10.高校時代(2)
文化祭が近い日にぼんやり居残りなんてするもんじゃない。
その日はまだ、普通の生徒は準備の日ではなかったけれど、文化祭委員や教師らはもう日々着々と準備を進めていたようだ。
図書室に少数置いてある漫画を長々と読んで、さて帰ろうかと鞄を取りに教室に戻ると、文化祭委員と吉田先生がいて、何やら話し込んでいた。
文化祭委員の子は、マスクをしていて先生に「もう帰れ」と言われていた。そして、ゲホゴホしながら帰っていった。
吉田先生が眉を寄せて困った顔をしていたけれど、扉付近のわたしに気がついてすぐに声を上げる。
「舞原、残っているなら買い出し行ってくれ。ちょっと動ける人間がいないんだ」
「え、えぇー」
「なんだ、予定でもあるのか」
「えっとー……あの、家で……勉強を」
「これ、リストだから。金はこれ。領収書もらって帰ってこい」
モゴモゴしていると呆れた顔でさえぎられて、リストを渡される。ずらりと並ぶ文字。主に布、それから細かな手芸用品。そこそこの量だった。これは、出し物の悪魔喫茶に使うやつだ。
「これ、そんなに急ぎなんですか?」
「明日から手芸担当がこれで作るから、できたら今日欲しい」
「これ、男子に頼んだ方がよくないですか? 骨折しそう」
「牛乳飲んで行けば大丈夫だろ」
吉田先生が下らない軽口を叩きながらも確かに多いかもと思ったかリストを眺め直す。その時、後ろの扉が開いて、岸田が入ってきた。
「お、岸田もいたか、手伝ってやれ」
「嫌だ」
「お前……内容を聞きもせずに……なんか予定あるのか?」
「ない」
「……手伝ってやれ」
先生は勝手に決定した後腕時計を見て「じゃあ、俺は会議あるから。頼んだぞ」と出ていってしまった。
岸田が相変わらずの仏頂面でわたしに向き直る。
「何をしろっての?」
「買い出し」
ぴろんとリストを見せると岸田は眉根を寄せた。
「結構多くないか」
「多いよね」
店の当番が同じものを着まわすので全員分ではないし、簡素な衣装なのできちんとした衣服になるわけでもない。それでも七人分かそこらはある。布は量があると確実に重い。岸田が舌打ちした。露骨に嫌そうだ。
岸田とわたしはぶすくれた顔を見合わせて、教師に対する反抗心でその点だけは多少の意気投合をした。ような気がする。
「あーあ、さっさと帰ってればよかった」
「……」
「本当についてない」
ひとりでぶつくさ言いながら校舎を出る。
「どうする? どこで買う?」
岸田が数秒考えたあと「吉祥寺まで出よう」と言ってわたしはそれに「あぁ、ユザワヤか」と気の抜けた返事をした。吉祥寺なら定期の範囲内だし駅ビルに大きな手芸用品店が入っているので、そこで全部買えるだろう。
わたしと岸田は特に会話もなく電車に乗った。距離もほどほどに空いていたので、同じ制服を着ていなければ同行者には見えなかったかもしれない。
でも途中、改札でわたしが定期を探してもたついたその時は振り向いて待っていたので、一応一緒に行動はしていた。
それでも、気の散りやすいわたしが数歩遅れてふらふら歩くのが気に入らなかったらしい。岸田が不快そうな顔で苦情をこぼす。
「舞原、さっさと歩けよ」
「そっちがゆっくり歩けば」
「俺は早く帰りたいんだよ」
「わたしも。でもそれ以上に疲れたくない」
岸田が忌々しくわたしを睨んだが、諦めて溜息をこぼして、それ以上は何も言わなかった。
お店に入ると岸田がカゴを持って、手早く売り場をまわっていく。こうなるとなんとなくもう自分の仕事感が薄くなる。
最初は後ろをついてまわっていたけれど、岸田がわたしに相談するでもなくさっさと進めていたので、売り場で目についた可愛いランチバッグを眺める。それからその近くにあった水筒ケース。ふらふらしていたら、唐突に肩を掴まれた。
「舞原、うろちょろするなよ。見失うだろ」
「え、あぁ」
一応視界に入れていたのか。そっちに驚いた。
気がついたら買い物が終わっていた。
さすがに働いてなさすぎる。
ガサガサとかさばる大きな袋をふたつ持った岸田に手を伸ばす。それを持って帰るくらいしかもう貢献しようがない。
岸田は冷たい目で睨んで言った。
「いいよ」
「……え、なんで」
「なんでって……お前、どうせ袋振りまわしたりして中身ぶちまけたりしそうだろ」
「しないよ」
「……俺ひとりで十分だ」
「でも」
「いらねえって。お前、邪魔なだけだ」
岸田はふんと鼻を鳴らしてさっさと歩き出してしまう。
全く信用されていない。というか、もしかしたらわたしの態度に腹を立てていたのかもしれない。
でも、それなら言ってくれればいいのに。岸田の動きは有無を言わせない感じで、協力して何かをやろうとするものではなく、手伝いにくいものだった。
でも、もともとわたしが頼まれていたことだし、何か言って分担した方がよかったのかもしれない。
これじゃわたし、本当に何もしてない。
反省と八つ当たりの両方で落ち込んでしまい、悲しくなってきてしまった。
しょんぼりしてずっと無言で下を向いて後ろを歩く。
岸田はしばらくずっと前を向いていたけれど、何度か歩みの遅いわたしを気にしたように確認をしていた。
「おい、さっさと歩けよ」
軽口を言い返すか流すところ、素直に「ごめん」と謝ると険悪な空気はむしろ増した。
それでも、隣を歩く気にはなれなくて、少し後ろをトボトボ手ぶらで追いかけていると、岸田が立ち止まって苛立ったように振り返る。
「……あー、舞原」
「なに」
「やっぱり持ってくれ」
「……」
「重くて手がちぎれそうだ」
「うん」
少しほっとして、袋を片方受け取る。
「本当だ。思ったよりずっしり重い」
「……大丈夫かよ。お前ガリガリだろ」
「ガリガリじゃないよ」
「まぁそうだな。普通か」
「……少し痩せ気味、みたいな表現でお願いしたいな」
「やだよ。めんどくせえ」
どうでもいい会話をして、険悪さが少しなくなった。
そうなると今度はさっきの落ち込んだ気持ちの意趣返しをさせてもらいたくなる。
「岸田、わたしのこと馬鹿にしてたくせに、結局重くて音をあげたんだね」
今度は隣を歩いていたわたしを、岸田は嫌そうな顔で睨みつけた。
「……お前、ほんっとムカつくな」
*
岸田とはだいたいこんな感じだった。
岸田はみんなのことが嫌いに見えたし、わたしは彼が、彼をとりまく人間全てを、荒々しい若さでもって拒絶していると思い込んでいた。わたしのこともその周りにあるパーツとして、通常通り疎んでいるものと思っていた。
けれど、岸田はどんなにわたしが遅れても、置いていってひとりで進めようとはしなかった。
今となってみると、もしかしたらこの時岸田は単純な優しさで荷物を全て持ってくれようとしただけなのかもしれない。
それに、思い返すとたぶん、あの袋の中身はそれでも岸田の方が重たいものがたくさん入っていた。
そんなことも、今にならないと気付かなかったけれど。




