35 (ペイルトン・イーギエ)
死体の調査はアリとウェイに任せた。ペイルトンが直接見ると気分が悪くなって、考察に集中できないからだ。
彼らの見立てでは、喉をやられてから、腹を食べられたらしい。
「コイツの中にかくれてるってことはないか?」
アリの疑問に応じたのは剣士だった。
「だったら中にいるうちに、始末しちまおう」
グサリと肉を刺す音がする。二度も。三度目がなされる前に、ウェイが怒って止めた。
「それ以上は死者を冒涜する事になります。止めてください!」
「はぁ? ボートクってなんだよ」
止められた剣士が苛立つところへ、アリが間に入る。
「ま、それが何にせよ。腹と胸にいなかったら、もうかくれてねえだろう。頭ん中にいると思うか?」
「……いるかもしれねえが、そうなると小せえな。魔法でもバケモノの大きさがそんなにかわらねえなら、ビビるほどでもないか」
剣士は何とか剣を鞘に戻したようだ。ペイルトンは改めて、直視していなくて良かったと思った。
「おい! どうなっている?」
今度は頭上から船長の声が降ってきた。船長まで下りてくると面倒だ。ちょうど奥から、商人がやって来たので、それを利用する。
「やはりベショがやられていた。報告を送るから、そこで待て」
不満そうな唸り声が返ってきたが、すぐに下りてくる気配はなさそうだ。その間に、商人を手招きし、死体を調べて船長へ報告するように言う。
いつもなら、ウェイに任せるが、ウェイと船長はぶつけるべきではないとアリに言われていた。商人に断られれば、ウェイに手伝わせようと考えていたが、意外にもあっさり引き受けてくれた。この男も、死体をあまり怖がらないタイプらしい。
「魔物が隠れているかもしれん。注意して周囲を調べろ」
次の指示を出すと、アリから確認が返ってくる。
「死体はどうするんだ? おいておくのか? すててもらっていいのか?」
保管してもまた食べられるかもしれない。餌にしておびき出す策は使えないかと思ったが、すぐに諦める。まず、ウェイが煩い。そしておそらく、見張っていると魔物は出てこないだろう。すぐに姿を隠すような相手なのだ。屋外なら、相手に気取られないほど離れた場所から見張れるが、船ではそれはできない。
「いや、食われても面倒だ。捨ててもらえ」
向こう側でアリと商人が話し、商人が報告に上がった時に、死体の処理も伝えることになった。
「さっきとかわらねえぞ。バケモノはにげた後じゃねえか?」
剣士が不満そうな声を出した。それはペイルトンも予想していた。だが、手掛かりがあるかどうかは、まず調べないとわからない。
「血の跡などで逃げた方向はわからないか?」
「それはムリだな」アリが笑う。「まわりはどこも血だらけだからな」
そういえば、喉をやられたと言っていた。喉からの出血は激しい。
「引きずられた跡はありますね。……アリ側からここまでひっぱられたようですね」
という事は、船首に向かって右か。ペイルトンが少し覗き込むと、確かにそちらの床にそれらしき跡の一部が見えた。壁には血が飛び散った跡がある。
顔を顰めたペイルトンだったが、ふと気になった。
足元にはベショの杖があった。ならば、ここで襲われたに違いない。しかし、出血したのはさらに奥だ。……改めて考えるとさほどおかしな事ではなかった。煙幕の中、襲い掛かられて奥へ逃げたところ、喉をやられただけかもしれない。引きずり込まれてから喉を襲われたとも考えられるが、そうなると魔物はそれなりに大きくなくてはならない。あるいは、引きずり込む為の触手なりを生やしたか。
いずれにせよ、杖を手放したのは致命的だった。ペイルトンは、屈むとベショの杖を拾った。
ハインハイルの杖、がペイルトンの頭に浮かぶ。本来の教訓とは違うが、何時いかなる時も魔道士は自らの杖を大切にしなくてはいけない、という思いは強くなる。
「私は、ベショの部屋を探ろう。まじないについても、何かわかるかもしれない」
「だったら、パースはそちらに付いてください」
ウェイの指示に、床を軋ませパースがやって来る。
「おっと、イーギエ、ちょっとまちな」
アリからも声が掛けられた。陰から姿を出したアリは何かを投げた。しかし、両手に杖を持っていたペイルトンは受け取られず、せめて杖で止めようとしたが、投げられた物は杖に当たらず背後に落ちる。
「あ、わりぃ」
言った割にはさほど悪いとは思っていない様子で、アリはまた向こう側へ戻った。振り返ると既にパースが、受け損なった物を拾ってくれていた。渡されたそれは血塗れの鍵だった。
もちろんベショの物だろう。という事は、既にアリはベショの所持品を検めた後なのだろう。考えてみれば、戦闘態勢にあったのだ。ベショは魔術触媒も持っていたに違いない。これは、ペイルトンの触媒を失った穴を埋めてくれるかもしれない。
「アリ、魔法の材料などは後で私の元に持ってきてくれ」
「ああ、わかった。……血だらけだけどいいのか?」
「……使えるかどうかは、後で判断する」
期待をしていた、ベショの古文書は全く役に立たなかった。保護の魔法が掛かっており、広げられなかったのだ。
触れようとした指先に電撃を受けて初めて、ペイルトンはその可能性に気付いておくべきだったと反省した。正確には、知識としては知っていたが、好奇心の強さから思い出す前に手を出してしまったのだ。
解呪は簡単ではなかった。共用が前提なら、解除用のコマンドワードを設定するのだが、一人で使うのならそんな手間など省くだろう。そうなると、正しく開くにはベショの魔力波動が鍵となる。知っていても真似るのは難しいのに、詳しく知らない今はどうしようとない。
錠前をこじ開けるのと同じように、魔力で強引に保護魔術を引き剥がす手段はある。しかし、この方法には問題があった。保護の魔法は、古文書が朽ちるのを保護している効果もあるのだ。無理に魔術をぶち破れば、古文書そのものを千切りかねない。
アリが手際よく錠前を外せるように、正式な解呪に通じていれば、穏やかに保護の魔術を解くことができるだろう。その上で、新たに自分が保護の魔術を施せば良い。しかし、この、いわば最も正しい解決法には、専門の知識と技術が必要で、ペイルトンの対応範囲外だった。
残る最後の手は、ベショの保護の魔術の効果が消えるのを待つ、というものだ。地味だが確実なこの方法は、待つ時間が必要だ。正確なその期間はわからないが、おそらくは半日以上。もしかすると、数日掛かるかもしれない。
今すぐに魔物の情報が知りたいのに、それだけ掛かっては意味がない。それまでに、誰かが犠牲になっている可能性は高く、それが自分や仲間となる未来は受け容れがたい。
現状を打開しうる知識が目の前にあるのに、現状どうしようもない事実は、ペイルトンを苛立たせただけだった。
ならば、ベショが記録していた書物から何か得られないかと試みたが、こちらも行き詰まった。
まず、幾つかの巻物は古文書のように封印がされていた。電撃が指先を打つ度に、ペイルトンは歯を食いしばって悲鳴を耐えた。何度もパースに開けさせて試させようと思ったが、実行には移さなかった。まず、無垢なパースを痛めるのが可哀想だからだ。痛みはその思いやりさえ吹き飛ばしかけたが、パースが悲鳴を上げると想像すると堪えられた。仲間が何事かと駆けつけるだろう。そして、ペイルトンの仕業でパースが驚かされたと知れば、アリは楽しく笑うだろうが、ウェイは軽蔑の眼差しを向けてくるに違いない。ウェイからの軽蔑の眼差しに比べれば、指先から肘にまで突き抜ける痛みなど、まだましだった。
書物は諦めて、他の荷物を調べてみる。しかし、期待していた触媒は使えそうな物が残っていなかった。魔法の系統が同じだと言っても、得意とする魔術には違いがあり、使う触媒も異なるからだ。だが、戦闘で使えそうな魔術触媒が持ち出されている可能性があった。アリの回収に期待しよう。
待っている間、魔物がいかにして現れ、消えるのか、その謎について考える。変身能力について知った時はなんらかの偽装をしているのだろうと思ったが、それをわかった上で調べた後の場所から出現したなら、何か見落としているか、もしくはまだわかっていない事実があるに違いない。
ペイルトンは改めて、空間転移に関する可能性について考える。月光の塔のフロアマスター会議で提出しようものなら、一笑に付される議題だが、一人でひっそり考える分には馬鹿にされない。いや、自分でも有り得ないからと深く考えなかった内容だった。しかし、今は真剣に向き合わないといけないかもしれないと考えが変わっていた。
まず、魔物が空間転移できると仮定して、何処から飛んできたか考える。
ペイルトンが主張し、部分的に実行できた、船の全体を同時に調べるという策は、魔物が空間転移できたとしても効果があった。船の何処かに隠れていて、何処かへ空間転移したとしても、移動する前と後のどちらでも見つけられるはずだからだ。実際には、船の全ての場所を一斉に押さえられなかったが、階層毎にはほぼ押さえられた。暴露甲板には水夫がおり、その下の層にはウェイと他の乗客、さらに下はペイルトンたちがいた。船底にさえ、アリが入っていた。だが、どこからも移動前の魔物の姿を見たという報告は上がらなかった。となると、考えられるのは、おそらく鍵が掛かったままで調べられなかった士官室、厨房の奥にあるという貯蔵庫、あとはアリがまだ到達していなかった船底の奥くらいだろう。
船の外から空間転移してきたとは考えにくかった。そもそも、船の外に逃げられているなら、戻ってくる必要は無い。戻ってきているなら、魔物を縛り付けている何かがあることになる。ベショが唱えたという古代魔法王国語は、それに関係するのかも知れない。
しかし、船から離れた陸地から、この船を目掛けて空間転移するのは難しいだろう。消費する魔力こそ距離で大きな変化がなさそうだが、遠くなればなるほど技術の難しさが高くなりそうだ。空間にアンカーを打ち込み、そこに戻ってくるなら、精巧さは求められない。しかし、そうしていたとしても、最初に陸地へ空間転移する難しさは解決できない。
実は、見習いから弟子の頃、度々空間転移の実現性について議論になった事があった。そこで問題となったのは、空間転移先に何か物体があった時、その試行はどうなるか、という問いだった。これは、主に二つの解に集約された。一つは、転移先に何か物体があれば、その魔術は機能しないという、安全策が設けられた魔術だ。しかし、今考えると、この解には無理があった。転移先に何かあるか確かめるには、まず転移先に触れなくてはならないからだ。それが魔法的接触だとしても、もう一つの予測解である、融合の問題を引き起こす。
もう一つの予測解は、転移した物、これは単純には術者となる、が転移先の物と融合する、というものだ。見習いの頃は、同じ場所に存在してしまった二つの物体は混じり合って、二つの性質を持つ新しい物に生まれ変わる、と考える者が一定数いた。しかし、魔法を学ぶうちに、それは術者に都合良い楽観論だと理解する者が増えてくる。結果、同じ場所に存在してしまった二つの物体は反発し合って爆発する、という考えに落ち着く。この爆発規模は、想像できないくらい大きいと言う見解も主流になる。
今の魔法技術では実践できないので、確かめられないが、こんな危険な手法をとる魔物が存在するとは、やはり考えにくい。
融合の問題は、短距離であっても、基本的に解決できない。何もない事がわかっている、見えている場所への空間転移は可能かもしれない、とペイルトンも考えていたのは子供の頃だ。今、改めて考えると、「何もない空間」などないのだ。
賢者の道を歩んだ者は、何もないように見える空間にも大気があると学ぶ。これは、おそらく見習いの頃、あるいは弟子の頃に学ぶ知識だ。大気のあるおかけで、風が生まれ、音が伝わる。
しかし、若い頃は知識がしっかりと身に付いていない。だから、何もない場所に空間転移できると幻想を抱く。
魔道士になった頃でも、ペイルトンはその時に考えていれば、「転移する側の大気と交換すれば、融合の問題は発生しない」と浅はかに考えていただろう。だが、今は、転移する側の大気を体にぴったり合うだけ切り取る行為が難しすぎる事に気付いている。そもそも、空間を切り取る魔法が想像できない。それが出来るなら、原理的には、物体を切り取る事も可能だ。そうなると、この魔術は歯止めが利かない。
竜の心臓を抉り取る事も、古代魔法王国の魔法王の首を切り落とす事も可能になる。もちろん魔法障壁でそれを阻む事ができるだろうが、常時魔法障壁を張り続ける事は、古代魔法王国時代でも相当な労力となるはずだ。魔法王こそ守れても、他の諸侯までは保護が行き渡らないはずだ。
そういう意味では、これも古代魔法王国が衰退した理由として主張できるかも知れない。だが、それには問題があった。空間転移による暗殺があったという伝聞や資料は見聞きしたことがなかった。つまり、主流ではなかったという事だ。
やはり、空間を切り取るという行為は、かなり無理がある。古代魔法王国時代の水準で考えても、魔法で簡単に実現できるものではないのだ。
しかし、ここで矛盾が生じる。
古代魔法王国時代に、空間転移の魔法が存在していたことはほぼ確実なのだ。多くの文献でその存在が示されているし、ゲートと呼ばれる遺物が幾つも発見されている。ジン・ヨウにある一つは稼働中だという噂すらある。
これは、先程至った、空間転移は不可能に近いという結論を否定する。
何か見落としがあるのだろうか?
ペイルトンは自問して、程なく気付く。
古代魔法王国時代の空間転移はゲートを介してだった。これは、一魔道士なら手に負えない魔力消費や複雑な調整を、機構に組み込むことで解決しうる。それだけではない。最も重要な点は、空間と空間を繋ぐ、いわば穴を生み出すことにあった。
物体を丸ごと移動させるのは不可能に近い。だが、空間を繋げてしまえば、そこを通る物に融合の問題は起きない。例えば、ゲートを通じて手を伸ばしたとすると、手に押されて大気が移動するだけだ。この現象は、普通に手を振った時と同じ。振った手に風を感じるのは、大気がすれ違っているからだ。ゲートの向こう側に手が移動したなら、その分の大気がこちらに移動しているのだろう。ということは、ゲートは、ペイルトンが何となく思っていたように人だけを運ばない。向こうから、もしくはこちらから風の行き来があるはずだ。
この発見は、ペイルトンの頭の中で輝き、恍惚感を噴き出させた。
月光の塔、銀盤の水鏡の両ギルドに、古代魔法王国時代の優れた魔術を復活させようと試みているフロアないしクラスが複数ある。そんな連中を差し置いて、ペイルトンは自分が魔道士界に名を残すような偉大な発見をした気になった。魔術復古に勤しんでいる連中は、手の届く範囲の魔術に取り掛かっているはずで、手の届かない空間転移にまともに向き合っていないはずだ。少なくとも、知識と経験が足りていない一介の魔道士には、辿り着けない見解だろう。
その時、何か音がして、ペイルトンは思索の淵から顔を上げた。
前のベッドに、パースが膝を立てて寝そべっており、いびきを漏らしたのだ。そう言えば、ベショの書物を探るあたりで、パースが「ねてていいか?」などと聞いてきた気がする。はっきり覚えていないが、たぶんペイルトンは「ああ」と答えたのだろう。
途端に、ペイルトンを包んでいた恍惚感が消えうせた。
魔道士界に論争の風を吹き起こすであろう仮説も、魔道に縁遠い者にとっては、それこそ眠たくなるだけの話に違いない、と気づかされた。興奮が冷めると、自分が発見した内容についても過大な評価をしていたのではないかと思い直す。魔術復古にさほど関心がないペイルトンが気付いた内容を、専門で取り組んでいる連中が、いくら目の前の課題とは異なるとはいえ、考え至っていないと考える方が不自然だという気がしてきた。それなのに、さも重大な発見をしたかのように発表すれば、ペイルトンは魔術復古に携わっている連中から失笑を買っていただろう。
パースが緊張感なく寝ているのは問題だが、パースのいびきがペイルトンに冷静さを取り戻してくれた。その効果に免じて、今しばらく居眠りを許すことにする。
しかし、せっかく思い至った空間転移に関する仮説は、塔に戻ってから一度文書にまとめておいた方が良いだろう。もし、本当に発見だったとしても、それならそれで気軽に他人に教えてやるのは勿体ない。誰かに先を越されて発表されてしまう可能性はあるが、それも本来専門ではない内容なので、さほど自尊心が傷つけられない。むしろ、専門家が思いついていなかったことを、旅の最中に思いついた自分の才能について、ほくそ笑むことができる。これなら、誰にもバカにされることはない。
「やっぱ、ここにいたか」
扉を開けてアリが入って来たのは、それからしばらく経った後だ。ペイルトンは、再び魔物に対する考えをまとめていた。
「あれ? パースは寝ているんですか」
アリの横からウェイが呆れた顔を見せた。
「いびきは多少うるさいが、起こしたところで役に立たない。そのままにしておけ」
「つってもなあ。すわるところがねえぜ」
アリはそう言いながらも、パースが寝ているベッドの端にある箱に腰掛ける。ウェイは、ややためらってから、ペイルトンのベッドに入って来た。ペイルトンもウェイを近くに置くのは嫌だが、他に場所はないので、隅に寄って空間を作ってやる。
「上はどうだった?」
「死体なら、船乗りがイヤな顔しながら、はこんでるぜ。あ、これがあいつの持ってたものだ」
アリが小さな袋を三つ渡してきた。ベショが持っていた触媒類が入っている袋だろう。受け取って、近くに置く。後で使えるものがないか調べないといけない。
「かくし入れはなかったな。財布もなかったぜ」
隠し入れは、内ポケットの事だろう。ペイルトンのローブには幾つかそれがある。戦いの最中、小袋の口を開いて中身を検めている余裕はない。よく使う物は、内と外のポケットに分けて入れている。逆に言えば、普段は塔の中で暮らしているベショにはそんなローブを作る必要などなかったのだ。
「船長が、オレたちがマズったと言ってくるから、魔法使いのおっさんがドジったということでおしておいたぜ」
ペイルトンは頷いた。報酬など貰っていないので、報酬額に響くことなどあり得ないが、評判が落ちるのは避けたい。プライドの問題だ。
「つぎはどうするか、と船長が、ストンウェルのダンナや剣士たちと話してるぜ。オレたちは、後から行く、と言っておいた」
ならば、なるべく話を早くまとめておいた方がいいだろう。
「ベショさんについて、報告があります。船長には話していませんが、アツゴウさんも聞いていたので、もう話されているかもしれません」
ウェイがペイルトンを向いた。ウェイの表情から有用な情報のようだ。ペイルトンは人差し指を回す。
「今私たちが相手をしている、そしてベショさんの命を奪った魔物ですが、どうもベショさんがこの船に呼び込んだようです」
「やっぱ、そうかよ」
アリと同じく、ペイルトンもそれは予想していた。ウェイをベショと同じチームにしたのは正解だったようだ。自白を引き出したらしい。
「ベショさんは、遺跡から魔物を封印した宝珠を持ち出していて、そこから生まれてしまったのが今回の魔物のようです」
「魔物を封じた宝珠か!」
これには驚いたが、改めて考えてみれば妥当だった。召喚するのは、大掛かり過ぎるからだ。アーティファクトなら、適切なコマンドワードさえ知っていれば、封じていた魔物を解き放つ事が可能だろう。
その魔物が恐ろしい存在なのだから、やはりアーティファクトの力は偉大だ。
それがあれば確かに、月光の塔への移籍は十分すぎるほど可能だ。逆に、銀盤の水鏡からすると、手放したくない一品だ。銀盤の水鏡には、稼働状態にある三つのアーティファクトがあった。
遠見の水盆。無刃の鋏。薄暮の円板。これらは名前だけは見習い時代から知っているが、実物は見たことが無い。ベショが発見したという宝珠も、これらに列せられるだろう。さしずめ、魔封の宝珠などと呼ばれるに違いない。
「ホウジュって何だ?」
「大きめの宝石ですね」
アリの質問にウェイが答える。おかげで、また魔法に関する思考に流れていた自身に、ペイルトンは手綱を引けた。
まずは、その魔封の宝珠を確保するのが先だ。
「アリ、開けてくれ」
ベショの箱は錠が掛かっていたので開けていない。ペイルトンが立ち上がって、アリが錠を外しやすいように場所を空けるようとすると、ウェイが止めた。
「いえ、そこにはありません。下です。テオさんの死体を安置していた、最下部です」
「ん? 大切なものをどうしてそんなところに?」
アリの疑問は、ペイルトンも同じだった。が、少し考えると理由も思い浮かぶ。
「もしかすると、糸が付けられていたのかも知れないな」
「いと?」
ウェイを向いていたアリが、次はペイルトンを見た。
「銀盤の水鏡――プルサスの魔道士ギルドからすると、その宝珠は是が非でも自分の物にしたい。だから、ベショが一度ギルドヘ保管した後、それを持ち出されても追跡できるように、探知の魔術を掛けた可能性がある」
「……ベショさんはそれに薄々気づいて、身から遠ざけた。……探知の術は近くに魔道士がいる方が、効果が強くなるんですかね?」
「いや、それよか前に、あのおっさんが、大事にしまわれているものを盗みだせるとは思わねえが」
ウェイからの問いには、答えられなかった。ペイルトンが探知の術にさほど通じていないからだ。だが、アリの問いには答えられる。
「ベショはギルドヘ保管しなかったのだろうな。持ち出している事実からも、所有権は自分にあると思っていたはずだ。だが、探知の魔術は、対象を認識していれば追跡できる。まして、魔力溢れるアーティファクトだ。探知の網には引っ掛けやすい」
ペイルトンは言ってから、自分の言葉からさらに発想が広がる。
「或いは、宝珠自身が放つ魔力波動がベショを消耗させていたのかも知れない。理屈はわからなくとも、体が、宝珠を手元に置くべきではない、と訴えてきて、それに従ったのだろう」
「ふーん。でも、それで、とりあえず魔法使いが夜に何かもちだしたのは、はっきりしたな」
「そういえば、ストンウェルさんがそれを真夜中に見たと言っていましたね」
「議論は後だ。まずはその宝珠を確保するぞ」
そうして今度こそ立ち上がろうとしたペイルトンを、今回はアリが止めた。
「ちょいまち」
言いながら、胴着のポケットをまさぐっていたアリが何かを取り出して、ペイルトンへ差し出した。人差し指と中指の二指ほどの大きさの赤い欠片だ。陶器のように思えたが、手に取ると何やら温かみを感じた。
「それを、あの石ころだらけのところで見つけた。血だらけのとこで、みょうに光っててな。めずらしいから、取っておいた。他にも、にたようなかけらがころがってたぜ」
「ふむ、これが何か?」
赤い部分はこびり付いている血だった。それを擦って落とすと、確かに光沢がある。それだけを見ると金属のようにも思える。
「それが、ホウジュってやつじゃねえのか? われちまった後」
驚いてアリを見た後、すぐに手の中の欠片に目を落とす。直後にペイルトンの頭に浮かんだのは「もう触ってしまったではないか!」という叫びだ。もし、現場でペイルトンがそれを見ていたなら、ましてそれが古代魔法王国時代から遺るアーティファクトだとわかっていたなら、安易に素手で触りはしない。しかし、もう触れてしまった後、直接的な被害がないことは実証済みだ。
「割れるって、まるで卵みたいですね」
「……そうかもしれないな。宝珠と思っていたのはベショで、実際は魔物の卵だったのかもしれない」
「うげー。それをさわっちまったよ」
今更、アリが後悔を口にした。が、深刻に思っているわけではなく、すぐにペイルトンに指摘する。
「それって、かたがわがデコボコだけど、もう一方はツルっとして、そっているだろう? 他も、見た感じ、ツルっとしたがわを内がわにして、そっている感じなんだよな。ま、それが大きめのやつだから、わかりやすいが」
「それで?」
「だから、もしかけらをぜんぶ、あつめてくっつけたら、玉になるんじゃねえの?」
説得力のある洞察だった。もしそうなら、貴重なアーティファクトが壊れてしまったことになる。是非、活きたアーティファクトをこの手にしたかったが、気付いた時にはこの状態だったのだから、諦めるしかない。
「あつめるか?」
「……いや、少なくとも、今は必要ない。王都に着いた後、弟子や魔道士たちに集めさせることはするかもしれないが」
「これで、魔物を封印する方法は絶たれましたか?」
「……そうだな。だが、元より、魔物は退治するつもりでいた。後は、また見つけ出すか、引きずり出す方法があれば、良いだけだ」
「あ、それについても、一ついいか?」
アリがまた意見を提出するつもりだ。ペイルトンは頷く。
「これだけさがしてもいないんだから、バケモノは海にいるんじゃねえか? 魚にバケてよお」
なかなか興味深い意見だった。ペイルトンは、魔物が外へ飛んで行った想定はしたが、海にいるとは考えなかった。しかし、それには理由がある。
「魚に化けると言っても、魔界の生き物なら殊更、魚に化けるのは難しい。魚が水の中でも息ができるのは、鰓のおかげだと言われているが、その鰓がどういう構造をしているのか知っているか?」
「いや。つーか、魚って、いきしてるのか?」
それを言われると、確かにそうだ。生き物は息をするものという知識は、賢者の中で統一見解としてあるが、そもそもなぜ息が必要なのかは良く分かっていない。突き詰めても良く分からない問題は回避するのが一番だ。
「息をしているかどうかは定義によるが、いずれにせよ、魔物は魚の真似をできるほど、魚を良く知らないはずだ。食べた相手には変身できる可能性はあるのだが、魚を食べるにはまず大型の魚にならなくてはいけない矛盾がある」
「なるほど。魚を食べるのは鳥もいますが、これも鳥を食べるには簡単ではありませんし。鳥になれるなら、そもそも魚に化けなくても、船から離れられますからね」
ウェイはいち早く納得した。アリも、一応、わかったような答えをする。
「ふーん、そんなもんか」
「魚にしても、鳥にしても、船から離れられるなら、なぜ戻ってくるのかという理由もいる。ただ、これに関しては、この宝珠の欠片が何らかの影響を及ぼしている可能性はあるがな」
そこでペイルトンは、ふと思って、欠片をウェイに渡す。
「どうだ。残留している魔力を感じられるか?」
ウェイは受け取ると、目を閉じた。そのうえで、両手で欠片を挟み込む。
「……確かに、感じますね。冷めているはずなのに、感じられるのですから、やはり相当の魔力を封じていたのだと思います」
冷めている云々は理解できなかった。ただ、宝珠の欠片だという裏付けが取れた嬉しさと、やはり自然体で魔力感知ができるウェイの才能への嫉妬が混じり合う。
「で、どうするんだ? つづきは、他のきゃくがブルってダメだろう? つーか、そもそもかずが合わねえのか。オレたちが二手にわかれて、商人と剣士をつけるってのも……イヤだな」
魔物が姿を現したのは、おそらくベショが特定の呼びかけをしたからだ。それができない今、捜索を続けても、魔物が隠れている謎を解かない限り、向こうから姿を現す可能性は低いだろう。時間があるなら、ベショの書物を解読できるのだが、その余裕もない。
「ならば、次の手は、炙り出すしかないな。文字通りな」
「へえ、おもしろそうだな。で、どうするんだ?」
「ここで話す前に、船長に話を付けなくてはいけない。どのみち、行かねばならないのだろう?」
「そうですね。もう我々抜きで話がまとまっているのかもしれませんが」
「ま、その時はその時だ。オレたちゃ、ぶっこわすのはとくいだろ?」
アリが言い終えると、パースの腹を叩いた。グッと唸ってから、パースが開口一番「めしか?」と聞いた。
「残念だが、食事はお預けになるな。魔物を退治してからだ」
「ええーー!!」
寝起きにしては大きすぎるパースの不満の咆哮が響き渡った。




