08 (アリ)
「わかっていると思うが、あいつはもう頼りにできない」
イーギエの言う「あいつ」はウェイの事だ。名前すら呼びたくないのだろう。アリは うなずく。
「これからは我々三人でやっていくしかないが、――」
アリは まゆをよせた。パースも数えに入っていたからだ。でも、あとはイーギエとアリしかいないのだから、パースもいるだけましなのだろう。
「――その前にスーとかいう女だ。そいつが闇夜の悪魔の可能がある」
アリは またうなずく。今度は、きびしい顔になってしまう。
「ああ。で、あの女たらしはそうかもしれない、とは考えない」
「いや、この際、闇夜の悪魔かどうかは関係ない。その女がウェイに危害を加えそうなら、アリ、お前が女を殺せ」
何となく言われる中身のよそうは できていたが、じっさいに聞くと おもかった。イーギエの顔はほとんど表情がない。が、魔法の明かりに片方が てらされ、みょうな すごみがあった。
「ああ」
そうすることに ためらいはない。女がウェイの命をねらっているなら、そのすきをつくのは たやすい。いつものウェイなら すきは少ないが、女といる時、さらにその女からはとくに すきだらけだ。アリは自分で、自分が この役に一番向いていると思う。だが――
「キレたウェイはやっかいだぜ。オレ一人じゃおさえられない」
ウェイの剣のわざは、すばやさが とんがっていた。アリは自分の抜きのはやさに自信があるが、ウェイ相手だと 分が悪い。剣の長さはウェイが上なのも やっかいだ。
目に見えないはやさの剣を止めるなんて できるわけがない。アリは女を刺した後、その小剣を抜くのをあきらめて、とびのく くらいしかない。一度はそれで かわせても、つづく 攻げきは よけられない。
アリはちらりとパースを見る。
キレたウェイを止められるのは、パースだけだろう。いや、パースでも てつの鎧を着てなければムリだろう。
「あいつが我を忘れて剣を向けてくるなら、私の命令だと告げろ」
アリは答える前に、頭の中で そうぞうする。
ウェイから とびのいた後、イーギエの名を出すと、そうぞうの中のウェイはうごきを止める。
たしかに、ききそうだ。でも、これだとウェイの怒りは イーギエに向くだろう。切りつけるかどうかはわからない。イーギエが はなれた所にいたら、ウェイの頭は冷えるかもしれない。それでも、ただでさえ仲の悪い二人の仲は、なおらないくらい ぶっこわれるだろう。
「いいのか?」
「ああ」
イーギエに まよいはない。かくごができているのだ。ならば、アリもかくごを きめなくてはならない。
「わかった。女をさぐってみよう」
イーギエのうなずきを見て、アリは腰を上げる。ウェイが食事に女をつれてくるはずだ。外でまっていれば、どんなヤツかはすぐわかる。
アリが扉に手をかけると、またパースが つづこうとした。だが、またまたイーギエに止められる。
「パースは未だ話がある。残れ」
言いながらイーギエは杖をついて立ち上がる。イーギエも立ったということは、長くは かからないようだが、パースに話がある、という点でおどろきだ。アリは思わず手を止めてふりかえる。イーギエを見たところで何も分からなかったが、イヤな不安がのこる。そこまで おいつめられているという実感かもしれない。
首を小さくふってイヤな気分をふりはらう。アリはアリで すべきことがある。
扉を開けると、先ほどウェイが出て行った時より人がふえていた。ほとんどが船乗りのようだ。船乗りたちはいっせいにこちらを振り向く。よろこんでむかえてくれている ふんいきではない。始末屋としては、いつものことだ。
後ろ手で扉を閉めると、暗くなった。そのことで、見られていたのは魔法の明かりのせいでもあった とわかった。
アリのいる近くには 上りのかいだんがある。そこは上から光がもれてくるのだが、もう直に さしこんできてはいない。お日さんは かたむいている。夕ぐれが近いのだろう。
においも ちがっていた。今までの悪臭とまじって、においのちがいが何なのかは はっきりわからなかったが、たぶん夕食のにおいなのだろう。
かいだんをすべるようにして、ウェイが下りてきた。すぐに上を見て手をのばす。ゆっくりと下りてきたのは女だ。とちゅうで、ウェイの手を取ると、少し下りるのが はやくなった。
ざっと見た いんしょうは、ふつうの町むすめだった。かわいさもふつうだ。アリにすれば、なじみの酒場のむすめの方が肉づきもいいし、かわいいと思う。今いる女は、そこらにいる若い女というていどだ。
服もふつうだ。そめられておらず、それなりにくたびれた女ものの服。ただ、かざりひもは目を引いた。かざりひもは二つ。えりもとは青、かみは後ろで赤いかざりひもで とめられていた。
それはふつうの町むすめとしては変わっていた。金持ちの家の女なら、合っているが、この女が身につけているのは おかしい。
とはいえ、身のたけに合わないものを身につけている人は かなりいる。多くが、形見の品だったり、もらいものだったりする。もとは どこかから盗んだものかもしれない。
このかざりひもから考えるに、女が殺し屋とは思えなかった。わざわざ目立つ品を身につけるなど、待ち合わせの目じるし くらいしか使わないからだ。
いや、闇夜の悪魔の目じるしが このかざりひもかもしれない。アリはそう思いついたが、自分で信じられなかった。女はおどおどしており、かいだんを下りるすがたは のろかった。見せかけかもしれないが、どうもそんな気はしない。
「あ、アリじゃないですか。こちらの男性が、私の仲間のアリです」
ようやくウェイがアリに気づくと、女にアリをしめした。ぎゃくに、アリには女をしめす。
「この女性がスーさんです。」
アリが小さく頭を下げると、女は一歩下がりウェイの後ろへ半分かくれる。まあ、このたいどを取られるのもなれている。
ウェイは後ろの女の動きには気づいてないようで、あくしゅをするよう手ぶりで示してくる。アリは片手を払う。
「こわがらせるだけだ」
ウェイが女を見て、女が乗り気でないとわかると、肩をすくめた。
「では、夕食をいただくとしましょう」
船乗りたちの多くが こちらのやりとりを見ていた。やはり、やさしく見守っていた、とは言えないふんいきだった。なれているからこそ、いつもと同じ感じではないとわかる。より悪い。ウェイが へたをしたのは本当らしい。
だが、みょうな感じもあった。いつもの始末屋として いやがられるのとはちがう――しっくりする言い方がアリの中ですぐに見つからなかった。それだけ びみょうな感じだ。それをはっきりさせようと あたりを見回す。すると、その感じが消えた。
船乗りたちが目をそらす。その反応で、アリは、にらみ返していることになってしまったと気づいた。今となっては、先ほどのみょうな感じも気のせいだと思えてくる。この気のせいも、またよくあることだ。
「あそこに並べばいいみたいですね」
ウェイが指さした後、女の手を引き、つれて行く。アリたちの部屋の前は広間になっていた。ただし、船の中で言えばの話だ。宿や酒場では、ここより広いこともある。何より天井がひくいのが せまく感じた。食たくは一つもないので、みんな立っている。おくの方で何人かの船乗りが、扉が開いたままの小部屋へ向けて、ならんでいた。
ウェイがすすむと船乗りが道をあける。後につづきながら、アリは剣の柄へと手をおく。知らない男たちに はさまれる形だ。仕方ないが、気分が悪い。
「お、ウェイさん。そちらが乗っていたご婦人ですか」
前から声がかけられた。背の低い男だった。物入れがたくさんある胴着を着ていた。見たところ商人という感じだ。アリは相手の腰に目をやったが、財布はなく小剣が一本さしてあるだけだった。
「銭入れなら部屋にありますよ。船の中で使うことはありませんからね。この食事もただです」
アリは目つきに気づかれたことにおどろき、イヤな気になったが、相手は気にしていないようだ。が、ウェイはこちらをせめる目をちらりと見せた。いつも「行儀が悪い」と言われるやつだろう。アリはそれに気づかないふりをする。
「いや、ただじゃありませんね。既に払っていましたから」
商人は言い直すと、アリに右手を出す。
「ストンウェルです。商いをやっています」
アリは少しだけためらってから、剣の柄をはなして右手であくしゅする。ストンウェルとやらは笑顔だ。元々目がほそいのだが、笑うとよけいに目玉が見えなくなる。
こちらへのビビりは感じられなかった。はじめて会う相手でビビらないやつは、どちらかというと気をつけないといけない連中だ。だが、この男からはそういう感じはしない。うでに自信があるからというより、なれているから、という気がする。仕事がら、というやつなのだろう。
「仲間のアリです」
考え事をしていたせいで こちらが名乗るのを忘れていた。代わりにウェイが言ってくれた。
「仲間?」
首をかしげたストンウェルに、ウェイが付け足す。
「ええ。冒険者です」
ストンウェルのまゆが真ん中による。
「冒険者……何かの依頼ですか?」
するどいと思ったが、アリは顔色を変えなかった。ウェイもまたあっさりと答える。
「いえ、旅の帰りです。いつもはドワーフと一緒なので乗りませんが、今回は船で楽をしようと思って」
「そういや、ドワーフは海では見かけないですね。あいつらは海が苦手なのか」
ストンウェルが笑う。アリは、ガランがいないとわかっていたのにヒヤリとした。もしドワーフが聞いていたなら、血を見るのが明らかな言葉だったからだ。ウェイも、笑顔を作っていたが話に乗らない。
「ところで、この列、進みませんね」
「ああ。食器が足りないから、先の連中の食べ終わり待ちです」
まわりの船乗りたちは、片手に深めの木皿、もう片手にパンを持っていた。皿の中身は煮こみ汁だろう。よくある食事だ。
「私たちは客人なのに、そういう配慮はないのですか?」
ウェイがストンウェルにささやいた。
「客と言っても半分荷物みたいな感覚なんでしょうな。しかし、荷物扱いとしてはずいぶんましだと思いますよ。狭いですが、個室を与えられていますから」
「では、私たちは荷物扱いですね。個室ではなく倉庫ですから」
文句というより笑わせようという感じで、ウェイが背中ごしにアリたちの部屋を親指でさす。
「ほほう。今回はあそこも使っているんですか。荷物と一緒ですか?」
「いえ、空でした」
「そこに何名?」
「四人です」
「あの部屋に四名」
つぶやきながらストンウェルは、右のもみあげをこする。
「船によっては、あの場所で八名入れられることもありますよ」
「八人だと ねるのもたいへんだろう」
思わずアリも口をはさんだ。
「ええ。その分安く済むという理屈ですが、私はもうこの歳になってそいつは御免ですね。高くてもゆったりできるこちらを選びます」
「言われてみれば、馬車も座れる場所のみですからね。寝る時は野宿ですし、普通は食事も付きません」
やはり高くても仕方ないということなのか、とアリはあらためて考えさせられる。しかし、ウェイの考えはそこになかった。
「スーさんが、この船を選んだのもあながち間違ってなかったということですね」
女がぎこちない笑みを浮かべた。女はおどおどしていた。ウェイにすら多少ビビっているようだ。見ず知らずの男たちに囲まれているのだから、当たりまえと言えば当たりまえだ。やはりふつうの町の女という感じしかしない。
ふつうとちがうのは、そんな女がどうしてここにいるのかだ。でも、これもおおよそ予想がつく。何かイヤなことがあって家出してきたのだろう。家出はふつうだ。アリもそうだったし、たしかウェイもそうだった。そのとびこんだ先が、船という変わった所だったというだけだろう。
むしろ気になったのはストンウェルの方だ。この船に乗っているなら、それなりに金を持っている商人なのだろう。が、この男はたんなる商人と言えない落ちつきがあった。むかしのマコウのように、船や馬車など乗れず、自分の足で町の間を旅している商人は、アリたち始末屋に近いふんいきが出てくるのはわかる。だが、ストンウェルは自分でそうではないと言った。いや、むかしは自分の身一つで旅をしていたのかもしれない。
アリは自分でも、ストンウェルの何にひっかかりを覚えるのか、よくわからなかった。敵という感じはしない。言えるのは、ただの商人ではないという感じだ。
その時、扉が開く音と同時に、白っぽい明かりが左から てらしてきた。そちらを向くと、イーギエとその後ろにパースが立っていた。アリのまわりの人たちもそちらを見ていた。
なるほど、たしかにこれは目立つ。
イーギエもイヤな目つきを向けられるのは なれていた。気にする様子はない。いや、それどころか胸を反らすと、杖を床に突いて注目をあつめるような事すらした。そして、二度せき払いをする。
イヤな気がした。
「では、パースよ。我々も食事を摂ろう」
イーギエの語りかけはアリのイヤな予感を大きくさせた。
イーギエはどちらかというと、もごもごと聞き取りにくい話し方をする。それなのに今は声を大きくして聞かせようとしていた。
「おう、まじつし。めしだ」
ぎこちないパースを見て、アリはじわりと汗がにじみ出るのを感じた。これは、かくれている所に衛兵や敵が近づいて来た時や、はさみ打ちにされた時に感じるものと同じだった。でも、今の立場はもっとまずい。衛兵や敵なら、打ちたおす かくごを決めればよい。だが、仲間では小剣を投げつけて止めるわけにもいかない。
「あぁ、アリ」
ウェイがおそろしいものを見ているかのように なげく。アリはそちらを見なかったが、ウェイが顔を青くしているにちがいないと思った。
「ところで、パース。巷では闇夜の悪魔という殺人鬼が噂になっているらしいな」
うごきを感じウェイを見ると、左手でおでこを押さえて下を向いていた。アリもまた、目をそらせないじょうたいから、見ていられなくなったので、ウェイの気持ちは良くわかる。
「そうだな。……えーと……そうだな」
ガランの酒もりでは、最後に竜のまぼろしが出るえんぎをした。それを仕切ったのはウェイだったが、パースは一言もセリフがなかった。今になってウェイがそうしたのが よくわかる。パースのえんぎはひどすぎる。
ウェイが大きな声を出した。イーギエの方を見ていた者が、いっせいに振り返る。よく通る声だからなのだろうが、何を言ったのか わからなかったせいでもあるだろう。じっさい、アリも、はじめにイーギエと呼びかけたところしか わからなかった。だが、わからない理由はわかる。ウェイはエルフ語で話しているのだ。
「スーを頼みます」
アリに顔を向けて、こんどは わかる言葉でそう言うと、ウェイはイーギエの方へとスタスタ歩き出す。
たのむと言われてもなあ、とアリが女を見ると、女もこちらを見ており、目が合うとあわててそらす。やはり女もたのまれても困るようだ。アリは小さく首をふると、女はほうっておくことに決める。だれかが女に声をかけてきたら追い払うだけでいいだろう。もっとも、アリが近くにいるだけで そうなるとも思えないが。
ウェイがすすむ先はこれまでどおり、道ができる。その向こう側にいるイーギエが、何か言い返した。声はモゴモゴした感じにもどっていた。ただしこれは、いつものちょうしにもどっただけでなく、ドワーフ語でこたえたからだ。だからアリには何を言っているかわからない。
ウェイとイーギエは、いつからか二人の会話をこうしてする事があった。中身を他の人に知られたくないからだろう。どちらかの言葉にそろえるよりかは、よりわかりにくい。じっさい、船乗りたちは、何を話しているんだ、とおたがい言い合うが わからないままだ。
しかし、アリは、一言一言はわからなくても、何を話しているかはわかる。おそらく言い争いをしているのは、声のちょうしから他の者でもわかるだろう。その中身は、ウェイは闇夜の悪魔について白々しく話すな、と注意しているのだろう。一方、イーギエは、ウェイが たよりにならないからだ、と言っているにちがいない。アリからすると、どっちもどっちだ。
パースもまた、自分にかんけいなくなったと思ったのか、アリの方へやって来る。
「あれは、ドワーフ語ですか?」
だまって聞いていたストンウェルが、アリにしつもんした。アリはそれに答えず、しつもんを返す。
「わかるのか?」
「いえ、ドワーフと取り引きはないもので、あいにく」
「そうか」
この返事だけでごまかそうと思ったが、ストンウェルは返事がないかと見つづけてくる。
「オレもわからん」
せいかくには答えていないのだが、ストンウェルは なっとくしたのか、ウェイたちへ顔を向けた。
ドワーフ語がわかる者は多少いる。アリだって、ガランと付き合いが長いので、いくらかの言葉は、話せないが聞けばわかる。それならいっそ、ひみつにしたい話し合いはエルフ語で話せばいいのかもしれないが、イーギエにはイーギエの考えがあるのだろう。
「アリ、めしは?」
近づいてきたパースが大きな声で聞いてきた。ウェイたちの言いあらそいに負けないように、というつもりなのだろう。が、そこまでしなくても聞こえる。
少なくともパースとアリの近くにいる連中は、ウェイたちから こちらへと向きを変えた。
アリは こたえる前に、一応のあいさつをすませる。
「なかまのパースだ」
ストンウェルは笑顔を向け、女はパースの顔をほとんど見ずに下を向く。
「パース、こちらが商人のストンウェルさんで、そちらが、えーと……」
女の名前が出てこないと、ストンウェルが教えてくれる。
「スーさん」
「ああ、そうだった」
「船旅のお仲間として、よろしくお願いします」
ストンウェルが頭を下げたのにたいして、パースはうなずくだけだ。そして、すぐ自分の目当てにもどる。
「めしはどうした? もう、たべたのか? おわったのか?」
パースは少し こんらんしていた。まわりの船乗りたちは食事を持っているのに、アリがまだな りゆうがわからないのだろう。このまま食事の時間がおわったと かんちがいしてしまうと、船乗りたちから うばいとりかねない。
「いや、まだだ。まっているだけだ」
「お皿が足りないそうですよ」
ストンウェルがまた言葉を足してくれる。
「そうか、よかった。おわったかとおもった」
「みんな、お前みたいな大食いじゃないから心配するな」
アリの言葉にまわりから笑いがもれる。パースの食いしんぼうぶりとバカさは、しぜんとまわりを明るくさせる。ウェイたちがまわりをきんちょうさせている今、ちょうどよいのかもしれない。
「でも、パンなら さらなしでも たべれるぞ」
「じゃあ煮こみ汁は、その手で皿を作って入れてもらうか?」
言われるままパースが、汁を受けられるように両手を合わせる。が、そこでようやく、どうなるかそうぞうできたらしく、あわてて手をはなす。
「あつい! てではムリだ!」
まわりがどっと笑った。
「だったら、皿が来るまでまつしかないな」
アリも笑いながら言うと、パースはかなしい顔をしてうなずいた。
「いやはや、パースさんは愉快な方ですな」
ストンウェルもたのしそうだ。やりとりをじかに見聞きできなかった船乗りたちも、ざわめきから何事かとこちらを向いていた。そのおかげで今はウェイとイーギエの言いあらそいを見ている者はほとんどいない。二人も、今はおたがい近くにいるので、声をおさえているせいもある。
パースは自覚していないだろうが、結果的にウェイたちの えんごをしたことになっていた。まわりのふんいきすら、よくなってきていた。アリが出てきた時はピリピリしていたが、それはもうほとんど感じられない。
パースが近くの船乗りの食事を ものほしそうにながめ、見られた船乗りが「やらねえぞ」とかくすと、また笑いがおきる。
アリもそんなやりとりを見ながら、なんとなくまわりを見回して、するどい目つきとかち合った。船乗りたちの間から、かべぎわに立っているのが見えたその男は、依頼人だった。
たしかに、一番腹を立ててよい立場の男だ。
依頼人はアリと目があったのを さとると、あごをうごかして一方を示す。上りのかいだんがある方向だ。「話がある。上に行け」という いみだろう。
アリは、下を向いてから、ため息をついた。
この手の話し合いは、どちらかといえばウェイの仕事だ。しかし今は、ウェイはイーギエと別の話し合いをしている。あちらはアリが代われない。パースが代わりに依頼人と話すわけにもいかない。アリが行くしかない。
「ちょっと べんじょへ行ってくる」
はなれる口実を言ってから、ウェイに言われた事を思い出した。
「パース、ちょっとその女を見ていてくれ」
「ん?」
パースがこちらを向いたが、よくわかった感じはない。くわしく話すしかない。
「その女がやっかい事に まきこまれそうになったら、たすけてやれ」
「ん、わかった」
女がちらりと不安そうな目を向けてきたが、すぐに はなれたウェイへとうつる。やはり、ウェイが一番安心できるらしい。
不安というならアリもパースにまかせるのは不安だ。ただし女のあつかいには心配していない。パースは荒野の支配者の中で ただ一人ヨメがいる。女を手あらにあつかいは しないはずだ。心配なのは、かんたんに だませる点だ。「向こうで仲間が呼んでいる」とでも言えば、気にせず女をおいていくだろう。
正直なところ、アリはこの女がどうなってもかまわない。気にしているのは、ウェイにおしつけられたからだ。女の身に何かあれば、ウェイにせめられる。パースにまかせた、という言いわけがつうじないのは仲間の中ではわかりきっている。
だが、まあ、そのあたりは このおっさんがうまくやってくれるだろう。
アリはちらりとストンウェルを見た。会ったばかりの信用していない男の方が、長いつき合いのあるパースより、たよれるのは変な話だが、じっさいそうなのだから仕方ない。
いつまでも依頼人を待たせるわけにもいかず、アリはその場を後にした。
かいだんを上ると、近くの客室の入口に立っていた依頼人が、ろうかを向こうへ歩いて行く。ついて来いということだろう。中に人がいないとわかっている部屋の中は、入って物色したくなる。一目でも見たいのだが、扉を開けると音で、依頼人によそ見をしていることが、気づかれてしまう。今はあきらめるしかない。
ろうかを抜けた先は上りかいだんのある広間だ。ただしここは下の広間よりせまいうえに、タルやらアミやらがおかれてある。かいだんの上はもう天井がないので、まだ明るい。床には、下へと光がとおるように、こうしになっている場所があるが、そこから はなれた かべ近くに、依頼人が立つ。
大人二人がかくれられる所ではない。だからといって上がれば、吹きさらしだ。そう考えると、聞かれたくない話をするには、ここしかないかもしれない。上からだれかが来るとじゃまだが、ほとんどの船乗りは今下にいる。上にのこっている船乗りの声は聞こえるが、食事に行けないからのこっているのだろう。
アリがなっとくして近づくと、依頼人は敵意のこもった目つきを向けてきた。
「あれは何だ?」
怒ってはいるが声はおさえていた。あれ、を示す中身がだいたいわかったが、アリはひとまず とぼけて、こちらもおさえた声で返す。
「あれって何だ?」
だが、そんなごまかしで依頼人の怒りは消えなどしない。
「王都に着くまで大人しくしていろと言ったはずだ。それなのに、あの嘘臭い演技は何だ!」
かえす言葉がない。むしろアリは依頼人と同じ意見だ。だが、今それを正直に言ったところで、怒りが大きくなるのはわかっている。アリは荒野の支配者の一員として、文句を受けるせきにんがあるからだ。
「貴様らは本当に荒野の支配者なのか?」
これにはカチンときた。が言いかえそうにも、今度も言葉が見つからない。
そもそもアリたちが本物の荒野の支配者だとしめすモノなどない。いつもなら、アリたちが本物だと知る人が依頼人との間に立っているのだが、今回はちがう。そういう場合は実力で示せばよかったのだが、その実力が先ほどのひどい見せ物なのだから、かっこうがつかない。
「仕方ないだろう。俺たちは魔物や盗賊相手が とくいなんだからな」
苦しまぎれの言い訳だったが、依頼人の怒りがゆるんだ。おそらく、依頼人が聞いた荒野の支配者のひょうばんが、アリの話したとおりの中身だったと気づいたからだろう。
「だからと言ってあれはひどい。大人しくするだけなら得意不得意などなく、聞き分けの良い子供でもできる簡単なことだ」
アリもそう思うが、それをイーギエはできないのだ。もとから依頼人が気に入らないこともあり、アリは言いかえす。
「あんたがくわしく話さないのが悪い。イーギエは魔術師だ。わからないことをしらべたくなる しょうぶんなんだよ」
また依頼人の押しが弱まった気がした。おかげでアリも少しいらだちがやわらぐ。ここらで一歩ゆずることにする。
「ヤツがだれかをおしえろ。そいつが さわぎだす前にふんじばってやる。それが俺たちのケツのふき方だ」
依頼人が目をそらし、下を向いた。何か変だ。
「おい!」
よびかけた時、上で船乗りの声が近づいてきた。アリは一歩下がり、見られたとしてもたまたま依頼人といっしょだったふりが できるようかまえる。が、足音は遠ざかっていった。
「まだわからない」
少しはなれたうえに、依頼人の声が小さかったため、よく聞こえなかった。聞こえた言葉を頭の中でくりかえす事でようやくその言葉をつかんだが、りかいするのにさらに時間がかかった。
「え、今何て言った?」
依頼人はちらりとアリを見てからまた目をそらす。
「まだわからないと言ったのだ。着くまでにはわかる」
ようやくアリは りかいした。依頼人が闇夜の悪魔の正体を話さなかったのは、しらなかったからなのだ。そこまでわかると、あたらしい別のうたがいが生まれてくる。
「おい、まて。それじゃそもそも、闇夜の悪魔はこの船に乗ってないかもしれないじゃないか!」
いろいろかき回されたあげく、報酬すらもらえない仕事をおしつけられたかもしれない。アリの中で怒りがむくむくとわいてくる。声も しり上がりに大きくなってしまった。
「いや、奴はいる!」
これまでの弱気な たいどが急に変わった。依頼人はアリを強い目つきでにらむ。
アリはウソと裏切りが当たり前の世界で生きてきた。だからあるていど他人のウソは かぎ分けられる。その感覚は、依頼人がウソをついていないとつげていた。
もちろんアリは、よく知らない相手の目つきなどに完全に乗っかるほどお人好しではない。闇夜の悪魔がこの船に乗っているという話は、じっさい真実ではないかもしれない、と思っている。でも目の前の男は、乗っていると信じている。
「どうしてそう言い切れる」
また依頼人が下を向いた。だが、今度は弱まったというより、どう話すべきか考えているようだった。アリは まつ。
「お前の魔術師、私の去り際に『相棒はどうした?』と聞いたな?」
「……ああ、そういえばそのような事を言ってたな」
「あの時、私は『乗れなかった』と答えた」
アリはじっさい よくおぼえてなかったが、うなずいた。
「あれは嘘ではない。私の相棒は、闇夜の悪魔に殺された。だからこの船に乗れなかったのだ」
ふたたびアリを見た依頼人の目には、明らかに怒りの炎がもえていた。それはアリに対してではない。闇夜の悪魔に対しての怒りだ。
「それで、そいつが闇夜の悪魔がこの船に乗ったと言ったんだな?」
依頼人がうなずいた。そしてぽつりぽつりと話しだす。その声は低く、話はところどころ とんで つながっていなかったが、アリの知る世界の話だったので、だいたいが りかいできた。
依頼人の相方は、闇夜の悪魔のしっぽをつかむため、裏社会に忍びこんだ。そこで、じっさいにしっぽをつかみ、その話を伝えるために依頼人と会うところで、闇夜の悪魔に殺された。
「死体に、闇夜の悪魔の証があったのか?」
「いや、違う。ヤツはそうする前に、私が来るので立ち去ったのだ」
「そいつをつけて、この船についた?」
「それも違う。いや、そうするべきだったのかもしれない。だが、私は相棒に近づいた。傍目にも死にかけているのが明らかだったからな」
アリはうなずいた。アリも、仲間が死にそうになっていたら、敵を追わずに、そうする。
「そしてあいつが、息も絶え絶えだというのに、教えてくれたのだ。『渦越え号』とな」
「……それだけでは、闇夜の悪魔が乗っていると きまらねえだろう」
依頼人がキッとアリをにらみつけた。この目つきはよく知っている。人殺しの目だ。殺気を感じたアリはとっさに剣をにぎっていたが、ちらりと見ると依頼人は剣に手をやっていなかった。かなり自分をおさえられる人間のようだ。
「最期の一言を『闇夜の悪魔にやられた』では、それで終わりだ。あいつは奴を追い詰める道を示してくれたんだ」
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
依頼人はあつくなっていたが、アリはそれに引っぱられはしない。少し考えてから、一つ聞く。
「相方が殺されたのはいつだ?」
「……出港の前日の夕方だ」
「だったら、なぜ船を押さえなかった? あんたは衛兵を使えるんだろ?」
依頼人は口元をゆがめた。
「もちろん、そうした。領主に会って、この船を封鎖するように進言した。が、あの臆病者はそうしなかった。死にかけの者が口走った事など信頼できん、だとさ」
依頼人の目の色が変わっていた。だれかを呪う目つきだ。もちろん、今回の相手は領主だろう。
だが、依頼人の相方がどうなろうとかまわないアリは、ハイマーの領主が手を出さなかった わけをりかいできた。プルサスの衛兵が まとめてやられた相手だ。できれば手を出したくない。どうせ王都へ行くヤツなのだから、と。
「ちょっと待て。闇夜の悪魔はプルサスがシマなんだろ? なぜハイマーにいた?」
「我々もプルサスにいた。だが、ドニからホシが移動すると知らせを受けて、ハイマーに来た」
依頼人は下を向くと、つぶやく。ドニとやらは、相方のことなのだろう。
「俺がもっと早く追いついていれば」
くやしさが にじみでていた。アリも仲間がいる身だ。相方のかたきを うちたい気持ちは分かる。しかし、これだけ入れこんでいると、思いこみをしている危険が大きい。
アリは今や闇夜の悪魔がこの船に乗っているかどうかを、半分より少ない見こみと ふんでいた。ただし、闇夜の悪魔がプルサスから はなれたがるりゆうはわかった。衛兵たちだけでなく、組織を敵に回しているのだ。いごこち悪くて当たり前だ。しかし、そこですぐにうごくのは、あまりよくない。うごくと目立つ。衛兵も組織も、そこに目を光らせていたはずだ。だが、闇夜の悪魔はそれでも うごいた。依頼人の相方がハイマーで殺されたのなら、闇夜の悪魔もハイマーまでは逃げられたのだろう。そこから先は、わからない。むしろアリなら、船ではない どこかにかくれる……いや、ハイマーまでつけられたなら、やはりそこからはなれるか。
いや、今は乗っていると考えるべきだ。乗っていなくても、ちゅういしておくのは そんにはならない。
プルサスに はられたアミからぬけ出たヤツなら、やはりパースのような強いヤツではなく、アリに近いコソコソうごきまわるヤツなのだろう。そう考えると、闇夜の悪魔に食らいつけた依頼人の相方は、たしかにくやしがるくらい、実力のあるヤツだったといえる。
アリが依頼人を見ると目が合った。
「ん? 何だ?」
「いや……あんたの相方は なかなか腕が良かったんだな」
まず、裏社会にとけ込めるのがむずかしい。よごれている連中は同じ臭いをかぎわける。ぎゃくに、臭わないヤツは目立つ。もしかすると、元は裏社会の人間だったかもしれない。それだけでなく、組織が探し出せない相手を、同じ景色から見つけ出したのだ。組織にいれば すぐに おえらがたになれる力があるヤツだ。いや、ヤツだった。
「ああ。自慢の弟だ」
その言葉はアリの胸にささった。
「え?」
頭ではわかっていたはずだが、心がついていかなかった。聞こえていたはずなのに聞き返してしまった。
「相棒のドニは私の弟だ」
その時アリの中で何かががらりと変わった。マコウが死んだ時の様子がふいに思いうかぶ。マコウが息たえた時、マコウを支えていたのはアリだった。本当はウェイやガランがそうする役だった。アリでは手当てなどできないからだ。でもあの時はアリが一番近くにいた。そして、マコウが長くないのはすぐにわかった。だから、だき上げたのだ。あの時のマコウのすがたが、アリの末の弟のトーリに重なる。
アリは息がつまった。
「弟はいくつ はなれていた?」
考えなしに口走ってしまった。
「十だ」
聞かなければよかったと、こうかいが 腹のそこから上ってくる。二つ、三つ下ならトーリとはちがうと思えた。だが、十ではムリだ。
せいかくには、アリはトーリといくつ はなれているかを知らない。アリが自分のとしを知らないからだ。でもウェイの見立てでは としの差は二十近くだろうと言われていた。
十と二十ではちがう。アリは自分にそう言い聞かせたがダメだった。心がだませない。
依頼人が、アリがトーリに対して思うように、かわいがっていたんだろうな、と思うと、もう他人事ではすませられなくなった。
「どうした?」
アリの心の変化は、表に出ていたようだ。依頼人が、まゆをよせていた。
「いや……オレにも、としがはなれた弟がいてな」
「そうか」
それ以上の言葉は いらなかった。アリは、依頼人との間につながりを感じた。としがはなれた弟がいる者だけがわかる気持ち。それが依頼人の顔に見つけられた。向こうも同じだろう。
しばらくだまり合った後、アリがせき払いをした。
「そういえば、正式に依頼はまだ受けていなかったな。いいぜ、受けてやる。……オレもあんたのかたきうちを手伝ってやる」
「うむ」
事が決まると、アリは急にいごこちが悪くなった。なんといっても相手は騎士だ。なれあうのはガラじゃない。
「じゃ、イーギエはまかせろ。口を閉じさせてやる。その代わり、何かわかったらすぐに知らせてくれ」
依頼人はうなずいたが、むずかしい顔をした。何か引っかかっているらしい。
「何もひとつにしぼるまでしなくていいんだ。あるていど定まったら、まとめてふんじばってしまえばいいんだからよ」
気楽にさせてやると、依頼人は小さく笑った。いや、あきれられたのかもしれない。
「大雑把だな。荒野の支配者はそんなものなのか?」
「魔物退治なんか、こまかくきめすぎてもダメなんだよ。なんつーか、ユーズーきかないってやつだ」
アリは依頼人に背を向け、手をふる。いっしょにいる時間は みじかい方がいい。話がすんだらとっとと去る。
その時、下から大きな声が聞こえた。とっさに腰に手をやってからアリは顔をしかめる。声の主がだれかわかったからだ。
パースだ。パースはいつもおとなしい。なので、怒る理由は数が多くない。今回は食事についてだろう。すぐに、ところどころ聞こえてくる言葉で、アリの考えが正しいのがわかった。
「本当に大丈夫なのか?」
先ほどまで感じた つながりはもう切れていた。依頼人が、うたがわしそうな目で見てくる。
アリは、それ以上言うなと片手をふると、その場を早足で去った。