02 (アリ)
「うみエルフ?」
パースが首をかたむける。
「ええ。エルフには森に住む人たちだけでなく、海に住む人たちもいると言われています」
「海に住んでるって、魚人ってことか?」
ふしぎに思ったアリが聞いた。魚人を見たことはないが、聞くところによると、うろこにおおわれた人というすがたらしい。海ぞいの村などがおそわれているので、じっさいにいるのだろう。
うわさでは、魚人は水かきのついた手にするどい爪が生えている。丸い口には小さいキバがぎっしりならんでいるらしい。……どうにも、きれいなすがたをしていると聞くエルフとかさならない。
「いえ、魚人ではありません。海に住んでいるといっても、水中にそのままいるわけではないのです。海の上に町全体を浮かべるか、町全体をすっぽりと泡で覆って海底に沈んでいる、と伝えられています。エルフたちは失われたはずの古代魔法技術を維持できているのでしょうねえ」
「ふむぅ」
アリはあごをかいた。イーギエとウェイ、それにドワーフのガランと三人の仲間が魔法を使えるのだが、アリにとってはまだ魔法はよくわからないものだった。それでも、荒野の支配者にくわわる前よりかは、少しはわかるようになっていた。
魔法使いにもいろいろあって、といくなものがちがうということ。ずっとむかしに、すごい魔法が使えた国があったが、とうにほろんで、今はできることにかぎりがあるということ。そのかぎりについてもくわしくはわからないが、町を丸ごとなんとかするのは、大変だろう。たぶんムリだ。
「うぉっ!」
パースがいきなり声を上げる。パースはウェイに背中を向けて海を見ていた。よろこんだ声だったので、魚がはねたのでも見つけたのだろう。
アリたちがいるのは大きな船の上。この船は前と後ろの一部が高くなっており、アリたちは後ろの高い台にいた。海までは三から四人分くらいの高さになる。
ウェイがやれやれと肩をすくめた。パースが話を聞いていないのはいつものことだ。たとえ、自分からしつもんしていても同じだ。
とアリが思っていたら、パースが急にふり向く。
「うみドワーフはいないのか?」
アリは一拍おくれてからふき出した。
ドワーフは背が低い。はじめて会った時、ガランが、アリの胸までしかない子どもなみの大きさなのにヒゲもじゃだったので、子どもなのか大人なのかわからなかった。が、そういうれんちゅうなのだ。これまでは他のドワーフにほとんど会ったことがなかったが、こないだたくさんのドワーフに会ったばかりだった。アリたちはそのドワーフの町からのかえり道なのだ。
ドワーフの町は、山に穴をほった中にあった。言いつたえでは、ドワーフは大地のようせいの血すじらしい。だから山の中に住み、穴が小さくすむから背も低い方がよい。山にこもっているれんちゅうだからか、ドワーフは川やみずうみが苦手らしい。少なくともガランはそうだった。
だから、海とドワーフは合わない。ガランになついているくせに、ドワーフのすききらいをパースはまるでわかっていない。
「本当ですね。今度ガランに聞いてみたらどうですか?」
ウェイのことばに、パースがいいことを聞いたと思ったらしく、目を開いてうなずいた。
アリは思わずにやけてしまう。そんなことを聞こうものなら、パースがガランにどなられるのに決まっているからだ。ガランはいつもむっつりしてあまりしゃべらないが、怒ったときははげしい。
だが、アリのまなざしをうけて、ウェイはほほえみながら目を閉じ、首を左右にふった。どうやら、ウェイはアリがどう考えているかわかったうえで、自分の考えはちがうと言っているらしい。よく考えてみれば、この手のいたずらはウェイがすきそうなものではない。
少し考えてアリは思いつく。次にパースがガランに会った時、パースは今話した話をおぼえていないだろう。ウェイはそうよんでいたのだ。今となっては、アリも同じ考えだ。
「しかし、あの酒もりは思っていたよりずっときつかったな」
ドワーフについて思ったことで、アリはガランのために開かれた酒もりを思い出していた。ガランがまぼろしのりゅうをぶったぎったちゃばんから、今はおそらく五日後の昼。
おそらくというのは、酒もりが始まってから、アリのきおくがとぎれとぎれになっていたからだ。
きおくはなくともヒゲはのびる。だから今のアリはかなりのヒゲづらになっているはずだ。少なくともさわった感じではそうだ。パースも同じようになっていてもおかしくなかったが、パースはヒゲをウェイに手入れしてもらっていた。パースはひょろひょろとしたあごヒゲしか生えない。に合ってないのだが、パースはガランをまねているつもりなのだ。
ウェイはいつもどおりすっきりしている。そういえば、ヒゲづらどころか、ヒゲをそっているところを見たおぼえがない。生えないたちなのだろう。
ドワーフは、そのヒゲづらと低い背のほかに、長生きだというのもしられている。そのせいなのだろう。アリたちと時間の感じ方がまるでちがうらしい。というのも、酒もりが一夜であけてしまわず、何日もつづいたからだ。穴ぐらの中でのくらしなので、一日というくぎりを気にしていないのかもしれない。
ともかく、ドワーフはやたらと酒を飲んだ。今思うと、向こうに合わせるべきではなかったのだろうが、いわいの酒の場で止まるのはむずかしい。おまけにドワーフの酒はおどろくほどうまかった。だから、大変な目にあった今でさえ、ドワーフたちに酒をそそがれたら、同じように飲んでしまうだろう。そうして飲んではつぶれ、おきてはまたつがれてよいつぶれるをくりかえした。日の光がとどかない穴ぐらなので、今が昼か夜かさえよくわからなかった。
「あれは『荒野の支配者』が壊滅しかねない危機でしたね」
ウェイの大げさな言い方にアリが笑うと、ウェイはりょう腕をひろげる。
「いや、冗談ではないですよ」
が、アリがウェイの目をのぞくと、笑っている光があった。ウソではないけれど、それが笑えるということなのだろう。
「それじゃあ、やっぱりとちゅうで逃げ出したのはまちがってなかったということだな」
「そうですね。みんなに帰らなくてはいけない用事があって“幸運”でした」
アリとウェイが声を合わせて笑った。その二人の顔を見くらべてから、パースが大きな声で笑う。アリはウェイと目を合わせて、また笑った。パースがいつものようにわけも分からず笑っているだろうと思ったからだ。
むかしは、パースのこの笑い方について、のけものにされないようにムリに笑っているのだろうと思っていた。でも今は、パースも本気で笑っているのだとしんじている。たぶんパースは、まわりがたのしそうにしているだけで、たのしめるヤツなのだ。
「そういや、どういう言いわけだっけ?」
アリは自分の言いわけすらまともにおぼえてなかった。たしか、やりかけの仕事があるとか言った気がする。
「わたしは、公爵夫人の茶会に招かれているという理由でした」ウェイがほほえむ。「まあ、まだ先だから、急ぐほどではなかったのですが」
アリはそうだったとうなずいた。パースは、中身はわすれたが、ひどく笑える話だったというのはおぼえている。ドワーフたちの前で笑いをこらえるのが苦しかった。
「パースは何だっけ?」
アリはパースの胸をこぶしでかるくたたいた。何を聞かれているのか、すぐにわからなかったようだが、しばらく考えてからぼそりとこたえる。
「オレはこどもがうまれるから」
アリとウェイは声を出して笑った。
たしかにパースは仲間の中でただ一人のにょうぼう持ちだ。でも、ほんとうに子どもが生まれるなら、行きの道中で話すきかいがいくらでもあった。それがなくて、いきなりドワーフたちに言いはなったものだから、そのおどろきがおなかをうちのめした。しかし考えてみれば、このぶっとび方はいかにもパースらしかった。パースの考えには、いつもつながりがないのだ。
「しかし、よくもまあドワーフたちはああも唐突に急用を思い出すわたしたちを、怪しまずに送り出してくれましたね」
ウェイのことばに、アリは一拍かたまってしまってから、また笑った。
「いやいや、ばれてるって」
「え、そうだったんですか?」
おどろくウェイを、アリはむしろしんぱいになった。おひとよしがすぎると、だまされやすい。ウェイはすぐに他人をしんじすぎる欠点があった。
「あたり前だろう。あれは明らかにおかしかった」酒でふやけていた頭でも、それはわかった。「それでも、かえしてくれたのは、オレたちじゃ酒の相手にならなかったからだろうな」
ウェイはまだなっとくしていない顔をしていた。感じ方がゆがんでいるんじゃ、いくら思い出したところで、なっとくできるわけじゃないだろう。そう考えてから、アリはべつのことを思い出した。
「おっと、ウェイはドワーフとガチで飲めていたんだっけ?」
アリのきおくでは、ウェイはよいつぶれていなかった。いや、それいぜんに、ウェイがよいつぶれたすがたなど見たことがなかった。きゃしゃな体つきをしているが、ウェイはドワーフなみに酒が強いのだ。
「ウソだとおもわれていたのか?」
パースのはんのうは、今回もおそかった。きずついたような顔をしているのも合わさって、アリはまた声を出して笑った。ウェイがつづき、おくれてパースも笑った。
こうも何度もゲラゲラ笑っていると、船の上で仕事をしている船乗りたちがこちらを見てくる。中には、めいわくそうな顔をかくそうとしない者もいた。じっさい、アリたちが船の中からここへ出て来たとき、「仕事のじゃまになるから」と一度は出るのを止められた。
アリが船乗りたちを見ると、船乗りたちはアリと目が合わせずそれぞれの仕事をつづける。だれかが「ボーッとするな」としかったせいもあるが、その声がなくても、船乗りたちはアリたちにかかわりたくなかっただろう。
船乗りたちはアリたちをこわがっているのだ。そもそも、アリたちは、船乗りだけでなく、世間にこわがられていた。
アリたちはいろんなよび方をされる。ようへい。売剣。やとわれ戦士。賞金かせぎ。
どうよばれようと、やることは大して変わらない。金をはらってくれるやつに力をかす。力と言っても、金やちえなんかじゃない。もっとたんじゅんな力、ぼうりょくだ。
魔物や野盗をたおすのは、わかりやすい、だれもこまらないまともな仕事だ。もちろん、やられるやつらはこまるが、それも死んじまえばこまらない。
ややこしくなってくるのは、かたきうちや暗殺だ。これは立場によって、正しいか正しくないかが変わる。こっちはたのまれた仕事をこなしただけなのに、追われることだってあった。でも、これにしても、世間にとっちゃまだわかりやすい。
やっかいなのが、野盗から身を守るためにやとったはずのれんちゅうが、荒野に出たとたん、野盗に変わるかもしれないという点だ。やとわれるがわにとっちゃ、わざわざ旅をしなくてすむぶん、こっちの方が手っとり早いんで、そう考えるヤツらはとうぜんいる。
もちろん、やとうがわの商人もバカじゃない。たとえば、ほうびはうまくいってからわたす決まりにする。
これでも、すべてうまくいくわけがない。この場合、商人はさいしょからほうびを持ってないことが多い。持っていたなら、やとわれたやつらからすると、とちゅうでうばいとった方が早いからだ。だから、ぶじおくりとどけた先で、商売をして、その金をごえいにわたす。でも、商売がいつもうまくいくとはかぎらない。そうなったら、ごえいは やくそくの金がもらえない。
こんな事になるならと、ごえいたちの中に、荒野に出たとたん、今ある分だけでいいからよこせと“こうしょう”を始める者が出てもおかしくない。なんせ、荒野で始末してしまえば、盗賊や魔物におそわれて殺されたのと見分けがつかないからだ。
しかし、世間相手にこの言いわけはとおらない。こういうきらわれ者としてのよび名が、ごろつきやならず者、むほう者なんてやつだ。
ウェイは自分たちのことをぼうけんしゃとよぶことが多い。でもアリはきどったその言い方がはずかしい。だから、始末屋と名乗ることが多い。
よび名がどうであろうと、アリたちがきらわれ者だということは変わりない。まとめて殺されないのは、ゴミそうじに役立つからだ。衛兵たちはほとんど町から出ていかない。だから荒野をそうじするヤツらがいるのだ。盗賊や魔物がおそってくる荒野はあぶない場所だが、同じゴミのようなヤツらが死ぬだけならもんだいない、って考えだろう。
世間には、船乗りたちは荒くれ者だと考えられている。だけど、始末屋たちはたちの悪さではもっと上だ。だから、アリたちはじゃまだと言われたが、それいじょうは止められなかった。向こうがビビったからだ。
とはいえ、今、アリが何の仕事をしているかと聞かれたら、いちおう始末屋とはこたえるが、ビミョウなところだ。なぜなら、荒野の支配者として仕事をしたのは、何ヶ月も前だったからだ。
今回あつまったのも仕事ではなく、ガランのいわいだ。
それでもやっていけているのは、一回のほうびが多いからだ。名が売れるにつれ、ほうびは高くなっていた。その分、仕事の数はへっていた。命をかけてやっているんで、本当なら今もらえているくらいがちょうどいいのだろう。でも名が売れる前が今ほどいかなかったのは、しんようがなかったからだと思う。
荒野に出てから、依頼人の商人をおそうのは、てぢかな実入りしかよくならない。長い目で見ると、ちゃんと依頼どおりこなす方がとくになる。それをおしえてくれたのは、マコウだ。商人だったマコウは、しんようのかちとやらをしっていたのだ。
マコウは、アリたちしらない者同士をくっつけて、荒野の支配者として売り出した男だ。しかし、今、そのマコウはもういない。まさに商人のごえい中に、盗賊たちにおそわれて、殺られたのだ。
運が悪かった。まちぶせをうけて、マコウは四人におそいかかられた。一番ちかくにいたのはアリだったが、こちらは二人を相手にしてすぐにたすけに行けなかった。たすけに入った時にはもう手おくれだった。マコウは二人をたおしていたが、腹をひどくやられていた。
あれはアリでもおかしくなかった。立つ場所が少しちがっただけだったからだ。
荒野の支配者は、国一番の始末屋としてしられている。でも、そうなったのは、長くつづけていたってだけだ。ふつうは、死んじまう前に足をあらう。見方を変えれば、荒野の支配者はやめ時がわからないまま、今まで来ただけなのだ。
でも、あるいみ、もうおわっているとも言えた。ガランは王都からはなれて、もうドワーフの町に住みつくことになった。「仕事があればいつでも呼んでくれ」と言っていたけれど、だれかをよびにおくって、ガランが来るまでに十日ほどかかる。急ぎの仕事だったなら、それだけまってはくれない。いくら荒野の支配者のひょうばんが高くても、べつのだれかにたのまれちまう。
アリはためいきをついた。先のことを考えるのは苦手だ。これまではいつも行きあたりばったりでやってきた。
海から空へ向きをかえる。さかいめの はっきりしないくもが、とおくをゆっくりといどうしていく。
ウェイとパースは海を見ながら話をしていた。海にかんけいするお話だ。相変わらず、ウェイはいろんな話をしっている。そしてパースは、いつもどおり、聞いているのかいないのかわからない顔をしていた。
その時、何かを感じた。さっとまわりに目を走らせ、おかしい何かをさぐる。それはすぐに見つかった。船の中からの出入り口となるハシゴのあたりで、船乗りの一人が下に向かって何か言っていた。
アリはすぐに思い当たる。他の客が外に出ようとしているのだろう。自分たちもあそこでじゃまになるからと一度止められていた。
船の中は、暗くて、せまくて、くさい。おまけにゆらゆらゆれる。気ばらしのために出たくなるのがふつうだ。
船乗りが一歩引いた。それを見たアリは、気をはる。
船乗りが客に道をゆずるとは思っていなかった。アリたちは始末屋だったから おしとおれたが、その時のあしらい方から、ふつうの人ならおいはらわれると思っていた。つまり、その客はふつうのヤツではない。
また、その船乗りのたいどが気になった。少しはなれているので顔ははっきり見えなかったが、ビビって下がったように見えた。アリたちにとったたいどと同じだ。
「どうしました?」
ウェイが声をかけてきた。
「いや……」
ことばにできるほど何かを感じたわけではなかった。だが、ハシゴのあたりから目ははなさない。
ハシゴをのぼってきたのは、ずきんをかぶった男だった。きている服は、ふところぐあいをしめす。アリは、道ばたでくらしていたガキのころ、身なりで金を持っていそうか見抜いていた。その目は今もくもってはいない。
すぐにアリは、その男が金を持っていなさそうだと考えた。少しはなれていて、人や物がじゃまになって、こまかく見えなかったが、だいたいわかった。そめられていない服。日にやけた腕。これを見るだけで――
「労働者、ですかね?」
ウェイがアリの考えをことばにしてくれた。町にいる者の多くが、この手の仕事についている。パースも仲間になる前は、荷物はこびをしていた。そう考えると、この男はありふれたヤツだ。だが、本当にそこらにいるヤツなら船乗りがビビらなかったはずだ。
「なるほど、剣か」
男がうごいたので腰に下げている剣が見えた。これで船乗りがビビったわけはわかった。すぐに、うれしくない事もわかる。
「長剣ですね」
ウェイがまゆをよせて言った。お気らくなウェイでもけいかいしている。
武器は持っただけではいみはない。使いこなせないといけないのだ。ほうちょうと大して変わらない小剣とちがい、腕より長い剣は使うのはむずかしい。力も技もいる。それを下げているだけで、シロウトではないとわかる。
「ただの荷物はこびじゃあなさそうだな」
「でも、形見の品を帯びているだけかもしれませんよ」
たしかに。これまで、見かけだおしのヤツらはたくさん見てきた。剣を持っているからと言って、使い手とはかぎらない。
ハッタリはりっぱな手だが、見抜かれちゃいみがなくなる。そしてアリたちは、剣を使うクロウトとして、よく見れば相手がシロウトかどうかは見抜ける。
船乗りが何か言ってから、男からはなれる。おそらく、じゃまにならないようにしろと言っているのだろう。アリたちもそうだった。
長剣の男は、ずきんを手でなおしながらあたりを見回す。ちかくの手すりから海をながめなかった。けしきを見るためではなかったということだ。
アリが目を細めていると、男がこちらを見上げた。
目が合った。と言っても、向こうはずきんにかくれて、顔はよく見えない。こちらを向いたままだったので、アリはにらみつけてやった。それで、ようやくしせんが切れた。ビビったかと思ったが、男はこちらへ向ってくる。
「パース、お客さんが来るぞ」
もちろん本当に客が来るわけではない。そして、パースでも言われたことを丸のみしなかった。この言い方はこれまで何度も使っていて、なれていたからだ。
パースはゆるんでいた口を閉じた。腕を胸の前でくむと、ウェイの前に立つ。
男は高台のそばまで来て、見えなくなった。じきにハシゴをのぼってくるだろう。
にらみ合いからケンカになることはよくある。とくにアリはもとから目つきが悪い。だから、この男はアリにヤキを入れに来たのかもしれない。それならばもんだいなかった。あくまでやる気ならヤキを入れかえしてやればいいだけだ。だが、たいていはそこまでならない。こちらは三人だ。ただの三人ではない。腕におぼえにある三人だ。ちかくまでくれば、そのはくりょくにふつうはビビってしまう。
ぎゃくに、アリがビビっているわけでもない。ただのシロウト相手にはピリピリしない。気にしているのは、ちかづいてくるのが殺し屋かもしれない、ということだった。
荒野の支配者は、有名になるくらい、いろいろとやったからこそ、いろんなヤツらからうらみをかっていた。
むかしは、ハンパに半殺しなんかするから、後でうらまれる、と思っていた。しっかり殺してしておけば、後でやりかえされない、と。でも、荒野の支配者として戦うようになってから、まちがえだったと気づいた。殺した本人からやりかえされることはもちろんないが、そのかぞくや仲間からひどくうらまれるのだ。また、そういうヤツらは、自分たちではかなわないのをわかっているから、その道のクロウトにたのむ。
そこでやって来るのが殺し屋だ。一度たたきのめしたヤツなら、もう弱いのがわかっているし、顔だっておぼえているかもしれない。しかし、殺し屋はそれまであったことがないうえに、ヤバいヤツらばっかりだ。
もちろん殺し屋をやとうのはかなりの金がかかる。だから、アリたちが殺し屋におそわれたのは、片手で数えられるくらいですんでいるが、そのどれもがヤバかった。アリはウラに顔がきくから、かさねて来られるのはなんとかできなくはないが、一回目は、なじみの組織がかかわってなければ、おそわれるまで何のしらせもない。
だから、アリは見ずしらずの者がちかよってくるのはきらいだった。こっちはきらわれ者の始末屋だ。そんな自分たちに、ちかよって来るヤツは、あやしい。
ずきんの男が頭を出した。そこから手すりに手をかけて体を引き上げる。
「何かようか?」
ずきんの男が上りきる前に聞く。あやしいうごきがあれば、そのままけりおとしてやるつもりだった。それがやりすぎになることは多いが、そういう時は、始末屋のらんぼう者としての顔が役に立つ。それで当たり前だと思われるからだ。
ずきんの男は、一拍すらかたまらなかった。
アリだったら、かまえられないときに声をかけられるのはイヤだ。相手をたしかめるため、止まってそちらを見てしまう。たぶん戦いなれた者はみんなそうだ。そうならなかったのは、シロウトか、シロウトのふりをするのがうまいか、だ。
「用がなければ、ここに来てはいかんのか?」
男の低い声にビビリは感じられなかった。男は立ち上がると、長剣の位置をなおした。思わず、アリも自分の剣へと手をのばす。男はそのうごきを見ていた。それでいて、やはりビビったにおいはしない。イヤな感じだ。
「もちろん、そんなことはありませんよ。この景色は誰のものでもありませんから」
ウェイがまわりを見わたすように片手をさっとふる。つられるようにずきんの男も海へと目を向ける。
アリはウェイのうまさに感心した。もし、この男がこちらを敵だと思っていたなら、目をそらさなかっただろう。つまり、すきを見せた今は、おそいかかってくる心配はかなりへった。ただし、かんぜんに安心できるわけでもない。
その間にアリは男をあらためる。
ずきんからのぞく顔の下半分はヒゲだらけだった。これはめずらしいわけではない。大人の男はたいていヒゲを生やしている。パースのようにヒゲがうすいヤツは、ひんそうになるからそっているのもいる。でも、多くの男はあまり手入れをしない。手間がかかるからだ。ぎゃくに、ヒゲを手入れしているヤツはそれなりによゆうがあるヤツって事になり、金を持っている者が多い。つまり、このずきんの男は、金を持ってない方の人らしい。
アリは、かんさつをつづける。
体の大きさはふつうだが、筋肉はついている。これは、力仕事をしているというよみに合っていた。としはアリたちと同じかそれより上。ただし、ジジイではない。腰帯には財布と長剣と小剣を下げていた。財布のふくらみは大きくない。
かんじんの長剣は、つり下げなれている感じだった。使えないヤツがむりにさしていると、どこかへんだ。ただし、使えないヤツではないのと、使いこなせるヤツかはまたべつだ。アリはさらに、かくにんしていく。剣はそれなりに古い物だった。それがウェイの言っていたように、おやからもらった物というだけなのか、自分で使い古したかは、やっぱりわからない。
ただ、今の間合いについては、こちらがゆうりだった。アリは男から二歩はなれた間をとっていた。長剣は抜くのに時間がかかる。たいして、アリは短剣だ。もとより、抜くのはとくいだ。相手が小剣で、こちらがそれより長い短剣でも、ふつうのヤツならまけない。
ずきんの男は、へその前でゆるく腕をくんでいた。しぜんと右手が長剣の柄にちかくなる。抜きやすいかまえだ。アリはあからさまに右手を短剣の柄においていた。左手はさやを持っている。かまえで言えば、抜きやすさはこちらが上だ。
相手の腰から顔へとしせんをもどすと、ずきんの男はこちらを見ていた。ねぶみする目つきだ。その目つきが、アリからパース、ウェイへとうつっていく。
「水夫から、掃除屋が乗っていると聞いていたが、なるほど、油断していないな」
そうじ屋。アリたち始末屋の多くあるよび名の一つだ。この男はそんなヤツらと分かった上でちかづいてきているということだ。今もビビっていない。
「おっさんは、なにもんだ?」
アリが低く言うと、しかいのはしでウェイが顔をしかめた。アリのケンカ腰が気に入らないのだろう。
「失礼しました。名乗るのが遅れましたね。わたしはウェイ。そちらがアリで、こちらの仲間がパースと言います。パース、代表として握手を」
ウェイはパースの後ろから一歩よこにうごいて、体を出していた。ずきんの男にちかいのは、ウェイの前に立っているパースだ。パースは一歩前に出ると、左手を出した。ずきんの男がすなおにこたえ、すぐに顔をしかめた。ウェイがそっとパースの腕をさわると、パースは手をはなす。
アリは思わずニヤリと笑う。パースは力が強い。かげんも下手なので、あくしゅはいつも強すぎる。それをわかっていてしじしたということは、ウェイもこの男をけいかいしている。
男は顔をしかめながら、左手を開いたり閉じたりしていた。
「それで、お名前は?」
ウェイに聞かれて、男はおどろいた顔を見せた。
「あ、ああ。そうか。……テオだ」
名前なんてどうでもいい。本当かどうかもわからないからだ。今アリがしりたいのは、このテオとやらが敵かどうかだ。
「で、テオさんはオレたちに何の用だ?」
相変わらずアリのすごみにもテオはびびらない。それどころかふざけたしつもんをかえしてくる。
「その前に、君たちもまだ名乗っていないだろう?」
アリはいみがわからず、ウェイを見た。さっき、ウェイが名乗ったばかりだ。ウェイも肩をすくめる。テオがつけ足してようやくいみがわかる。
「掃除屋としての名前だ」
「ああ。それなら『荒野の支配者』と呼ばれています」
テオの目がすこし大きくなった。
「どおりで。油断がないわけだ」
どうやらテオは荒野の支配者のひょうばんについてしっていたようだ。アリは少しいがいに思った。たしかに、荒野の支配者は有名だ。でも、それをしっている人は多くない。アリも、とおりのかたすみでねおきしていたころには、始末屋の名前などしらなかった。だから、有名なのは、同じ始末屋をやっている者や、依頼をするようなれんちゅうの中では、となる。このテオが、ただの荷物はこびならしっているのはめずらしい。だけど、それだけでうたがうほどではない。荷物はこびも、仕事をもとめて町から町へ命がけでうつることがある。それをくりかえしているなら、旅のごえいもする始末屋についてしっていてもふしぎではない。
「リーダーは君かね?」
テオがウェイに聞く。ジン・ヨウのことばまじりだ。
アリにはピンと来なかったが、アリたちのいるアオイシの国は小さい国らしい。それにくらべて、ずっと東にあると言われるジン・ヨウはかなり大きい。金も物もぎじゅつも魔法も、すべてジン・ヨウがずっと上だ。だから、商人やけんじゃにはジン・ヨウのことばを使う者が多い。
ここまではわかる。でも、ジン・ヨウのことばを話さなくていい者までが、いたるところで片言のジン・ヨウことばを使っている。さも自分たちがえらいと言っているようだ。ジン・ヨウことばがあまりわからないアリは腹が立つが、あまりに数が多いのでいちいちつっかかっていられない。
リーダーということばはよく聞く。いみはたしか、一番えらいヤツとかいう感じだ。一拍おくれてりかいしたアリは、こたえづらいと思った。
せいかくには、今の荒野の支配者にリーダーはいない。その立場にいたのは、マコウだ。でも、そのマコウは死んだ。もう五年はたつ。今思えば、この時荒野の支配者はおわっていてもおかしくなかった。そうならなかったのは、この時にはそれぞれの役目がかたまっていたからだろう。マコウがいなくともなんとかやれた。アタマが一人いないとこまる時は、役目に合った者がその時々で前に出ていた。
「お聞きになりたいことがあるのでしたら、わたしが承ります」
ウェイがパースのかげから出てきて前に立った。
そう。おとなしい話ならウェイが立つ。ぎゃくにおどしがいるならアリの出番だ。今回はどちらでもよさそうだが、そんな時はたいていウェイが先手をとる。
かわりにアリは、テオの後ろへ回る。テオは上ったまま高台のはしにいるので、かんぜんに後ろには回れない。ウェイに向いたのを合わせても、せいぜいななめ後ろだ。それでもゆうりな立ち位置にいる。
ウェイは細剣を部屋においてきていた。戦いになるとまずい。パースも戦鉾をおいてきたが、強い力とゲンコツがあった。自分の身は守れるだろう。だからアリは、荒事になれば、ウェイをたすけに回らなくてはならない。
テオはずきんを後ろに下げると、アリのうごきをよこ目で見た。イヤな位置にいるのがわかったはずだが、うごきはない。いや、わざと、うごきをおさえていた。
テオは白いかみがまじる頭をあまりうごかさずまわりを見る。なれていた。ぶきようなヤツ、たとえばパースだったら、頭のうごきをおさえきれず、そのぎこちなさがぎゃくに目をひいてしまうだろう。
テオが何を気にしているのかがわからなかったが、アリも同じようにまわりにちゅういを向ける。もっとも一番ちゅういをはらっている相手は、かわらずテオだ。
後ろを指さして、相手がそちらをむいている間にスリをするのは、ありきたりの手口だ。そんな手に、スリをするのになれていたアリがひっかかるわけがない。
まわりにいるのは船乗りたちしかいなかった。先ほどは気にならなかったが、思い出してみると、船乗りたちの何人かはこちらを見ていた。しかし、今はそうでもない。
たぶん、あたらしく上がってきた客が始末屋にちかづいてケンカがおきるかもしれないと思っていたのだろう。が、すぐそうならなかったので、それぞれの仕事にもどったのだ。
船乗りたちは、何もおきないときょうみをなくしたのだろうが、アリは今もテオを敵じゃないと思っていなかった。今のアリたちがしずかなのは見かけだけ。きっかけがあれば、アリはためらわず剣を抜く。おそらくテオもそれはわかっているだろう。
テオはウェイに向きなおると、りょう手を胸の前あたりに持っていき何やらごそごそし始める。あやしいうごきにアリは剣の柄をにぎる力を強くする。が、ウェイのよこ顔に気をつけている気配はない。アリは立つ位置を少しかえて、ようやくわかった。テオは服の中から、首にかけた革ひもをたぐりよせて、何かをとり出そうとしていた。
革ひもの先で何かが光った。それでアリは、かたちはわからなくても、モノはわかった。金だ。
「私はジュンサツキシだ」
テオが革ひもの先についた何かを持ち、ウェイに見せた。その時、何か言ったが、そのアリにはそれがよくわからなかった。声が低く小さくなったせいもあるが、もしかしたら、アリのしらないジン・ヨウことばだったのかもしれない。
ウェイに何を見せたかも気になった。一歩回りこもうとしたら、先にテオが体をこちらへ向けた。
胸の前で見せるようにぎられていたのは、小さな円板だった。やはり、それは金でつくられていた。その大きさから、アリはざっとねうちをけいさんする。
あれが中身も金だとかなりのかちだが、それを持つ者がこんな身なりをしているはずがなかった。おそらく中身は銅で、とけた金でまわりをおおったものだろう。……それでも、銀貨二十枚はかたい。
そう考えたところで、テオは金の円板を服の中へしまう。
「なるほど。騎士様が私達にどういうご用でしょうか?」
アリは今見たものが何かよくわからなかったが、ウェイのおかげでいくつかはっきりした。一つはこの男がさっき言った聞きなれないことばはナントカ騎士だった、ということ。もう一つは、見せられた金ピカがその騎士だとしめすものだろうということだ。あいにくアリは、ナントカ騎士もしらなかったし、金ピカについてもしらなかったので、それがホンモノかどうかわからなかった。だが、ウェイは何かしっていそうだということは、たいどからわかった。
「頼みたい事がある」
これを聞いはじめて、アリは少しだけ気をゆるめた。依頼人であれば、こちらにちかづいてくるのも、こちらをじろじろと見て力を見抜こうとしてくるのもわかる。が、殺し屋じゃないと決まったわけではない。殺しは気づかれずにおそうのが一番らくだが、安心させてからおそうのも悪くない手だからだ。
ウェイと目が合った。うけるべきかと聞いている。むろんアリはうなずく。かせげる時はかせぐ。それをみすみす逃すのは、バカだ。
「では、お聞きしましょう」
しかしテオはいがいにも首を小さく左右にふる。
「いや、後でそちらに向かおう。どこの部屋だ?」
またウェイが見てくると、すぐにアリはうなずく。この男の話におかしなところはない。依頼について他人にあまりしられたくないというヤツは多い。さっきからこそこそしているりゆうとも合う。騎士だからタイメンがどうとかあるのだろう。そういえば、この男の服は騎士にしてはきたない。オシノビの旅なのかもしれない。
「この甲板から二階層下の船尾側の部屋です。あ、そこのはしごを加えるなら三階層になりますね」
ウェイがテオの後ろのはしごを指さす。
テオは何も言わず、背を向けるとはしごを下りてさっていく。いっしょにいるのを見られたくないのだろうが、感じが悪い。
「なんだ、あいつ」
パースが、まるでもんくのように言った。だが、きっとそうではない。パースはそもそも、テオが依頼人だとよくわかっていないにちがいない。
しかしアリはここでそれをおしえたりしない。パースの声は大きい。今おしえると、「いらいにんだったか」と言いかねない。パースは考えを口に出してしまうヤツなのだ。
「さあな。イヤなヤツだったな」
前の半分は依頼人のため。他人にしられたくないなら、いちおうそれはまもってやる。だが、後ろ半分はホンネだ。
「嫌な奴ですか……私はこれから説明しなきゃならない相手の方が嫌ですね」
ウェイのためいきにアリはニヤリと笑う。ウェイはイーギエとあいしょうが悪い。が、すぐに自分が間に立たないといけないと思い出すと、笑っていられなくなった。
おくれて、パースがガハハと笑った。