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悪魔の乗りし船  作者: 最勝寺蔵人
本編
5/41

04 (ペイルトン・イーギエ)

「では、『闇夜の悪魔』について、知っている事を教えてくれ」

 アリが部屋の奥からこちらににじり寄り、ウェイが入り口側の壁に寄ってから向き直る。アリが止まった場所は、話し合いをするには遠すぎる位置だったが、入り口の扉を確認して納得した。

 ウェイの隣に並ぶと扉の正面になってしまう。もし扉が蹴破られた場合、その正面にいると吹き飛んでくる扉に動きを邪魔されてしまう。それを嫌っているのだろう。

 ペイルトンは、このアリの用心深さを買っていた。実際には、アリはそこまで計算しておらず、ただ何となく、扉の正面に座りたくないという感覚なのかもしれない。むしろそちらの方が、身についた習慣として、頼りがいがある。

 そんな事を考えながら、ペイルトンは少し待ったが、仲間から答えはなかった。ペイルトンは眉を寄せる。依頼人の話を聞いている時、アリもウェイも、闇夜の悪魔という言葉には聞き覚えがある感じだった。何か知っているはずだ。相手が弟子たちであれば怒鳴りつけているところだが、仲間なので控えた。代わりにウェイを指名して聞く。

「ウェイ、噂話ならお前が一番詳しいだろう?」

「ですが、噂は信憑性に欠けているものですから……」

 ペイルトンは人差し指を回して、構わず続けるように促す。

「では、……最も耳にする説は、闇夜の悪魔がそのままの悪魔である、というものです。闇夜に城壁を越えて現れて――」

 ペイルトンは立てた二本指を左右に振って話を遮る。聞くだけ無駄だと判断したからだ。

 一般市民が語る化け物の話で、よく登場するのが竜と悪魔だ。しかし実際のところ、それらは活動期間十年を超える荒野の支配者たちでさえ遭遇したことがない存在だ。ペイルトン自身は、竜も悪魔も想像上の存在でしかなく、実在しないのではないかとさえ考えていた。ただし、異界は存在するのが明白なので、そこから生ずる魔物を悪魔と定義するのなら話は別だ。だが、一般市民の想像する、山羊の角を生やし蝙蝠の翼を持ち先が鉤状になった尻尾の悪魔、は実在しないだろう。もっとも、その可能性が高いと判断しているだけで完全に存在しないと信じているわけではない。そう考えを固めてしまうと、もし実際に遭遇した時にショックを受けて、いつもの能力を発揮できないかもしれないからだ。ただし、もし竜や悪魔が伝説どおりの存在であるなら、荒野の支配者が全力を出しきっても倒せない相手だろう。そういう意味では、実在を信じていようがいまいが結果は一緒だ。

 ペイルトンは無駄な話をしたウェイに嫌みの一つも言ってやろうかと口を開いたが、言葉が出てくる前に呑み込んだ。ウェイ自身、役に立つ情報だと思っていないからだ。今思えば、質問してすぐ答えなかったのは、こんな情報しかなかったからかも知れない。が、口を開いた手前、何も言わないわけにはいかず、別の質問に切り替える。

「犯行の目撃証言はどうだ?」

「それがないから、やっかいなんだぜ」

「実際には見たと言う者は多数いますが、信憑性は高くありません」

 アリの発言を、ウェイが補足修正した。

 犯行を見られていない。捕まえるのに難儀している事から推理できる情報だが、アリが言ったように、厄介だと改めて実感する。

「その闇夜の悪魔は、一度に大量の殺人をしたのか?」

 もしそうなら、有名になった殺人事件が一件だけかもしれない。それでは尻尾を捕まえにくいだろう。

 ウェイは首を左右に振った。

「いえ、一度に一名から数名を殺しているそうです」

 つまり連続殺人犯として悪名を広めたと言うことだ。

「殺人の間隔は?」

「わかりません」

「それこそ、闇夜、らしいぜ。月の出ない夜は、かならずってわけじゃないだろうが、ヤバいらしい」

「なるほど。では、少なくとも月に一回出現していたわけか」

 もちろん、これは新月から新月の合間という条件だ。実際には、雨や曇りの夜も月は出ないので、間隔はさらに狭くなる。

「いずれにせよ、衝動のまま人を殺し続けているわけでないなら、魔物ではないだろう。闇に紛れて殺人を犯す知能は、いかにも人間らしい」

 人間が魔物化した、人狼や吸血鬼なども容疑者の候補になる。もしそうなら死体に特徴的な痕があるはずだ。そう考えて、そもそも闇夜の悪魔とやらが連続して殺人をしている証拠について思い当たる。それが無ければ特定の犯人の仕業と決められない。

「死体に何か特徴的なものがあるのか? もしかして、わざわざ丁寧にサインを残しているのか?」

 最後の問いは馬鹿にして聞いたつもりだったが、意外にアリもウェイもそこで頷いた。

「死体の側で決まった花を残すことで、連続殺人犯だと訴えている例はありますね」

「死体の口をぬいつけるってあとがあったら、それはタレコミのうらぎり者だという見せしめだ。そういう何かのしるしがあるんだろう」

 二人の考えているサインは現実的なものだ。一方ペイルトンが想像していたのは、そのまま名前が書かれた札が現場に置かれている場面だった。こちらは子供じみている。だからこそ冗談のつもりだったのだが、まともに受け答えられると、自分の想像が恥ずかしい。もちろん、ペイルトンは想像の場面を口にしなかった幸運を無駄にせず、さも最初から自分も仲間たちの答えのように考えていたという顔を作る。そのままではぎこちないので話を進める。

「で、実際の印とやらはどうなのだ?」

 また答えはなかった。アリとウェイはお互いの顔を見合わせるが、どちらも確定的な情報はないらしい。それでも可能性のある候補は幾つか聞いているはずだ。

「ウェイ」

 名指しすると、渋々と言った様子で口を開く。

「犠牲者は決まって恐ろしい形相をしているそうです。まるで、魂を抜き取られたかのよう――」

 ペイルトンは立てた人差し指と中指を左右に振る。悪魔の仕業説は必要ない。

「アリはどうだ?」

 アリは右の耳の後ろを掻いた。

「じつは、オレもそこんとこは気になっていてな。ハクタクに聞いたんだよ。あ、ハクタクってのは、組織の一員で。あ、組織って言っても『金をかぐモグラ』の方じゃなくて『血まみれ布』の方で――」

 アリの言う組織というのは、犯罪者の組織のことだ。商人や職人たち同様にギルドとして成立しているらしい。いわば盗賊ギルドだ。『金を嗅ぐモグラ』は王都の組織で、『血塗れ布』は、かつて住んでいたプルサスの組織だ。

 本来、ペイルトンの耳には、裏社会の組織についての情報は届いてこないのだが、アリのおかげで少なくとも二つの組織の名称は知っていた。アリ自身は明言していないが、おそらく彼が所属していた、あるいは今も所属している組織なのだろう。

「そうですね。現場の盗賊ギルドの方々なら、色々情報を知ってそうです」

 ウェイと同じく、ペイルトンも期待した。が、アリは溜め息混じりに首を左右に振る。

「それが、何ばいかおごったんだが、口をわらなかったんだよな。さすがに痛めつけて聞き出すほどしりたい話でもないし。そのままながしたが、今思うと、少しでも引っぱり出せればよかったな」

「仕方ないですよ。その時はこういう依頼が舞い込むなんて知りませんから」

「まあそうだな。それにハクタクは、オーガーの目玉を盗んだことがあると言うホラふきだからな。話を丸のみにできねえんだよな」

 話を続ける仲間を無視して、ペイルトンは自分の右眉を毛並みに沿って撫でる。自分が何を知りたいのか集中するためだ。

「闇夜の悪魔。そいつは、魔法を使うのか? 殺されているのは誰だ? 女子供や老人か?」

 敵対する可能性のある相手として、どれくらい厄介なのかは把握しておかなくてはならない。それが一番知りたいことだった。

 またアリとウェイは顔を合わせるが、どちらからも言葉が出てこない。苛立ったペイルトンは、肩にもたれかけさせていた杖を握ると、上下に振り床をコツコツと何度か突く。

「何もわからないのに、どうしてそいつが強敵だとわかるんだ!」

 言い放ってから、強敵だと判断したのは自分の早とちりかもしれないと気付いた。そう判断したのは、アリが依頼人に対してそのような素振りを見せたせいだったが、あれは報酬をつり上げるための交渉術だったかもしれない。

 内心慌てたところで、アリが少し驚いた口調で話し出す。

「そうか。しらなかったのか」

 が、肝心の知らない情報までは口にしない。ならばと、ウェイを睨みつける。

「衛兵のパトロールが全滅させられました」

 ペイルトンは言われた内容を理解するのに一拍掛かった。衛兵が襲われるのは普通の事態ではなかったからだ。

「プルサスの衛兵は練度が高いうえ、パトロールだから複数です。それを倒したのですから、強敵であるのは間違いありません」

「しかも、闇夜の悪魔をふんづかまえようといているさなかだからな。二人じゃあないぜ。四人、いや六人かもな」

「六人……では、闇夜の悪魔というのは個人ではなく集団の名前なのか!?」

 いくら腕が立つと言っても六人相手では勝負にならないことくらい、近接戦闘に長けていないペイルトンにもわかる。なら、複数犯と考えるのが自然だ。

「そうですね。その可能性もあると思います」

 ペイルトンに同意したウェイに対して、アリは首を捻っていた。何か引っかかるところがあるらしい。

「どうした、アリ?」

「いやあ……オレはそれとは何かちがう気がする。何がちがうか、今考えているんだが、いまいちよくわからねえ」

 こんな曖昧な返答をするのが弟子であれば一喝したが、アリだったので信用した。彼のなんとなくは根拠があることが多いのだ。ただ本人がその感覚の出所を掴むのが苦手なだけだ。

 ただし、待っていても答えが出てくるとは限らないので、その時が来るまで別方向に話を進める。

「殺された者の傷については何か知っているか?」

 傷からは犯行で何を使われたかがわかる。切り傷なのか、打撲による怪我なのか、焦げ痕のようなものがあれば、魔法を使われた可能性が高いといえる。

 しかし、ウェイは首を左右に振る。この情報についても知らないようだ。アリはまだ考えに集中しているようだ。こちらの話は半分聞いていないかも知れない。

 だが改めて考えると、仕方ないと思えた。噂話程度では、傷口まで詳しく言及されていると期待できない。そこまで語るには、現場を見ていなければならず、なおかつ観察力に優れた者でないといけない。一般市民程度では、死体を見ただけで動揺し、傷について詳しく見ているはずがない。そして、アリたちの態度から、この二人も現場を見ていないのは明白だ。

「では、なぜ『闇夜の悪魔』と名付けられた?」

 あだ名はそれなりの理由があって付けられる。今回、闇夜の部分はおおよそ目星がついた。犯行が、闇夜に行われているからだろう。では、悪魔の方は? ――そう自問して、ペイルトンは無駄な質問をしてしまったのを自覚した。一般市民は恐ろしい存在を悪魔と称することが多いのだ。考えてみれば、そもそも名前の由来というものはわからないものだ。こうだ、と主張する者がいてもそれが真実かどうかは不明だ。

「そうですね、『闇夜のオーガー』ではちょっと語感が良くないですからね」

 無駄だと思った質問をウェイが拾ってくれた。結果、ペイルトンが無駄な質問をしたという印象が薄まっただけでなく、改めて考えると全く意味がなかったとも思える。もし『闇夜のオーガー』と呼ばれる殺人者がいた場合、その死体は損壊していそうだ。『闇夜の吸血鬼』でもないなら、どこかに噛み痕がないということだろう。『悪魔』では積極的な特徴は得られないが、オーガーや吸血鬼と思われる特徴はないという推測は立つ。

 なるほどと納得しかけたが、この内容は既に推測できることだった。もし目立つ特徴があれば、『闇夜の悪魔』の犯行の印として広まっているだろう。犯行は闇に紛れて誰にも見られなかったとしても、死体は確実に誰かに見つかっている。その発見者が偶然全て衛兵で、死体の目立つ特徴を秘匿できているとは考えにくい。

 ここでペイルトンは、先ほどのアリの話した内容について、新たな見解を得た。

「模倣犯はいないのか?」

「モホウハン?」

 意味が分からないらしくアリはぎこちなく聞き返す。

「真犯人ではないのに、真犯人を真似て犯行をする者のことです」

 ウェイの解説にアリが納得する。

「ああ、きゅうけつバエのことか」

 吸血蝿は大きめの羽虫のことだ。蝿と言われているが、詳しく見ると形態が違うため、賢者の間では蝿と呼ぶべきではないという声もある。その名のとおり、血を吸う性質を持つのだが、その際に痛みを伴うため、人であれば払いのけてしまう。だから、手足がうまく使えない家畜や野生動物が主な搾取対象だ。

 ペイルトンは、吸血蝿をそのように認識していたが、アリの言葉から、吸血蝿の別のターゲットについて思い当たる。それは、死体だ。アリの育った環境では、死体に群がってくる存在として吸血蝿と模倣犯を結びつけ、その呼び名がついているのだろう。

「そうだな。殺しをしたときに、それを闇夜の悪魔のせいにできればとくだからな。あるんじゃ――あ!」

 アリが話している途中に何か気付いた。ペイルトンは小さく頷く。それはおそらく先ほどペイルトンが気付いた内容と同じだろう。

「どうしたんですか?」

 ウェイの方には気付いた様子はなかった。

「さっきのハクタクの話だ。あいつが闇夜の悪魔のしるしをおしえなかったわけがわかった」

「ん?」

 まだわかっていないウェイにペイルトンが答えを告げる。

「つまり、模倣犯はいない、ということだ」

「え? どういう事ですか?」

「組織のれんちゅうは、闇夜の悪魔のことをよく思っちゃいねえ。自分たちのシマが荒らされているんだからな。血まみれ布だけじゃなく、ネズミも、われまどのれんちゅうもいっしょになって、犯人をさがしているって話だ」

 ネズミも割れ窓も別の組織の名前なのだろう。法を守らない連中が独自に掟を作って、あまつさえ犯罪者を狩るために結束している様は、興味深い皮肉だ。

「こんなんじゃ、組織の下っぱどもは、闇夜の悪魔のマネなんかできねえ。下手すりゃ、自分がクビにされかねないからな」

 もちろん、ここでのクビは一般的に言われる職を失うことを示すのではなく殺されるという意味だろう。

「はい、そこまではわかりました」

「だから、闇夜の悪魔のしるしについてかくしてるんだよ。組織に入れねえチンピラにまでその話がもれてみろ、バカどもがそのマネをする。そうしたら、本物がバカにまぎれてしまって、わからなくなっちまうだろう?」

「なるほど。だから、アリのお友達はその情報を漏らさなかったというわけですね」

「ああ。だけど、ハクタクはべつにツレなんかじゃねえぞ」

 アリの訂正にウェイは反応せず、別の事に思い当たる。

「あ、それでテオさんはあまり話したがらなかったのですかね?」

 ペイルトンはあの男が気に入らなかった。だから、ウェイがこの場にはいないあの依頼人の肩を持つような発言をすると、嫌な気分になった。あの男は職業柄、人に指図する事が多いからか、態度が尊大だ。

「ああ、そう言えば、ナントカ騎士って何なんだ?」

「巡察騎士ですね」

 ウェイが補足する。

「ああ、そいつは普通の騎士とは違うのか?」

「さぁ、私も良くは知りません? 会った事があるだけで」

 ペイルトンは、ウェイが巡察騎士について良く知らないとあっさり認めて少しがっかりした。ペイルトンが黙っていれば、ウェイはアリに答えられず困るだろうと考えていたからだ。が、考えてみれば、ウェイは元より知ったかぶりをする性格ではなかった。だが、ペイルトンの知識も完全というわけではない。巡察騎士について得た知識は文書や伝聞のみだ。直接会った経験はない。むしろ、直接会った経験のあるウェイには脅威を感じた。もちろん、それを表に出すつもりはない。

「おっと、その前に。あいつはニセモノじゃないんだな?」

「それについては、先ほど話したじゃないですか。証を持っていたから本物だと」

 ウェイが意外そうな声で言った後、困惑した顔をこちらへ向ける。ペイルトンはウェイの頭に浮かんでいる言葉がわかった。済んだばかりの話を覚えていないなど、「パースじゃあるまいし」であろう。ペイルトンもそう思っていた。

「あの金ピカは本物でも、それを盗んだりうばいとったりして、ちかづいてきたかもしれねえだろ」

「暗殺者の可能性か」

 ペイルトンが呟いた。やはりアリは用心深い。ペイルトン自身は、証が本物なら巡察騎士も本物だと決めてしまっていた。そこがすり替わる可能性は思いつきもしなかった。だが、幸い、証が本物かどうかを考える前に、まず依頼人とやらが暗殺者の可能性について吟味し、その答えを得ていた。

「それもない。なぜなら、我々がこの船に乗ることを事前に突き止めることはできないからだ」

 殺人的なドワーフの酒宴から逃れてきても、ペイルトンたちには油断ならない相手がいた。それは、彼らを送ってきた若いドワーフの二人だ。このドワーフたちは、酒宴の半ばで町を離れなければならなかったことをずっと残念がっていた。伝説のドワーフトロッコは、下りは早いが、復路は上り坂になるのでかなり遅い。そうなると、さすがにドワーフの酒宴も終わっている可能性が高かった。だから、ドワーフの二人は、着いたハイマーの酒場でしばらく飲み直してから戻ろうという結論に至った。そして、ペイルトンたちはそれに危うく巻き込まれるところだった。

 ウェイがこの船を見つけて来たのはこうした経緯があったからだ。前から予約していたわけではなかったので、先回りはできないはずだ。

「ええ。それに、私達が乗ると決まってから、この船はすぐ出港準備に入りました。後で確かめてみますが、船に乗ったのは私達が最後のはずです」

「そうか……。ああ、いいぜ。話をつづけてくれ」

「えっと、確か話していたのは……」

 ウェイが時間稼ぎをしてくれたおかげで、ペイルトンも思い出した。先を越されないうちに巡察騎士についての説明を始める。

「巡察騎士というのは、国王直属の特別な権利を与えられた騎士のことだ。多くは元からの貴族ではない。それだけに国王に対する忠誠心は高い。彼らの役目は、簡単に話すなら、国規模の衛兵、特に捜査官というところだな」

「げっ、衛兵騎士かよ!」

 アリが露骨に嫌悪を示す。元々が衛兵たちに追い回される立場だっただけに、アリは衛兵が嫌いだ。

「国規模の捜査官というと、何を捜査するんですか?」

「例えば、麻薬密売。ある町を治める領主から見ると、麻薬は市民を腐敗させる毒だ。だが、麻薬がばらまかれる町から遠く離れている、その麻薬を栽培している土地の領主にしてみれば、運送する度に通行税を払ってくれる上客となる。麻薬の被害を受けている領主は、生産地の領主に取り締まるように連絡するが、利害が一致しない状況ではうまく機能しない」

「そういうのなら、人さらいもあるな。さらわれる場所だとイヤがられるが、ドレイとして売られる町では、少なくとも つうこうりょうの分だけ もうけになる」

「ああ、そうだな」

 正式には奴隷という身分は存在しないことになっている。だが、労働力として人身の売買は存在し、その身にやつした者には自由はない。実質、奴隷だ。しかし、その労働力が都市の維持にかなりの役割を果たしている事実から、多くの市民は奴隷の存在を見て見ぬ振りをしている。

「しかし、いくら損得が異なるからといって、悪いことは悪いのですから、取り締まらない方が間違っています!」

 ウェイが義憤に燃えたが、現実は彼の気持ちなど構いはしない。いや、ウェイ自身もそれはわかっているから、余計に腹立たしいのかもしれない。ペイルトンはウェイの感情を無視して話を続ける。

「今度はさらに上の立場の国王として考えてみよう。各地では利害が生まれているが、国王自身は直接その損得に影響されない。ただし、治安が乱れているという害は生じている。だから、巡察騎士が定められたのだ」

「なるほど。お目こぼしをしている領主に、もんくを言いに行くのか。こりゃ、きらわれるな」

「確かに、レーム伯爵の館であった巡察騎士の方は、礼儀正しかったのに嫌われていましたね」

「それが一つの役目だ。そして、その捜査力を買われて、重大事件の捜査協力を要請されることもある。今回の『闇夜の悪魔』はこの要請を受けたのだろう」

「そういえば、犠牲者の一人に公爵の家令がいました」

 ペイルトンは片眉を上げた。ウェイの語った情報は、巡察騎士が乗り込んでくるのに足る理由だった。その情報が知りながら今まで話さなかったことに腹が立った。しかし、その事に文句を言うには、その情報がある程度重要だと示す必要があった。今のところ、巡察騎士が本物だと裏付ける要素の一つとしか思い当たらない。

「きぞくが殺されたから、あのおっさんが出てきたってことか?」

 アリの声に怒りが含まれていた。貴族が特別扱いされているのが腹立たしいようだ。

「いや、そうとは限らない。規模としてはパトロールが殺された方が大きい。どちらが先だった?」

 アリとウェイを見ると、アリはウェイを見ていた。確かに、アリは家令が殺された件を知らなさそうだから、どちらが先かはわからない。

「……家令が殺されたのが先ですね。確か、さかのぼって『家令が殺されたのも闇夜の悪魔の仕業だった』と聞いた気がします」

「ん? それって闇夜の悪魔がさわがれはじめる前、ってことか?」

「最初の犯行がどうかはわかりませんが、初期の犯行だと思います。それから、半年くらい経っていますね」

「半年か……。長いな。それだけねばれば、そりゃ船に乗って逃げたくなるな。つーか、あのおっさん、よくもここまでおえたよな。今までしっぽをつかまえられなかった相手だぜ?」

「それだけ捜査がうまいんじゃないですか?」

「んー、まあ衛兵たちが むのうなのはわかるが、組織がメンツにかけてさがしてるのに、見つからないヤツだからなぁ」

「それに関しては、我々だけではなんとも言えない。そもそも、あの男がこの船に追い詰めたという認識が間違いの可能性だってある」

「ま、そうか。……でもそうなると、ほうびもなくなるのかぁ」

 アリが残念そうな声を出す。ペイルトンも、興味が出てきた対象が勘違いで終わるのはつまらない。

「しかし、巡察騎士って王の直属なんですよね? それが公爵の手助けに来ているのだから、巷で言われているほど、お二方の仲は悪くないんですね」

 そう言われてもペイルトンにはわからない。国王と公爵の仲が良くないという噂すら知らなかった。ウェイの言う巷は、貴族の世界だ。大して関わりもなく興味もないペイルトンが、知っているはずはない。ただ、貴族の世界なんてそういうものだろうという認識はある。

 そう思ってから、魔導師の世界でもそういう政治的な駆け引きがあると気付く。正直なところ、ペイルトンは自分に政治力があると思っていなかった。それでも、やっていけているのは、荒野の支配者という看板があるからだ。いわば国一番の武闘派魔導師に、戦いを吹っ掛けてくる者はいない。

「きぞくのことはしらねえし、きょうみもないぜ」

 アリがつまらそうに言った。それはそうだろう。ペイルトンは、魔導師の立場から、貴族に接する機会が僅かながらある。しかし、アリにはきっと全くない。いや、あるとすれば、アリが貴族の館に忍び込む事だろう。そうなれば、ある意味直接関係する立場になるが、危険だからそうするべきではない。

「すみません。私は、本当に対立があるようには思えなくて」

 そう言えば、ウェイは先ほど嬉しそうに話していた。普段は貴族の館に出入りしているようなので、どこかの派閥に属していて、そこは国王と公爵の対立に巻き込まれる立場なのかも知れない。

 そこでペイルトンは、ある可能性に気付いた。別に喜んでいるウェイに冷や水を浴びせるつもりではないが、気付いた以上伝えるべきだろう。

「そうとは限らない。先程話した巡察騎士の役目は、いわば表向きの役目だ。裏の、そしておそらく主たる目的は別にある」

「なんだ、それは?」

「それは、貴族たちの動向の監視だ。反乱の兆しはないか、どれくらい栄えているか、などあらゆる情勢をその目で見て、王へ報告する」

「いらぬ諍いを避けるための情報収集ですよね?」

「その名目も表向きだな。実際には、儲かっている領主がいれば、狩猟や競技会などの開催などの役目を押しつけて散財させる。力を削ぐわけだな」

「チクりやろうか。そりゃ、きらわれるぜ。」

「では、話を元に戻そう」

 アリがケラケラと笑ったところで、ペイルトンは巡察騎士についての話を終える。

 荒野の支配者として活躍し始めた頃、ペイルトンは今後役に立つだろうと法律について調べた。巡察騎士の存在はその時初めて知った。しかし、それを標的として調べていたわけではなかったので、詳しくは知らない。ボロが出る前に話を変えておくのが良策だ。

「で、何について話していたかな……」

 ペイルトンは思い出している間、他の者に先を越されないための時間稼ぎとしてぼそぼそ呟く。しかし、アリもウェイも同じように記憶を探っているようだった。これならすぐに思い出せなくとも、頭の回転が悪いと思われないだろう。

 そう安心した直後、左から大きな声がする。

「つきよのまもの、についてじゃないのか?」

 今まで黙って話を聞いていたパースだ。意表を突かれて、ペイルトンはパースから離れるように体を傾けると、肩にもたれかけさせていた杖を取り落としそうになった。

 パースがにんまりと笑う。手柄を挙げたと思っているのだろう。が、それを見つめるアリもウェイも苦笑いだ。もちろんペイルトンも同じ気持ちだ。

 まず、月夜の魔物ではなく、闇夜の悪魔だ。そして、それについて話しているのは当たり前の前提だ。闇夜の悪魔の何について話していたかを考えていたのだ。

「ありがとうございます、パース。闇夜の悪魔、ですね」

 訂正するウェイにパースが頷き返す。今回も、パースの頭の中で、闇夜の悪魔が月夜の魔物に書き換わっている可能性が高いだろう、とペイルトンは思った。

 ともあれ、パースが時間を稼いでくれたおかげで、ペイルトンは何について話していたか思い出せた。パースという存在に慣れていなければ、混乱して余計に思い出せなかったかもしれない。

「ひとまず、闇夜の悪魔が残す印について考えるのは止めておこう。秘密を引き剥がせるほどの情報がこちらにはないからな」

 アリとウェイ、そしてパースが頷いた。ペイルトンは、主導権を握っていることに満足して頷き返す。

「では、闇夜の悪魔の脅威度について考えよう。衛兵隊を倒すのはどれだけ難しい? 我々が個別に挑んだとして、手応えはどうだ?」

 ペイルトンはプルサスの衛兵隊が手強いのは知っている。大まかに言って衛兵の練度は町の規模に比例するからだ。そしてプルサスは国内で王都に次ぐ規模だ。だが、前線で戦わない身なので、実感としてどの程度優れているのかは掴めていない。

 アリとウェイが考え始めた。それぞれの頭の中で、これまでの経験に基づく計算がされているに違いない。

「難しいですね」

 最初に答えたのはウェイだった。

「そうだな。正面からいって、かち目が一番あるのはパースだな」

「ええ」

 この答えは半ば予想できていた。ペイルトンの実感としてはないのだが、他の仲間の言動からパースが一番強いというのは知っていたからだ。

「その勝ち目とやらはどれくらいだ。つまり、闇夜の悪魔がパースと同程度の腕前なのか?」

「闇夜の悪魔の腕前がどうかはわからないが、パースが衛兵四人を相手にしてのかち目は半々ってところじゃねえか」

 それならば、間接的にパースと闇夜の悪魔が同等ということなのではないか、と思ったが、アリには何か別の観点があるのかもしれない。

「そうですね。……警戒態勢だから、衛兵たちは金属鎧を着ていそうですね。だから、パースも完全武装でなくては厳しいでしょう」

「そっか。しかしそれなら、音を立てずに逃げるなんてムリだな。すばやく衛兵を殺れたとして、その後でだれかに見つかっちまう」

 やはり仲間と話し合うのは有意義だ。ペイルトンは頷く。彼には、鎧についての観点はなかったし、犯行後の隠密性についても発想はなかった。何気なく視線を流したらパースと目が合った。パースは頭が弱いが感性は鋭いところがある。この事件についても、パーティー一番の戦士としての意見はあるかもしれない。

「パースはどうだ?」

「え! 何がだ?」

 パースが首を傾けた瞬間、ペイルトンは自分が水を向けてしまった事を後悔した。やはり馬鹿は馬鹿だ。話すら聞いていなかった。

「衛兵たち四人を相手に、パースが戦って勝てるか、という事ですよ」

 ウェイが優しく説明した。すると、パースは腕を組んでうんうん唸り始める。どうせ無駄だと思っていたペイルトンだが、パースの真剣な顔に少しずつ期待が膨らんでしまう。普段、自ら考えないだけで考えさせると独自の意見を表現できるかもしれない。

 駄目だ。ペイルトンは心の中で呟いて、パースから視線を剥がす。期待すると反動で徒労が残ってしまう。パースのことでいちいち疲れたくない。そう考えたところで、パースががばっと顔を起こした。反射的にペイルトンもそちらを向く。

「やってみないと、わからん!」

 断言に、ペイルトンは「やはり」と溜め息を吐いた。アリとウェイは笑いだし、それに釣られてパースも笑い出す。みんなが楽しげなのは良い事だが、闇夜の悪魔について考えるのには邪魔だ。ペイルトンは、みんな――厳密には、アリとウェイの意識をこちらに向けるべく、杖を握り直す。コツコツと床を突けば、笑いは収まるはずだ。

 だが、そうする前に、ウェイがパースに一言声をかける。

「そうですね。でも、そうだからこそ、パースは強いんですよ」

 ペイルトンは、はっとさせられ、それを悟られないように顔を下げた。

 ウェイの指摘は正しかった。勝ち目が薄いとわかっていれば誰しも戦いたくない。パースは、勝ち目の計算はできないかもしれないが、だからこそ戦う前から先入観なく、毎回戦いに全力を尽くせるのかもしれない。馬鹿だからこそ、できることもあるのだ。

 元より、ペイルトンは、パースを馬鹿だからといって、卑下していたわけではない。信頼している仲間だと思っている。ただ、馬鹿な部分は使えないと考えていた。

 実は、馬鹿の持つ力について認識させられるのはこれが初めてではない。以前にも何度かパースの馬鹿さにはっとさせられた経験はあった。しかし、その認識は、やっぱり使えない馬鹿さが続くにつれ薄れてしまっていた。

 ペイルトンはちらりとウェイの表情を伺う。ウェイに、自分の発言が重い意味を持っていたと気づいた様子はなかった。なんとなくの発言だったのか。それともペイルトンがつい忘れがちになる見解をウェイは当たり前のものとしているのか。

「ガランもつよいぞ。ガランならかてる?」

 パースは自分が褒められた事より、師と仰ぐドワーフの評価が気になるようだ。

 ペイルトンはアリとウェイの様子を見る。この場にいないので考慮していなかったが、この二人ならガラムレッドの戦士としての評価について吟味できるのに違いない。

「そうですね。ガランなら治療魔法も使えますし、一番生き残る可能性が高いですね」

「ああ。だが、まけないだけだ。かち目はやっぱりパースだろうな」

 負けない事と勝つ事は違う。理論としてはわかるが、この場ではどういう内容なのかわからない。ペイルトンは身を乗り出す。その無言のメッセージを理解したのか、アリは解説を続ける。

「手早くたおせないと人がよってきちまう。犯人がドワーフとばれちまえば、そこは逃げられても後はない」

 ドワーフの数は多くない。一度捜査の手が伸びれば、当人まで行き着きやすい。なるほど、とペイルトンは頷く。目撃証言が少ないと言うことは、犯行にかかった時間も短いという事だ。

「そういうイーギエはどうなんだ? 魔法なら、まとめてドカンとやれるじゃねえか」

 確かに、ペイルトンの得意な魔術である火球であれば複数の者を巻き込める。しかし、魔法は戦いに利用するにおいて重大な欠点があった。

「理論上は可能だが、現実的には術を完成させるまでの時間的猶予が足りない」

 触媒を取り出して適切な処置を施し、呪文を唱え、印を結ぶ。これらの行為にはそれなりの時間がかかる。その間魔法に集中している術者は無防備だ。魔法について恐れを抱いている一般人であるなら、震えて見守るだけかもしれないが、衛兵、しかも田舎の村の衛兵ではなく、プルサスの衛兵なら、魔術師への対策は心得ているだろう。呪文の詠唱を聞いて密集するとは考えられないので、火球の魔法で一度に四人巻き込むのは不可能に近い。そして十分な距離をとって魔法攻撃を仕掛けた場合でも、二発目を撃つ前に肉薄されるだろう。そうなれば、攻撃を受けて魔法に集中できないのだから、魔法使いはめっぽう弱い。

「やはり、複数犯なのですかねえ」

 ウェイの言うとおり、魔術師は守ってくれる存在がいなければ実力を発揮しにくい。

「ウェイならどうだ? 剣も魔法も使えるなら、できなくはないんじゃねえか?」

「私は……やりたくありません」

 瞬間的に、ペイルトンの苛立ちが弾けた。

「誰も意志は聞いていない。可能かどうかを聞いているのだ!」

 ウェイがこちらを睨んでくるが、いつもの事だ。ペイルトンは平然とそれを受け止めた。睨み合いにすらならず、ウェイは溜め息を吐くと、あぐらをかいていた足を前に投げ出す。そのままの姿勢では後ろに倒れてしまうので、両手は横について体を支える。視線を上げたその姿は、こんな暗い船室より、見晴らしの良い丘の上が似合いそうだ。ペイルトンがそう連想するくらい、ウェイは絵になる存在だった。不満で口を尖らせている今の姿でも。

 パースが心配そうにこちらを覗き込んできた。ペイルトンが怒った理由がわからないからだろう。いや、わかっていても仲間が喧嘩をしていると、パースは悲しそうな顔をする。

 パースの態度に、やや冷静さを取り戻したペイルトンは、遅ればせながら怒るほどではなかったかなと考え直した。自分がした指摘そのものは間違っていない。だが、ウェイと同じような才能を持つ者が犯人かもしれない、という仮定にあまり意味がないことに思い至ったからだ。

 剣術についてはわからないが、少なくとも魔術に関しては、本来、剣術と同時期に鍛錬を積めるものではない。そしておそらく、剣術の方も魔術ほどではないだろうが修練に手間がかかるはずだ。つまり、ウェイのように、剣も魔法も使える存在など、本来いるはずがないのだ。

 むろん多くの物事に例外が存在する。しかし、それにも納得させられる理由がある。例えば、エルフは魔法以外に弓術に優れていると伝えられている。剣術も良いという伝承も多い。他にも芸術全般に秀でていると言われている。何でもありすぎるので多分に誇大された噂も含まれているのだろうが、複数の分野で優れているという点はおそらく本当なのだろう。だが、これにはエルフがそれだけの研鑽を積めるだけ長命である、という理由がある。

 ウェイはエルフではない。その血にエルフの性質が流れている可能性までは否定しないが、少なくとも、年齢はペイルトンより若いはずだ。ウェイの故郷に人を調べに行かせて、確認している。

 となると、ウェイが現状、剣も魔法も使えているという事実は、天賦の才という単純な理由しかなくなってしまう。もしかすると、幼少時にエルフから秘儀伝承イニシエートを受けた経験があるのかもしれない、とさえ思ってしまう。しかし、エルフがたった数年付き合っただけの少年にそのようなことをするとは考えられない。そもそも、秘儀伝承そのものがペイルトンの想像でしかなく、そういうものがあるという話は聞いたことがなかった。

 ただし、ペイルトンは過去の文献から知識を得ている賢者として、他人が全く真似できないほどの高い能力を誇る天才が、長い期間、例えば百年や千年に一人、という具合に出現することを知っている。そう、認めたくはないが、ウェイは百年に一人の天才である可能性は否定できない。

 それなのに、同じ時代に同じく剣と魔法を操れる天才が出現するとは考えにくい。いや、大きく譲って仮にいたとしよう。それならきっと、その天才は既に世の中に知られているはずだ。優れた才能は必ず目立つ。才能を隠すことはできなくないが、成長過程でそれを隠すことは不可能と言っていいだろう。それは、ある意味成長を拒否する結果を生むからだ。

「すみません。どうにもうまく想像できません」

 ウェイが首を左右に振った。

「まあ、しゃあねえ。剣も魔法も使えても同時にできるわけじゃねえしな」

 ペイルトンはウェイの言葉を衛兵と戦う想像ができないと取ったが、アリはうまい案が浮かばないというふうに受け取ったようだ。どちらの解釈でも、結果は変わらない。

「すみません」

 ペイルトンはウェイを無視して、話をまとめる。

「では、複数犯の可能性が濃厚と見て良さそうだな」

「ちょっと待てよ。まだオレの手を聞いてないだろ?」

 アリに止められたが、ペイルトンはよくわからなかった。近接戦闘をして最も分があるのはパースだと話した時点で、アリの目は薄いということではなかったのか?

 この疑問が顔に出ていたようで、アリはにたにたと笑った。

「たしかに、一番かち目があるのはパースだ。でもそれは正面からいっての話。小細工を使うなら、オレが一番始末するのに向いている」

 小細工。確かに、アリとパースの差はそこにある。アリの戦い方は、剣に馴染みのないペイルトンにさえ、正当なものではないことがわかる。唾を吐き、足で土砂を蹴り上げ、近くの物を投げたり引き倒したりする。傍目には足掻いているようにも見えるが、そうやって自分の戦う環境を作っているのだと、今では知っている。

「いいか。まず、あいてが四人ならそれを分ける。どこかでちょっと音を立てる。はっきりした音なら、四人みんながついて来ちまうが、一人が聞こえるくらいのちっちゃな音なら、そいつだけ『ちょっと見てくる』となる。相手がしんちょうなら、こん時に二人になって来るかもしれないが、それならそれでいい。一人をふいをついて殺り、もう一人はあわてている間に殺る」アリは手振りで喉を掻き切り、手荒く突く。「のこりの二人は、同じ事をくりかえすだけだ。この戦い方なら五分より多く、七分くらいのかち目がある。のこりの三分もまけじゃねえ。逃げればいいんだからな」

 ペイルトンは頷くと同時に、昔に目を通した書物について思い出していた。ジン・ヨウの偉大な将軍が過去に記した戦術書で、荒野の支配者としての仕事が忙しくなり始めた頃に、為になるだろうと買い求めたものだ。ほどなく無駄な買い物だったと理解した。書かれていた内容は、数百や数千の兵士を扱うことについての戦術で、荒野の支配者として必要な数名程度の戦いについては触れられていなかったからだ。

 だが、今アリの戦い方があの時読んだ戦術書のある記述を思い起こさせた。

 各個撃破。戦術の基本として書かれていた言葉だ。四対一であっても、短い時間一対一の局面を作り、それを繰り返せば、不利を覆せる。

 考えてみれば、これまでも荒野の支配者はそうやって戦ってきた。改めて、各個撃破という言葉を与えなくても、少しでも有利に戦おうとすれば自然と思い浮かぶ戦術だ。ただ、この戦い方が、あの戦術書の知識と繋がった感覚がなかっただけだった。なぜか、今にして、あの戦術書が無駄ではなかったと気づいてしまった。帰ったら探し出して読み返せば、当時気づかなかった知識が掘り返せるかもしれない。

「ようは戦い方だろ。イーギエだって、呪文をとなえる時間がいるんだったら、そうだなぁ……、相手を見下ろせる塔からバクハツ魔法を使えばかてるんじゃねえのか? むこうはのぼってくるまで時間がかかるだろ」

「ふむ」

 ペイルトンは杖を右肩から左肩へと移す。

 言われるまで有利な立場から攻撃するという想定はしていなかった。改めて考える。

 四人を一度に爆炎魔法に巻き込もうとするなら、四人はお互い手が届くくらいの範囲に集まっておかねばならない。……だが、その場合お互いの体が遮蔽物となり全員が一様に倒れることはないだろう。そうなると、止めの二発目が必要となる。

 そこまで考えると、ペイルトンの脳裏に、重傷を受けて動けない衛兵が命乞いをしている姿が浮かんだ。思わず、眉を寄せる。

 これまで数え切れないほどの人を殺めてきた。だが、相手はこちらを殺すつもりだったし、既に何人もの人を殺している、いわば殺されて当然の者たちだった。衛兵たちの中にも殺されて当然だと思える不正を働いている者がたくさんいるのは知っている。しかし、仮にも法を守っている連中を、無慈悲に手をかけたことはこれまでなかった。まだしていない事なので罪悪感こそないが、あまり気分良いことではない。

 そこで、はたと気づいた。ウェイは既にこの想像に至っていたのだと。

 また、ウェイに負けた。ペイルトンは打ちのめされた気持ちを、杖を数回突く事で解消する。顔を上げると、アリとウェイがこちらを見ていた。

 当たり前だ。ペイルトン自身が注意を引きつけたのだ。もちろん、今回も本心を明かす気などない。

「何でもない。情報が少ない事に苛ついただけだ」

 仲間はこれで納得した表情に戻った。後は話を進めさえすれば、問題ない。

「確かに、条件さえ整えば、可能性は高くなるが、その条件が成立する前提を含めると勝つ可能性が高いとは言えないな」

「まあ、そういやそうか。オレもそんなムチャをするくらいなら、先にずらかる方をえらぶからな」

「そうなると、やはり複数犯と考えるが妥当か。単独犯行なら、我々と同等かそれ以上の腕前となる」

 ペイルトンの判断に、アリとウェイも同意を示す。ただし、二人とも全面的にという感じではなかった。アリはまだ複数犯に疑いがあるのはわかるが、ウェイが何に引っかかっているかはわからない。自分が気付かなかった事に気付いている可能性には嫉妬を覚えるが、新たな情報がもたらされる可能性については期待してしまう。

「二人や三人でやるにしても、オレにちかいやり方ってのは言えると思うぜ」

 アリの主張にペイルトンも同意する。各個撃破だ。そう反芻した時、一つ思いつく。

「暗殺者の線はないのか?」

 荒野の支配者は戦い慣れているが、相手を殺す事を第一目的とはしていない。対して暗殺者は、殺人が主目的だ。奇襲や毒を得意とし、素早く命を刈り取る。それでも四人相手は手に余るだろうが、暗殺者が二人の場合や、アリが語ったような分断策を用いれば、犯行は成功しやすいだろう。

 アリが口髭を撫でる。

「……いや、ないな。もし、それなら組織がつながってる。それに殺し屋がねらう相手にすりゃ、かずが多い。えらいヤツならともかく、ただの衛兵が四人もねらわれることはねえ。ねらいは中の一人か二人だ。それならそいつらが一人や二人でいる時をねらう。わざわざ四人で、しかも、見回り中にやるはずがねえ。やるなら、もっと気を抜いてる時だ。

 それに、さっきの話じゃ、殺しは一ヶ月に一回より多いんだろ?……まあ、それくらいなら、あるっちゃあるが、もっとなんつーか……うまくかくすはずだ」

「隠す、ですか? 正体不明の存在という点では、うまく隠れられていますが」

「いや、そういういみじゃなくて、殺しそのものをかくすってことだ。死体が見つからなければ、ゆくえしれずって事になるだろ? それに、ゲンバにしるしをのこすってのも……いや、はんたいか、殺し屋だったら見せしめとして、しるしはのこす方が多いかもな。だけど、それでどの組織のどの殺し屋か、ってはっきりする。そこんとこをひみつにする殺しもあるが、ぜんぶがぜんぶわかってないってのは変だ」

「……組織に属さない暗殺者が、自らの腕前を示すために一連の殺人を行っているという可能性はどうです?」

 ウェイの発想に、ペイルトンは人知れず感心する。同様に、アリもその発想はなかったようだ。

「そうか、王さまネズミかもしれねえってことか」考えるが、答えはすぐに出た。「いや、ねえな。殺し屋だったら、そもそも衛兵はおそわねえ。殺し屋にとっちゃ、あいつらはまぬけのままがいいんだ。わざわざよこっつらをひっぱたいて、おこすひつようなんかねえ」

「いざとなれば強行突破できる力があると誇示したかった可能性は?」

 ペイルトンの追加の問いにアリは笑う。

「もしそうなら、そいつはかなりのバカだな。たしかに力があるのかもしれねえが、オレからすると、見回りをやりすごす力がない、と見るな。そんなヤツに、少なくともオレは仕事をたのまない」

 アリの意見は、やはりその筋の者だけあって、説得力があった。

「まあ、ヤり方はオレたちにちかいヤツだ、というところはさんせいだ。殺し屋じゃなくても、ながれてきた王さまネズミなのかもしれねえな。あと、話してて思いついたが、そいつはやっぱり一人だと思う」

 単独犯か複数犯か、という話だろう。どうやらアリはやっと根拠となる情報を自分の中でまとめられたららしい。ペイルトンは人差し指を回して先を促す。

「さっききゅうけつバエの話をしたろ。あれはいたんだよ、思い出した」

 吸血蝿と言われて、ペイルトンは蝿そのものを思い浮かべたが、ここでは違うとすぐに打ち消す。確か、アリは模倣犯についてそう表現していたはずだ。

「じつは、酒が入れば『オレこそが本物の闇夜の悪魔だ』とじまんするヤツは多い。闇夜の悪魔にかぎったことじゃねえけどな。ちょっと有名になった悪党がいれば、そのにせものはすぐ出てくる。オレたちだってこれまでに何回も、オレたちのにせものに会っただろ?」

「ただし、私たちは悪党ではありませんが」

「まあ、にたようなもんだろ」

 ウェイの訂正をアリが一蹴した。

「なんにせよ、そいつはちょっとうるさすぎた。もしかしたら衛兵相手に『オレさまが闇夜の悪魔だ』とからんだかもしれないな。そのけっか、そいつは牢屋にぶち込まれた。と言っても、そんなよっぱらいを牢屋にずっといすわらせておくわけにもいかないから、つぎのあさには出された」

 ペイルトンは黙って聴いていたが、そろそろイライラしてきた。アリの話は要領を得ない事がままある。軌道修正すべきかもしれない。そう考えている間もアリは話し続ける。

「ふつうのバカはそこでやりすぎたと気づく。だが、そのバカはバカの中のバカで、ぎゃくにハクがついたとかんちがいして、よけいにうるさくなった。そして殺された。本物の闇夜の悪魔に」

「……どういう事ですか?」

 ウェイが聞いてくれたのは助かった。ペイルトンもアリが何かを伝えたいというのはわかったが、それが何かはよくわからなかったからだ。

「つまり、衛兵たちがゆるすホラふきを、本物はゆるさなかったという事だ」

「……自己顕示欲が強いというのは、殺害現場に何らかの印を残すことから解っている」

 アリが単語の意味を分からなかったのをすぐに察したウェイが言い直す。

「犯人が威張りたがり屋さんであるというのを裏付ける話ですね」

「あ、まあ、そうもとれるが、そういういみじゃなかった。えーと、どう言えばいいかな。……もしオレが、闇夜の悪魔の片われだったなら、相手がかってにこんな事をすれば、われる。だから、それまではわからんが、今は一人だとオレは思う」

 そこまで言われて、ようやくペイルトンも理解した。確かに、アリの説は説得力がある。

「しかし、闇夜の悪魔と名乗る複数の男が一致して、そのうるさい偽者を排除する犯行に及んだかもしれませんよ」

 ウェイの見解はペイルトンの頭の中にもすぐに浮かんだ。そして、その答えも得ていた。

「もし、闇夜の悪魔というグループ全体が、そんな迂闊な行動をとる連中であれば、既に正体が知られている」

 アリが頷いた。ウェイは親指と人差し指で自分の顎を支えるようにして考えていたが、概ね納得している表情だった。厳しい環境では、ミスを犯すどころか、ベストな選択を採り続けないと生き残れないのは、荒野の支配者として実感しているはずだ。しかし、その上でまだ引っかかっていると口を開く。

「だとしたら、犯行をしなかった者は、先走った相手を許すような関係かもしれません。例えば家族とか」

 ペイルトンには、このウェイの発想はなかった。そして、この説もまた理屈は通る。

 アリが鼻で笑った。彼にはウェイの説が説得力なく聞こえたのだろう。

 そう思うのも仕方ない。アリは幼少の頃に親に捨てられている。裕福な環境で育ったウェイには理解できない子供時代を過ごしているのだ。意見が合わないのも当然だ。むしろ、そんな二人が今は協力し合う関係だというのが珍しい事象と言える。

「もしトーリくんが同じような事をしたなら――」

 ウェイの具体例は最後まで言い切れなかった。

「トーリは、こんな事にはまきこまさせねえ!」

 アリが怒鳴るとウェイを睨みつける。

「すみません」

 ウェイの素早い謝罪は逆に気まずさを生んだ。

「いや、いい。たとえ、だからな」

 トーリはアリの末の弟だ。アリたちの層はあまり暦を気にしないため、正確にはわからないが、まだ十歳前後だろう。拠点を王都へ移す際、アリは邪魔な親戚関係の大半を切り捨てたが、例外として残したのが、母親と幼かった弟だ。

 当時母親を養う事に激しい拒否感を示したアリは、ウェイの度重なる説得で渋々譲歩した。あの時のウェイは、崩壊していた母子関係を修復する機会を与えたかったのだろうが、重要だったのは弟の方だった。親子ほども歳の離れた弟の存在は、アリの生き方を決定的に変えた。それまでは、日の当たる道を歩く人生にはまるで興味を示さなかったアリが、少なくとも弟には自分と同じ生き方をさせないよう立ち回っていた。その弟の悪い手本とならないよう、アリも日陰者の生き方を改めている。

「トーリがバカをやったなら、しかりつける。でも、さいごにはウェイの言ったとおり、ケツはオレがふくだろうな」

 ペイルトンは自分が小さく頷いた事に気付いた。表に出すつもりはなかったが、アリの気持ちに同調してしまったからだ。

 立場的には、弟子たちの不始末はペイルトンが処理しなければならない。だが、後始末が終われば、問題を起こした弟子は追い出すだろう。

 だから、一人が余計なことをしたせいで、闇夜の悪魔が仲間割れしていてもおかしくない気持ちはわかる。

 一方で、それほどの迷惑を掛けられても、不満を言いつつ最後まで助力をしてしまう絆も理解できた。ペイルトンにとってその対象は、荒野の支配者の仲間たちだった。

 考えてみれば不思議だ。自分でも、こういった情は柄ではないのはわかっている。おそらく今の問題解消業をせず、ずっと塔に籠もっていたら、そんな絆など信じない人生を送っていただろう。

 ペイルトンは杖で床を一回叩く。

「現時点でわかるのはこのくらいだな」

 アリもウェイも今のところ言い忘れたと認識している情報はないようだ。こちらを向き頷く。

 だが、実際のところ、わかった事よりわからなかった事が多い。闇夜の悪魔と呼ばれる者の正体。連続殺人をしている動機。現場に残されているはずの証。そして、本来プルサスに居るはずのその者がなぜこの船に乗っているのか。

 しかし、知識を追い求める仕事をしているから身に染みて知っている。わからない内容を認識することが、理解へ至る第一歩なのだと。

「この船には、どれだけの人が乗っている?」

「船員さんたちは、おおよそ二十から三十名というところですか」

 さすがはウェイだと、顔に出さずに感心する。酒酔いが醒めきる前にドワーフのトロッコに乗らされて気分が悪くなっていたペイルトンは、歩くので精一杯で、この部屋に降りてくるまでにどれくらい水夫が居たのかは見ていない。

「お客さんはどれだけいるのか。テオさん以外には会ってないからわかりませんね」

「この上の階に、部屋があったな。ひいふうみい。三つ三つで……六つか」

 アリが思い出しながら指を折る。

「とすると、最大でお客さんは六人ですね」

 決めかけるウェイにペイルトンが待ったを掛ける。

「待て、それは何人部屋だ?」

「大きさから考えて、一人部屋かと思いますが」

「ああ、二とうの部屋くらいの大きさだな」

 アリもウェイと同意見を示すが、ペイルトンには昔、見聞きした得た知識があった。

「二等の一人部屋というのは地上の宿の基準だろう。船では、もっと狭い場所に押し込められるのが普通だ。横になれそうな最大の人数はわかるか?」

「幅は確か……」ウェイが腕を広げる。余所見をしていたパースが驚いて身を引く。「隣の部屋との区切りが扉と扉の真ん中にあると仮定して、大人が横になるには少し足りないくらいですかね」

「じゃあ、奥に向かってねてるってことか。……確かにそれくらいはあるか。そのせいで廊下はあんなに狭かったわけか」

 アリに言われて、ペイルトンも狭い廊下を抜けてきたのを思い出した。そういえば、あの廊下の左右に扉があった。あそこが客室なのだろう。

「ってことは、部屋には三人ねられるな」

「待ってください。それだと、扉の前に寝る人が邪魔で、左右に人が入れませんよ」

「あ、そっか。じゃあ二人か」

 そこでペイルトンは少し待ったが、これ以上アリたちの意見は追加されなかった。

「では客は最大十二人。水夫と合わせて、三十から四十。この中に、連続殺人鬼が潜んでいるということか」

「ちょっとほじくり出すには多いな」

「そうでもありませんよ。相手は手練れ。ちょっと話して、一般人だとわかった人は、対象から外せば良いのです。すぐに絞れると思いますよ」

 アリはウェイの話に頷いたが、ペイルトンは黙って聞くだけだ。

 古代魔法王国期の古文書を読み解くには慣れていたが、人と話す事も、話しながら相手の素性を探るのも苦手だった。ウェイやアリが簡単だという手練れの感知も、ペイルトンにはどんな感覚かわからない。だから、いつもこの手の情報収集はウェイやアリたちに任せている。

 今回は、自然に会話を通して探る役目なので、適しているのはウェイだ。ウェイ自身、それを理解していた。

「では、早速話を聞いてきましょう」

 ウェイが立ち上がり、状況確認はそれで中断となった。


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