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7.映画館


 長い一週間が過ぎて、わたしはまた岸田と会っていた。今日は約束の映画。

 映画館は駅前の、黒字に白文字のレトロな看板が可愛いところ。わたしはこのビルの風体が好きだ。


 映画のいいところは、黙って隣にいられて、同じものを観ていられるところ。


 それから、観終わった後はなんとなく映画の話をすればいいところ。


 の、はずだったのだけれど、わたしは前日にあまり眠れてなくて、途中、ついうっかり眠ってしまった。結構な不覚。結局、せっかく会えたのにろくに話さず寝ていただけだった。次はもっとちゃんと挑みたいところ。吉祥寺はミニシアターも含めいくつかあるので、場所を変えてまた誘ってみよう。


 映画館を出たけれど、昼食には遅く、夕飯には早い時間。まだそこまで長時間拘束もできなそうだしと思い誘って井の頭恩賜公園に向かった。岸田は人が多いお店はやや苦手そうなので、こういう時、大きな公園はとても便利。


「岸田、アイス買わなくていいの?」


「え?」


 岸田は公園の売店のアイスクリームをちょっとずつ制覇しようとしていた。来るたび毎回違う味を買っていくのだから、そうとしか思えなかった。それを思い出してつい言ってしまったのだ。

 何気なく聞いてしまったあとに、わたしが知っていることじゃないと気付いて、しまったと思った。


「いや、えっと、わたしアイス食べるけど」


「そうか」


 わたしはバニラのアイスを買って、岸田はなぜか買わなかった。いいのか。三十五個くらい味があって、確か十個以上は食べていたと思ったけれど。しかし本来わたしが知るよしもないことなので、それ以上アイスの追求はよした。


 ゆっくり食べるため、適当なベンチに腰掛けると、岸田も少し離れた隣に座った。


 わたしは岸田と何も言わずに一緒にいるのが好きだ。でも、さほど親しくない間柄だと、やっぱり気を使って何かしゃべった方がいいのかもという思いは少しある。


 でも、いいや。

 今は、アイス食べてるから。


 心で言い訳してアイスを口に入れる。

 春の緩い風が頬を撫でていく。

 のどかさに幸せは覚えるけれど、他人行儀な関係性の岸田が近くにいるのはどきどきもある。


 少し遠くに猫が見えた。小柄な、灰色に黒の縞模様。わたしのとは違うけど、少し似ていた。


「チキンカツ……」


 隣で小さく、つぶやく声が聞こえた。


 一瞬そちらを見たら、目が合った。

 わたしははっきりと声を聞いたけれど、なかったことにしてやろうと思って前を向いた。


 しかし、岸田の方は上手くなかったことにできなかったらしく「チキンカツ、食べた」などと誤魔化しにもならない不審な言葉を継いできた。


「そ、そうなんだ」


「うん」


 いつ? どこで? そのチキンカツの話は広げた方がいいのか、嘘なのがわかっているのでここで止めた方がいいのか、迷うところだ。


 わたしは迷いながらアイスをぺろぺろしているうちに、その味に集中し、結局何も言わなかった。


 アイスを食べ終わって立ち上がる。

 チキンカツのことを考えていたら、ぼんやりして、わたしはなんてことのない道で足を滑らせ、あえなく尻餅をついた。


「うわぁ、最低」と呟いて起き上がろうとしたけれど、地面に手は付きたくない。


「ごめん。手、かして」


「あぁ、うん」


 岸田が手を伸ばしてきたので、わたしは反射的に以前の癖が出た。


 一瞬だけ、岸田の手に両手でじゃれたのだ。


 さすがに齧り付かなかったところは褒めてもらいたい。

 一瞬ですぐに気付いたので、そのまま上手いことなかったことにした。できたと思いたい。岸田も一瞬眉根を寄せたが、何事もなく手を取って引っ張り上げた。大丈夫。たぶん大丈夫。そう思いながらも顔面が猛烈に熱くなる。


 ごふっと声が聞こえて、そちらを見ると、そっぽを向いた岸田が笑いを堪えようと奮闘していた。結構苦しそう。


 岸田は何かツボに入ったのか、結局こらえきれずに肩を震わせて笑いだした。


「お前……今の、なんだよ」


「……なんでもないよ!」


 お尻を払いながら不貞腐れたふりで答えたけれど、岸田はそれでもしばらく笑っていた。


 だいぶ恥ずかしかったけれど、そこから少しだけ、岸田の様子が気安くなった感じがした。


「舞原が、……恋愛に結びつかなかったのは、舞原だからじゃなくて……」


「うん」


 恋愛、という単語が出てきたので、改めて伝わっていたのだとドキッとした。


「高校の頃の人間は誰が相手でも、そうだったと思う」


 岸田は高校時代のクラスメイトとは、仲良くなかったし、みんなに嫌われてると思っていたのだから、そうなるかもしれない。


「でも、舞原は……俺の中で、ちょっと特殊なんだよ」


「え、特殊って、どう特殊なの?」


「どうって、説明はできないけど、お前の記憶だけ、ちょっと浮いてる」


「ちゃんと説明してよ」


「高校時代のフォルダとは別のフォルダに入れてたことに気付いた。久しぶりに会ってからも、ずっと、特殊なフォルダに入っている」


「こんなに説明にならない説明する人初めて見た……」


 呆れてもらした言葉に岸田は苦笑いで答えた。


「舞原は……どうして偶然会った時に、俺とまた会おうと思った?」


 好きだから。理由はそれだけだ。

 でも、岸田からしたら、偶然再会しただけのクラスメイトがまた会おうと即座に連絡先を聞いてきた、どうしてそうなったか不思議だろうと思う。


「えっ……と、かっこよかったから?」


「……それは嘘だろ。お前高校の頃から俺のみてくれに興味なんてなかっただろ」


 嘘だろと言いつつも、どことなく照れてまんざらでもなさそうだったので、押し切れるかと思って頑張ってみる。


「かっこよかったからだなー……」


「本当は? やっぱなんかの勧誘なのか?」


 しかし怪訝な顔で見られて、なかなか信用されていないことを知る。


「高校の頃から好きだった」


「……」


「って言ったら信じる?」


「信じない」


 岸田ははっきりと断言した。


「うん。高校の頃は、なんとも思ってなかった」


 岸田がわたしの表情を確認するように覗き込むので、頬が熱くなった。心臓がばくばくする。


「ひ、久しぶりに会って、また会いたいなと思っただけだよ……」


 岸田のことは言えない。わたしの説明も酷いものだった。

 けれど、この回答はいくばくかの説得力があったらしく、岸田はなんとなくの納得を見せた。


 そのままふたりでなんとなく池の手前まで行って、水面を覗く。特別変わったものがあるわけじゃない。名前を知らない鳥と、亀が見える。そんなのどかな風景。


 今、同じものを見ている。


「岸田、来週も会える?」


 とりあえずで声をかけたら、岸田は思いのほか眉根を寄せた。


「え、あぁ……でも、舞原、映画館で眠そうにしてたから……」


「え、大丈夫だよ! どこか、遊びたい」


 新しい会社はなんだかんだ、まだ試用期間。新しく覚えることもあったし、多少緊張疲れてもいた。土曜日に服を買いにいったりしていたのもあって、疲れが抜けていなかった。だからといって、岸田と会うのがなくなったら本末転倒だ。


「いや……うーんと、疲れてるみたいだし……」


 遠まわしに断ろうとしているんだろうかと思ったけれど、岸田はそういう断り方をしない気もする。だとしたらわたしが映画館で寝てしまったから、本当に気を使われている可能性がある。


「……っ、疲れてても、岸田と、会いたい」


「えっ、あっ……あぁ……」


 岸田が驚いたような顔をして、口元を緩く隠した。


「その……」


「う、うん……」


 ちょっと焦っていたら、岸田も焦りが伝播したみたいに、少し早口で言った。


「疲れてるなら、来週は、家に来るか?」




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