11.メンチカツ(コロッケ)
土曜日。食料品の買い物にいったと思われる岸田が帰ってくるのを待ち構えていた。
ガチャガチャ、鍵の音がしたのでさっとそちらへ走っていく。
扉が開いて「頼朝ー、近くまで来たから寄ったわよー」と満面の笑みで現れたのは見知らぬ婦人だった。小柄でニコニコしていて、この年代のご婦人の中ではお洒落な感じの装いだった。
婦人がわたしを見つけて、誰もいない玄関に声を上げる。
「あら! ネコチャン! あの子ったらいつの間に!」
婦人はニコニコしながら上がり込む。
「可愛いわねぇ! にゃん、にゃん、にゃぁ〜ん!」
婦人は人間のはずなのに、にゃあにゃあ鳴きながら上機嫌だ。持っていた鞄から色々なものを取り出してリビングのテーブルに並べ始める。ラインナップは外国のお菓子。おせんべい。みかん。お得用の、三枚セットの男性下着。このまとまりのなさ、なんとなく誰だか見当がつく。
「うちも晴信が猫嫌いじゃなきゃ飼いたかったのよ」
名前は知らなかったけれど、そいつ、たぶん知ってる。賢明だ。あいつのいる家に飼われる猫がかわいそうだ。
婦人はどでかいトートバッグからタッパーを取り出した。
「これ! 食べるかしら」
アピールするかのように向けられたタッパーには「メンチカツ」と書いてあるポストイットが貼ってあった。ぴん、と耳が立つ。
「さっきもらってきたのよ。揚げたてだから! お肉だけで作ってるのよ!」
そう言われて期待してひとくちだけ食べると中はコロッケだったのでガッカリした。絶対間違えてる。教えようもないけど、どこかで誰かが、間違えてるよ。
少しして玄関で音がして岸田が帰宅した。岸田は婦人とメンチカツ(コロッケ)とチキンカツのそろい踏みを見て一瞬で状況を把握した。
「母さん、俺の猫に変なものあげるなよ」
「いいじゃない少しくらい〜。昔、実家で猫飼ってたのよ。大丈夫よこれお肉だけなんだから」
「駄目だよ、油も多いし……それに勝手にあげてるのが問題なの。俺は猫の体に悪いものは全部排除するっていうような原理主義者じゃないけど……その、ごくたまーに少しくらい、をあげるのは俺の楽しみなんだから」
「独占欲強いわね〜モテないよ!」
岸田母はふん、と鼻を鳴らした。
「あと勝手に入るなよ。合鍵は非常時以外は使わないでくれ」
「いいじゃない。この寒い中外で待てっての? あっ! もしかして、急に来られると彼女がいたりして……! あぁ〜! それでそれで! きゃあ! そうでしょそうでしょ! それなら言ってくれれば気は使うわよう〜! ね、ね、ね、どんな子なの? 歳は? 誰に似てる? いつ会わせてくれる? 私はあれ、あの子みたいのがいいわ……なんだっけ、ほら、あの朝のドラマに出てる……名前が……イカリヤマみたいな……」
「……」
「ちょっと、頼朝! 一緒に思い出して! ほら、あの、さらっとした感じの髪の毛の……」
「知らないよ! テレビ観てないし! どうせ名前かすってもいないよ!」
「あらそう……で、彼女は?」
「いない」
「え? うっそぉ。いるでしょ。あなたくらい可愛ければ彼女のひとりかふたりくらい……引く手数多の大騒ぎでしょ」
確かに岸田のルックスは悪くないが、それにしてもだいぶ親馬鹿だし、彼女はひとりで十分だろう。
「いない。出会いがない」
「ばかねえ、出会いなんて作るもんよ。あなたイケメンだから大丈夫、気になったら声かけちゃえばいいのよ!」
「だから出会いがない」
「ウチに猫を見においでよ、とか言って誘えばいいじゃない」
話を聞かない親兄弟だ。
あとわたしを卑しい目的に使わないで欲しい。
「あなたって、ほんと社交力ないわねー。その歳で友達も彼女もろくにいないなんて終わってるわよ〜。あんた何が楽しくて生きてるの? もっと若さを謳歌しなさいよ!」
「母さん、何しにきたの……」
「近くまで来たから! ていうか佐山さんとこ行った帰りよ! はいこれおみやげ! パンツ! これロヂャースで安かったのよ! こっちはメンチカツ。佐山さんのところでもらってきたのよ。揚げたてだから早く食べて」
岸田母が差し出したタッパーから岸田がそれを無言で摘んで口に入れた。
「……これ、コロッケだよ」
「えぇ? メンチカツでしょ。佐山さんメンチカツって言ってたし。メンチカツよ、だってメンチカツの作り方の話しながら……」
「コロッケだって!」
「そんなわけないわよ〜。佐山さんお料理教室やってるからすっごく料理上手いのよう。ほら、あんたが小さかった頃みんなで行ったでしょう、あそこ……あれ、久我山のレストラン。あそこは佐山さんの旦那さんの…………板前さんの修行中に逃げ出した弟さんの……あらっ? これコロッケねこれ! あらやだコロッケだわ! 佐山さんたら入れ間違えたのね。あ〜帰りにおしゃべりしながらだったからその時にあれよ! あれ! あれしたんだわ!」
岸田母は立板に水でしゃべり続ける。一生涯で口から出る言葉の数が岸田の百倍くらいはありそうだ。
「頼朝、このネコチャンの名前は?」
「メンチカツ……間違えた。チキンカツだよ」
「やだ、コロッケでしょ。これはコロッケね……一緒に作ってたのねきっと……コロッケコロッケ。見た目だと似てるわよねえ、ほら……よく知ってる店のならともかく……形も似てるし……頼朝、このネコチャンの名前は?」
「もういい」
*
岸田母が帰ったあとの部屋は妙に静かに感じられた。
岸田は落ち込んでいるようにみえた。社交力がないとか、母親に色々言われたことが地味にきいているのかもしれない。
確かにこいつは見た目も悪くないのに、破滅的に合わない女にしつこくされたり、付き合っても二股されたあげくに乗り換えられてるし、友達もいない。休日も猫と散歩してばかり。趣味といえばたまにひとりで映画に行くくらい。でも、そんなのいまさらことさら落ち込むようなことじゃないと思うけど。
岸田は目に見えて無駄に、無意味に落ち込んでいた。こいつ、本当暗いな。
こんな時は撫でさせてやろう。
近くにいくと「メンチカツ〜」と過剰に頬を寄せられ身をワシワシされて、なんと鬱陶しい……と少し後悔した。
それに、わたしの正式名称はチキンカツのはずだ。メンチカツって、誰だよ! ただでさえ不本意なのにそれすら間違えられると腹立たしさが増す。そのダサい名前、お前がつけたんじゃないのか?!
おでこや、頬や、首や、いろんな場所にちゅっちゅされて、あまりの鬱陶しさに身をよじる。
ベランダに出ると追いかけるように岸田も出てきた。
岸田は高校時代の元クラスメイトだ。
別に仲は良くなくて、よく知りはしないけれど、あいつ、キャラ濃かったなぁ、どうしてるかなぁ、そんな風に思い出すような対象だった。
想像だけなら、あいつ顔がいいからまぁなんか意外と上手くやってるんじゃないのかな、大人になって、ちょっとだけ要領は良くなって、性格はもっと悪くなってるかもしれない、とかそんな想像をしていたかもしれない。
少なくともこんなに情けないとは思わなかった。
でも、わたしは、岸田は良い方に変わっていたと思う。ちょっと要領は良くなっているけど、根はそのままで、上手くやれないことは多いけれど、なんとなくそのまま素朴に生きてる。少なくともわたしは好きだ。
オレンジ色の空の下、ひとりと一匹。
「にゃあ」と鳴いてやると、岸田はちらりとこちらを見た。
岸田はこちらを見て、少し微笑んだけれど、結局黙って空を見つめた。




