3.連絡先
岸田が「舞原だろ」と言った声に固まった。
まさか、気が付いたとしても岸田の性格的に声をかけてくるとは思わなかったのだ。
わたしの頭が混乱する。心臓は錯乱する。
ええと、岸田と最後に会ったのは、高校の卒業式の設定! いや設定とかじゃない。現実!
「え? あ! えーと、岸田、岸田だね!」
えらくしらじらしく思い出した感じに言うと岸田はちょっと吹き出して笑った。
「その感じ……変わってねえな」
「岸田も……うーんと……うん」
思ったより明るかったので変わってないと言うのもためらわれた。高校の延長で考えると、余裕のあるその感じはだいぶ違う。
「岸田は何してるの?」
「俺はこの辺に住んでるから……会社帰り」
「そうなんだ。わたしも、会社帰りにちょっと用事あって寄った感じ。岸田、明るくなったね」
「え、そうか?」
「うん。声かけてくれたし」
「あ、あぁ……」
似合わないことをしたと思ったのかもしれない。岸田のテンションは下がった。余計なことを言ったかもしれない。岸田は表情をなくして、どこかぼんやりしていた。
「岸田、見た目は、ちょっと大人っぽくなったかな」
「え、あぁ……舞原も……」
「うん」
「………………あんま変わんねえな」
岸田も! 正直なところは変わってないね!
まぁ、平然と「綺麗になったね」とか言えるような奴じゃないのは知っているし、そういうところも含めて好きなんだけど。
「高校の同級生とか、会ったりする?」
「いや、まったく」
そうだよね……。知ってた。
知っていたけどほかに言うことが思いつかなかったのだ。
そして現在進行形で、困ったことにこの再会で広げられそうな話題がまったく見当たらない。
猫だった時に知った情報は使えないし、そもそも高校時代の岸田との記憶なんて、数えられるくらいしかない。
だってさほど仲良くなかったのだ。
高校の卒業式の日から、わたしと彼の関係はまったく動いていない。違うのはわたしの気持ちだけだ。
うっかり声をかけてしまったけれど、特に話すこともなかったんだろう。岸田が「じゃあ」と言いかけたのを察知して、焦って咄嗟に腕のあたりを掴む。
「せっかくだから、連絡先教えて!」
「……」
こうなると次の機会を作るのも面倒だし、勢いで思い切って言ったけれど、反応がない。
顔を上げると岸田がぽかんとした顔をしていた。
「岸田……? どうかした?」
「声が……似てるなと思って」
「え、誰に?」
「え? あ、誰だっけかな……え、なんだっけ」
「連絡先」
「ああ……え? えぇ?」
すごい露骨に驚かれた。気持ちはわかるけど。
「教えて」
他の元クラスメイトならまだしも、岸田にこれを言うのはなかなか勇気がいった。この瞬間、わたしは割と必死で、この上なく真剣だった。しかし、それを悟らせてはいけない。
なにしろ岸田は怨念度の高い女は嫌いなのだ。しかしその点で言うとわたしなんて怨念の塊。いまや怨念に手足が生えてるといっても過言ではないレベルで怨念。
「早く! えっと……聞きたいことがあるんだけど、今わたし、急ぐから早く!」
「え、あ、うん」
軽い感じにさらっと。口からでまかせを絡めて、深い意味はなさそうに。しかし勢いよく。確実に決めたいところ。無駄に明るく急かした感じにもなる。
しゅっとスマホを取り出して構えた。
さっさと勢いで有無を言わせず交換してしまおう。遠慮や間や怨念の気配があると岸田は普通に断るタイプだ。
岸田は少し眉根を寄せて物言いたげにしていたけれど、結局何も言わず、緩慢な動きでポケットからスマホを取り出した。
「どうやんの?」
「えっと……え、知らないの?」
「俺は用事があってかけた時とかに、その都度適当に入れてるから……あんまその場で交換とかする機会ない」
言われてみればわたしも、蓄積と引き継ぎでいつの間にか連絡先はたくさん入ってるけど、ここ数年は同じ顔とずっとひたすら仕事をしていたばかりで新しい出会いもなかった。
最近はもらった名刺などから登録はしても交換はしてない。よく考えたら最後に交換したの前の機種だし、記憶がおぼろげ。今ってどの機能で交換するのが手っ取り早いんだろうか。赤外線、ブルートゥース、それともQRコード? それも機種によるのか。そもそも岸田の機種と、わたしのやつ違うじゃないか。まずい。
どうする。調べればすぐわかる。でも調べてる少しの暇は、ない。たぶんない。こいつ、そんな少しの間があったら逃げるかもしれない。逃せない。メッセージアプリの方が早いかな。一瞬の葛藤の末、わたしは決断した。
「とりあえず、番号だけでいい」
「ん」
電話なら、声が聞けるし、返事を待たなくてもいい。そっちの方がわたしの性格に合っている。
わたしはスマホを構えて、キーパッドを表示させた。岸田が身をかがめて、なぜか一緒になってそれを覗き込む。そして小声でボソボソ番号をもらすので、慌ててそれを打ち込んだ。前髪が触れたので無駄に緊張して指先が震えた。
「違う。七じゃなくて八」
耳元で低い声。ムズムズする。また打ち間違った。
「八だって」
岸田は律儀に訂正を入れて、顔近くで画面をじっと見ている。
何か余計なことを言うと、ご破算になる気がして、黙って迅速にその番号にかけた。
岸田が一度ポケットにしまったスマホを取り出して見ていた。ちゃんとかかってる! でまかせ番号じゃなかった!
「やった! ありがとう」
にんまりして言うと岸田がなんだろうという不審な目で見ている。
しまった。嬉しくてつい素が出てしまった。
というか、岸田を前にすると、感情を偽らなくてよかった猫の時の記憶が癖のように出てしまうし、高校の頃の記憶もそれを手助けしてしまう。
誤解だ。他の人や会社の人の前ではわたしだってもう少し落ち着いた大人なのだ。けれど昔の自分を知っている相手への、しがらみの薄い感覚は、それでなくてもつい口調を気安くさせる。
「いや、助かる……。助かるなぁ」
よせというのに表情筋が緩むのをとめられない。
しかし反対に岸田の表情筋は引き締まった。
「舞原、お前今仕事何やってんの? 言っとくが俺は絵画にも壺にも興味はない」
「いや、そういうんじゃないし! だいたい、岸田はそういう騙すターゲットにまったく向かないでしょ」
「……そうか?」
「そうだよう」
「……」
何を言っても怪しまれた目で見られて辛い。ちくしょう。人間は面倒くさい。
猫なら。
猫なら「にゃあ」ですむのに。
「あ、わたし、もう行かなくちゃ! じゃあね! 連絡する!」
「あ、あぁ……またな」
微妙に気のない返事を背中に聞きながら小走りで駅の改札を抜ける。階段をそのまま登って胸を押さえた。
やばい。心臓ドキドキする……。




