30 (ペイルトン・イーギエ)
食事にも、ベショは出て来なかった。
作業に集中していると、食事を摂るのが煩わしくなる感覚は、ペイルトンにもあった。だから、アリが「なんか、時間かせぎをしているんじゃないか」と言い出したが、ベショの好きにさせるように言った。
考えてみれば、ペイルトンはフロアマスターになってから、空腹が気にならないくらい、集中したことがほとんどなかった。食事は召使いが運んでくるし、食事時でなくても居室に焼き菓子や果物が用意されており、何とはなしにそれらを頬張っていた。空腹を感じる機会が減ったのだ。
気が付くと、自分が堕落しているような気になってきた。それなりの金を払っているとはいえ、有能な召使いを雇えたと思っていたが、有能が有益になるとは限らない、ということか。帰ったら、対応を考えなくてはならない。
食事の雰囲気は、今回も全体的に暗かった。水夫たちは、ひそひそと話し合い、時折ペイルトンたちを見てきた。「まだバケモノがいるらしい」というような言葉が漏れ聞こえる。先程話を聞いた水夫たちが早速広めているのだろう。口止めはした方が良かっただろうかと考えたが、どうせ同じだろうと思う。きっと口止めしたところで広まるからだ。
陰気な食堂――というより、厨房前にある、ただの空間なのだが――で、場違いだったのが、ウェイだ。暗い雰囲気を吹き飛ばそうと考えているのか、明るく振る舞っていた。もちろん、魔物が出た事や、また死人が出た事には一切触れない。例のエルフについて話し出した。
ペイルトンにとっては聞き飽きた話だったが、商人は興味を持ったらしく、何度も質問をぶつけていた。決まり文句の「エルフは男性でも、美しく繊細で……」の下りでは、商人が、これまたよくある、「まるでウェイさんのようですね」と言い出した。それに、女が同意して、キャッキャッと騒いだ。
そういうわけで、ウェイの目論見は一定の成果を上げていた。それに対して、ペイルトンは心の中で否定的な意見を反芻する。
エルフは本来閉鎖的な種族だ。何処かにエルフたちの集落があるはすだが、それが何処かわからないくらい、孤立した暮らしをしている。しかし、ウェイの慕うリュウとかいうエルフは、おそらく、そんな閉鎖的な生活を嫌って飛び出してきたはぐれエルフだ。ウェイは、エルフ全体の特徴を話しているつもりなのだろうが、よく知るエルフが変わり者である以上、おそらくその認識はずれている。
しかし、この事をウェイに指摘するつもりはない。ウェイに対して本当に腹が立った時に、言ってやろうかと思った経験は何度かあるが、そう考える度に冷静になれた。おそらく、この指摘はウェイのアイデンティティの根幹を揺るがす。ペイルトンはウェイの事を好きではなかったが、叩き潰したいわけではなかった。
だから、その時も、これ見よがしに詰まらなさそうに鼻息を吹いただけで、許してやった。
今、最重要課題は、得体の知れない魔物がまだ船内に潜んでいるかどうかをはっきりさせることだった。
食事を終えると、ペイルトンたちは再び魔導師ベショを訪ねた。今度は、アリの言う「時間稼ぎ」をさせるつもりはなかった。分析過程であっても現状を報告させるつもりだった。もし、煮詰まっているなら、他人の意見は現状打破のきっかけになり得る。加えて、パースには食事を運ばせていた。パンとカップに入った薄めたワインだ。シチューは、パースが零しそうなので止めた。
本人は集中して空腹が気にならなくとも、いざ現物を目の前にすると、お腹が鳴ることはよくある。喜ばれるであろう自信はあった。
問題は訪問する人数だ。食事を終える頃に、ベショを訪ねる話を進めたところ、他の乗客たちが興味を示した。
商人は、問題なかった。魔物に水夫が襲われた以後、勝手に首を突っ込んできていたが、邪魔にはならなかった。むしろ、ベショとの会話で役に立ちそうだ。
女も興味を示していたが、これはウェイがいるせいだろう。しかし、ウェイが同行を制止し、自室に閉じこもっているように説得した。アリが、明け方に死者が出たから危険だ、と付け加えると、女は驚いていた。ウェイがムッとした顔をした事と合わせると、どうもその事実をウェイは告げていなかったらしい。おかげで、恐ろしくなったようで、出しゃばってくるのは止めた。
剣士については断る理由はなかった。それまで、近くで黙々と食べていただけだったのに、ベショの調査について口にすると、興味を示し、参加の意思を表に出した。なるべく部外者は加えたくなかった。さりとて、まっとうな理由も思い浮かばず、とりあえず、アリに目配せだけで、阻止するよう伝える。
「聞いてもよくわからねえような、むずかしい話をされるだけだぜ」
このアリの意見だけでも剣士は引いたようだったが、アリはさらに念を押した。
「そもそも、場所がねえしな。あんなせまいところに、男がぜんぶで何人入るんだ? 考えるだけで気持ち悪くならねえか?」
これで剣士は手を振って、話を終えた。
ベショは、やはりまだ解読中だと言ったが、現段階での確認をしたいと告げると、部屋を開けてくれた。
箱を机代わりにしていたが、自分用のだけでは足りなかったようで、隣のベッド端に置いてあったはずの箱を、ベッドの合間へと動かしていた。その両方の箱の上に、書類が広げられていた。箱の近くには、巻物が幾つか転がっている。言っていたとおり、まさに作業中の有様だ。
パースに持たせていた差し入れは喜ばれた。それを食べている間に、ペイルトンたちが部屋の中に入って座っていく。まずは、これまで、客に話を聞いた時と同じように、空いているベッド側に三人が並ぶ。ペイルトンはそちらに移動してから、やはり考え直して、商人と替わる。これで、このベッドには奥から、商人、ウェイ、アリと並ぶことになる。ペイルトンは、ベショの隣だ。こちらの方が、書類を見やすいからだ。パースは体が大きくて邪魔になるのもあって、今回も外で見張りをしてもらう。
「いやあ。ありがとうございました。一度お腹に何か入れると、自分が空腹だったのが思い出されますね」
食べ終えたベショが、空になったカップを床に置いた。
「全て持って来られなくてすみませんね。シチューが必要でしたら、今からでも下に行けばもらえるかもしれませんよ」
ウェイが余計なことを言った。さすがに、それを食べて戻るまでは待ちたくないペイルトンは、ウェイを無視して、話を始める。
「ほう、凄いな。それが本物の古文書か」
ベショのベッドに置いてある箱の上に広げられていた巻物を見て、ペイルトンは目を見開いた。とっさにベショが隠すように体を動かしたが、今更どうしようもないと観念したようにすぐに身を引く。
古代魔法王国時代より、現在の方が優れている数少ない品の一つが、紙だ。ジン・ヨウで発明された紙は、古代魔法王国時代には存在しなかったと言われている。存在したが朽ちて残っていないという説もあるが、それは古代魔法王国至上主義者の幻想だとペイルトンは考えている。
しかし、羊皮紙に関しては、古代魔法王国時代の方が品質は上だった。特に、広い面積の羊皮紙を作り出す技術に長けていた。これは羊皮紙を繋ぎ合わせる魔法があったからだと言われている。もちろん、この魔術も大崩壊で失われた技術の一つだ。
上下を文鎮で押さえられた巻物は、巻かれている部分の厚さから、噂に違わず、広げればかなりの長さになるようだ。まして、古代魔法王国時代の羊皮紙は今の物と比べて薄い。予測を超える面積になるだろう。
「それで、どういう事がわかりました?」
古文書を前に軽い興奮状態にあったペイルトンに代わって、ウェイが質問を切り出した。
「それがですね……何から話せばいいものか」
ベショは呟きながら、書類を眺め回し、やや間を置いてから、また口を開く。
「結論から申しますと、仰っていた魔物についての技術は、おそらくこれではないかというのが、見つかりました」
『おお!』
ペイルトンと商人の声が重なった。ベショは頷くと、古文書の方の文鎮をどけて、巻物の上下の筒を両手でそれぞれ掴む。そして、器用に送り出しと巻き取りを両手でこなし、広げている部分の内容を変えていく。絵の描かれている箇所を見つけると、それを皆に示す。
「ここなんですが……」
そこには、今日の明け方に仲間と退治した魔物の横姿が描かれていた。ただし、かなり簡略化されており、正直なところウェイの絵の方がうまかった。
「たしかに、こんな感じだったな」
「そうですね」
アリとウェイが同意した。
「スケッチはないのですが、これより前の、幼体期、と言ったら良いんですかね。その時にはワーム状だという記述が見つかっています」
「ふむ。推測したとおりだな」
自分の推測が間違っていなかったことに、ペイルトンは満足した。
「他には?」
ウェイの質問に、ベショは顔を歪めると、巻物を一旦置き、ベッドの間に置いている箱の上の巻物に手を伸ばす。羊皮紙の質と側にペンとインクがあることから、解読するために筆記していた巻物だろう。
「えーと、まずこの魔物は人を食らうーー」これは周知の事実だ。「そして、増える」
「何っ!」「ふえる?」
ペイルトンとアリが声を上げた。ウェイと商人も同じように驚いている。
「まて、どういうことだ?」
アリが責めるように言うと、ベショは済まなそうに身を縮こめる。
「ですから、この魔物は人を食らって増えるようです」
説明は先程と同じだ。だが、アリも理解できなかったわけではなかったようだ。気持ちが追いつかなかっただけだろう。渋い顔をして黙り込む。ペイルトンも似た気持ちだ。
「増えるとは、どういう方法でだ? 卵を産むのか? 分裂していくのか?」
「それについては、まだ解読中です」
ベショが頭を下げる。
「あと、もう一つ分かった事がありまして……」
怯えた姿勢のベショに、続けるよう人差し指を回す。
「この魔物は、変身能力を有するようです」
今度は絶句してしまった。これは、かなり深刻な事態なのかもしれない。
「変身能力とは、どこまでの能力なのだ?」
考えてみれば、攻撃を受けた際に体を硬化させていたのも、広義では変身能力だ。しかし、その適用範囲が広いと……。考えてペイルトンは身震いした。ただし、これで見つからない理由は掴んだのかも知れない。
「その部分も解読中です。ただし、次の記述が見つかりました。『これにより、敵地にて活動させた場合、自ずと敵勢力に多大な打撃を与えしむる』と」
「それは、まさか……古代魔法王国の最終兵器ではないだろうな?」
古代魔法王国の滅亡、いわゆる大崩壊がどのような出来事がきっかけで起きたのかははっきりしていない。しかし、有力な説の一つが内乱による荒廃だ。
「その魔物が暴走して、古代魔法王国の人口が激減し滅びた――」
「いや、それはないと思います」ベショが新たな巻物を広げて読む。「えーと、どうもこの魔物はコントロールできなかったので封印したという記述がありました。私の訳が正しければ、ですけど……」
「それでも、やはりその魔物が暴走した線は消えませんね。誤って封印が解かれたとか、負けそうだった陣営が破れかぶれになって封印を解いたとか」
ウェイの説に、ベショが慌てる。否定する材料がないかと探しているのだろう。しかし、話の流れを変えたのはアリだった。
「ちょいまち。なんかスゲーバケモノが、スゲー強え国をこわしたとしてよ。どうして、それよか弱い今の国が食われてねえわけだ? つーか、なんで、そんなバケモノがこの船にいるんだよ?」
「確かに。テオさんが意図せずして持ち込んでしまったとしても、それを誰が植え付けたんでしょう?」
「だれって、まあ、うらみがあるヤツだろうな」
アリの論点は少しずれていたが、おそらく意図的だ。巡察騎士だという事実を隠ぺいするためだろう。
「そうだな。私は『誰』より、『どうやって』の方が気になる」
それを推理するのに、一つ確認しておいた方が良い点があった。
「その魔物についてだが、異世界から召喚した悪魔なのか、それとも創り出した生命体なのか、どちらなんだ?」
「それについては、私も気になって調べているのですが、これもまだ解読中で」
「いや、まてよ、イーギエ。今はそいつを見つけ出して、たおす方が先だろ?」
確かに。アリの言うとおりだ。ペイルトンは賢者としての好奇心を一旦棚上げする。同じく、確かめておかなくてはいけない点にも気付いたのだが、これも後回しにする。そして、どこから話を仕切り直そうかと考えていると、先にウェイが口を開く。
「変身能力。それで、他の人に変身されていたら、もうお手上げじゃないんですか?」
この考えには、同意できなかった。
魔法について知識の乏しいものは、変身というと、何にでも化けられると考えがちだが、そう簡単なものではないからだ。まず、今の魔法技術では、誰かに完璧に化けることはできない。幻術でなら可能だろうが、実際に血肉を持った実体として存在させることは不可能だ。古代魔法王国時代でも、他人に完全に化ける技術は難しいに違いない。できたとしても一流の魔道士だ。魔物ができるとは考えにくい。
「他人に完全になりすます魔術は、現実的ではない幻想だ。もし、外見だけをまねられたとしても、中身まで同じになるのはまた別問題。二重に不可能と言っても良い。どう思う?」
最後に振った相手はベショだ。魔導師として、意見に興味があった。ベショは「そうですね」と少し考えてから発言する。
「中身の模倣に関しては、頭や魂までも食らってしまえば、可能かもしれません。しかし、この場合、元の自己がどう残るかが問題になります。完全に、別人になってしまえば、元の自己は残っていませんし、もし残っているなら完全に他人にはなっていないわけですから、乖離があると考えられます」
どうやらベショは、現実的な考え方というより理論的な考え方をするようだ。しかし、言いたい内容はおそらくペイルトンに近い。
「虫の中には、他のものに擬態する種が存在する。それは、捕食されないように、捕食者が嫌がるものに擬態したり――」ここでペイルトンは、アリには専門用語が多くて理解しにくいのに気付き、言葉を少し変える。「獲物とするものが獲物とするものに擬態し、近寄ってきたところを捕らえたりする」
だが、これでもアリの難しそうな顔は消えなかった。ペイルトンと同じように、アリの表情に気付いていたウェイが、さらに言い換える。
「おとり捜査みたいなものですね。お客さんだと思って近づいたら、実は衛兵で、逆につかまってしまう感じですね」
これにアリは理解したように頷いた。ペイルトンは、少しウェイに対して腹が立ったが、本当に伝えたいことはこれからいう事なので、文句を言わずに、話を続ける。
「つまり、本来、擬態は特定の誰かになるのではなく、種族の一個体として化けられればよい。だから、今回の魔物が生来獲得している能力で変身しているとしても、特定の誰かに化けているとは考えにくい」
ベショがこれに補足する。
「そうですね。もし、それが特定の誰かに変身する能力があるとすれば、先ほどイーギエ師が言われたように、設計された生命体である必要がでてきます。それでも、獣同然の知能の個体に特定の誰かに変身する意図を伝えるのは困難ですから、素体は人でないとおそらく実現不可能ですね」
さりげなく言ったが、その結論は恐ろしい。ただし、理論としては間違っていない。それ以上広げると、吐き気が襲ってくるかもしれないので、ペイルトンは何も言わなかった。
「じゃあ、タルとかだったら化けられるのか?」
アリの指摘は鋭かった。確かに、周囲にある無生物に変身できるなら、探しても見つけられない。
「無生物ねえ」
ベショも一考の余地があると考えているようだ。だが、それなら、もっと根本的なことを確かめればよい。
「変身能力について、記述はなかったのか?」
「あ、それについても解読中です」
「なんだよ、さっきからそればっかだな」
非難したい気持ちはわかるが、古文書の解読は大変だ。弟子時代それを手伝っていたペイルトンは良く分かる。しかし、この機会に、先ほど後回しにしていた質問をぶつける。
「それより、どうして貴様が所持していた古文書に、今回の魔物の記述があったのだ?」
「そ、それは……」
ベショの顔が青ざめた。これに、これまでずっと聞き手に回っていた商人が反応する。
「まさか、バケモノを連れ込んだのはあんただったのか?」
「ち、違う。わ、私は人を殺してはいない。そ、そもそも、顔を見たこともない相手だ」
「魔法使いだったら、顔を見てないとかは、言いわけにならねえなあ」
アリがベショを睨む。しかし、ペイルトンはもうその部分に興味はなかった。ベショは意識していなかったが、もしかすると古文書を手にした時に、封印が解けたかもしれないと思い至っていたからだ。それならば、ここでなじるより、再度封印する方法を探ってもらった方が良い。専門用語が多く含まれていると思われる、その古文書は、ペイルトンが新たに解読するには時間がかかりすぎる。このままベショに進めてもらわなくてはならない。
その前に、もう一つ、確認をする。
「その古文書が、月光の塔への手土産か?」
ベショが目を開いてペイルトンを見た後、観念したかのように首を垂れる。
「……はい、そのつもりでした」
保存状態の良い古文書は珍しい。もちろん重要なのは、その中身だ。魔物の召喚、もしくは創造に関して書かれている古文書は、大いに価値がある。問題は、どうしてそんな重要な文書を、一魔導師が持ち歩いているか、だ。
「銀盤の水鏡、いや、クラス・マイゼンから盗んできたのか」
ベショが顔を上げた。その目には怒りが灯っている。
「違う! これは私が遺跡で見つけた物です!」
ペイルトンは無言でベショを見つめ返した。ベショは、視線を反らした。自分の意見が、必ずしも通らないと理解しているからだ。
この問題は、法学では「荒野論」として度々論争されている。一般的には、ここの船長が認識しているように、荒野を法的に治めている者はいない、と考えられている。頼れる存在がいないのだから、自分の身は自分で守らなくてはならない。逆に、無法地帯で犯した罪は、罰せられないと考える連中もいる。実際に、衛兵たちはほとんど町や街道しか守らない。これが、盗賊たちがはびこる理由にもなっている。
しかし、領主たちはそう考えていない。彼らは、隣の領主の治める土地の境界線まで、自身の領土だと主張している。それなのに法を犯している盗賊や、魔物までが、本来罰せられるべきで、ただ現在その余裕がないだけだ、と解釈している。だから彼らは、もし無法地帯で罪を犯した盗賊を捕らえたら、町に戻ってから処罰する。ただ、その機会は少ない。
ペイルトンは過去に一度、この荒野論についての公開討論をしている場に見学に行ったことがあった。特に、領主派の主張が荒唐無稽で面白かったからだ。
彼らによると、いわゆる無法地帯で罪を犯した盗賊が、捕らえられて町で裁かれるのと同じように、魔物たちもまた捕らえた後、町へ連れて行き、そこで裁判にかけるべきだ、という。それについて「人語を解さぬ魔物に、裁判とは如何ようのものか」と指摘されると、魔物たちは死後、裁きの神によって、自分たちが正しい裁きを経てこの地に至ったと説明がされるはずだ、と語った。
と聴衆でいられるうちは良かったのだが、困ったことに、その時すでに荒野の支配者の一員として有名になっていたペイルトンが、実際に荒野で活動するものの代表として、急に意見を求められてしまった。ペイルトン自身、権利を主張していながら責任を果たしていない領主側の意見に反感があったのだが、それを大っぴらにできなかった。領主陣営から、反社会的勢力の一員だと目を付けられたくなかったからだ。だからその時は、適当にごまかして、以後、危ない会合には近づいていない。
ベショも、一般市民的な、荒野で危険を冒して得られた成果は自分のものだ、という感覚を持っているのだろう。ペイルトンはそれには同情できた。だが、今や魔道士ギルドの幹部として、ベショの主張を簡単に認めることはできなかった。
おそらく多くの魔道士ギルドは、所属する領主の領土とほぼ一致する領域内の遺跡に対して、発掘品の所有権を主張している。これに倣えば、ベショが発掘した古文書も、銀盤の水鏡の所有物になる。そして、それを実質管理するのは、ベショが所属していたクラス・マイゼンだ。
「だが、そもそも、遺跡の発掘品は所属するクラスに接収されるとわかっていたはずだ。現に、その発掘を支えていたのは、クラス・マイゼンであり、銀盤の水鏡だ」
「違う。今回の発掘は、私が私費を投じて、遺跡荒らしを雇い、あのマイゼンを出し抜いて、新たに封印を解いて、この古文書を手に入れた。それでも発掘品のほとんどは、ちゃんと収めている。これくらい手に入れられるのは、発見者としての権利のはずだ」
これも明確な答えがない話だ。新規発掘者は確かに、それなりの褒美を得られるべきだという認識は、魔道士全体にもある。だが、それが発掘品の中から自由に選べる、とは決まっていない。しかし、発掘品の中から自由に選んではならないと禁じてもいない。
本来は、この線引きは、当事者間が話し合って決めるべきだ。そうなっていないのは、前から疑っていたとおり、そして会話から感じ取れるように、ベショとマスター・マイゼンの間に溝が深まっていたからに違いない。
ベショの主張に対する反論はあった。直近の発掘に対する支援が非協力的だったとしても、それまでに至る魔道士としての教育が十分な支援だと考えられるからだ。しかし、ここでこの討論をするつもりはなかった。面倒だからだ。
「それについては、私は判断する材料を持たない。ゆえに、やはり、貴殿を月光の塔の魔導師として編入するのを推薦するわけにはいかない」
ペイルトンは、ただでさえ、人間関係の調整は煩わしいと考えている。だから、敢えて、ベショの問題に関わりたいとは思わなかった。おそらく、月光の塔としては、本来自身の影響下にない遺跡からの古文書を入手できるのだから、ベショの編入は受け入れられるだろう。いや、受け入れられるに違いない。しかし、そうすると、これまで仲が良くなかった、月光の塔と銀盤の水鏡の関係が一層こじれてしまう。ペイルトンは、一応、どちらにも関わりのある立場だ。余計な捻じれに巻き込まれたくはない。
しかし、ベショが月光の塔の一員になれたとしても、その立場は想像していたものと違うことになるだろう。なぜなら、月光の塔の方がむしろ発掘品に対する締め付けが厳しいからだ。
月光の塔では、発掘品の全てが魔道士ギルドの物としてではなく、国王の物として扱われる。それを、月光の塔が預かっているという形式なのだ。ベショが、今と同じ主張をした場合、上司に睨まれるだけでなく、下手をすれば国王にまで睨まれる。だが、これは、ベショの問題だ。
「けっきょく、バケモノを見つけるには、どうすりゃいいんだ?」
アリがため息をついた。無理もない。ペイルトンでさえ、面倒だと思う論争に、よく理解できていない者は興味などあるはずがない。
「もう一度、無生物に化けている可能性を念頭に置いて捜索する。ゆえに、水夫たちの協力が必要だ。彼らなら、樽が増えているかどうか、すぐにわかるはずだからな」
「じゃあ、また船長に話を通さなくてはいけないんですね」
ウェイもため息をついた。こちらは予測される未来にうんざりしたのだろう。
「私は、そろそろ自室に引っ込んでおいた方が良さそうですね」
商人が言った。面倒に巻き込まれたくないのだろうが、賢明な判断だ。ペイルトンは、そちらには答えずに、ベショを見る。
「貴殿は、これからも解読を続けろ。特に、魔物の弱点を調べるのだ。封印する方法も、もはや実現不可能かもしれないが、調べろ。何かのヒントになるかもしれない」
ペイルトンが杖をついて立ち上がると、仲間たちも立ち上がった。
 




