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8.兄との再会


 岸田が昼食を作ってくれるというので日曜日の正午に駅前に降り立つと、改札に、買い物袋をぶら下げた岸田がいた。どうやらもうメニューは決まってるらしい。


「何作るの?」聞くと「牛すじ煮込み」と返ってきた。


「牛すじカレーにしようかと思ったんだけど、カレーはこの間食べたし」


「う、うん」


 まだ牛すじブーム終わってなかったのか。

 とはいっても、わたしは牛すじ煮込みは下茹での段階で臭み消しに葱が入ってるからという理由で食べさせてもらえなかった。実食は初めてだ。


 久しぶりの岸田の住居。

 思ったより早く戻ってこれた。わたしにとっても可愛くて、懐かしい我が家だ。嬉しい。まるで初めて来たかのように感嘆の声をあげたわたしは、本当のところ古巣に帰れたような感動に震えていた。


 キッチンの端に猫用のごはんのお皿とお水のお皿がおいてあった。それをじっと見ているわたしに気付いた岸田が言う。


「少し前まで、猫がいたんだ」


「そうなんだ。どんな子?」


「世界一賢くて……可愛いやつだった……」


 模様とかそんなのを聞いたのに、主観的な感想を語られた……。


「ある日急にいなくなってしまったんだけど、いつか戻ってくるかもしれないと思って、とってある」


「……うん」


 寂しげな顔を見て思う。

 わたしは猫の状態で岸田と関わってしまった責任がある。それを埋めることはもしかしたらできないかもしれないけれど。

 少しでも笑わせて、岸田が孤独感を抱えることが減るように、頑張りたい。


「でも、牛すじって、時間がかかるイメージだけど」


 岸田、休みの日、一日中茹でてた気がするんだけど……。


「すぐすむよ」と言うのでなんとなしにキッチンを後ろから覗く。


 岸田、圧力鍋を買っていた。


 岸田の牛すじにかける熱い想いが圧力鍋となった。いや、ガス代の節約にもなっていいかもしれない。


 リビングで待っていてと言われて、ソファに腰掛けてぼんやりしていると、チャイムが鳴った。


 岸田が玄関に行く。ガサガサとした音と共に騒がしい声がきこえた。


「頼朝、この間言ってたレコードみつけたんだよ! 俺んちプレイヤーないから! 上がるぞ!」


「兄貴、急に来るなよ……」


「えぇ……なんだよ。あ! 誰か来てる! 女の子! おじゃまする!」


 聞き覚えのある声と共に岸田兄が登場した。


「こんにちは。初めまして、頼朝の兄です」


 わたしにとっては、初めましてではない彼は見たこともないようなさわやかな顔で挨拶をしてきた。引いた。


「初めまして。舞原留里です」


 まだ「お付き合いさせていただいてる」と、言えないので、名を名乗るに留めた。


「あれ……えっと、あぁ!」


 岸田兄はわたしの顔をまじまじ見て、気付いたように声を上げた。


「頼朝の高校の同級生かな? アルバムで見たことがある」


「え、あ、そう……ですけど」


「可愛かったから、覚えてたよ。写真よりずっと綺麗だから、すぐには気づかなかったけど」


 歯の浮くようなお世辞を言った彼はまたさわやかに笑ってみせた。この人誰。

 わたしは、多少半目になったが、笑いになってるか怪しい愛想笑いを浮かべて、顔を逸らした。


 でも、高校時代のアルバム、イモじゃないですか? そんな嫌味を言わないために歯をギリギリと噛み締めて必死であった。


 岸田兄はキッチンに行って岸田とボソボソ話している。とは言っても壁を一枚隔てた隣なので、耳をすませば内容は聞こえる。


「なんで急に来たんだよ」


「レコードがみつかったからだよ。叔父さんのプレイヤー借りようと思って。連絡したのに、お前が出ねえからだ。あれ、さやかちゃん別れたっけ? そういやお前最近暇そうだったもんな」


「さやかとはだいぶ前に別れたよ」


「で、あれが新しい彼女?」


「まだ、彼女じゃない……」


「それでも家に呼ぶくらいになったらお前言うだろ。なんで黙ってたんだよ」


「なんとなく……言いたくなかった」


「え、まぁ、お前の今までの彼女とはタイプ違うもんなー、何? あんまし好みじゃないの? つきまとい系? じゃあ俺つまみ食いしていい?」


「そういうことじゃない。やめろ」


 言うに事欠いてつまみ食い。初対面の女を軽んじるにもほどがある。この兄の、女を馬鹿にしたこの感じがわたしはとても嫌いだ。自分の顔の良さから、平気で一段下のものとして上から気安く扱う感じ。めらめらと憎しみの炎が燃え上がる。


「へぇ……。あれ、飯、俺の分もあるの?」


「変なタイミングで来るから……仕方ないだろ。食ったらすぐ帰れよ」


「へいへい」


 そこから牛すじでランチとなった。岸田はごはんにお味噌汁と、漬物を付けて定食風にして出してきた。

 この家にあったものなのだろうけど、お皿とか、いちいち可愛いのでお店みたいだった。


 岸田の牛すじ煮込みは絶品であった。味がよく染みてる。

 お邪魔な兄がいなければもっと美味しかったと思う。


「留里ちゃんは、彼氏とかいるの?」


 兄がなんの気なしにジャブを放つ。


「彼氏がいたら元クラスメイトの男子の家に来て、ふたりきりで会ったりしませんけど。そういうタイプに見えましたか?」


「……いや、そういう意味じゃないけど、ほら、モテそうだなと思って」


 また思ってもないことを。

 勝手に名前呼びされたのにムッとしたのもあって、割と敵意が丸出しになってしまったかもしれない。


 思いのほかの塩対応に岸田兄は少し目を丸くしたけれど、その後下を向いてちょっと笑った。


 わたしの挑戦的な態度に兄はひるまず気にせず、むしろ丁重に扱う必要がなしとそちら方向にシフトしたようで、面白がるように質問を続ける。


「頼朝とはどこで会ったの?」


「駅前ですが、取調べですか?」


「頼朝と付き合うの?」


 岸田がいる前で、なんて意地悪な質問だ。また腹が立った。


「それはわたしひとりで決められません。なんでそんなこと答えなきゃいけないんですか」


「う、うん」


「お兄さんは彼女いるんですか?」


「あ、気になる?」


「いえまったく」


「もしかして、俺のこと嫌い?」


「いいえ。よく知りませんから」


 無礼さがヒートアップするにつれ、わたしの塩っけもマシマシに増量していき、岸田兄が吹き出した。


「ねえ、留里ちゃんの好きな男のタイプは?」


「猫が好きな人がいいなぁ。猫が嫌いな男の人って今までの人生で、ろくな人がいないです」


「あそう……」


 黙って食べていた岸田がごふっと吹き出した。そのまま、岸田だけがくすくすと笑い続けるのを兄がじっとりとした目で見ていた。


「もしかして、お嫌いなんですか?」


「いや、俺ほどの猫好きもいないと思うよ」


 嘘八百並べ立てられるこの男はやはり信用ならない。


「留里ちゃんが邪魔にするから、もう帰るよ」


 食べたら帰る予定だったくせにわざわざ嫌味をもらして、岸田兄が立ち上がる。


「邪魔になんてしてないです……」


「え、じゃあもう少しいようかな」


「やだ。気をきかせてください」


「すげーはっきり言ったな」


「わたしも玄関まで見送りますよ。さぁ、出ましょう」


「すごい圧を感じる……!」


 当然だ。全力で圧を送っている。


「帰るわ。頼朝、ごちそうさま。美味かった」


 兄が笑いながら岸田に言って玄関に向かう。ふたりでついていった。


「じゃあね、留里ちゃん。今日ありがとね。また会うと思うけど、これからよろしく」


「え、また会うの……?」


「一応頼朝の兄だからね……きっとまた会うと思うよ」


「そうかぁ……。じゃあ仕方ない。よろしくお願いします」


 嫌がるのをわかっていて手を伸ばしてきたので、雑にぺしっとはたいてやった。


「露骨! 露骨すぎるよ!」


「お疲れ様でした。それでは! お元気で!」


 最後の方はもう背中を押して追い出す感じになった。玄関がぱたんと閉じて、はっと我に返る。


「ご、ごめん……」


「いや、舞原だなぁと思ったよ」


「うん……つまみ食いとか言うから……地が出ちゃった」


「聞こえてたのか……。そんなことさせないし」


「うん……」


「兄貴は俺に彼女ができたりするとああやって、面白がって試すようなことするんだよ」


「それは迷惑だね」


「いや、それで相手の本性がわかることも、たまにあるし……それに、それでも」


「え?」


「兄貴は誰とでも仲良くなれる」


「な、仲良く……?」


 まあ、確かに思うさま無礼な対応をしたのに、なんだかんだ短時間で気安くなっていたので、すごいのかもしれない。わたしの対応にマジギレするタイプだとああはならなかった。気まずくなって終わりだろう。そういう意味では兄のコミュ力は高いのかもしれない。


 それからふたりで、黙ってソファに座った。少し遠い横並び。


「兄貴は昔から、バスを降りる時に必ず、ありがとうございました、って言うんだよ」


「あぁ」


「コンビニでちょっと買い物した時とかも、本当に、どこのお店に行っても自然に言う」


「……」


「俺は、その簡単なことが、なんでか……あまりできない。だから、尊敬してる」


「……うん」


 こんなことも、人に戻らなければ知れなかった。




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