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6.カレーを食べる



 金曜の夜に岸田から電話があった。


「舞原、日曜の映画なんだけど、来週でもいいか?」


「え……うん。予定入っちゃった?」


「いや、俺来週からやるやつの方が観たいから。そっち行きたいんだけど」


「え、そうなん?」


「二週連続で映画行くこともないかと思って、そっちでもいいか? 舞原、あっち観たかった?」


「いや、いいよ……」


 そんな理由かよ。まぁ、確かにわたしも口実にしただけで、そこまで観たいやつじゃなかった。それでも会うのは楽しみにはしていた。予定延期かと思っていると岸田が普通に続ける。


「飯でも食う?」


「えっ」


「……俺と会うのがメインの目的なんじゃないのかよ」


「目的だけど……」


 映画じゃなくてもいい。目的はもちろん岸田だ。


 でもその物言いに、ちょっとムッとした。気に入らない。この間までわたしのあとを「チキンカツチキンカツ」言いながら追いかけまわしていたくせに。今のは「追いかけるのはそっちだろ」みたいな態度に感じてしまった。


 いや、でもそれは間違ってるかもしれない。

 岸田の顔立ちと、高校時代のキャラクターからだとそんな風に受け取ってしまいがちだけれど、わたしはもう、彼という人間のことをちゃんと知っている。

 更新された最新の岸田データからだと、物言いがぶっきらぼうなだけで、今のは意思確認みたいなものだろう。岸田は割と卑屈な性格をしているので、そちらが妥当。


「うん。ごはん食べよう」と言うと、少しほっとしたように「うん」と返ってきたので、やっぱりそうだと思った。


 わたしはたとえば岸田兄のように偉そうで、女性に対して常に上からの人間はどちらかというと嫌いだ。

 岸田はそんな人ではない。彼は見た目はそこそこ華やかだけれど、中身はそぐわず木訥だ。でも、ぱっと見だとそれはわからない。わたしはもう彼がそうではないと知っている。


 そう思うと、もし高校時代に別れたきりで、そのまま再会してこうなっていたら、わたしは彼を誤解してしまって、まず上手くいかない。それに、好きになってもいなかっただろう。


「じゃあ昼飯食おう」


「あ、そしたら、わたしカレー食べたい!」


「それでいい」







 かくして約束の正午。岸田とわたしは東急の裏手に昔からある、カレーが美味しい喫茶店にいた。

 喫茶店の中は少し薄暗くて、外の世界から遮断された隠れ家のようで落ち着く。

 店はわたしが選んだ。吉祥寺はカレーの美味しいお店も多いけれど、カレー屋さんのカレーとは少し違う喫茶店のカレー、だけどちゃんと煮込んで作られたここのカレーがわたしは好きだ。


 わたしが初めてここに来たのはいつだったかな、と思う。そんなに頻繁に利用していなかったけれど、印象に残る店だ。

 初めて来たのは中学の頃だ。友達と一緒に、昔ここの上の階に誰でも知っている有名アニメ会社の仕事場が入っていたと聞いて、だいぶミーハーな気持ちで訪れたのだ。次に来たのはたぶん大学生になってからだ。やっぱり友達と遊びにきていて入った。


 その時は数年後、岸田と来るなんて思わなかった。岸田との関わりは高校で終わったと思っていた。


 ある場所が年月を経て、やっぱり同じようにあって、そこにいる自分は姿を少し変えている。そういうことはたまにあって、少しくすぐったいような嬉しいような気分になったりもする。


「岸田はいつからこの辺住んでるの」


「公園沿いに家があって、元は叔父一家が住んでたのが、叔父さんがひとりになって……」


「え、なんで」


「逃げられた」


「……どうして」


「偏屈だから」


「ほお……」


 すごい、簡素な理由。理由というか、原因なのかもしれない。


「で、しばらくひとりで住んでたんだけど、家空けることになって……場所もいいし、誰か住むかって言われて俺が手を挙げて、ひとりで住んでる」


「ご両親は?」


「実家は三鷹だから近いけど」


 この辺の情報はなんとなくは知っていたけど、知らないはずのことをうっかり話してしまわないように、聞いておかないといけない。


「その叔父さんはどこいってるの?」


「南米」


「は?」


「南米で言語の研究してて、向こうに恋人もいる」


 そこで料理が来たのでそれ以上は聞かなかったけれど、変わり者なんだろう。


 ふたりともカレーセットにした。サラダとコーヒーとつけあわせの小皿がついている。


 カレーは匂いだけで食欲がそそられる。上に乗った大きなジャガイモやお肉をスプーンで突き崩してカレーを絡めて食べる。


 美味しいカレーを食べているうちにすっかり気持ちがほぐれてきた。岸田とカレー食べれて嬉しい。


 わたしは岸田が好きだ。

 本当は関係を早くどこまでも進めたい。

 岸田はわたしの好意を知っているけれど、でもそれは再会してちょっと気になったくらいだと思っているだろうから、告白はまだ早い気がした。


 というか、普通の相手でもタイミングは難しいのに、相手が岸田だと余計にそう思う。いつになったら、どのくらい親しくなったら伝えていいものなんだろうか。


 わたしの頭に元彼の言葉が蘇る。


「お前に俺の何がわかるんだよ」


 あれを言われたら、嫌だなと思う。

 そんなの、何年付き合ってたって、他人のことなんてわかるわけないし、わからなくちゃいけないんだろうか。わからないまま、好きと言うのは罪悪なんだろうか。


 心配になるのは、岸田がそれを人に言いそうなキャラだからだ。猫には言わないのに。

 でもそれもわたしが自分の過去と紐付けして思い込んでいるだけかもしれない。わたしは、わたしにとって、意味のわからなかったその言葉に、ちょっとだけ囚われている。


 食事の後、街をぶらりと歩いた。目的は岸田だとはっきりしてるのだから、文句は言わせまい。


 またメンチカツの美味しいお肉屋さんの前を通った時、わたしは条件反射のように口を開いて言った。


「あ、メンチカツ食べたい」


 休日のその店の前は既に長い行列ができていた。

 平日に行けばもう少し並ばず買えるけれど、人間の仕事をしてるとそうも言ってられない。さっきカレー食べたばかりだけど、まだメンチカツ分の余裕はある。体重計の存在は忘れた。


 わたしは久しぶりに食べたくなってテンションが上がり、岸田が並ぶのが嫌いな人間だということをすっかり忘れていた。


 さっさとそちらに向かい、途中で立ち止まって振り返り、目線で呼ぶ。

 それから最後尾に付けて、また促すように岸田を見た。


 岸田はしばらく立ち止まって、ぼんやりこちらを見ていたけれど、やがて緩慢な足取りで目の前まで来た。


「……あれ? 嫌だった?」


 岸田は少しだけ何か考えていたようだった。


 けれどやがて、下を向いて小さく笑って「いいよ」と言って隣に並んだ。




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