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悪魔の乗りし船  作者: 最勝寺蔵人
本編
8/41

07 (ペイルトン・イーギエ)

「よし、報告しろ」

 言った後で、ペイルトンはウェイが煙石の触媒準備――正確に表現するなら、触媒準備を利用した静寂の香の吸収――を始めていたのに気付いた。いや、それは見えていたが、つい口にしてしまった。まだ寝惚けていたという事だろう。

 ウェイが無視するのは当然として、アリでさえ、変な目を向けていた。忙しい今は答えられる訳がない、という訴えだ。もちろん、ペイルトンも今はわかる。だからといって、謝るのも決まりが悪いので、次の指示を早めに出しておいた体をとる。

 煙石が煙を吸うのを待つ状態を整えた後、目を開いたウェイは予想どおり怒りをはらんだ目の色をしていた。が、口から出たのは不満ではなく、求めた報告だ。

「結論から言いますと、一般の船員の中に闇夜の悪魔はいません。その最大の理由は、距離および時間が障害となるからです」

「ふん、そうだろうな」

 ウェイが部屋を出た後、それについては考えており、その結論に辿り着いていた。別の情報を引き出そうとした時、アリが言葉を挟む。

「ちょっとまて。くわしくおしえてくれ」

「もちろんです」

 ウェイがアリの方を向く。ペイルトンも、理解が追いついていないアリを待つべきだと考えていたので、見守る。

「闇夜の悪魔のいたプルサスから、港町ハイマーもしくは王都へ旅する場合、どれくらいの日数がかかりますか?」

 先ほどウェイは、距離と時間と表現したが、距離が正確に議論されることはない。王都とプルサスとハイマーの位置関係を正確に知る者はおそらく誰もいないからだ。測量までして地図を作製するのは町の区画割りまでだ。危険な荒野を測量しながら地図を引く意義はない。ゆえに、みなは町の間の「距離」を「およそ何日の行程」という時間として認識する。

「ハイマーまではわからんが、王都なら三日ぐらいか?」

 ウェイが軽く笑った。

「かなりの急ぎ足ですね。確かに朝早く出れば、三日目の夜には着けますが、門が閉まるまでに間に合うかは難しいですね」

 日程もまた曖昧だ。道の状態で進む距離がかなり変わりうるからだ。道の状態は天候で左右される。天候の変化や予測は古代魔法王国時代もままならなかったようだ。つまり、旅の日程を正確に予測することは不可能といえる。

「なら、よゆうを持って四五日となるのか」

 アリの言うことは正しいが、今回はいかに短い日数で移動できるかという可能性について論じている。

「いや、この場合の計算は最短日数でするべきだ」

 ウェイがまた表情を曇らせた。難癖を付けているのかと思ったのかもしれない。

「ならば、最短の往復日数は七日でいいですね?」

「ん?三と三を合わせたら……」アリは両手の指を三本ずつ立てて数える。「六日じゃないのか?」

「着いてすぐ発つわけではないですから、一日足しました」

 ウェイが横目でこちらを確認する。この判断には異論はない。ペイルトンはウェイの視線を無視し、聞き続ける。

「プルサスからハイマーまでなら、途中で川舟を使えますから、それより早くなります。ですが、逆だと遅くなるので、往復で六日ないし七日で、いいですか?」

 今度は明らかにペイルトンに確認を取った。最後のフレーズだけ、口調が鋭くなったのが証拠だ。ペイルトンは言葉で答えるまでもないので、鼻息を吹いた。

「一方でこの船は、港に着いてから次の出港まで、早ければ二日、長ければ十日以上、だいたい五日前後かかるそうです。五日では、プルサスまでの往復が間に合いません」

 この船は定期船らしいが、厳密には定期にならず不定期というわけだ。船も、その積み荷を届ける陸運も、天候で左右される以上、不定期船になるのは必然だ。具体的にどの程度のスパンで運航しているのかについては情報が足りなかったが、予測の範囲内の数字だった。

 つまり、この船の乗組員は、王都ないしハイマーのいずれかから、プルサスへ殺人をするために出掛けるという想定に無理がある、ということになる。いくら、普段の活動拠点から離れた都市で殺人を行う方が捕まりにくいとしても、わざわざそれを実行するにはハードルが高すぎる。そもそも旅の途中で魔物や盗賊と出くわす危険があるのだ。

 仮に、そこまで警戒する知恵があるなら、強盗以外にリスクのより低い収入方法を考えつくだろう。あるいは、活動拠点近くで見つかりにくい悪事をする方が簡単だ。

 だが、今は可能性を論じる時、犯人が往復できる日数が空いた時、つまり次の出港まで長くなったタイミングを狙ったとしたらどうだろう。

「出港まで十日かかる予定の時にこそ、犯罪行為がなされているかも知れんぞ」

「いえ、そう考えるには二つ問題があります。一つは、十日かかる予定が船員にはわからない点です。長く待っている理由は基本積み荷待ちだそうで、それがいつ来るのか、船員たちにはわかりません」

 これは、ペイルトンが先程考えていた事だ。だが、第三者視点で流通が不安定だと考えただけで、乗組員の視点で「いつ届くかわからない」と認識してはいなかった。またウェイにしてやられたわけだが、もちろん表には出すつもりはない。

「もうひとつは、もし出港が遅れるとわかり、プルサスへ狩りに出かけたとしても、プルサスで闇夜になるかはわからない、という点です」

「それもそうだな。まさに天気しだいだからな」

 アリの同意は今回も正しかったが、予めわかる闇夜も存在する。

「新月なら予め計算できる」

 暦は多くの賢者が把握している。ペイルトンは普段意識していなかったが、必要ならすぐに確認できる立場にいた。市民でも、どこかの神殿で見習いに聞けば得られる情報だ。

 ウェイが唇を曲げた。彼にすれば、二つ目の問題点の方が自信があったようだが、見込み違いだった。ペイルトンがなじってやろうかと思っていたら、アリは意見を加える。

「でも、十日の休みと新月がかさなるかどうかは、荷物しだいなんだろ」

 新月かどうかは予め計算できるが、結局他の不確定な要素は排除できないということだ。

「その通りだ」

 ペイルトンは素直に認めた。

 考えてみれば、闇夜にのみ犯行がされるというポイントは、犯人が普段はプルサスにいると示していると考えて良い材料だ。やはり、自分一人で考えるだけなく、議論をするのは意味がある。

 ペイルトンが納得していると、ウェイが話を続ける。

「……船員には次の出港をパスするという選択もあります。事実、体調が優れない時や家族を共に過ごすなどの理由から、乗らない船員もいるそうです」

 そういう者がいるなら、例えば新月が近づくと敢えて船に乗らないという選択もできる。しかし、新月以外の闇夜は予測できない。闇夜に遭遇しやすいよう、ひっきりなしに乗組員としての職務を休む、という手段は採れうる。が、この選択は失職という事態を招くはずだ。

「そこまでして、殺しをするか、か。……オレはありえねえと思うな」

「私も同意見だ。闇夜の悪魔は、何か職に就いていたとしても、プルサスに住んでいると考えるのが自然だ。おそらく収入は強盗殺人に依るのだろう。そうでない、単なる愉快犯だとすれば、リスクに見合っていないからな」

「そうですね。考えられるとすれば、船員という立場を隠れ蓑、かつ移動手段として利用している、という想定ではないでしょうか?」

 それはできないと判断したばかりではないか、と考えてすぐ、ウェイが話した内容を理解していないほどバカではない、と考える。という事は、ウェイは何らかの抜け道を利用できる乗組員がいる、と考えているという事だ。考え始めるペイルトンに、ウェイが続けて話し出す。

「実は、この想定に当てはまる人物がいます。先ほど、船員たちが全て乗り続けているわけではないと話しましたが、その代わりに臨時で雇われる船員もいます」

「いるなら、さっさとその話から始めろ」

 ウェイに追いつくチャンスを与えられなかったペイルトンは苛立ちを露わにした。

「すいませんね。順序立てた方がわかりやすいかと思いまして」

「ああ、オレはそれでたすかった。で、目ぼしは?」

 アリが口を挟み、ペイルトンは口を閉じた。ウェイへの苛立ちがへったわけではないが、アリの狙いはわかる。話を先に進めろ、と言っているのだ。ウェイも同じ考えらしく、ペイルトンにこだわらず、アリに向き直る。

「臨時で雇われた船員は二人。うち一人は度々雇われた経験がある者で、もう一人が新しい人です。この新しい人は船員としての経験が浅い、と見抜かれています」

「そうか。衛兵と組織に追われて、逃げ場をなくした悪魔が、船乗りのふりをして乗りこんだかもしれねえ、ってこったな」

 船を起点にして犯罪を行っているのではなく、プルサスが起点だったという発想だ。これならこれまでの推理と乖離しない。ペイルトンたちがこの可能性に気付くのに時間がかかった事からも分かるとおり、犯行後別の場所で働いている者は疑われにくい。隠れ蓑としては良くできている。

「人殺しに身をやつす前、どこかの船の乗組員だった経験があるのかもしれんな。それでその男はどうだった?」

「……それは、まだ調べられていません。船員たちから色々な情報を得るのを優先しましたから」

 ウェイが珍しく聞き取りづらい声量で言った。ペイルトンが「先に調べておけ」などと言うだろうと警戒しているのだろう。だが、当のペイルトンにその気はない。ウェイの言ったとおり、一定の時間内で得られる情報には限りがあり、有用な情報は得て吟味してからでないとその価値には気付かない。だから、有用な情報を率先して集めろ、と言うのは実行不可能な要求なのだ。もっとも、単純に、「しっかり聞き込みをしろ」と命じたところで、「だったら自分でしろ」と返されれば困るという理由もあった。ペイルトンは、ウェイが相手に警戒されずに情報を集めてくる技術が高いのは評価していた。直接本人に伝える気はないが。

 妙な間ができた。ウェイだけでなくアリも、ペイルトンが文句を言うと半ば待っていたようだ。ならばと、ペイルトンは不機嫌そうに咳払いをする。それで、ようやく会話の流れが動き出す。

「その雇われ船員については、後ほど探りを入れてみますが、他にももう一人重大な候補がいます」

 ウェイがもったいを付けて、聞き手の顔を見回す。アリは興味を引かれたようだが、ペイルトンはウェイのこういう芝居がかったところも好きではなかった。杖を突いて先を促そうとしたところで、ウェイの溜めが終わった。

「それは、船長です!」

「船長?」

 アリが繰り返す。そういう根拠が掴めない、と疑わしそうな顔をしていた。

「はい。次の出港日は船長が決めるのです。ですから、当然プルサスに寄る予定も自分で決めることができます。プルサスへの旅については、商談と言っておけば、怪しまれません」

「ふーむ」

 ペイルトンは考える。闇夜の悪魔がこの船を拠点とする想定は無理があると判断していたが、確かに船長であれば無理とは言えなさそうだ。

 しかし、動機は分からない。船長にもなれば収入面で安定しているはずだ。もちろん、給金では足りないほどの負債や、売上損失を出して、金に困っている可能性はある。だが、その規模なら強盗で購える額ではなかろう。ならば、精神的な充足目的と考えるしかない。いわゆる殺人狂だ。が、この手の者共は性格に破綻している者が多く、社会的生活に適していない。そんな者が多くの乗組員の指揮を執る船長の任に収まるものだろうか。例外的存在ならありうるが、例外を持ち出すと推理の意味がなくなってしまい、納得いかない。

 ペイルトンの考えている間もウェイの発言は続く。

「人物像も当てはまります。乱暴で船員たちを恐怖で支配しています。あの様子では、人殺しに罪悪の意識など感じないでしょう。剣の腕も確かです。胆力も申し分ありません」

 熱くなるウェイと対照的に、ペイルトンの中で冷ややかな感覚が広がっていく。

 おかしい。ウェイが、ペイルトンではない他の誰かを、悪く言う事はほとんどない。ただし、一度悪く言い出すと、その程度はペイルトンに対してより厳しくなる。その対象となるのは、女性に対して被害を加えた、とウェイが判断した相手だ。

「ウェイ、何があった?」

 冷たいペイルトンの呼び掛けに、興奮していたウェイの動きが止まる。こちらが気付いている事に、ウェイも気付いたようだ。観念すると、溜め息をつくように自身の暴走の理由を吐き出す。

「女性が捕らわれていました」

 やはりそうかと、ペイルトンも溜め息を吐く。アリも同じようで、溜め息が重なった。

「彼女は所持金が少ないところを付け込まれ、船長の私的な世話をするよう強制されました。むろん、そのような無法がまかり通って良いはずがありません! 私は船長に掛け合って、彼女を個室に移すよう主張しました。船長は最初相手にしませんでしたが、最終的には、私が手間賃を払うという事で同意しました」

 ペイルトンは聞いてはいたが、杖を持っていない左手を額に当て庇のようにして、ウェイを視界から遮断した。怒りより先に疲れが来た。似たような展開は過去にも数え切れないほど経験していた。

 一言で表現するなら、ウェイはフェミニストだ。ジン・ヨウから伝わったこの思想は、見習い時代他人をからかうのに使われていた。女性を丁寧に扱った同期に対して、その女性の気を引こうとしただけだろうと、フェミニストという言葉を投げかけ冷やかしていた。だが後に、ペイルトンは彼らがフェミニストという言葉を真に理解していなかったと知った。ウェイこそが純粋なフェミニストだった。そしてその存在は社会に対して波風を立てる存在なのだと思い知らされた。もちろん、ウェイの近くに立っているペイルトンたちはいつも、その波風に晒され巻き込まれる。

 今回もそうなるだろう。今回がいつもと違うのは、ウェイが敵意を抱いた相手から、船という空間制約上離れられない、という点だった。まして、その相手は船長だという。これは被害の程度を確認しなくてはいけなかった。

「待て。船長と揉めたのか?」

「……ええ、そうしないとスーを助け出せませんでしたから」

 スー、女の名だ。見習い時代、同期が花売りの少女の名を恥ずかしくて聞き出せない、と話していたのを思い出した。若者特有の悩みだが、ウェイにはそんな悩みなどなかったかもしれない。若くもない今は余計に、女の名を聞き出す事など懐から何かを取り出すくらい容易いに違いない。

 無駄な連想だった。頭が現実逃避をしたいと訴えているせいかもしれない。

「馬鹿者! 船の中で、船長を敵に回す意味をわかっているのか?」

 己を奮い立たせる為にも、ペイルトンは一喝した。呆れて話もしたくない気はあるが、それに流されていては話が進まない。

「王都で国王に反旗を翻すようなものだぞ!」

 しかし、ウェイの態度に反省は見られない。開き直っている。

「それは、船長本人も言っていました。だから、私はこう告げました。『王といえども悪政を布くなら、反乱を起こし討ち取られる』と」

 だから、実力行使も辞さなかったというわけか。ウェイが言外に含んだ意図を読み取ると、ペイルトンは厄介事に巻き込まれている怒りから、ウェイを睨んだ。ウェイもこちらを睨み返す。後悔はしていない、という事だろう。

 もし、ウェイが船長を脅しつけていたなら、今後全ての乗組員達からの反感を、ウェイだけでなくその仲間のペイルトンたちも、受けるであろう。反発的な相手を処する方法は二つ。押さえ込むか、懐柔するか、だ。

 この船を、暴力をちらつかせて押さえ込む。……荒野の支配者であれば、可能だ。食事に毒を混ぜられると対処に困るが、数日なら手持ちの分で乗り切れるだろう。目的地に着くのを遅らせ、こちらの食糧が切れるのを狙う事もしないはずだ。商売が遅れるのは、相手にとってもダメージだからだ。ならば、今すぐに困ることはない。まして、ウェイは、金銭で懐柔したようなことを言っていた。互いに感情面の問題は残っているだろうが、一応揉め事は解決しているのだろう。

 そう判断するとペイルトンは溜め息をついた。

「もういい。起きた事だ」

 頭を切り替える為にも、話を戻す。

「他に、何か伝えておくべき情報はあるか?」

「……いえ、別に」

 ウェイはまだ心が荒れているようだった。これではまともな判断力は残っていまい。こちらから、具体的な質問をぶつけるしかない。ペイルトンは、自分が知りたい情報が何かと考える。

 パースが「めしはまだかな」と呟いた。相手をする余裕はないので無視する。ほどなく、質問が思い浮かんだ。

「我々が最後の乗客かどうかについては、どうだ?」

「ああ、それなら――」

 ウェイがさらりと答え始め、ペイルトンは怒りが沸く。やはり、伝えておくべき情報はあったのだ。が、口を挟むのは止まった。今は口論より推理がペイルトンに必要だ。

「私たちが最後で間違いないようです。荷物を待っていたらしいですが、届かなかったそうで、その代わりに私たちを乗せてすぐ出港した、と教えてくれました」

「なるほど、それで昼まで出ていなかったのか」

 ペイルトンは小さく頷いた。陸路でもそうだが、船も旅立つのは朝が多い。この理由は、逆に夕方に旅立った場合を考えれば簡単に理解できる。夕方に町を離れたら、すぐに夜が来てしまう。荒野の夜は危険だ。船であっても沿岸なら暗い夜は座礁の危険から動けない。また、朝早くに出発しなかったせいで、着いた先の門や港が夜封鎖されるのに間に合わなくなるのを避ける意味もある。

 ともかく、この船が午後まで出発しなかった理由がわかり、ペイルトンはすっきりした。ウェイを送り出した後、独りで情報をまとめていた時に気付いた小さな謎だった。闇夜の悪魔の正体とは直接繋がらない情報だろうから、追い求めるほどではなかったが、わかるとやはり気分が良い。

「おおかた、その荷はキンセイの品だったんじゃねえか? どっかでとっ捕まってしまえば、とどくわけがねえ」

 アリの意見は、ペイルトンの中にはないものだった。荷物が遅れたのは、道路事情ないし、盗賊や魔物の被害だろうと考えていたが、密輸品が押収されたとは思いついていなかった。それならむしろ、受け手は追手が来る前に逃げる。代わりに客を乗せれば、そもそも密輸するつもりなどなかったという体裁も整う。ペイルトンたちはうまく利用されたのかもしれない。

「そうか、そうですね! そういえば、それらしい態度をしていました。船長の性格からも悪事に手を染めるのは抵抗なさそうですしね」

 ウェイが自己正当化できる材料に喜んで飛びついた。そっちには興味がないので、ペイルトンは推理を進め、得られた見解から杖を掲げた。

「それでこの部屋か」

 部屋の隅まで照らしても、この部屋には持ち込んだ以外の荷物はなかった。考えてみれば、客扱いされていないと、ペイルトンは不満の息を吐く。

「どういうことだ?」

 ペイルトンの考えに追い付いていなかったアリに、杖を振って示す。

「ここがその荷を積める場所だ」

「え?」

 アリは改めて辺りを見回すが、掴みかねているようだった。言葉が足りなかったとペイルトンが付け足す。

「明らかに客室と言うより倉庫だろう。家具の一つも置いていない」

 アリが、また見回しながら納得して頷く。

「そうか……この部屋につめる荷がとどかなかったのなら、そいつは大ぞんだな」

 アリがにやりと笑った。

 損得と言えば、やり残している貸し借りがあるのを思い出した。

「そう言えば、乗船料の精算が未だだったな。いくらだ?」

「……一人銀貨二百枚です」

「二百枚!?」

 ウェイが言いにくそうだったのは、アリを気にしての事だろう。そして、その予想どおりにアリは反発した。

「ボラれてるんじゃねえのか? 高すぎだろう! ゴネなかったのか?」

「はい。今思うと、足元を見られていたのかもしれません。……ですが、急ぎの確保だったんでそこまでは……」

「いやいや、二百だぞ? 気づかないですむていどじゃねえよ」

 確かに、銀貨二百枚という価値は一般に高い。一日の食事は銀貨二枚あればなんとかなる。つまり、食費百日分がたった数日で消えるのだ。受け入れがたいと感じる者は出てくる。金銭への執着心が強いアリは尚更だ。文句を言いながら、さらに加熱しつつある。

 だが、その怒りは理論的には正しいと言えない。

「しかし我々は船の相場を知らない。だろう?」

 荒野の支配者は、旅で船を使った経験がほとんどない。だから基準となる金額を知らないのだ。これでは値段交渉のしようがなかった。

 ペイルトンは自分の財布の紐を緩める。放っておけばアリはいつまでも文句を言うだろう。だから強引にステージを進めるしかない。

「それはそうだが……高過ぎるのはわかるぞ!」

 ペイルトンの払う姿勢を見ても、アリはまだ不満は拭えないらしい。

「存外、適正価格かもしれんぞ。馬車と比べても、速いし、天候で日程が左右されにくい。魔物や賊にも襲われにくい」

「でも海賊ってのがいる」

 ペイルトンは財布の中の金を数えながら、首を左右に振る。荒野の支配者は、数え切れないほどの盗賊を倒してきたが、活動が内陸に限っていたので海賊と相対した経験はない。だからアリの言う海賊も、噂で聞いた存在でしかないはずだ。

「いわゆる海賊のほとんどが、小型の舟に乗って沿岸の村々を襲う連中だ。この船ほどの規模の船を持って、海の上で盗賊行為は行う者はほとんどいない。そんな事をするより自分で海運業を始めた方が良いからだ」

 アリが黙り込んだ。納得したかと思ったが、そちらを見ると財布に未だ手を着けていなかった。心の中で何かが引っかかっているのだろう。

「この船がどれくらいするか、知っているか?」

 アリが知らないと首を振る。

「金貨何千枚以上だ」

「そんなにもか!?」

 アリの驚きは大きかったが、そんなものだろうと思う。ペイルトン自身も、初めて知った時は驚いたからだ。

 船の基部である竜骨となる原木の希少性と、集められる材木から船の立体的な設計を想像できる船大工親方の経験と才能、大量の材料の費用と大工ののべ日当。これらが高額だと納得させられる要素だ。単に、宿屋が動いているという認識では済まない。

「それだけの資産だ。海賊行為は儲かるかもしれないが、それゆえに討伐対象になりやすく、そうなった時逃げ切るのは難しい。船にはメンテナンスの手間がかかり、山賊たちと違って、ただ山に籠もっていればいいわけではない。定期的に然るべき港に行く必要があり、そうなるとそこで捕まる」

「たしかに、その時に金貨何千枚もパアになったら目も当てられねえな。……しかし、この船がそれだけの金になるとはなあ」

 途端に船そのものに興味が湧いたようで、アリが床を叩く。

「それだけの金となると、この船は貴族のもんなのか?」

 貴族と言っても資金力は様々だ。有力な貴族でしか、この規模の船は所有できないだろうが、そんな貴族がどの程度いるかは、現場を知るウェイの方が詳しい。だから、そこは敢えて触れない。

「あるいは、有力な商家のものか。いずれにせよ、船長が幅を利かせられるのは、港に入るまで。権利者が近くにいない状況だ。何か嫌がらせをされるとしても、それまで我慢か」

 話している最中に、ウェイのせいで厄介な立場に追いやられた事を思い出した。だがアリは、まだ船の価値についてあれこれ考えている。

「オレが船長なら、よていの みなとに入らず、そのままとんずらこいて――」

 そこまで言ってから、アリは口を開いたまま止まり、しばらくして首を左右に振った。

「そっか、船はでかすぎるから、ふところに かくすってわけにはいかねえな。どうしても足がつく」

 ウェイが咳払いをした。

「断定されたわけではありませんが、船員さんたちの話を聞く限り、船長がこの船のオーナーのようです」

 意外な話にペイルトンは、袋の中の硬貨を数えていた顔を上げた。この船の持ち主はかなりの富豪のはずだ。それほどの富豪がいわゆる現場に出ているとは思えなかったのだ。陸路よりましだと言ったが、嵐があれば船は沈むかもしれないし、客として危険な奴が乗り込む事も考えられる。館に閉じこもっているのと違い、安全ではないのだ。その危険を冒しても得られる利点は、船長の雇用料程度。それを嫌がって自ら汗をかきたがる者が、貴族や豪商にいるとは思えなかった。

「つまり、船長は貴族か大商人ってわけか」

 そう言うアリは、表情を見る限り、信じているより疑っているらしい。考えてみれば、アリは相手が金持ちかどうかの鼻が利く。やはり、ペイルトンの推理は正しいのであろう。そうなると、ウェイの話が信用できない事になる。

 だが、ウェイ自身も、その見解を否定する。

「私が見た限りでは、貴族でも大商人でもなさそうでした。ありえるのは、何か法に触れるような事をして、元の所有者から奪い取った、という背景ですね」

 なるほど。ペイルトンは心の中で頷く。船の持ち主が富豪と限らない例外もあり得た。ウェイの言うような背景だと、船ごと遠くへ逃げない限り、資金力を持つ相手に報復される恐れがあった。だが、奪い取った相手が没落しかけで最後の資産として船が残っていたなら、そのまま乗っ取れる。他にも、所有者が護衛を連れているならば乗り込んでいる場合もあり得る。一代で成り上がった商人なら、任せた船長が売上を誤魔化さないよう現場まで出向いて目を光らせる事はするかもしれない。

 ウェイの指摘で初めて例外的存在に思い至ったのは癪だったが、反対意見はない。ペイルトンは興味がないと鼻息で示してから、金勘定に戻る。色々話したおかげがアリの強い拒否感は薄れたようが、彼の手は動いていない。

「アリも納得したなら、金を払え。銀貨二百枚だぞ」

「ちぇっ」

 舌打ちをしたが、アリは自分の荷物へ手を伸ばす。やっと払う気になったらしい。

「銀貨六十が金貨一でいいな?」

 ペイルトンが確認すると、ウェイが「ええ」と答えた。

 金貨から銀貨の価値の比は、一対六十が基本だ。ただし、市民はあまり金貨を使わない。使う必要がないからだ。逆に使うと、両替の手数料を取られて目減りする。この際の手数料は、商人によっても、時期によっても変わる。相場というやつらしい。

 経済については、ジン・ヨウの賢者タイカームの記した『貨幣論』が有名だ。ペイルトンもかつて写本を読んだ事があるが、正直なところ、よくわからなかった。不可解さの象徴が、本来基準となるはずの金貨銀貨の効果の価値が定まっておらず流動的だ、という思想だった。写本を重ねる間に、どこかで誤った内容が作られたのではないかと、今も疑わしく思っている。

 ともかく、金貨は持ち運ぶのには便利だが、使用に難がある。ウェイが手数料についてとやかく言う性格ではないのはわかっているが、確かめておかないと気持ち悪い。

 アリが部屋の隅で硬貨をぶちまけた音がした。ウェイがそちらへ声を掛ける。

「朝夕の二回の食事も代金の中に入っていますよ。そこも馬車とは違いますね」

 確かに、馬車による移動では、食事は利用者それぞれが持ち込みだ。その分も馬車より高額になる――と考えて、ペイルトンの思考が止まる。馬車の利用料を知らなかったからだ。だが、町間の移動で馬車を使った機会は多い。その交渉をウェイに任せていたとはいえ、後から今のように折半するのだから、価格を知らないのはおかしい。と考えているうちに理由に思い当たる。ペイルトンは、というより荒野の支配者の面々は、馬車の利用で料金を払った経験がほとんどなかったのだ。

 御者にしてみれば、名高い問題解決業の荒野の支配者は、護衛として心強い。何かあった時に対応するという契約で、料金は払わなくて良かったのだ。むしろ、実際に賊や魔物を追い払った時は報酬を得ていたくらいだった。

 そういう意味では、馬車より高いという説明は不適切だった。逆に、ウェイは馬車の利用料を知っている、とは言える。普段からふらふらしているウェイなら、そうであろう。

「はらへった」

 パースがおなかをさすりながら、小声で呻いた。見かねたのか、ウェイが自分の荷物から干し果物を出して与える。パースはそれを噛み締めるが、さらに歪んだ表情から、空腹感は増したようだ。

「自分の分はないのか?」

 アリが聞くと、パースは首を左右に振る。

 なら、自業自得だ。

 旅する者として、保存食を携帯しておくのは基本中の基本だ。パースもそれは知っているはずだが、それができていないのは、ドワーフの酒宴とトロッコの影響だろう。そこは同情できる。

 ペイルトンは金貨二枚と銀貨八十枚を、床をすべらせウェイの方へ押しやる。金貨三枚にしても良かったが、後は王都に着くだけで、金銭を払う機会はない。だから身軽になる方を選んだ。

 パースが自分の財布をペイルトンの近くに並べ出す。数えて欲しいという意味だ。パースは村で育って、教育を受けていない。指を折って数を数えられる程度だ。だから十までしか数えられない。

 いつもパースの分の金勘定はペイルトンかウェイが代わってやっていた。

 アリもまた、イーギエたちに比べると、苦手な方だ。アリはぶちまけた銀貨を十枚ずつ数えて、一つの柱を作っている。十を一つの単位とするいつもの数え方だ。アリは金貨を持ち歩かない主義なので、柱は二十作られる。ただし十柱で百になると、まとめて小山にする。最終的には二つの小山を作るつもりだろう。場所は取るが確実な数え方だ。

 ペイルトンはパースの財布の中を見て、銀貨が入っている物を特定し、その中身を数え始める。ペイルトンは掴んだ枚数を数えては足しあわせる数え方だ。カウントした銀貨は袋の外に出す。それだけの作業では頭脳に余力があるので、ウェイの聞き込み報告を聞くことにした。自発的な報告はないと言うので、「乗組員の人数は?」と具体的に聞く。

「二十数名です」

「それは、二十と少しか、二十半ばか?」

「毎回多少の変動があるようで、船員さんたちは全体数を把握していませんでした」

 そう答えられて、ペイルトンは聞き込みの現場を想像できなかった自分の迂闊さに腹が立った。

 一乗組員にとっては、全員で何人居ようと関係ない。そこを詳細に知ろうとすると怪しまれるに違いない。ウェイは警戒されずに情報を引き出す選択をしたのだ。それに、そもそも一乗組員が二十を超える数を数えて記憶しているわけがない。中にはパースと同じ程度の勘定しかできない者が居るはずだからだ。

「でも、話した感触では、二十後半だと思います」

 ペイルトンは思わず硬貨のカウントを止めてしまった。無理だと思っていた内容をウェイがあっさり絞り込んだ事に驚いたからだ。感触。根拠がないため確実な情報とは言い難い。だが、何の指針もないより有益だし、聞き込みにおけるウェイの感触の確度は高かった。

「三十は乗っていないか?」

「おそらくは。船長や甲板長たち、上級船員を加えてギリギリいくかいかないか、じゃないでしょうか? 私達乗客を含めると確実に超えると思いますが」

 搭乗者全員で三十数名。この船の規模からすると少ないと感じた。感じてから何故自分がそう思ったかを掘り下げる。

 ペイルトンの知識の大半は、書物で得たものか専門家から聴いたものだ。船に関しては、王都に拠点を移したあたりで、交易商人から聴いた。半ば引退しているその老人は、羽振りの良い頃にはジン・ヨウにまで足を延ばして商いをしたらしい。その真偽は不明だが、学べる知識は多かった。港で一刻から二刻掛けて話したあの時にも、この船と同じようなサイズの船があった。船と言っても、沿岸を渡る船と、何十日もの間海原を行ける船は全く違う。この船のタイプは後者のはずだ。そして、あの老人は、この規模では五十人近くは乗れる、と言っていた。

 ウェイの話と二倍近い隔たりがあった。ペイルトンは袋の中で掴んでいた銀貨を離し、その指で自らの鼻を軽く叩く。

 深く考えるまでもなかった。おそらくウェイの話が正しい。書物にせよ、専門家にせよ、得られた知識は正しいとは限らない。むしろどこか間違っていることがほとんどだ。それに今回は、ペイルトンの記憶も定かではなかった。あの後、忘れないようにと記した巻物は、あの日以降紐解いていない。ずいぶん昔の記憶なのだ。

 状況も違った。この船は遠洋航海もできる能力があるらしいが今は沿岸航海だ。その差が乗組員の数の減少に関わっているのかもしれない。先ほど、ウェイが疑惑を向けた船長の経緯も、何か関わっている可能性も感じる。

 自分の中で情報の整理がつくと、すっきりした。ペイルトンは再びパースの分の金勘定に戻る。が、さすがに余計な事を考え過ぎた。詳細な枚数が頭の中から飛んでしまった。また数え直すかと眉を顰めたところで、別の事に気付く。カウントは六十前後に至っていたが、袋の中の残りもおおよそ同じ量だ。つまり、この袋だけでは二百枚には足りない。四つ出された小袋のうち、二つは一度開けて中身を見た。それらの袋には銀貨が入っていなかったが、残りの一つにはあるかもしれない。しかし、もうどれを確かめていないか分からなくなっていた。仕方ないので、また端から開き直す。

 銅貨、銅貨。最後の一袋は、白く輝いたので銀貨かと思ったが、手に取ると銅貨より価値の低い錫貨だった。

「これもこれも銅貨。こっちは錫か」

 ペイルトンはそれらの袋をパースへと押しやる。

「金貨は持ってないのか?」

 一枚でも持っていれば事は済む。銀貨は百四十枚あるかもしれないし、足りなくてもこれだけ銅貨があれば払えるはずだ。

「いえにある」

 逆だろう。ペイルトンは心の中で溜め息をついた。金貨は携帯に便利だ。逆に日常で利用するのは銅貨だ。銅貨の袋一つと金貨一枚を交換して出発するべきだった。

 パースの伴侶は、パースより少しは賢いかと思っていたが、金貨を持たせなかったあたり、やはり計算のできない女という事だろう。むしろ、パースの方が金銭の扱いはましかもしれない。昔は硬貨を何でも一緒の袋に入れていたが、今は種別で分類保管できるようになっていたからだ。

 自発的にしたのではなく、数えにくいのでペイルトンやウェイが何回も指導した結果だ。このパースでも学習するという事実は、一般には当たり前なのだろうが、仲間にとっては驚異とも言える成果だった。

「ならば、残り半分は貸しにしてもらえ」

 銀貨で足りない分は、銅貨を足し合わせれば足りるかもしれない。だが、嵩張りすぎる。ウェイ相手とはいえ、失礼だ。

 ペイルトンが数え直して百枚の小山にした銀貨を示すと、パースはそれをウェイへと押しやる。ウェイは笑顔で頷いた。

「もちろん、いいですよ」

 自分の支払いと、パースの仮払いは済んだ。後はアリだ、とそちらを見ると、目を開いてこちらを見ていた。何が気になっていたかを考え、支払い猶予の事だと思い当たる。アリがこの手を使うと、何時までも借りたままにする危険があった。ウェイは取り立て人としては最悪で、取り立てをしようとしない。それをアリもわかっているので、支払い猶予を狙う可能性が十分あった。そうなる前に牽制する。

「アリは終わったのか?」

「いや、まだ。……百と三十だ」

 牽制が効果を上げ、アリが銀貨の勘定に戻る。だが、ペイルトンはここでパースにも念を押す。

「パースも、王都へ着いたら忘れず返すんだぞ」

「わかった」

 パースはいつも、返事は素直だ。だが、彼がこの約束を果たさずに忘れてしまう事が多々あった。

「だったら、ケーオルに誓え」

「なにも、そこまでしなくて大丈夫ですよ」

 ウェイが笑いながら割って入ってくる。ケーオルはパースが、そして彼の師であるガラムレッドが仕える戦の神だ。仲間内の金の貸し借りでわざわざ神の名を持ち出すのはやり過ぎだ、と言いたいのだろう。その自覚はある。だが、それくらいしないといけないと考えていた。ケーオルに誓いを立てれば、パースもいつもより忘れにくいだろう。忘れてしまっても、日に何度か捧げている祈りの際に思い出すか、神から啓示とやらを受けるかもしれない。だが、ペイルトンは、パースの記憶力も神からの知らせも大して信じてはいなかった。一番の狙いはウェイにあった。パースが約束を忘れた事で神の誓いを破る結果になるのを恐れて、きっとウェイは自分からパースへ取り立てに行くだろう。それが確実だ。

「ほら、二百枚だ」

 アリが目の前に作った二つの小山を示す。ウェイはそれを受け取りに行こうと腰を浮かしかけたが、止まる。

「ありがとうございます。……あと、できたら袋も付けてくれませんか? あいにく、袋ごとなくしたばかりで」

「なくした? おとしたのか?」

 アリが心配しているからというより、興味を示した顔をした。

「いえ、スーの部屋代の肩代わりに使いまして」

 ウェイが申し訳なさそうに言った。ペイルトンは女がらみの内容にうんざりしかけたが、ある事に気付き驚いた。

 ウェイは財布ごと渡して、女の身元を引き受けたのだ。ウェイの財布には金貨と銀貨が入っている。今回の船賃の肩代わりのように、一括で支払いをしてくれる事が多いので、金貨は多めだ。おそらく、中身は銀貨にして一千枚近く入っていたはずだ。

 いくらウェイでもよく知らない女一人の為に払いすぎだろう。ウェイは女がらみでは頭に血が上りやすいので、その影響に違いない。おそらく、ペイルトンたち周りにいる者だけでなく、ウェイ自身も、自分のこの性格に振り回されているのだろう。

 気がつくとアリから好奇の色が消えていた。ウェイが女の話をしたことで冷めてしまったのだろう。しかし、頼みは聞き遂げる。空にしていた自分の袋に山積みの銀貨を入れ始めた。

 アリの性格であれば、財布代を請求してもおかしくなかったが、それはしない。こういう所から、アリも彼なりに仲間想いなのだろうとわかる。二百枚の銀貨を渡すという件も、一緒に活動し始めた頃であれば、数え間違いを装って少なく済ませようと工作していただろう。だが、今はそんな事はしていないはずだ。ただし、常にアリの良心に期待すべきではない。彼が育った環境では少しでも自分の分け前を増やすべくごまかすのが当然の世界だったはずだ。その頃身についた癖をなるべく呼び覚まさないようにするのが、仲間としての気遣いだとペイルトンは考えている。

 荒野の支配者は、危険に身を晒し、いつ死ぬかわからない活動をしている。それなのに、その最期が金銭問題のもつれによる人間関係の崩壊という顛末は、一員として納得いかない。

 元々は、ペイルトンが仲間内の金銭問題に悩む役目ではなかった。ウェイ程ではないが、ペイルトンもまた金への執着は薄い。それなのに、彼がアリに目を光らせているのは、そうしないとアリが綻びとなって荒野の支配者が崩壊すると教わったからだ。

 初めは、そうすべきだと気が付かなかった。気付いたのは、アリに楔を打ち続けていたマコウが死んでからだ。おそらく、マコウ自身もこの綻びを最初から意識してはいなかっただろう。彼は、元は商人だったので、金勘定にはうるさかった。アリからは度々「ケチ」と文句をぶつけられていたが、この締め付けこそが、アリがウェイたちを金をくすねやすい獲物という見方から、仲間として意識する変化を起こした要因の一つだと、ペイルトンは思っている。

 突然、扉からドンドンと音が鳴った。ペイルトンが警戒するより早く、向こうから声がする。

「おきゃくじん、ばんめしです」

 乗組員からの通知だった。扉の近くにいるはずだが、その声は少し遠い。いち早く反応したのは、パースだ。

「めしだー」

 立ち上がりかけたのをペイルトンは袖を引いて止める。アリとウェイとは視線を交わし合い、ペイルトンはウェイへ小さく頷いた。まず答えないと怪しまれる。

「ありがとうございます。では、もらいに行きます」

 ウェイが大きな声で答えた。乗組員の声が小さかった理由を理解している。静寂の香はほぼ吸い取られたが、ペイルトンが扉に施した停滞のルーンは効いている。扉を直接振動させたノックは変わらないが、その向こうからの呼びかけは伝わりにくくなっている。だから、ウェイは減退を考慮した音量で返事をしたのだ。

「へい」だか何だかの返事が聞こえた。元々小さい声だったらしく、ほとんど聞こえなかった。おかげで、この部屋で語られた議論が外には漏れていないだろう、という証明にもなった。

「いいですか?」

 ウェイが求めてきたのは、報告とその解析の終了だろう。先ほどの返事といい、ウェイはもう終わったと考えているようだ。

 その決めつけにペイルトンは腹が立ったが、何か言おうにも現時点では確かに他に聞くことは思いつかなかった。渋々頷く。

「では、私はスーを連れて来ますね。後ほど」

 ウェイはさっと立ち上がると、扉を開けて出て行く。早く切り上げたかったのは女のせいだったとわかった。

 パースが続こうとしたが、ペイルトンはまた止めた。先程は、まだ話を続けるつもりだったから引き留めたのだが、実際には話す中身はなかった。だが今度はウェイが女の元へ行った事で、別の話をしなければならないと思いついた。パースに扉を閉めるように手振りで指示してから、ペイルトンは口を開く。

「わかっていると思うが――」


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