40 (ガラムレッド)
自身の「鎚を担う者」の就任記念から一ヶ月も経たないうちに、ガラムレッドは王都へ戻ってきていた。この行き来だけを見れば、非常に不名誉な行動だったが、ドワーフの仲間たちは特例的にガラムレッドの一時外出を認めてくれた。これは、就任記念に荒野の支配者の仲間たちを呼んでいたおかげだろう。顔を知らない者の事情は汲み取らないが、ともに杯を交わした相手なら種族が違えど仲間意識を持つ、それがドワーフだ。
ガラムレッドが、王都に戻ってきた一番の理由は、パースの息子の誕生祝いだった。パースはガラムレッドに、子供の名付け親になってもらいたいと手紙(ただし、パースは文字を書けないのでウェイの代筆だった)を寄越したのだ。
大陸人の子供にドワーフが名前を付けるなど聞いたことがなかった。しかし、ガラムレッドが断ると、子供の名前がガラムレッドになる、とウェイは予想しており、ガラムレッドもそのとおりだと思ったので、ややこしくならないように、ガラムレッドが来た。そもそも、そんな言い訳がなくとも、ガラムレッドは、パースの子供の誕生がまるで孫ができたように感じていたので、祝う気はもちろんあった。
大陸人は成長が早い。老いていくのも早いのだが、ついこの間まで子供同然だと思っていたパースが、結婚しただけでなく、子供ができてしまうとは、大陸人はそういうものだとわかっていても、心は驚きで付いて来られていない。少なくとも、結婚以降の経験に関しては、もうガラムレッドの先を行っている。口には出さないが、「これではどちらが師匠なのやら」と思っている。
パースの子供が生まれたのと同じくらい、嬉しい知らせもあった。これも一つの誕生と言える。
パースがついに、ケーオルの御業を示すことができたのだ。
パースたちは、王都へ帰る最中に騒動に巻き込まれたのだが(その理由は、船なんぞという、大地への感謝に欠ける乗り物を使ったせいだ、とガラムレッドは考えている)、そこでウェイが深手を負った。そのまま失血死しかねない状況だったが、パースが魔法で治療し、ウェイの血が止まった。
これは大変喜ばしいことだった。パースは、ああなので、本当にケーオルの教えについてわかっているか、師のガラムレッドも心配していたのだが、ケーオル神はあんな者の声も聞き届けてくれたのだ。改めて、神の偉大さを感じ入り、その晩はずっと感謝の祈りを捧げた。
この二つの祝いのため、荒野の支配者の面々とその友人たちが、アリの馴染みとしている酒場を一晩だけ貸し切って、酒宴を設けていた。
もう一つ、酒を傾ける話題があった。新しい門出についてだ。ウェイとアリが、ジン・ヨウにまで旅に出るという発表があった。
これにより、荒野の支配者は、正式に一時休業となった。ガラムレッドとしては、自身が鎚の担い手となったことで、荒野の支配者の仲間たちの足枷になっていることを、気にしてはいた。一方で、みんながまだ命のあるうちに、危険な生き方を改めて、落ち着いた暮らしを始めてくればという思いが強かった。
ウェイとアリは、そうならなかったわけだが、それぞれに理由があり仕方ないと思う。
残される二人は、根を張る生活が待っている。
パースは、ケーオルの御業を示したことで、単なる護衛から戦闘信徒へと昇格するだろう。司祭への道も開けるのだが、本人の能力からそちらの道は厳しい。
イーギエは、既に魔道士ギルドで確固とした地位を築いていた。今回の事件で、プルサスの魔道士ギルドの弱みを握ったことから、プルサスへギルドマスターとして戻る事すら可能だと話していた。しかし、これについては、ガラムレッドが「そうするとしても、アリが戻ってからにしろ」と忠告し、イーギエもそれに従ってくれた。
詳しく話を聞く機会はなかったが、イーギエは、プルサスの魔道士ギルドが暗殺者を雇い、社会を混乱に落としていた証拠を掴んだらしい。その話が本当なら、イーギエがプルサスの魔道士ギルドに脅しをちらつかせると、イーギエの元へ新たな暗殺者が派遣されかねない。それを阻止すべく、イーギエが護衛を雇おうにも、雇うつもりの人が暗殺側の者かもしれない。だから、そのあたりの事情に詳しく、信頼もできるアリが近くにいた方が安全なのだ。
ウェイとアリとの新しい旅立ち(これに関して、ウェイは「二人だけでは『荒野の支配者』ではなくなりますから『荒野の巡回者』あたりがいいかなと思います」と語って、笑いを取っていた)は、必ずしも喜ばしいことではなかった。
真っ先に反応したのは、酒場の給仕娘だった。アリが旅に出て、長い間帰って来なくなると知ると、泣き出したのだ。アリは慌てていた。そこまで慕われているとは気づいていなかったようだ。ウェイがすぐに気を利かせ、「静かな所で話し合ってください」と、二人はそのまま退場させられた。
あの娘は、おそらく理解していただろう。二人の旅が、長く会えないだけで済まないかもしれない事に。
ジン・ヨウには、ガラムレッドは行ったことがなかったが、片道だけで何カ月もかかる道のりだと聞いていた。道中、日銭を稼ぎながらの移動になるらしいので、早めに見積もっても往復で一年近くかかるだろう。そして、旅の真の目的が、ガラムレッドが読んでいるとおりなら、二三年かかることもありうる。
長くなればなるほど、それだけ遭遇する危険も多くなる。そうなると、いかに二人が熟練の戦士とはいえ、死ぬこともありうる。いや、むしろ、五人でやってきた経験が長い分、二人だけの行動に慣れていない事が、落とし穴になる可能性は高かった。実際、船の旅で巻き込まれた騒動では、ガラムレッドがいないせいで、ウェイは死にかけたと聞いていた。
これが、ウェイとアリに会う最後かもしれない。集った者の多くはそう思ったに違いない。そして、敢えて口にしなかった。
宴も夜中に差し掛かると、かなり静かになった。明日の朝から仕事のある者や、家族のいる者は帰っており、それ以外の者は酔いつぶれていた。
パースは、家族がいるのだが、ガラムレッドのいる食卓に突っ伏して寝ていた。今晩は帰らなくても良いと、パースの奥方から許しをもらったらしい。
イーギエもまた、床に転がって寝ていた。そこらの床は、酔っぱらいのこぼす物で汚れるので、安全な隅へウェイが運ばせていた。おそらく、この宴会で一番に倒れた者だ。本人は、元々酒に弱い体質だというのに加えて、ドワーフの酒宴で大変な思いをしたから、しばらく酒は飲まない、と言っていたそうだが、今夜はちゃんと参加していた。荒野の旅がいかに危険か知っているイーギエは、むろん、これが荒野の支配者たちが勢ぞろいする最後の機会かもしれないとわかっていたからだろう。実際、眠り込む前は、「アリ、行かないでくれ」とみっともなく泣いていた。幸い、アリは、給仕娘と退場したきり帰ってこなかったので、仲間の泣き言を聞いて、困らなくて済んだ。
しかし、表面上は、イーギエはアリの旅立ちを支援していた。弟を魔道士ギルドの教育施設に引き取り、アリの財産もイーギエが管理するとしていたからだ。放蕩者らしいアリの母親は、一般人にとっては怖ろしい対象である魔道士に頼み込まないと、余剰の資金を出してくれないことになる。イーギエが相手なので、生半可な言い訳では通らないだろう。
酒場の親父は、いつの間にか引き上げていた。あとは、出された物しかないが、酒ならまだたっぷりあった。ガラムレッドが、ドワーフ火酒を樽三つ分持ってきたからだ。おかげで、二カ月分の給金が吹き飛んだが、もちろん後悔はない。
出入り口の扉が開き、細身の体がするりと入ってくる。ウェイだ。小便にでも行っていたのだろう。ガラムレッドが待っていた相手だ。
「おやおや、もう皆さん全滅ですか?」
笑いながら辺りを見回すウェイに、ガラムレッドは盃を掲げて、こちらに来るように示す。
「ふふ。ガランと差し向かいで飲むのは久しぶり……いや、初めてですか?」
さすがのウェイも酒が回っているのか、いつもより陽気だ。ガラムレッドの卓の開いている席に座る。
「おや、パースもいましたね。それじゃあ、三人で飲みましょうか?」
突っ伏しているパースに、ウェイが気付いたが、ガラムレッドはパースの盃を取り、そこに酒を注いで、ウェイへと差し出す。ウェイはその意味をすぐ理解したようだ。パースを揺り起こそうとするのを止めた。
ウェイが、盃を取り飲もうとする時に、ガラムレッドは確認をする。
「女を探しに行くのだな。ようやく」
ウェイの動きが止まった。顔に浮かべていた笑いが消え、真剣な眼差しでガラムレッドを見つめる。その後、ウェイの眉が寄る。
「アリが話したのですか?」
ガラムレッドは静かに首を左右に振って、自分の盃に口を付けた。
「古き種族同士、ドワーフとエルフはそなたらが思う以上にお互いの事を知っておる。あれはエルフの女の名前だ」
「リュリュエリゼ!……そしたら、最初からずっと知っていたのですか!?」
ガラムレッドは静かに頭を上下に振った。ウェイは、天井を仰いだ後、ガラムレッドを指差す。
「それじゃあ……」
何か言いかけたが、今更言っても無駄だと思ったのか、指差していた腕をだらりと垂れる。
「他にも知っておる事がある」
「何ですか?」
「おぬしの酒の強さの秘密じゃ」
ウェイは観念したかのように目を閉じると、深く息を吐いた。
「わかりました。付き合いましょう」
そして、ウェイは自分の盃を空にすると、ガラムレッドへ差し出す。ガラムレッドは無言で頷いて、酒を注ぎ足した。
ウェイは大陸人にしては酒の強い方だ。ガラムレッドは、ウェイが酒を飲み過ぎて倒れるのを見たことがなかったが、ドワーフの酒宴でもそうならなかったことに、いささか驚いた。が、その時に、ウェイの酒の強さの理由に気づいた。
答えは単純だった。ウェイは酒を飲んでいなかったのだ。みんなが聞き入る話をし、歌い、時には踊り、そうやって酒を飲まない時間をうまく挟んでいた。そんなウェイに、強引に酒を飲ませようとすると、せっかく楽しんでいる周りが白けてしまう。そうやって、ウェイは自分の調子に合わせて酒を楽しんでいたのだ。
しかし、今回はウェイを逃すつもりはなかった。逃げ場がないように他の連中は全て、酔い潰れさせていた。いつものウェイなら、それでも無理をしないよう間を作るのだろうが、今回はガラムレッドに合わせてどんどん飲んだ。そして、ついに、眠りに落ちた。
ウェイもまた、これが仲間たちとの最後の酒盛りになるかもしれないとわかっていたのだ。
ガラムレッドは、店の中を見まわし、他の者が眠り落ちたのを確認する。ランタンの明かりは部屋の隅々まで行き渡っていなかったが、ドワーフの目は闇をも見通す。今は誰も起きている様子はなかった。
ガラムレッドは自分の盃に酒を注ぎ、念のため、もう一度、誰も見ていないのを確認する。
それから酒をあおると、ホロリと涙をこぼした。
およそ十ヶ月。書き貯めていた分を含めると、もっとですが、長い間、かような駄文に、お付き合いいただきありがとうございました。
その間、支えてくれた家族、友人に感謝です。
さらに、定期的に閲覧してくださった読者の方もありがとうございました。閲覧がなければ、「誰も見ていないし、まあいいか」と更新がさらに遅れていたでしょう。
そういう意味では、完成は貴方のおかげ、というかむしろ、手柄と言ってもいいです。ありがとうございました。
小説の前書きで書いた「小説には作者の人格は必要ない」という記述について、「もっと説明が必要!」と周囲からクレームが来ていたので、ここで少し補足説明します。
個人的な経験から、小説の作者が身近にいると、読者は作者に答えを求めてくることがあります。具体的には、「私はここのところ、こう読んだけれど、『本当のところ』はどうなの?」というような質問です。
結論から書くと、私の意見は、「読者それぞれが感じたことが本物」と考えます。
筆者の表現力、読者の読解力の具合により、一つの作品は多様な読まれ方をします。読者の経験も大きく感想に影響を与えるでしょう。だから、作者の意図が、読者それぞれの感想と異なるのは、むしろ当たり前です。
しかし、作者側の意図を伝えると、たいてい、それと違った私は間違っていた、というように捉えられてしまいます。
作者の意図=正解、と考えられがちなのは、学校の国語テストの弊害かもしれませんね。
なお、自分の感想とは別に、作者の意図を探る楽しみ方ももちろんありです。でも、個人的には、そういった鑑賞法は研究者たちに任せて、一般の我々は素直に自分なりの楽しみ方をするのがいいかなと思います。
重ねて、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。




