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20.高校時代(3)


 高校まで、わたしは泣かない子だった。


 母がいなくなったことに対しての感情は何年も変革を遂げていて、高校時代のわたしはそれに対して、ずっと怒りを持っていた。


 母のことを思うと、悲しいとかじゃなくて、「なんで」「どうして」「許せない」そんな気持ちばかりが湧いてくる。


 傍目には特に気にしていないように映っていただろう。わたしは友達にも、父子家庭であることを言っていなかった。隠していたわけじゃないけれど、わざわざ言わなかった。もしかしたら知っていた子もいたかもしれないけれど、直接聞いてはこなかった。


 それなのに、わたしは高校の授業で、母親が出てくる物語に泣いてしまったことがある。


 それは特に悲しい話ではなかった。

 むしろ、のほほんとしていて、泣くようなところはひとつもなかった。ちょっと出ただけで、母親がメインの話でもない。


 それなのにわたしは、唐突に胸にすとんと降りた喪失感を感じてしまい、そこからずっと涙が止まらなかった。授業中だったので、先生も周りも気が付いたけれど、泣くようなことが見当たらなかったので、みんなちらちら見ただけで、そのまま授業は終わった。


 休み時間になってもわたしは泣いていた。悲しい話ならまだしも、友達も慰めようにも理由がわからず戸惑っていた。


 そこにクラスメイトの谷川が寄ってきて、小学生みたいな野次を飛ばす。「なんで泣いているんだ」「似合わない」「意味不明」「おかしい」そんな単語でからかい始めた。


 彼は小柄で口が達者な奴だった。その年頃の中では圧倒的に幼稚で、いつも余計なことばかり言うので周りに嫌がられていた。ただ、本人はそれを『毒舌キャラ』と思っていて、むしろ積極的に行っているふしがあった。


 今思えば谷川はわたしのことが好きだったのかもしれない。そんなに絡むようなことでもないのに、あまりにしつこかった。


 気にかけてはいるのかもしれないが、慰め方を知らない幼稚さを持った谷川が檻の中の猛獣を眺めるくらいの距離で、ずっとからかってくる。


 ただ、友達もわたしの泣いている理由がわからないので、そちらを睨んで何か言おうとしたものの、結局口を閉ざした。


 谷川の野次は続く。わたしは普段は言い返すタイプだったので、谷川としても、何か言い返されないと引っ込みがつかなくなってしまっていたのかもしれない。


 その時のわたしの心はぐじゃぐじゃで、自分が泣いてしまったことに混乱していた。わたしは未熟な若さから、今よりもっと情緒不安定だった。


 悲しみの原因はわかっているのに、認めたくない。


 なんで。どうして。なんで止まらないんだろう。


 悲しみより、涙が止まらないことに怒りが転換されていく。


「うるせえな。なんで泣こうが人の勝手だろ」


 前を通った岸田が一言そう言って、教室を出ていった。


 そのタイミングで周りの友達が谷川を追い払い、わたしは廊下に出て顔を洗った。


 谷川の野次は傍目で見ても見苦しいものだった。だから岸田はたぶん、聞いていて本人が気に入らなかっただけだ。ある種潔癖だった彼は醜いものが許せなかったのだろう。だから庇ったり助けたりとは少し違うように思う。


 けれど、わたしはその日、岸田の言葉に救われた。


 なんで泣こうが勝手にしていいんだ。


 わたしは泣くことを悔しいことと思っていた。でも、それはわたしの勝手なんだ。理由だって、なんでもいい。なくてもいい。泣きたい時は泣いていい。


 それをその日、岸田にだけ許されたような、そんな気がしていた。


 



 泣いたことも、岸田の言葉に小さく救われたことも、次の日には忘れてしまった。きっと、忘れてしまいたかったから、そうした。


 だからもしかしたら、岸田と再会して、あえて思い出そうとしなければ、それは反芻されない記憶として、二度と思い出さなかったことかもしれない。


 でも、その日以来、わたしはひとりの時によく泣くようになった。理由はいらない。考えなくてもいい。泣いた後はすっきりしている。


 そんな日を繰り返すうちに、ずっと胸に抱いていた怒りはやがて穏やかな悲しみへと変化していった。わたしはきっと、ずっと、泣くべきだったんだろう。


 そう思うと、今現在のわたしを構成するパーツのどこかに、岸田の言葉は確実に存在しているのかもしれない。




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