあそん時話そう。わたし、眠いんだよね」


「舞原」


「おやすみ」





 昼近くに起きたわたしは、「今起きたから向かう。迎えはいらない」と雑な連絡を入れてそのまま岸田の家に押しかけた。


 岸田が待ち構えていたかのようなスピードで扉を開けたので、若干引いた。え、もしかして玄関にいたの? っていう早さだった。


「ひ、久しぶりだな!」


「うん、お邪魔しまーす」


 元々週末しか会ってなかったから、大して久しぶりでもないよな、と思いながらリビングのソファに座ると岸田が隣に腰掛けた。その距離が自然に近くて、嬉しくなった。


「岸田がわたしを振った理由について聞かせてよ」


 そう言うと、岸田は頷いた。少し考えてから、口を開く。


「舞原は、幸せが唐突に打ち切られたことがあるか?」


「……岸田、そんなのあったの? それって、結婚寸前でご破算とかそういうの?」


「そういうことは、ない。もしあっても、さほどショックは受けない。俺は、人には絶対期待を寄せないようにしてる」


「……なんで」


「無駄だから」


「……」


「でも……先日、うっかり人でないものに期待を寄せ過ぎてしまって……油断しきっていた。それが急になくなった時のダメージがでかすぎた」


 岸田の言う人でないものは猫だろう。その辺の細かい事情は知っていたので、聞かないことにした。その代わり気になったことを聞く。


「岸田の言う、期待って?」


「たとえば……俺と……ずっと……一緒にいてくれるとか……」


 岸田は相当恥ずかしいのか、顔を逸らしてごにょごにょした。


「舞原は、特殊なんだよ。うっかりすると、そんなことを……思ったり……しそうになる。今までそんな相手いなかった。だから危ないんだよ」


 それは、危ないじゃなくて、怖いの間違いじゃないかと思ったけれど、黙っておいた。


「ねえ岸田、もういい加減諦めなよ……」


「諦める?」


「岸田、わたしのこと好きなんだよ。もうそれ諦めて、認めなよ」


 言葉では言われなくても、岸田の態度はそうとしか見えなかった。もしかしたら、以前のわたしでは気付かなかったかもしれない。

 それがわかるのは、わたしの前の彼氏のことがあるからだ。


 あの人は口では優しいことを言うけれど、行動はまったく伴ってなかった。わたしが会いたいと言っても、常に自分の予定を優先させていたし、そこを調整しようとしてくれたことも一度もなかった。誕生日だろうが、落ち込んで泣いていようが、一度もだ。 

 丁寧な言い訳と残念そうな言葉、優しい言葉だけは毎回たくさんもらっていて、それでなんとなく誤魔化されていた。

 彼が悪いのではない。ただきっと、わたしのことをそこまで好きじゃなかっただけだ。わたしだって、きっと甘えられる対象として彼をわかろうともしなかった。わたしと彼はきっと、お互いわかって欲しいという気持ちが衝突していた。


 わたしは猫の状態で、岸田を見てわかろうとした。理由は猫だから。押し付ける人間の言葉がなく、理解する側にまわるよりなかった。


 岸田と彼は対照的だ。だから、岸田と彼の両方のことがよく見えるような気がしている。きっとどちらも、別方向に欠けた部分があって、どちらが優れているわけでもないけれど、わたしは岸田の方が好きだ。


「岸田、恋愛したことある?」


「……あるよ」


「付き合った人数じゃなくて……好きな人いたことある?」


「……どういうことだよ」


「岸田の言ってるのってごく普通に恋愛した人間が抱える不安でしかないと思うんだけど……」


 ただちょっと、ものすごい拗らせ方をしてるけど。言ってることは要するに思春期の乙女の怯えと変わらない。しかし、その拗れの原因の一端はチキンカツのせいでもあるので、あまり言えない。


「お、俺は……恋愛くらい……あるよ」


 こりゃ、ないな。


「だいたい友達になれるかって言ってたけどさ、岸田はわたしに彼氏ができて、結婚して、それを祝えるんだ?」


 岸田は言葉につまった。そして床を見て、えらく苦々しい顔になった。


 そして、しばらく床を見続けていた。

 岸田が考えている時間が長くなってきたのでわたしは伸びをして、鞄からペットボトルを取り出して飲んだ。脚を伸ばしてふうと息を吐く。


 それから窓の外を見ていたら、岸田が身じろぎする気配を感じてそちらを見る。


「わかった」


 ここ最近、情けない困った顔しかしていなかったのが嘘のように、何かができあがっていた。とても凛々しい顔だった。わぁ格好いい、と思った。


「俺なりに手遅れにならないようにと考えていたんだけど……もうわかった」


「何が?」


「もう既に手遅れだった……」


「……」


「もう諦めるというか……腹をくくる」


「はぁ」


「留里」


 岸田が突然名前を呼んだので、何かに気付いた猫のように背筋がぴんと伸びた。岸田の顔を正面から見つめる。


 岸田は悟り切ったような顔でわたしを見つめて、溜息をひとつ吐く。


 それからわたしの顔を見て、ようやく、諦めの言葉を吐き出した。


「留里、好きだ」




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